第37話 お昼休み 後編
「おはよう、おとね。」登校したかつしは、ランドセルを背負ったまま辻ちゃんの机の前を通り、自分の机に向かった。
「…。」かつしはランドセルを置き、肩越しに覗いてみた。あれ?そのままだ。ふつうに すわってる。どうして?
「なにも いえないの?おとね?」かつしは辻ちゃんに近寄った。
「ふん。ねぇ、アナちゃん。くろだくんのだけ、すっかりわすれてたね?ニックネーム。」辻ちゃんはガタッと席を立つと、橋本ちゃんの席に向かった。
「そ、そういえば、そうだったね?」
「いいのがあるんだ、アナちゃん。チビ田だよ。みんなに、まもってもらわなきゃね。」かつしはポップコーンのように膨らんで、跳ね回りそうになった。ぼくより、ちょっとだけ。ちょっとだけ、せが たかいからって!
「それは、あんまりよくないんじゃ。」橋本ちゃんは、その場で右往左往していた。
「おとね、おとね、おとね!」
「チビ田、チビ田、チビ田!」かつしは大きく腕を揺らして、席に戻った。おとねは ひどいよ。あんなことをいうなんて。
かつしは休み時間に、おとねと聞こえては、声を抑えるのに必死だった。
「こくごのここ、わかった?」かつしは、文章問題のプリントを見せた。
「うん、できたよ?れなちゃん。」小走りで離れた木村ちゃんを、かつしは見送った。
「どうしたの?あかりちゃん。」
「わたしも、まぜてよ。なにしてるの?こはるちゃん。」
「え?それはね?」
せっかくの給食になっても、かつしはあまり食べる気にならなかった。さいしょに もどったみたいだ。かつしは俯き、ひたすら手だけを動かした。橋本ちゃんが小刻みに動く音が聞こえる。きょうはおかわりしないんだね。木村ちゃんの声は全然聞こえない。伊藤ちゃんは、いつもと かわらないかな?
「どうした。今日は静かじゃないか。」樹里先生は別の班にいたり、先生の机で食べたり、別の先生と交代する時もある。途中からやって来たのは、新しいパターンだった。
「じゅり先生。ひさねちゃんと、くろだくんがケンカしてます。」木村ちゃんは2人を指差した。あっ、よびかたが もどってるじゃん。せっかく、きめたのに。
「またか?いつもとは違うのか?」
「なかなか なかなおりしないんです。」橋本ちゃんが言った。
「チビ田がわるいんだ。」辻ちゃんはボソッと呟いた。
「なにをー!おとねが へんなことを いうからだろ。」
「あー、あー。何となく原因はわかったよ。きっかけを作ったのは私だからね?しっかり見ておけばよかったよ。」樹里先生はため息を吐くと、お箸を置いた。
「じゅり先生が、わるいんですか?」
「ちょっと、こはるちゃん。」
「そうだね。かつしにニックネームを勧めたのは私だ。おっ、丁度いい。お昼休みだ。時間を取るのは悪いけど、ここまでに起こった出来事を、3人で教えてくれないか?」
3人の説明中、かつしは窓の外を見ることにしたけど落ち着くことはなかった。どれだけ身体を外に向けても向けても、話に吸い寄せられるように、声が聞こえてしまう。ちがうと、かつしは何度も言いそうになった。それでも、かつしはじっとできなくなったとしても、口だけは決して開かないように辛抱した。
「かつし、どうしてニックネームをつけようと思ったんだった?」かつしは音がした方の頭だけ動かした。え?はじめ?なんだったっけ?
「ぼくだけ、みょうじなのが いやだったから?」
「そうだね?それで、何が嫌でニックネームをつけようと思ったんだい?もうちょっと考えてみな。」なんのこと?かつしは樹里先生を見た。じゅり先生、こたえを おしえてよ。ぼく、わかんないよ。
「ひさね、いつもはすぐ文句を言うのに、今回は大人しかったんだね?」樹里先生の言葉が、かつしの頭の中に入ってきた。たしかに!いつもは しばこうとしたり、大きなこえを出してたのに。
「だって、できなかった。」辻ちゃんはグスンと肩を揺らした。え?かつしの身と心は凍ってしまい、全ての活動が停止された。やがて、急速に解凍され始めた。そこまで、いやだったの?ぼくが、なかせちゃったの!?
「本当に辛かったね?できなかったんだね?」そうだったの!?樹里先生は、辻ちゃんの背中をさすっていた。ぼく、わるいことをしちゃったの?こんなに、きずつけたの?いつもハキハキしてるつじちゃんが…。そんなことを おもってたなんて…。ジワジワとかつしの中に後悔が忍び寄ってきた。
「やっと言えたね?さぁ、かつし。思い出せたかい?」かんがえるの、わすれてた。でも、いま おもいだしたよ。辻ちゃんの元に1人、2人と集まる姿を見ていたら、かつしは思い出した。
「なかまはずれみたいで、いやだったからだ。」かつしは呟いた。
「そうだね?それで仲良くなれた?」
「なれなかった。」かつしは俯いた。ぼくだけ なかまはずれは いやだった。でもいま、ホントに なかまはずれみたいだ。
「そうだ。本当は仲良くなりたかっただけなのに。どうして、こうなってしまったと思う?かつし。」もういいじゃん。そんなに いわなくても。かつしは顔に力を込めていた。
「いやなニックネームだったから。」飛び出したがらない言葉を、かつしは何とか絞り出した。
「かつしも傷付いただろう?ひさねも傷付いていた。相手の気持ちがわかってきて、本当は悪いことをしてしまったと反省しているんだろう?」目を腫らした辻ちゃんと、汗を流すかつしは目が合った。
「なぁに、今回はちっとばかし加減が効かなかっただけさ。今ならしっかりと話し合い、仲直りができるよ。世の中には、こんな簡単なこともできない大人がわんさかいるんだ。今の内に練習するといい。今だからこそだよ?何が悪くて、何が良いかを体験できるのは。」
「チビ田っていって、ごめん。いやなこと、わざといった。」辻ちゃんが頭を下げていた。あっ、先にいわれた。
「ぼくも、ごめん。いいすぎた。なかよくなれたって、はしゃぎすぎた。」なかよくなったら、なんでもしていいわけじゃないんだね。かつしも頭を下げた。
「さぁ、仕切り直して、ニックネームを決めようじゃないか。」樹里先生が手を叩いて、大きな声を出した。
「え〜。またへんなことになったら いやだよ?」木村ちゃんは伸びをした。
「何を言う。失敗した今だからこそ、きちんとできるだろうに。このままの方が勿体無い。いいかい?ニックネームとは、親愛の意を込めてつけるものだ。要するに、友達を大切にしたいという想いが、形となって表れるのがニックネームだ。呼ぶ度に、グッと仲が近づくぞ?」
「やろうよ!わたしも、もっと なかよくなりたい。」橋本ちゃんが手を挙げた。
「でも、くろだくんの なまえを よぶのも はずかしいのに、ニックネームをつけるほうが むずかしくない?」木村ちゃんは椅子に座り直した。
「くろだくんの なまえを よべるのも、じゅり先生ぐらいだもんね。いいニックネームはないですか?」橋本ちゃんが言った。
「自分達で決めないと意味がないだろう。」
「そういえばじゅり先生、ぼくと けっこんしたいの?」かつしは身体を揺らして待っていると、引っ掛かりを覚えた。
「なにバカなことを言ってるんだい?」
「ちがうの?」あれ?ちがった?
「じゅり先生。くろだくんは男の子のなまえを よぶのは ふうふだけだと おもっているんです。」そうそう。それだよ、きむらちゃん。ちがうの?
「いつの話をしてるんだい。そんなの今のご時世あるわけないだろう。誰だい?そんなことを吹き込んだのは。」樹里先生の言葉の後に、今日一番の悲鳴が教室に響き渡った。
樹里




