第15話 衝突
「もうすぐ、いちばんうえだ。はやく ならないかな〜。」手洗い場の隣で、かずき君が蛇口を捻る音が聞こえてきた。
「ぼくは、はやく しょうがっこうに いきたいよ。みんなで あおうって やくそくしたんだ。」かつしは石鹸で手を洗っていた。
「けいすけはパーティーにも いってたな。どんなところ?」
「ともだちが、さらに いっぱいなんだ。とくに わたるくんが すごかったよ。」遠くから、けいすけ君の声が聞こえた。
「そんなとこなんだ。すごいな〜。もしかして、しょうがっこうは べつ?」
「そうかもしれない。かなしいね。」かつしは濡れた手をタオルで拭き始めた。
「おおきくなっても、またあそぼうぜ。」
「もちろん。」かずき君とけいすけ君は手を取り合っていた。
「かつしは、みんなと おなじ しょうがっこうに いくよな?かつし?」みまちがえた。4つの目が怪物の目に見えてしまった。ただ、かずき君とけいすけ君がこっちを見ていただけだったのに。
「う、うん。そうだよ?」かつしはお辞儀するぐらいに頷き、ハイタッチに加わった。
「ほんとに きいてたのか?」
「きょうは、ずっとこんなかんじだね。」かつしは笑って否定することしかできなかった。
「もうすぐ年長さんです。みんなはすぐに、小学生になるでしょう。楽しくて仕方ないですよね?」達秀先生の周りでは、手や声を上げる子、ジタバタする子、大人しい子。それぞれが思い思いに過ごしていた。
「ただ1つ。気をつけて欲しいことがあります。小学生になると、女の子と会うこともあります。」達秀先生は口を噤んだ。今度は叫ぶ子、立ち上がる子。それぞれが勝手に動き出してしまった。
「仕方ないんだ、ごめんね。でも、近くにはお友達がいる。何をしてくるかわからなくても怖がることはないよ。そのためにも、これから勉強をするからね。」達秀先生の言葉の後には掛け声が続いた。かつしの周りでも、口々に声を上げている。
「そんなに ちがうのかな?」かつしは盛り上がる光景を眺めていると、出会った人々を思い出した。
「「なにが?」」2人の声が同時に聞こえた。
「おとこのこと おんなのこ。そんなに ちがうのかな?」かつしはもう一度口にした。
「ちがうだろ。ちからも つよい。」かずき君が押し寄せてきた。
「あぶないよ。いつ あばれるか わからない。」けいすけ君には、肩に手を置かれた。
「そ、そうかな?」かつしは1歩2歩と後ろに下がった。
「「そうに きまってる。」」
「どれがホントなのかな?」かつしはブランコに座って漕いでいた。待ちに待った運動の時間がやってきていた。
ママも、のりこさんも、うまれてくるいもうとも、ぼくは みんな だいすき。これはホントだよ?やっぱり、きらいになんてなれないよ。かつしは空中を足で蹴った。
でも、おんなのこは あぶないから ちかづいたらダメって、せんせいも ともだちも いってるんだ。でも、ぼくは いやだなって おもうんだ。ママたちが わるものみたいで いやだよ。いままで まったく おもわなかったのに、どうしたんだろう?かつしは空中で足を伸ばした。
もしかしたら、おそとは あぶなくないかもしれないよ?だいじょうぶかもしれない。でもこれだけは、みんな いっしょなんだ。それじゃあ、こうえんのこも あぶなかったのかな?そもそも、なんであんなことになったんだっけ?かつしが足を伸ばし続けると、ブランコは減速した。
そう、たのしかった。あそこまでは。ふんすいの とこまでは。そうだ。ぼくが きづいたんだ。おんなのこだって。だから、あんなことになったんだ。そうだったんだ。あれ?それじゃあ…。でも、あっちが…。かつしのブランコは地上に戻り、地面に両足をつけた。
「かつし君、聞こえてますか?ブランコの交代をお願いしている子に気付いていますか?」達秀先生が目の前、その後ろには顔をグシャグシャにした子がいた。
「きこえてるよっ。」かつしはブランコから飛び降りて走り出した。少し汗をかいてしまった。
「かつし君、大丈夫ですか?困ったことでもありましたか?」
「だ、だいじょうぶ。」かつしは両手を振って、なんとか言葉を絞り出した。
「そう?何かあったら先生に言うんだよ?」達秀先生は背を向けて戻っていった。
かつしの手はなかなか動かなかった。自由に色を選んで、線を描けば良いはずなのに。画用紙は真っ白なままだった。
「どんな えを かいてるの?」かつしが伸びをしていると、2人の姿が目に入った。
「なにしてるの?」2人は身を寄せ合って、言葉が理解できる程の距離ではなかった。
「みろよ、かつし。かんせいだ。」
「ぼくと、かずきで つくったんだ。」かずき君とけいすけ君が画用紙の両端を持って、絵を披露した。かつしは目を見張った。
「ぼくがアドバイスをしたり、まわりの えも かいたんだよ。」一方には花が咲き乱れ、もう一方には枯れた木が並んでいる。
「でっかいのは おれが とくいだからな。ちいさいのは けいすけが とくいだ。」一番に目を引いたのは、中央の2人の人間だった。一方は目を瞑って祈り、もう一方は背後の霊が恐ろしい顔で、もう1人を食べようとしていた。
「ちがうよ!」かつしは突撃して、絵を真っ二つに破きさった。
「あーっ。なにすんだ!」
「せっかく じょうずに できたのに!」
保育室には3人の泣き声が響き渡り、大騒ぎの事態となった。幸い降園の時間が迫っていたため、落ち着くと帰宅になった。
「最近ママが厳しすぎたみたい。辛い思いをさせてごめんね、かっちゃん。」秋穂お母さんに頭を撫でられたが、かつしにはよくわからなかった。
「どうしたのママ?」
「大変なことばかりだったのに、ゆっくりできなくて、困らせたみたいね。」
「ぼくは、だいじょうぶだよ。」かつしは繋いだ手を揺すった。
「お休みが必要よ。ママも忙しかったし、気をつけないとね。」秋穂お母さんは続けた。
「ぼく、げんきだよ。へいきだよ?」かつしも続けた。ちがうよ、ママ。
「気付いていないだけよ。さぁ、お家に帰りましょう。今日は元気が出るご飯を作りましょう。」かつし達は車に乗り込んだ。
達秀秋穂