第14話 新たな命
「ねぇ、ママ。おそとで あそびたいよ。」かつしが外への願望を再度口にしたのは、冬が廻ってからのことだった。
「あんなことがあったのに何言ってるの。かっちゃんもしばらく落ち込んで、大変だったじゃない。」秋穂お母さんはチラリと視線を寄越すも、棚にお皿を戻し始めた。
「でも、たのしかったよ。」かつしは両手を握って、前のめりになった。ぼく、もうきにしてない。へいきだもん。
「かっちゃんが大人しく帰っていれば、もっとお外に行けたかもしれないわね?」
「うう。つぎは、ちゃんと きくもん。もうちかづかないから。ね?いいでしょ?」かつしは全体重をかけて、秋穂お母さんを揺すった。
「幼稚園で遊べるじゃない。第一こんなに寒い中、お外なんかに出たら風邪をひいちゃうわよ。」秋穂お母さんは、かつしの着替えを用意して待っていた。
「いつも おなじ ばしょだよ。もう あきた。はじめてがいい。」
「そんなにボタンをよちよち外しているお子様には、まだまだ早いわよ。」かつしはボタンごと外そうとしたが止められてしまい、そっぽを向いて頬を膨らませた。
「悪い人だったらどうするのよ、もう…。まだ早かったんじゃないの?」順番にボタンを外し終わった秋穂お母さんと、バッチリ目が合ったが、かつしは俯いた。
「うう。」何も言葉が出てこなかった。それでも、かつしは諦めきれなかった。おそとは こわいけど、いってみたい。
「これは何個かしら?」秋穂お母さんは、こうやって数を尋ねるようになった。ちょうど、秋になった頃からだ。数字の勉強や、ひらがなを書いて、字を覚えることが新たに始まった。
「かっちゃんはフラフラしてて危ないわ。しっかりお勉強をして、賢くなったら、悪い人に騙されなくなるわよ。」秋穂お母さんは、こまめに質問をしてきた。お風呂に入る前にも、尋ねられたことがあった。かつしの泣き言が通じなくて、毎回答えざるを得なかった。
だが、最近新たな楽しみも増えた。秋穂お母さんにトレーニングをしないか、と言われたからだ。護身術という名で、伸利子さんも一緒の時に行うらしい。
「可愛いかっちゃんを連れ去ろうとする悪い人はいっぱいよ?だから、自分で守れるようにならないとね。」
「うん。ぼく、つよくなる。」かつしは拳を前に突き出した。
「基本的にかつし君が戦うような事態は発生しません。1人きりにならない限りは、頼りになる大人が側で守っています。ですから、かつし君が思うようなトレーニングとは少し違うかもしれません。」伸利子さんが説明を始めた。
「実際に、護身術が必要な事態はそうそうないと思います。ですがいずれ学ぶ上に、知っておいて損はありませんので、一緒に頑張りましょう。」かつしはぴょんぴょんジャンプをしていたが止めた。
「咄嗟に大声を出す練習です。1人になってしまったら、まずは待ちましょう。知らない人が近づいたら、すぐに大声を上げるのです。助けを求めて、逃げることだけを考えましょう。小さな男の子に不用意に近づき、怖がらせるだけでも、立派な犯罪になります。」
「え〜。つまんないよ〜。ぼくがやっつけたいのに。できるよ?」かつしは高速でパンチを繰り出した。
「一番危険なことです。かつし君だけの戦い方があります。かつし君の一番強いところで、戦いましょう。」伸利子さんがグッと近づき、かつしは目をパチパチした。こんな伸利子さんは見たことがなかった。
かつしの熱が乗らなかったため、伸利子さんにパンチを一方的に繰り出して戦う合間を縫って、大声の練習も行うことになった。
逆に、かつしにとっての一番のショックは、絵本のラインナップがガラリと変わってしまったことだった。
「つまんなーい。ねむれないよ。」毎日お家で祈る男の子の話で、どうやったら眠ることができるのか、かつしには疑問だった。むしろ、腹の底がムカムカして、目がパッチリするぐらいだった。
かつしが何度もお願いして、何度も再確認を繰り返すと、ようやくいつもの本が戻ってきた。かつしを、とってもワクワクさせる冒険のお話だ。
「今度は旅に出たいなんて、言い出さないといいわね?下手したら、あり得るわ。」秋穂お母さんが見慣れた絵本を持ってきてくれた。
暖かい部屋に包まれて、懐かしい物語を聞いていると、徐々に身体が重くなってきた。
「大切なお話があるの。聞いてくれる?もしかしたら、ママと会える時間が少し減っちゃうかもしれないの。」かつしは瞼を持ち上げて、秋穂お母さんの方に顔を向けた。
「どうして?」
「かっちゃんがお兄ちゃんになるからよ。」
「おにいちゃん?」冷水を突如ぶっかけられた気分だった。それも一瞬で蒸発してしまい、何が何だかわからない。
「そう、お兄ちゃんよ。妹が産まれるの。」秋穂お母さんにもう一度言われると、霧が段々晴れてきた。
「ぼくが?」かつしはベッドの上に立ち上がった。
「かっちゃんはお兄ちゃんになるのよ?一緒にお世話もしてみたいわね?頼れるお兄ちゃんになるのが楽しみだわ。」
「そうか。ぼくが おにいちゃんなんだ。ぼくが まもるんだ。すごい おにいちゃんに なるぞー。」かつしは上を向いて、大声で叫んだ。おにいちゃんなんだ。やったぁ。
「ほらほら。夜なんだから静かにね。でも、かっちゃんが守られるかもしれないわね。女の子が、ただ守られて平気な訳ないもの。」秋穂お母さんに、かつしはベッドに戻された。
「おんなのこ?」かつしの中に残ってしまった言葉があったが、暗くなってしまった。秋穂お母さんがベッドランプを絞ったようだ。
「いもうとも、おんなのこ。そうだ。ママものりこさんも、おんなのこだ。それに こうえんのこも、おんなのこ。」みんな いっしょだったんだ。なにが ちがうの?わかんない。みんな やさしかった。わるものなのかな?そんなの、いやだよ。
「もう寝るわよ。1人でぶつぶつ何を言ってるの?おやすみなさい。」秋穂お母さんがお腹をさすりながら、子守唄を歌い始めた。
「おやすみ、ママ。」そういえば、あのこもやさしかった きがする。もしかして、ぼくがまちがっていたのかな?いや、そんなことないよね。あれ?なまえを しらない。きいてなかったのかな?
秋穂伸利子