第13話 初めての外出 後編
「外には悪い人が沢山いるって言ったでしょう?まだ気付いてないわ、行きましょう。」
「だいじょうぶだよ。サキナちゃんがすきな わるものなんていないよ?」かつしは笑顔を浮かべた。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。かっちゃんの安全が一番でしょう。」かつしは身体をビクッと小さくした。
「奥様、備えた方がよろしいかと。」伸利子さんが太陽を遮っていた。
「おねがい、ママ。やっと いっしょだったんだ。」かつしは逆に、秋穂お母さんの手を引っ張った。目には段々とこみ上げてきた。
「うーん、ほんの少しよ?危なかったら、今度こそ連れて帰るわ。」
「ありがとう、ママ。でも、のりこさんが いるから、だいじょうぶだよ。」
「すぐに対応できる場所にいます。指一本触れさせません。安心してください。」伸利子さんと秋穂お母さんが頷き合っていた。
「おはよう。はじめてのひと?」かつしより少しだけ大きい。
「そうだよ。」かつしは手をあげながら近寄ろうとしたけれど、肩が押さえられて全く動けなかった。
「あ、あの。いつも こんなかんじなの?」おかっぱ頭の子は、一歩後ろに下がった。
「なんのこと?」かつしにはさっぱりわからなかった。
「いつも こんな つよそうなひとと いっしょにいるの?かっこいいな〜。」
「のりこさん?そうだよ?」かつしには、やっぱり何のことかさっぱりだった。
「離れています。」伸利子さんは呟くと立ち去っていった。
「私も離れているわ。怖がらせたみたいだからね。何かあったら、すぐに駆けつけるわ。」秋穂お母さんは少し距離をおいた。
「ママ、ありがとう。」かつしは手を振って見送った。
「すっごいよね?おおきくなったら、あんなふうになりたいな。」おかっぱの子は砂場に座ると、勢いよく喋り出した。
「う、うん。」かつしは俯いた。おかっぱの子は伸利子さんが去った方をじっと見ていた。
かつしが今まで見たことない子だった。半袖に半ズボン。スニーカーを履き、肌が焼けている。今顔を上げて確認できたのは、それぐらいだけだった。
「きみもそうなの?ぼく、はじめて きいたよ。」かつしは危うく穴に落ちるところだった。ぼくと おなじなのは はじめてだ。
「そんなことがあるの?だから、みんなサキナちゃんのまねっこして、あそぶのが だいすきなんだけど、ちがうの?」おかっぱの子は立ち上がると、首を傾げた。
「いいなぁ。ぼく、しらなかったよ。」かつしは見上げたが、眩しくて見えなかった。サキナちゃんがすきなひともいなかったよ?
「それじゃあ、いまからやろう?わたしが わるものね。サキナちゃんやくは あげる。」おかっぱの子は両手を広げて駆け出した。
「グハハ。きょうは、どんな わるいことをしようか。」このセリフは…。
「まてー。わるさは ゆるさないぞ。」かつしも後を追いかけた。ぼくが やっつけないとだ。
重りが徐々に落ちていくようで、かつしはのびのびと羽を伸ばしていた。おかっぱの子はそんなかつしでも追いつけないぐらいに速く、むしろ離されている様子だった。
「なんで、げんきなの?」かつしは膝に手をつき、息をするのもやっとだった。いままで いちばんだったのに、どうして。ここまで、思いきり走ったのは初めてだ。いつもは先生に止められるか、別の遊びに変わっていた。
「よくママとパンをかいに あるくから?」おかっぱの子の笑い声が聞こえた。
「かいに?もってきてくれないの?」かつしは芝の地面に腰を下ろした。
「だれが?ありえないよ。」かいにいくの?ぼく、いったことないよ?みたこともないよ?
「そうだ。ひとりなの?」もっと大切なことに気がついた。大人がいない。いつも ちかくにいるはずなのに。
「うん。ひまだったから、さきに こうえんに きたんだ。」髪の毛がそよそよと揺れながら、おかっぱの子が目を閉じる姿を見ていることしかできなかった。かつしはただただ口を半開きに開けていた。
「そろそろだ。さきにきて、よかった。うんがいいね。サキナちゃんとおなじ じかんで、はじめのひ だけなんだよ?」つっかえが取れたように水が噴き出し、辺りに飛び散った。あっという間に、ただのオブジェから噴水へと早変わりした。
「すごい。」かつしは噴水に近づいた。水はかつしよりも高いところへ昇っている。
「いいでしょ?いっつもママに、おべんきょうして いいがっこうに いきなさいって いわれるの。でも、ふんすいを みるとスッキリするんだ。」かつしの後ろから、風に乗って声が届いた。
「そんなことがあるんだ。いいがっこうは そんなに すごいの?」ぼく、きいたことないから わかんない。なにがあるのかな?
「もちろん。だって、いいがっこうにしか おとこのこが いないじゃん。ほかの おんなのこに まけずに、ちゅうがっこうに はいりたいよね?」
「え?」かつしは思わず振り返った。男の子は沢山いるよ、と口にするところだった。かつしはまじまじとおかっぱの子を見たが、入口に向いて、おかあさんまだかなと呟いていた。
「おとこのこって、どんなのだとおもう?やっぱり、えほんみたいなのかな?」女の子という言葉が、かつしの脳内をグルグルと回り、遅効性の毒のように効いてきた。
「あっ、おかあさんが みえた。って、どうしたの?だいじょうぶ?」
「近づかないほうがいい。」伸利子さんは音を立てずに間に立った。
「おんなのこ だったの?」声が震えた。いっしょだ。やまびとさんと。これから、おおきくなるんだ。キバが。ツノが。
「そうだよ?え?なにが?」おかっぱの子の声が公園に響き渡った。
「こ、こないで。」かつしは頭を抱えた。しゃがんで身体を小さくし、防御体勢をガッチリと固めていた。
「うちの子に何してるの!もう我慢できないわ!」かつしは抱きしめられると、今まで聞いたことがない、刺すような声が通り過ぎた。
「うえーん。」一瞬の静けさが過ぎ去ると、大きな泣き声が聞こえてきた。
「もしも!いえ、ごめんなさい。怒鳴ってしまったわね。2人共怖がわせて、ごめんなさい。」かつしも一緒になって泣いてしまった。秋穂お母さんの声は、かつしの中に重く染み込んだ。
すぐそばに来ていた母親と秋穂お母さんが、お互いに頭を下げ合いことなきを得た。何もなかったということでお互い合意した。
こうして、初めての外出はそそくさと、幕を閉めることとなった。
伸利子秋穂