私の作り上げる大切な箱庭
さて、時間は少々巻き戻る。
王国の乙女達が阿鼻叫喚の渦に巻き込まれていようとも、
私にはあまり関係のない事だからだ。
と言うかあの計画が実行された事こそが信じられなくて、
そして認めたくないけれど王国の乙女たちにとっては、
大きな打撃となったのならそれはそれで彼等の誇る「血」の血脈の、
信憑性が疑われる事態が起こりそうな気もするのだが今の私には、
もう王国の「血」が穢れていようがなんだろうが関係ないので放置一択なのだ。
王国の乙女たちの騒動が起こり笑えるけれど笑えないお手紙を受け取るのは、
数か月後の事なのである。
ファルスティンの発展は目まぐるしい。
そして多岐に渡り放出された叔父様の残した種は、
私に容赦なく決断を迫ってくるのだった。
文化を根付かせる事は簡単な事ではない。
けれど文化生み出す事は知っていれば難しい事ではないのだ。
インフルエンサーの様な広告塔を作り上げ新しい物を見せてあげれば良い。
あとは「共感」得る事が出来れば自ずと広がっていく。
幸運?な事に私はファルスティン領に置いて、
その広告塔の役割を担うだけの知名度があるのだが、
私が先頭に立ってCMをする事は叶わない。
それが出来ればすぐさまほとんどの事が解決できる所も多々あるのだが。
やらなければいけない事と言うよりはおそらく「やりたい事」が、
多々ある状態へと切り替わってきているのだ。
なにせ叔父様が残した「物」が多すぎる。
そしてピンポイントで狙ったかの様に「これが出来るんじゃないの?」と、
訴えかける 物が多く用意されていたのだ。
いや言い方を変えよう。
多種多様な「楽器」や「舞台装置」の雛形も当然の様に用意されていた。
つまり役者さえそろえば自前で歌って踊れる「ミュージカル」を開催できるのだ。
そう出来てしまう。
けれどそれは出来るだけなのだ。
そこには越えなくてはいけない「高すぎる」ハードルは用意されていた。
叔父様は紛れもなく「天才」だ。
それは認める。
色々な「物」を作り出す事が出来る。
とっても素晴らしい。
けれどその生み出した物を使うのは一般人なのだ。
叔父様はしばしばその事をワザとなのか「忘れやがる」のだ。
多種多様の「楽器」があれば素晴らしい音色を奏でる事が出来るだろう。
巨大な「舞台装置」があればそれは素晴らしい演劇が出来るだろう。
けれど楽器が聞けるようになるのにはとても時間がかかる。
舞台装置が必要な演出ができる脚本を書ける人はいない。
扱える「人」がいるから道具は役に立つ物となるのだ。
道具だけあっても意味はないし、人だけいても意味はない。
両方が揃っている事が前提の話なのだ。
私は叔父様が作ったあらゆる「モノ」が人々の生活と「心」を豊かに出来る、
道具だと理解は出来ている。
けれどそれは扱う人がいて初めて「意味がある物」となれるのだ。
その事をゼファード・バルダーという人物を知って理解せざるを得なかったのだ。
今のファルスティンはいわゆる「人余り状態」になりつつある。
もちろん人が余っていて余剰人員を抱えていると言う意味ではない。
道具はあるが扱え人がいないと言う意味での人が余っていると言う意味なのだ。
教えられる人が致命的に足りていない。本当に足りていないのだ!
もちろん前線を支える騎士達を差し引いて、本当に「戦争」となるのであれば、
状況は違うが今の所領内を「戦時体制」として動かさなくてはいけないほど、
追い詰められてもいない。
だから、教師となれる人間がいてもいいはずなのだと思っていても、
偏った人員配置の弊害か、文化を支える人が致命的にたりていないのだ…
その偏った人員の配置から少しでも、文化を作り上げる人を見つけなくてはいけない。
それはとても骨の折れる作業であり…
私が目をそらしたくなる現実だったのだ。
さて、嘆いていてもしかたが無い。
まだライセラス兄様を中心とした体制に切り替わって、
半年程度しか立っていなのだから当然と言えば当然なのだが。
お兄様と王国の濃密な駆け引きは行われているみたいだけれど、
それをお兄様は私に伝えて来ない。
お兄様が望んだのは何時でも戦時体制に移行できる準備だけはしておいてほしい。
ただそれだけなのだ。
だから、私としてはそれ以上何も聞かないし、
都市エルゼリアの開発に係る事以外で、
お兄様に採択を得なければいけない様な事には手を出さない様にしてもいる。
都市エルゼリアだけでも「決定」しなくてはいけない事は多いしね。
「エンターテイメント」という分野に置いてファルスティンは、
まだその先駆けが芽吹いたばかりなのだ。
情報誌が出回りそれを読みたいと手に取る人がいる時点で、
現在のファルスティンの識字率は結構高い。
それは既に「マニュアル」を読めなければ仕事が出来ない事が多くなったという、
領内の事情もあるが、今のその辺りの基礎教育は全て親がしているのだから、
鍛冶屋の息子が鍛冶屋にしかなれない状態なのだ。
急激な発展を望んだ弊害なのかもしれないけれど、
中途半場に特化した人員が出来上がってしまっている原因でもあった。
近いうちに領民の教育水準は一定以上にしなくてはいけない。
もう今のファルスティンの生活は「教育」されている事が、
前提となっている節があり、ある程度渡される「マニュアル」を理解できる事が、
当たり前になりつつあるのだ。
そしてその水準を維持するために職場事に「基礎教育」を行っている。
それは言い変えれば工場一つ一つ事に学校を運営している様な状態なのだ。
特化したプロフェッショナルを育成できると言う点では良い方法だとは思う。
けれど人には向き不向きがるのだから、
個性を尊重するとかそう言う事は置いておいて、
スタートラインは揃えてあげるべきだとは思うのと、
なにより工場で兼用教師と言える人の役割があまりにも多すぎるのだ。
職業に特化した専門的な物を学ぶのならその工場で教育を受けるのは、
よしと出来るがその前である文字の読み書き位は集団で教えても、
問題はないと思うのだ。
その部分は分離して基礎教育は都市エルゼリアに受け持つ事にする。
基礎教育として最低1年間をエルゼリアで過ごして貰い、
親元に戻ってそのまま「専門教育」を受けるのならそれでも良い。
けれど系統を固定させない為にも都市エルゼリアにある間だけでも、
色々な物に触れて貰いたいとは思うのだ。
そう言った意味では大量の「娯楽」も用意しなくてはいけない。
…いや遊ばせる場所は絶対に必要な事なのだ。
「娯楽」という言い方をすると人を、
だらけさせるためのいけない物とも思えるけれど、
その「夢」を投影した「遊び」と「探求心」が未来で新しい「可能性」を、
その人に抱かせるのだ。
叔父様が「魔法」を捻じ曲げて「錬金」したように、
私は第2第3の叔父様の登場を誕生させる土壌を今から、
ファルスティンに作っておかなくてはいけない。
「天才」の種類は多種多様に存在する。
叔父様は「錬金」の天才だった。
けれど私は「錬金」以外の天才だって大歓迎なのだ。
想像できると言う土壌がなければ異質さは生まれずその異質さを、
許容できるようにするには「始めから」それを飲み込める場所を、
作っておかなくてはいけない。
それは「私」が用意しておくべき「エルゼリアの箱庭」なのだ。
私はこの先の発展のしかたを知っている。
いや厳密には解らないけれどそれでも予測する事が許された。
それは私が天才になれないと言う証明でもあるのだけれど、
その代りに「秀才」になる事を許してくれる。
だからこそ私より若い世代に「遊ばせて未来の夢を見せる」のだ。
その夢を抱き続けた先にある「楽しい場所」を連想させる為に。
「文化」を作るのはそこに暮らす人々でなくてはいけない。
私はそれを育てようとする人を支援する事までしかきっと許されない。
だからこそ都市エルゼリアと言う「天才」を受け入れられる箱庭を作るのだ。
その作り上げた箱庭が天才の生き方を否定しないで済むように、
慎重にけれど柔軟な受け入れ口を用意する。
それは都市エルゼリアを作り始めてしまった者としての責任であると思うのだ。




