たった一度の式典だから入念に準備をして、その準備はギリギリまで続けられるの。
5月14日まで毎日更新します。
今日この日の為だけに用意されたドレスに袖を通す。
まるで結婚式の為に用意される一回しか着ないウエディングドレスの様。
けれど此方は必要に応じて保管され、
次世代のお針子さんの教育に為に使われる事が決まっている。
「ファルスティン伯爵家が始まって初めて作られた伯爵令嬢用ドレス」なのだ。
それは言い換えればこれから生まれてくる、
ファルスティン家に連なる血筋の令嬢が式典で身に着ける要素が詰まった、
現在の裁縫技術の集大成の様な物なのだ。
特別に用意されたフィッティングルームには数十名のこのドレスに関わった、
デザイナーさんと針子さん達。
そして今日から私達に仕える私とギネヴィアの色を身に纏った、
リチェルチェとリラーナに選ばれたメイド達も数名揃っていた。
私とギネヴィアは入浴を担当していたメイド達から、
今日のドレスを着せるメイド達に引き渡される。
それは長い長い一日の始まり。
始めて貴族正装をして参加する式典の始まりを意味していた。
新しい時代の象徴となるべく私達は整えられる。
1人のメイドが代表して挨拶をする。
といってもここにはリラーナもリチェルチェもいない。
彼女達も今日は、私達と同じ立場だから当然で。
私の色を纏う私の下で働く事になるメイドの一人が私に許可を求めてくる。
「おはようございますエルゼリア様。
本日のご準備を始めさせて戴きたく」
「ええ。お願いするわ。
私を本日の式典に相応しい姿にしてちょうだい」
「はい」
それから、彼女達の動きは早かった。
下着を身に着けコルセットを締め上げれば結界石を仕込んだ保護具を、
体の急所になる所を守る様に取り付けられる。
王族や貴族が連れてくる信用ならない兵士達の為に私達は苦労する事になる。
その象徴の様な保護具達。
けれど、取り付けないという選択肢はないのだから仕方がない。
肌に近い所に仕込まれる強固な守り。
その一つ一つが叔父様謹製の守りの要で、
叔父様が王国を信用していない証明でもあるのだ。
それを近しい者にしか知らせず綺麗なドレスの下に忍ばせて身に着ける事で、
お父様達が少しでも安心できると言うのであればいくらドレスが重くなっても、
身に着けない訳にはいかなかった。
ドレスを着せられながら保護具を仕込みつつ丁寧に皴なく着せられるのには、
鬼の様に時間がかかる。
コルセットとバスクの間にも胴体を守る様に魔法陣の刻み込まれた合金が宛がわれ、
それに魔力を自動供給するようにスカートには魔石も大量に仕込まれた。
はっきり言ってひと財産では済まないくらいの値段になっていると思う。
けどそんな事はお父様達には関係ない。
アネスお父様とゼファード叔父様が「安心」する為には私達は身に着けて当然。
そしてそれが済めばこの日の為に作られたパリュールを全身に身に着けるのだ。
もちろん魔術効果の付与された着用者を守らせる効果が大量に付けられた物。
腕に嵌めたブレスレットも大きく首にはチョーカーを巻き首飾りが胸元を彩る。
イヤリングにも魔術の込められた宝石が嵌められ追加でサークレットまであった。
バスクを中心として体前面にこれでもかと装飾された刺繍はもう複雑怪奇。
けれどその複雑怪奇さによって作られた模様が私専用のドレスである事を、
これでもかと言う位表している。
皴一つなく体にぴったりと張り付くように作られたドレスは、
誰が見てもオーダーメイドの一点もの。
急遽仕込まれる事が決定した保護具さえ飲み込んで、
私しか着れない様に仕上げられた「王国の格式」に合わせて作られた最上級品。
確かに「伯爵令嬢」が着る物として仕上げられてはいるけれど、
それ以上に豪華にそして着用者を美しく見せる。
細部に至るまで意匠が凝らされ、
王族が着ていても可笑しくないデザインに仕上げられていた。
格式は守られている。
王国とボルフォードの掲げたドレスのルールを、
ファルスティンのデザイナーと針子さん達は体現して見せたのだ。
あの時デザイナーさんと針子さんが言った、
―もしも王国と戦うならば、それに相応しいドレスを用意する―
それが形となって私達の前に用意されたという事でもあった。
周囲の針子さん達はもはや真剣そのもの。
私とギネヴィアは完璧と言えるファルスティンの令嬢達に仕上げられたのだ。
王国の誇るボルフォードのドレスのデザインを凌駕する、
新しい時代の新しい衣装。
それが王族の目に映るという事でもあった。
「如何でしょうか?」
「ええ。素晴らしい出来だわ」
鏡に映る自身の姿を見た時、その姿は乙女ゲームの悪役令嬢の姿はなかった。
ただ新しい王国にはなかったデザイン。
ボルフォードを軽く凌駕する密度と生地やレースで作られた新作のドレス。
ファルスティンのドレスを身に纏った「伯爵令嬢エルゼリア」の姿だった。
そこに乙女ゲームの世界観を基準にしたドレスを身に纏う古臭い令嬢の姿はない。
何かがカチリと私の中で嵌って切り変わったと思えた。
それは「乙女ゲームのエルゼリア」がいなくなり、私こそがエルゼリアであり、
新しい「時代」が始まったのだと、そう告げられた気がした。
それから…
日が昇り周囲が明るくなるころには専用に用意された、
大き目の控室へと案内される。
先には一番楽そうな格好のアルフィンと、ゼフィラ三姉妹がそれぞれの、
特別な傍付きのメイド服姿で深々と頭を下げて、
私とギネヴィアを出迎えてくれる。
少し遅れて、ライセラス兄さまとターシャ義姉様も控室にやって来た。
兄さん達の表情も少々疲れ気味で…
この数日間で何度も着替えさせられたのか良く解る。
特にターシャ義姉さんはもはやヘロヘロ気味で…
私達以上にゴージャスに仕上げられた「ファルスティン伯爵夫人」の姿に、
整えられている。
それは、王国の定める伯爵夫人の姿なのだが…
デザイナーが磨き上げた新しい世代のドレスの象徴だった。
私とギネヴィアの前を歩き続けるファルスティンの象徴となった姿。
ターシャ義姉様の両肩にのしかかるのは私とギネヴィアのドレスの、
特徴的な部分を更に強調した形に仕上げられている。
伯爵夫人のデザインを守りつつ王族が身に着けるドレスの様な形へと、
仕上げられていた。
「新しいデザイン」なのだ。
お兄様の着ている服だって義姉様のデザインに合わせて作られた物。
並び立つに相応しいデザインへと仕上げられている。
お兄様の両肩には、それ相応の責任と義務がのしかかる。
けれどそれ以上に自由に行使できる「権利」を王国から手に入れた証でもある。
貴族の着る衣装はそういうモノとして作られるのだ。
それの意味することはファルスティンは、王国の一領主。
王国内は伯爵位として王家に仕えます。
けれど領内では王侯貴族の様に振る舞い交渉事等も自由に決めさせていただく。
そう表現している姿だった。
それは、厳密に守られた既定の中で見せる、新しい「力」にも見える。
王国に従うだけじゃない。
我が道を進ませてもらうという決意表明を王族に見せつける姿とも言えた。
衣類の質・量・出来栄えどれをとっても、
王国の誇るボルフォード産のドレスを凌駕しそれ以上の物だという事を、
見せつける良い機会となると思う。
ギネヴィアはそそくさと私の傍を離れて、
アルフィンの差し出した腕に手を絡める。
確かにアルフィンの横がギネヴィアの定位置だからね。
お兄様の隣にはターシャ義姉様もしかり。
うん。こういう時は独り身が辛いわね。
あまりのドレスの重さに苦しいのかターシャ義姉様はお兄様に支えて貰っている。
とんでもなく苦しそうではあるが…
義姉様のドレスはこれ以上軽く出来そうもない。
もはや我慢して着るしかない状態なのだ。
私とギネヴィアのデザインの特徴を全て取り入れて作られたそのドレスは、
ドレスの格式上私より上位なのだからコルセットは締め上げられているだろうし、
刺繍の量もレースの量も保護具やパリュールだって、
私以上の物を身に着けなくちゃいけない。
領地の最高権力者の妻と言う立場は領内でやっている産業の「全て」の特徴を持つ、
刺繍をドレスに縫い付けなければいけない。
それが王国のルール。
豊かな特徴をドレスに刺繍するのだけれどここまで手広く産業を広げて、
そして成功した領地は今だ無いのだ。
お姉さまのドレスは有り余る刺繍を施すために、
少しでも多く面積を確保するために、
スカートはプリーツスカートの様に無駄に重なる様に作られ広げられて、
ドレープも大量に作られた。
それでもまだ足りない。
バスクも刺繍で埋め尽くされ仕方が無しに、肩を動かせなくても良いから、
パフスリーブをこれでもかと言う位大きく広げる。
そして重ね合わせる様に襟を作りハイネックに作った首元まで利用して、
なんとか刺繍できる場所を確保したみたいだった。
男性の衣装には領地の領主としての証を刺繍する。
女性の衣装には領地の産業と産地を特徴として刺繍する。
その二人が並んで歩けばその場所に行ったとしても直ぐにどういった人なのか、
解る様になっていた。
だからどんな産業だって持っていたら刺繍しなくちゃいけない。
そしてその刺繍の最小限の大きさは決められており、
衣装は左右対称に作るというルールまで決められていた。
実質半分しかないスペースにデザイナーが刺繍を配分していくのだけれど、
叔父様が始めてしまった工業関係の刺繍の所為でこの刺繍の数は増える一方。
ギネヴィアのドレスはまだ産業だけだから何とかなった。
私のドレスはボルフォードのお陰か行政関係の刺繍が多種多様に施されている。
義姉さまは私達二人分の刺繍をしたドレスを身に纏わなければいけないのだから、
重さが嵩むのは仕方がない。
義姉様は元々は男爵令嬢だった。
何年もかけて伯爵令嬢のドレスを着れる様に体を矯正していたけれど、
それでも今日の針子さん達の努力の結晶は苦しそうだ。
「御姉様?だ、大丈夫ですか?」
「え、ええぇ…な、なんとか頑張るわよ…」
…不安しかない。
ともかく少しでも早く任命式を終らせて…
そのまま身内だけのパーティーに移行すれば…
何とかなる。のかな?
それでも私達は控室で本番のパーティー会場が整うのを待つしかなかった。
けれど一番遅刻してほしくない来客が一番遅れてくる事は、
この手の式典ではよくある事。
案の定王族の乗る馬車は遅刻をして来ることが私達に伝えられた。
式典開始時間は午後にまでずれ込んでしまう。
それだけで…
私達がドレスから解放される時間が明日になる事だけは確定したのだった。
領内挙げての式典。
後で王国にケチをつけられてあの式典は無効だとか言われない為にも、
王族の到着を待つのは必然で。
正式なファルスティン初の王族を招いた(招きたかったわけじゃない)任命式は、
遅れて開始する事が決まってしまったのだった。
けれど予定通りの開始時刻という事になっている。
王族が遅刻する事は絶対にないのだ。
ただ開始時間が変わるだけ。
王族の到着した時間が予定時間なのだから。
私達は控室でそれはそれは長い時間待たされる事になる。
そして待たされる時間が出来たという事は体がドレスに馴染んで来て、
体勢が乱れた事を感じ取った控えの針子さん達により、
厳しく修正がなされる事になってしまったのだった。
少しでも時間があれば衣装を整えたいと思う針子さん達は真剣で、
用意する時間が出来ただけでアリの様に群がって、
より厳しくそしてより美しく見える様に修正と言う名の頑丈な縫い付けが、
行われる事になったのだった。
特に私達が3人揃った事を良い事にターシャ義姉様への修正は呼び出しが、
あるまで続けられた。
「ターシャ様が、どれだけ耐えて下さるか解らなかったので…」
控えめに言ってもっとやりたかったけれど時間が無いからと、
どれだけ身に着けさせられるのか解らなかったから控えめにしていたと、
デザイナーさんと針子さんは言って来る。
そして時間がある事を良い事に刺繍の施された生地を、
広げられて重なり合ったスカートの見えない部分に、
しっかりと縫い付け始めてしまった。
義姉さまが涙目になるのも解るのだけれど…
その重く生地に施された刺繍一枚一枚が、この領内の産業の証なのだ。
それを領主の妻のドレスに縫い付けられているという事は、
その産業が領主の認めた産業と言う意味でもなる。
義姉様が身に着けないなんて許される訳が無いのだ。
送れた時間は有効活用され義姉様のドレスも完璧に仕上げられてしまった。




