2話 冷めたコーヒーのように
最近、よく話しかけられる。
それも、同じ人に。
「おはよう」
「レポート、もう終わった?」
「今日の講義、眠かったな」
そんな他愛のない会話。
最初は偶然かと思っていたけど、気づけば頻繁に言葉を交わしていた。
蒼大くん――オリエンテーションで同じ班だった男の子。
入学してすぐのグループワークで、たまたま同じ班になった。
寡黙な人かと思ったけど、話してみると意外と優しくて、気遣いもできる。
最初は、ただの班のメンバーのひとり。
でも、何度か話すうちに、少しずつ彼のことを知っていった。
高校時代の話をあまりしないこと。
たまに遠くを見るような目をすること。
そして――彼の顔に残る、大きな傷のこと。
***
「あかり、ちょっといい?」
昼休み、学食で友達とランチをしていると、突然話しかけられた。
「え?」
顔を上げると、そこには蒼大くんがいた。
驚いた。まさか、彼が私に話しかけてくるなんて。
それも、こんな大勢の前で。
「俺と付き合ってください!」
周りの空気が止まる。
まっすぐな視線。少し強張った表情。
一瞬、頭が真っ白になった。
「……え?」
まさか、そんな風に思われていたなんて。
彼のことを嫌いなわけじゃない。むしろ、話していて居心地がいいと思っていた。
でも、それとこれとは違う。
「……ごめんなさい」
即答してしまった。
蒼大くんの表情が固まる。
何か言わなきゃと思うのに、出てきた言葉は、
「ちょっと、受け付けないっていうか……なんというか……」
彼は俯いて、その場を立ち去った。
その背中を見ながら、私は言いようのない後味の悪さを感じていた。
***
目の前に、女の人が立っていた。
白いワンピース。優しく微笑む唇。
「……蒼大」
名前を呼ばれた気がして、手を伸ばす。
――届かない。
「……っ」
息を飲んだ瞬間、視界が暗転した。
*
「……」
目を覚ますと、天井が見えた。
夢……か。
布団の中で、ゆっくりと息を吐く。
あれから――一週間。
胸の奥が、まだ少し痛む。
……笑える。
たかがフラれただけなのに。
そう思っていた矢先、携帯のアラームが鳴った。
時間か……。
気持ちを切り替えるように、布団から体を起こす。
今日も、大学に行かないと。
***
「そういえば、あかりさ」
講義が終わったあと、友達の奈々がふと思い出したように言った。
「この前の蒼大くんの告白、なんで断ったの?」
「え? いや……タイプじゃないし……」
「いや、それだけじゃなくない?」
奈々はじっと私を見てくる。
図星だった。
「……なんか、怖くない?」
「え?」
「傷……すごかったよね」
「……」
私は答えられなかった。
「事故でできたんだよね? でも、あれだけ大きな傷って、相当ひどい事故だったんじゃない?」
「うん……たしか、お父さんを亡くしてるって……」
「……そうなんだ」
奈々が少し口ごもる。
「なんかさ、そういうのって、話を聞いちゃいけない気がしない?」
「……うん」
「それに……大きな事故に遭った人って、普通に接していいのかもわからなくて……」
「わかる……」
私は、あの傷のことを聞いたことがなかった。
それがいつ、どこで、どうやってできたのか――。
知るのが怖かったのかもしれない。
「なんか、蒼大くんってちょっと近寄りがたい雰囲気あるよね」
「そう……かも」
そう言いながら、私はコーヒーを一口飲んだ。
少し冷めた苦味が、やけに喉を刺した。
***
学食の出口付近で立ち止まる。
俺の傷が……怖い?
心臓を掴まれるような感覚だった。
ああ、そうか。
結局、そういうことなんだな。
やっぱり、変わらない。
高校でも、大学でも。
息苦しくなって、その場を離れようとしたとき――
「お、こんなとこで何してんの?」
後ろから軽く肩を叩かれた。
振り向くと、カズだった。
「お前、めっちゃ落ち込んでる顔してんな」
「……別に」
「はいはい、強がり乙」
カズは俺の腕を引っ張ると、にやりと笑った。
「ドライブ行こうぜ」
「は?」
「お前、なんかウジウジしてるし、気分転換しようや」
「いや、今そんな気分じゃ――」
「バーカ、だからこそ行くんだろ」
「俺も行くわー」
いつの間にか健斗と大智も合流していた。
「お前ら……」
「どうせ暇なんだから、付き合えって」
「……はぁ」
俺はため息をつきながら、結局カズの車に乗ることになった。
車内に流れる音楽、窓の外を流れる景色。
気晴らしには、なるのかもしれない。
でも――俺の中に沈殿したモヤモヤは、簡単には消えそうになかった。
運転席でハンドルを握るカズを、ぼんやりと見た。
カズは、何もかも持っているやつだ。
運動神経がよく、頭もいい。
人付き合いも上手くて、どこに行ってもすぐに馴染む。
おまけに親が金持ちで、車まで持っている。
世の中、生まれながらにして平等なんて嘘だ。
同じ大学にいるのに、俺とカズは何もかもが違う。
「なーにジロジロ見てんだよ?」
バックミラー越しに、カズが目を細める。
「……別に」
俺が目を逸らすと、カズはククッと笑った。
「ま、気にすんな。今日は遊ぶぞ」
そう言って、アクセルを踏む。
俺の人生に必要なのは、気楽さなのかもしれない。
……だけど、簡単に割り切れるほど、俺の気持ちは器用じゃなかった。