序章-10話 ある使用人の独白
坊ちゃんは、幼少の頃から本当に孤独な子でした。霊導力に恵まれず、ご主人様方は自然と兄たちだけに期待を寄せられました。その結果、彼は冷たく扱われ、無視されて育ったのです。家族からは一切の愛情を受けられず、ただ黙々と過ごすだけの日々、私が何を話しかけても無表情で、窓の外ばかり見ていた坊ちゃん。彼が感じていた寂しさ、悔しさ、そして心の痛み――それを思うと、ほんの少しでもその冷たい心に温もりが伝わればと、毎日祈るような気持ちで接しておりました。
私は、まるで自分の孫を心配するかのように、彼に微笑みかけたり、世話をしてあげたりしていましたが、彼はその優しさに気づくこともなく、まるで私の存在を認識していないかのように接していました。それでも私は彼を守りたい一心で、なんとかその冷え切った心に少しでも温もりを届けられればと願い続けていたのです。
そして彼が失踪した日、家中がざわつくこともなく、ご主人様方はまるでいつも通りの日常を過ごし、坊ちゃんの失踪を気に留めることもありませんでした。兄たちはむしろ彼がいなくなったことに安堵し、ご主人様方も一切の感情を見せませんでした。あまりに冷たい家族としての態度に、私は胸が締め付けられましたが、彼がこの冷淡な光景を見ずに済んだことを、哀れながらも「不幸中の幸い」と感じざるを得ませんでした。
三年もの間、彼の行方は杳として知れず、家族も彼のことを忘れたかのように振る舞っていました。しかしその日、彼が戻ってきたときの光景を、私は生涯にして決して忘れることができません。彼は、かつてのあの「坊ちゃん」とはまるで別人のように、信じられないほど巨大で壮麗な霊獣を連れて帰ってきたのです。
その霊獣――あれはただの鹿ではございません。あの荘厳なる雄鹿は、四季を司る霊獣種の中でも極めて稀少な存在であり、その頂点に立つ種の長でございます。四季の霊獣種は、霊導力の世界では最も強力かつ貴重な霊獣で、契約を結ぶことなど滅多にないこと。しかもその霊獣種の「長」が、彼と契約を交わしていたという事実は、私たち使用人だけでなく、家族全員に大きな衝撃を与えました。
その雄大な鹿は、緑色に発光する角を持ち、歩くたびに草花が芽吹き、まるで大地そのものが息を吹き返すかのような光景を目の当たりにしました。まるで自然の精霊が姿を現したかのような神々しさに、私はただ息を呑むばかりでした。そして、その霊獣と並んで立つ雄々しい姿――彼が帰還した時のその姿は、失踪する前の無力な子供ではありませんでした。
彼が霊獣を連れて帰った瞬間、家族の態度はまるで嵐が過ぎ去ったかのように一変し、今まで冷たくしていたことなど忘れたかのように、彼を……賛美し始めたのです。かつて冷たく無視していた家族が、今や彼の圧倒的な力に恐れを抱き、その態度を一変させ、あたかも最初から期待していたかのように彼を持ち上げ始めたのです。ご主人様も兄たちも、その帰還にどう対応すべきか分からず、ただ彼の周りで震えるばかりで、かつての無関心は影を潜めました。
しかし彼は、かつての冷淡さを忘れたかのような家族の態度に、感情を一切見せることなく、無表情で応じ、まるで過去に家族との絆など存在しなかったかのように振る舞いました。彼が連れていたのはただの鹿ではなく、霊鹿の長、「四季の霊獣」の一頭。家族もその霊獣の存在を目の当たりにし、彼がもはやかつての無力な子供ではなく、何者かになったことを認めざるを得なかったのです。
彼は学院に戻ると、3年間の余白などものともせず、瞬く間に頭角を現しました。まるで失われた時間を埋め合わせるかのように、彼は学業でも術でも他の誰よりも優れた成果を次々と収めていったのです。霊導力に関しては、かつての彼とは全く異なる姿で、その力は誰もが驚愕するほどでした。
兄たちや周囲の者たちは、その変貌ぶりに戸惑いを隠せませんでした。かつて期待されず、無視されていた彼が、今では圧倒的な存在感を放ち、学院内でも一目置かれる存在となったのです。
また、彼が契約を交わしたのはこの霊獣だけではありませんでした。彼は学院で次々に頭角を現し、数多くの霊獣と契約を結び、その姿はますます強大になっていったのです。
その後も、まるで何かに追われるかのように、あるいは何かを求めるように、彼は次々と他の霊獣とも契約を交わしていきました。契約した霊獣たちはどれも強力で、四季の霊獣に留まらず、他の霊獣たちも次第に彼に忠誠を誓うようになっていったのです。
ご主人様方は、彼のその様子にさらに態度を改めました。兄たちは、自分たちの力が彼には及ばなくなっていることを痛感し、次第に彼との比較に怯え、嫉妬の色を隠しきれませんでした。
戻られて2年も経つと、彼が屋敷に足を踏み入れた瞬間から空気は一変し、先に進むたびにその場の緊張感は増していきました。彼が一歩踏み出すたびに、その場の空気はまるで凍りつくかのように張り詰め、霊獣が静かに後に続く姿は、異世界の者のような威圧感を放っていました。『かつての坊ちゃん』とはもはや比較できぬ、圧倒的な威厳と力がそこにありました。
彼が次々に霊獣と契約し、家族の誰よりも強くなっていく姿を見ながら、私は彼がどこかで孤独を感じているのではないかという思いを拭えませんでした。力を手に入れた彼は、誰よりも孤高な存在として家の中で頭角を現していましたが、その瞳には常に何かを追い求めるような、どこか遠くを見つめる冷たさがありました。あのロケットペンダントが、彼の心に秘めた何か――そして、彼が失ったものを象徴しているのかもしれません。
ご主人様方は彼に近づくことができず、彼もまた家族に心を開くことはありませんでした。彼は冷静で、孤独で誰にも頼ることなく、ただ前へ進み続けていました。彼が何を追い求めているのか――それは、私たちには知る由もありませんが、彼がその道を一人で進み続けていることだけは、間違いありませんでした。
彼の胸元には、いつも静かに輝く銀色のロケットペンダントがあり、その小さな存在が彼の全てを守っているかのように見えました。そのペンダントを、彼は決して誰にも触れさせず、何よりも大切にしていました。他の誰にも触れさせず、ましてや中を見ることすら許しませんでした。あのロケットペンダントには、きっと坊ちゃんにとってかけがえのない存在が宿っているのだと感じざるを得ませんでした――坊ちゃんが、かつての彼とは違う方向に進んだのは、このペンダントと、そしてその中にある「誰か」が影響しているのかもしれません。
ある日、長兄がそのペンダントに興味を示しました。長兄がペンダントに手を伸ばした瞬間、彼の碧眼が鋭く光り、長兄は次の瞬間には床に倒れ込んでいました。まるで時間が止まったかのような静寂が広がり、その後兄は病院送りとなったのです。あの四季の霊獣の力を持ってすればすぐにでも回復させられたでしょうが、彼はそれすらもしなかったのです。
彼があのロケットペンダントを見つめるとき、普段は鋭く冷徹なその碧眼が、不意に優しさを帯びたかのように柔らかく変わるのです。その瞬間、彼の胸の中に秘められた深い想いが垣間見えるようで、まるで時が止まったかのような優しさが垣間見えることがございました。私は彼が胸の中に深い何かを抱えているのだと感じざるを得ませんでした。
彼が何を想ってそのペンダントを見つめているのか、私には分かりません。しかし、その瞬間だけは、彼が何か大切なものを抱えているのだと感じるのです。そして、それが彼の行動の全てを支えているかのように思えてなりません。
坊ちゃんが学院で次々と頭角を現し、卒業と同時に家を出ることが決まった時、私は唯一の使用人として彼についていくことになりました。このお屋敷の中で、彼に心を開かせることができたのは私だけでした。――彼のロケットペンダントの中に秘められたその誰かのおかげで、坊ちゃん…ご主人様は少しずつ変わっていったのです。私のささやかな愛情に、彼が気づいてくれたのかは分かりません。しかし今では彼がかつての彼とは違い、優しさを取り戻しつつあることを、私は密かに感じていました。
彼はこれからも力を蓄え、更に数多くの霊獣と契約を重ねていくことでしょう。その未来に何が待っているのか――それは私には知り得ません。しかし、ご主人様の傍でその歩みを見守ることこそが、私の使命だと深く感じております。
彼がこれからどのような未来へと進むのか、わずかな不安を抱きつつも、彼の背中に漂う決意と強さを信じています。ただ、その未来に潜む未知の影は、私の胸をかすかな不安で締め付け続けるのです。
それでも、ご主人様の背中を信じて、共に進む未来を見守るしかないのです。彼の背中を支え、共にその未来を見守り続けることこそ、私の使命であり、これからも果たしていくべき務めなのだと心から確信しております。
序章終わりです
明日、次の話を投稿します