表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロノスフィンクス  作者: まる
序章
6/13

序章-7話 家族

 バイトの忙しい日々が続き、私は次第に疲れが蓄積しているのを感じていた。特にこの日は、長時間の労働と残業で体力が限界に達し、家に帰る頃には足取りも重くなっていた。心の中では、ノヴァには余計な心配をかけたくないという思いがあったが、彼女の澄んだ目は私の疲れを見抜いていた。


「シオン、今日はすごくつかれてるみたい……大丈夫?」


 彼女は心配そうな顔をして、静かに私のそばに寄ってきた。


「大丈夫だよ、ただバイトが長引いただけだから。」


 苦笑いを浮かべながらそう答えたが、ノヴァの不安そうな表情は変わらない。彼女の真っ直ぐな眼差しに、私は弱ったように視線を反らした。


「…本当に?ちゃんと休んでる?むりしないでね……」


 その優しい言葉が胸に深く突き刺さった。子供に…ノヴァに気を使わせるなんて、なんて不甲斐ないのだろうか。自分に対する苛立ちが、まるで波のように押し寄せてきた。


「私は自分のことくらい分かっている。君に心配されなくても大丈夫だ」


 少し強い口調で言ってしまった瞬間、その言葉が自分の胸に響き、思った以上に冷たく、そして痛みを伴って返ってきた。家族に対して言うべきではない言葉――。その思いが、まるで冷たい石が心の奥底に落ちるように沈んでいく。


 ノヴァはその言葉に驚いたようで、しばらく黙り込んだ。クロも、その場の緊張を感じ取ったのか、静かに私たちの間に入り、その金の瞳でじっと私を見つめていた。クロの眼に映る自分の姿を見た瞬間、私は吐き出した言葉がもう二度と取り返せないことを理解した。クロの無言の視線が、まるで私の失敗を映し出しているように感じた。


「……すまないノヴァ。疲れてて、君に八つ当たりしてしまったんだ。本当にすまない」


 私は深く息をつき、頭を下げた。しばらくの無言に気が付き頭を上げると、ノヴァは涙をこらえている様子で目が潤んでいる。私は唖然として「(ああ…泣かせてしまった)」とさらなる自責の念に苛まれる。自分の情けなさに腹が立ち、唇を噛みしめる。

 すると彼女はこらえている感情を落ち着けるように深く息を吸い…吐く。それを数回繰り返したのちに、彼女は静かに言葉を返した。


「うん……わたしもしんぱいしすぎちゃって、ごめんね。でも、シオンが無理してるの分かるから……。無理しないでね。」


 その言葉に安堵の気持ちを覚える。…否、それで許されるわけではないが。そうだ。今度、時間を取り一緒に遊びに行こう…。と思案した。

 すると急に視界がかすみ始め、頭が重くなった。途端に体が急に鉛のように重くなり、視界がゆっくりと揺れ始めたのだ。足元がふらつき、次の瞬間意識が遠のいていった。


「シオン!シオン、大丈夫!?しっかりして……!」


 ノヴァの叫び声が遠くから聞こえてくるが、体は言うことを聞かず、意識は深い闇へと落ちていった。




 目が覚めた時、ぼんやりとした視界の中で、ノヴァが私を揺さぶりながら泣いている姿が見えた。彼女の小さな手が私を必死に呼び戻そうとしているのがわかるが、体はまだ重く言葉を発することも難しかった。それでも何とか意識を保ち、ふらつく足でベッドまでたどり着いた。

 ベッドに横たわると、冷たいタオルが額に置かれた。体は依然として重く、頭の中もぼんやりしていたが、徐々に意識がはっきりしてきた。ノヴァはベッドの隣に座り、彼女の瞳には心配と安堵の入り混じった感情が滲んでいた。


「シオン……ごめんね……わたし、もっと早く気づくべきだった……」


 ノヴァの声は震え、小さな手が私の冷えた手を強く握っていた。彼女の涙が私の手に落ち、その温かさが一滴ずつ、深い想いを語っているようだった。


「君のせいじゃない、ノヴァ……本当にすまない。心配かけて……」


 弱々しい声でそう言うと、彼女の顔をじっと見つめた。胸の奥に強い後悔が湧き上がってきた。もっと早く、彼女を安心させるべきだったのに。彼女の純粋な優しさに、いつも甘えてしまっていた自分に苛立ちを覚えた。


 ノヴァは泣き崩れたまま、涙が止まらなかった。


「早くなおってね……シオンがいなくなったら、わたし……」


 言葉が途切れ途切れになりながらも、何度も繰り返すその言葉が、私の胸を締め付けた。ノヴァにとって私はただの保護者ではない。私にとってもノヴァは、ただの保護対象ではない。彼女を失うことは、もう想像すらできなかった。彼女の気持ちが痛いほど伝わってきた。

 ノヴァの懸命な看病のおかげで、少しずつ体力を取り戻していった。クロも私たちのそばを離れずに、静かに見守ってくれていた。その姿を見て、私はどれだけ二人に支えられているか改めて実感する。


「これからは無理をせず、ちゃんと休むよ。ありがとう、ノヴァ。君のおかげで、こうして元気になれたんだ。」


 ノヴァは涙を拭い、優しい笑みを浮かべて頷いた。


「うん……シオンが元気になって、本当によかった。」




 ベッドに横たわり、少しずつ意識が戻ってくる中、私はふと過去のことを思い出していた。未来での生活、霊導の名家での冷たい日々。家族というものの形はあったが、そこには温かさなど一つもなかった。

 病気をしても看病してくれるのは使用人で、彼らはただの職務として淡々と世話をしていただけだった。心配など一切されることはなく、私に向けられるのは無関心と期待だけ――愛情という言葉とは程遠い関係だった。

 しかし今、ノヴァと共に過ごしている日々は、そのすべてが違っていた。ノヴァの涙、その心配と優しさ。彼女の全力で私を支えようとする姿に、私は「家族」という言葉の本当の意味を、ようやく理解し始めていた。


「(私は……本当の家族に看病されたことなんて無かったんだな……)」


 その思いが頭に浮かんだ瞬間、私は初めて気づいたのだ。ノヴァとクロが、私にとって本当の家族になりつつあることを。


———————————————————————


 それから数日後、ようやく体力も完全に回復し、以前のような日常に戻りつつあった。ある日のこと、ノヴァが恥ずかしそうに私に近づいてきた。手に小さな包みを持っている彼女は、少し顔を赤らめながら、躊躇するような仕草でその包みを私に差し出した。


「シオン、いつも料理を作ってくれるから……これ、使ってみてね」


 彼女の小さな声と共に手渡されたのは、シンプルだが美しいデザインの砂時計だった。驚きとともにその小さな砂時計を手に取った私は、軽く微笑みながらノヴァに視線を向けた。


「ありがとう、ノヴァ。こんな素敵なものを……本当に嬉しい」


 ノヴァは少し照れたように目を伏せ、照れ隠しの笑みを浮かべた。その姿を見た瞬間、私の心にじんわりと温かさが広がっていくのがわかった。砂時計の滑らかな表面を指でそっと撫でると、その優しい感触が、ノヴァの思いのこもった贈り物であることをさらに強く感じさせた。


「この砂時計、早速使おう。今日は一緒に料理をしないか」


 私がそう提案すると、ノヴァは目を輝かせて大きく頷いた。そして一瞬の迷いもなくキッチンに向かって走っていった。その後ろ姿に自然と笑みがこぼれる。ノヴァがキッチンで嬉しそうに準備を始める姿を見て、私は彼女の成長を実感していた。以前はただ見守るだけだった彼女が、今では自ら進んで私を手伝おうとしている。その姿が、微笑ましくも頼もしく感じられた。


「何作ろうか?シオン!」


 ノヴァが楽しげに問いかける声がキッチンから響く。私もすぐに後を追い、彼女の横に立った。


「今日は特別なものを作ろう。君の好きな料理を教えてくれないか?」


 ノヴァは少し考えたあと、にっこりと笑顔を見せた。


「うーん……じゃあ、クロも食べられるように、お魚を使った料理がいい!」


 彼女の提案に思わず笑みがこぼれた。クロも足元で静かに座り、期待に満ちた瞳でこちらを見つめている。ノヴァの温かさは、ただ私だけではなく、この小さな家族全員に向けられている。それがとても愛おしく、心地よかった。

 料理を進めている途中、ノヴァがふと砂時計を手に取り、くるりとひっくり返して私に見せた。


「これでタイミングを計ろう!」


 砂がゆっくりと落ちる様子を、彼女は真剣な眼差しでじっと見つめている。私も彼女と一緒にその動きを見つめ、二人で同じ時間を共有していることを実感した。静かに流れていく時間の中で、私たちの間に新しい感情が芽生えているように感じた。


「シオン、いつも料理をしてくれてありがとう。これからは、わたしももっと手伝うね」


 ノヴァは少し真剣な顔つきで私に向かって言った。彼女の言葉に胸が温かくなり、自然と笑みが浮かぶ。彼女の成長を間近で見守ることができる喜びを、今、強く感じていた。


「ありがとうノヴァ。でも無理せず楽しみながらやればいい。一緒にいてくれるだけで、十分助かっているからな」


 私の言葉にノヴァは少し照れたように笑い、再び料理に集中し始めた。私たちは笑い合いながら料理を続け、完成した料理をテーブルに並べた。クロもその魚の香りに誘われたように小さな声で鳴き、嬉しそうに私たちの足元をうろうろしている。


———————————————————————


 あれから数日が経ち、私たちはいつもの日常に戻っていた。ノヴァもクロも、変わらずそばにいてくれる。それは当たり前のようで、決して当たり前ではないことに気づく日々だった。


 金木犀の香りがほのかに漂う秋の夕暮れ。私は開けた窓の外をぼんやりと眺めていた。刻々と色を変える空の景色が、心に不思議な静けさをもたらしてくれる。その時不意に、ノヴァが静かに声をかけてきた。


「今日は少しつかれてるように見えるけど……大丈夫?」


 以前の風邪の時を心配しているのだろうか。あれ以降、彼女は少し過保護(・・・)になった。大人とも呼べる年齢の青年が、無様にもあの様な醜態を晒したのだ。当然ともいえる。彼女の気遣いに私は軽く微笑んだ。こうして心配してくれる存在がいること、それだけで心が軽くなる。


「ああ大丈夫だ。少し仕事が忙しかっただけだ」


 そう言いながらも、自分の胸の奥にある小さな不安がうずくのを感じていた。この世界で、自身が不安定な存在であることへの焦燥感、そしてここで築き上げた新しい日々の中に感じる安らぎ。ふたつの感情が心の中でぶつかり合い、時折迷いを生じさせる。


 ノヴァはそれを感じ取ったのだろうか。彼女は私の隣に座り、静かに私を見上げた。


「最近ね。……ちょっと不安なの。シオンが……いなくなったらどうしようって」


 その言葉に、私は驚いた。ノヴァがこんなにも私のことを気にかけてくれていることに、改めて胸が締め付けられる思いだった。彼女は、私の心の奥底に潜む迷いや不安を察していたのだ。


「ノヴァ……」


 私は言葉を失い、ただ彼女の顔をじっと見つめた。心の中で渦巻く感情が、言葉にできずに絡み合っていた。ノヴァの純粋な瞳には、恐れと同時に、深い信頼が宿っていた。その瞳が、私の胸の奥に抱えていたすべての感情を、優しく解きほぐしていくようだった。


「私は……この場所が好きだ。君と、クロと、過ごすこの時間が……大切なんだ」


 言葉が自然に口から溢れ出ていた。自分でも驚くほど、心の中にある本音がノヴァに伝えられることに気づいたのだ。

 ノヴァは少し驚いたように私を見つめ、それから優しい微笑みを浮かべた。


「それなら、よかった……シオンがここにいてくれることが、わたしにとって一番うれしいから」


 その言葉に、私は胸が詰まった。彼女にとっても、私が存在(・・)することが大切なことなのだと感じる。それが私の心にさらなる安らぎをもたらしてくれる。




 夜も更け静かな部屋の中、ノヴァとクロが寄り添いながら眠る様子を見つめていた。彼女の寝顔は穏やかで、クロの小さな寝息が微かに聞こえる。その二人の姿を見ていると、まるで本当の家族がそこにいるかのように感じられる。


「家族……か」


 かつての私にとって、家族という言葉は空虚で、意味を持たないものだった。だが今、この場所でノヴァとクロと共に過ごす日々が、確かに私にとっての「家族」というものを形作り始めていた。

 私が幼かった頃、親に呼びかけても振り向かれることはなく、いつも冷たく突き放されていた。体調を崩しても、使用人たちが無機質に世話をするだけで、心配されることはなかった。それが私にとっての家族の現実だった。

 だが、今は違う。ノヴァは、私を心配してくれる。彼女の優しさや温かさが、私の中で何かを変えていくのを感じる。家族とは、ただ血を分けた存在ではなく、共に時間を重ね、支え合う存在だということをようやく理解…心から分かり始めていた。


「……ありがとう、ノヴァ」


 眠っている彼女に向かって、小さく囁いた。その言葉は、過去の自分への感謝でもあり、未来への誓いでもあった。彼女との日々を大切にしよう。クロと共に、この場所で彼女と生きようと思う。

 夜の静けさの中、私は再び目を閉じ、静かに眠りについた。ノヴァの寝息とクロの穏やかな存在が、私を優しく包み込む。そして私は、明日という日がまた穏やかであることを、静かに願った。


———————————————————————


 あっという間に、ノヴァと共に暮らし始めてから3年が経った。

 日々の忙しさに追われ、気がつけば月日は流れ、季節が何度も巡り続けている。窓の外に広がる風景は、あの日と変わらず静かで、淡々と時を刻んでいるように見える。しかし、私自身の内面は大きく変わった。3年前、突然この時代に放り出され、何もかもが違う世界に戸惑いながら生きていたあの頃の自分はもういない。


 あの頃、私はただ恐れていた。まずは生きて、それから未来に戻ることだけが頭にあり、そこにあるはずの何かを探し続けていた。そしてそれができなければ、この時間もまた無意味だとさえ思っていたのだ。

 だが今、私はノヴァとクロという存在と共に、違う意味での「家族」を見つけた。特にノヴァは、この3年という月日の中で、私の心に深く根を下ろし、揺るぎない支えとなっている。彼女がいなければ、私はこの場所で、ここまで変わることはなかっただろう。


「3年か……」


 呟きながら、私はその重みを噛み締める。3年という時は、単に日数の経過ではなく、私にとっての変化の証だった。

 今ここに腰を据え、ノヴァとクロと共に生きている。もうこの日々が当たり前のように思えるくらい、私はここでの生活に馴染んでいた。だが、その安定の中にも、時折心の奥底に小さな不安が顔を出すことがある。


 ――未来への未練や焦燥感は、いつの間にかほとんど消え去っていた。しかし、それが完全に消えたわけではなかった。いつか未来に戻る可能性がない訳ではない…。急に来たのであれば、急に戻ることもあるのだ。――そんな漠然とした感覚が、時折心の中でざわつく。それでも、今はここにいる自分を大切にしたいという気持ちと、彼女たちと一緒の未来を信じるほかなかった。


「……ノヴァ、ありがとう」


 そっと心の中で感謝の気持ちを伝える。彼女の存在が、私にとってかけがえのないものであることを、改めて実感していた。この3年で、私の中で確かに何かが変わった。彼女が私にとって、どれほど重要な存在なのか――それは言葉で表しきれないほどのものだった。


 クロが私の足元にすり寄ってきた。彼の小さな体が私の膝に乗り、その柔らかさが心地よい温もりをもたらす。私はクロの背を優しく撫でながら、窓の外に広がる風景をぼんやりと眺めた。


 ノヴァとクロが私のそばにいること、この3年という時間の中で築かれた絆。それが今の私にとって何よりも大切なものだと、確信を持って言える。未来に戻ることが頭をよぎる瞬間があっても、今ここにいる自分を否定することはできない。


「……永遠に続けばいいのに」


 小さく呟いたその言葉が、夜の静けさの中に溶けていく。未来に戻るかもしれないという不安が心の隅に潜んでいても、今はこの穏やかな時間を大切にしたい。ノヴァとクロと共に過ごす日々が、何よりも私に安らぎを与えてくれるのだから。

 その願いが届くかどうかはわからない。それでも、今はこの瞬間を生きていくことしかできない。そして、その選択が間違っていないことを、静かに信じながら、私は再び目を閉じ、眠りについた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ