序章-6話 誕生日
家族としての実感がわいてきた頃、居候の立場であることに甘えたくないと思い、自分の生活費は自分で稼ごうと決めた。
とはいえ、未来から来た私はこの時代には戸籍がない。それでも、どうにかして生活費…自由に使える金銭を稼ぎたかった。考えあぐねた結果、戸籍がない私には身分証が必要ない日雇いの仕事――限られた一部のバイトしか選べなかった。
例を挙げるならば工場での仕事は単純だが、慣れない肉体労働は予想以上に厳しいものだった。汗が額を流れ落ち、手にはいつしか硬いタコができていた。作業の音だけが響き、私の思考もその雑音にかき消されていくようだった。他の誰とも話さないことで、時代の違いを悟られることはない。しかしそんな静寂の中で、未来に戻る道が閉ざされていくような孤独が、心の奥に広がっていた。
同僚たちも私を「無口で静かな男」と思っているだろう。それでいい。私はこの時代の人間ではないから、目立たないほうが良いのだ。必要最低限の役割を果たし、あとは黙っていればいい。ただ、それが孤独を感じさせることもあったが、ノヴァのことを思うと、その孤独さえも耐えられた。
作業に集中している最中も、ノヴァの笑顔やクロと戯れる姿が頭に浮かぶ。彼女の無邪気な声、明るい笑顔。彼女が私を待っている。それがあるから、どんなに辛い労働でも頑張れる気がした。彼女が私にとって大切な存在になりつつあることを、改めて実感した。
ある日、同僚の一人が不意に声をかけてきた。
「シオン、あんた毎日黙々と働いてるけど、家族でも養ってるのか?」
その問いに、私は一瞬答える言葉を探してしまった。しかし、ノヴァとクロの姿がすぐに頭に浮かび、小さく頷いて「まあ、そんなところだ」と静かに答えた。それは、この時代で少しずつ自分の居場所を見つけ始めていることを、私が自覚した瞬間でもあった。
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ある晴れた午後、私はソファに腰掛け、ノヴァがクロと戯れる姿をぼんやりと眺めていた。彼女の屈託のない笑顔を見ると、どんな疲れもすっと消えるように感じた。しかし、ふとした疑問が頭をよぎった。
「そういえば……ノヴァの誕生日は何月なんだ?」
何気なく口に出したその質問に、ノヴァは一瞬動きを止め、指を折りながら考え込み始めた。
「うーんと……たしか2しゅうかんくらい前だったかも……もうすぎちゃった!」
その瞬間、私は驚愕し、心の中で焦りが広がった。ノヴァの誕生日を忘れてしまうなんて、何をしていたんだ私は。彼女にとって大切な日だったのに……。焦りと後悔が胸を締めつけた。そして自分の誕生日のこともふと思い出し、慌てて記憶を辿る。
「……!?… もしかして、私の誕生日も……」
自身の誕生日を思い返し、呆然とした表情が浮かぶ。自身の誕生日を祝ってもらった記憶なんてもうないに等しい。否言い訳だ。それが理由で合っても忘れて良いことではなかった。ノヴァが不安げに私を見つめ、問いかけてきた。
「シオン、どうしたの?」
「……」
私は言葉を詰まらせる。
「…ねえ?」
「…もう過ぎている……」
お互いの誕生日を忘れていたことに気づいた二人は、顔を見合わせて同時に叫んだ。
「「どうしよう!」」
クロまでが、その突然の騒ぎに目を丸くして私たちを見ていた。私は頭をかきながら、どうするかを考えたが、ふとある考えが浮かんだ。
「まあ、もう過ぎたものは仕方ない。特別なものを買いに行こう。お互いの誕生日を祝うために、何か思い出に残るものを見つけようか。」
ノヴァの表情が一気に明るくなり、彼女は楽しそうに頷いた。
「うん!シオンと一緒に何か買いに行きたい!」
二人で買い物に出かける準備をしていると、ノヴァがクロに「おるすばんしててね」と声をかけた。クロはまるでそれを理解したかのように、クッションの上で丸くなりながら尻尾をゆらし、私たちを見送った。
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賑やかなショッピング街に足を踏み入れた時、私の視線は自然とノヴァに引きつけられていた。彼女は初めての買い物に興奮している様子で、目を輝かせながら通りに並ぶ店々を眺めていた。ウィンドウに並んだ宝石や彩色豊かな小物に心惹かれている彼女の姿を見ると、私の胸に不思議な温かさが広がるのを感じた。
「シオン、見て!こっちの店、すっごくかわいいアクセサリーがいっぱいだよ!」
ノヴァがウィンドウを指差し、興奮した声で私に話しかけてくる。その様子に私は微笑んで、「そうだな、見てみようか」と答える。二人で店を巡る度に、ノヴァは目を輝かせ、子供のように純粋に楽しんでいる姿が印象的だった。
そんな中、ノヴァがふと足を止めた。私も彼女の隣に立ち視線を追うと、ガラスケースの中に一つの小さなロケットペンダントが飾られていた。シンプルながらも、どこか温かみのあるデザインが目を引く。
「シオン、あれ見て!あのペンダント、二人でおそろいにできるんじゃない?」
ノヴァが指差すロケットペンダントをじっと見つめながら、彼女の言葉を聞いて一瞬考え込んだ。『お揃いか……』その言葉に少し戸惑った。今までそんなことを考えたこともなかったし、誰かと何かを共有するという感覚自体が、あまり馴染みのないものだった。
ふと元居た家の風景が、私の脳裏に浮かんだ。兄たちは高等に仕立てられた制服を身に纏い、家紋の刺繍された色違いのネクタイにそんな会話をしていたことを自嘲気味に思い出す。お揃いに対して良い印象などなかった。そういった家族の記憶がよぎり、兄たちが交わしていた皮肉交じりの会話が、今となっては遠い記憶になっていることを実感した。
けれども、ノヴァが私たちのために何かを一緒に持ちたいと思ってくれている。そう考えると、次第に今はそんな考えを手放せるように感じて、心の中の迷いが消えていった。むしろ、彼女が私たちのために何かを共有したいと思ってくれていることが、私の心の奥にあった過去のわだかまりを静かに溶かしていくように感じた。
「確かに……。お互いの名前を彫って、中に一緒に撮った写真を入れるのも良いかもしれないな。」
その言葉を口にしながら、その銀色のペンダントに触れた。手に持つと、その小さな金属のひんやりとした感触が心に不思議な安定感を与えた。私はその場で笑顔を見せて、すぐに店員に声をかけた。
「これ、この子とお揃いにしたいんですが。名前も彫ってもらえますか?」
店員は親切に微笑みながら「もちろんです」と言い、二人の名前を彫るための準備を始めた。名前が刻まれるまでの間、ノヴァはウィンドウの向こうを見ながら、何かを想像しているような表情を浮かべていた。
「シオン、ペンダントができたら、クロといっしょに写真をとろうね。クロもかぞくだし、みんなでずっといっしょにいられるようにしたい」
その言葉に、私は胸が温かくなるのを感じた。彼女にとって、私とクロは同じくらい大切な存在なのだと改めて実感する。…多少の複雑な思いはあれども、彼女の純粋な想いに応えたい、そう強く思った。
「……そうだな。いつでも君たちと一緒にいられるように、このペンダントは大事にするよ。」
そう言いながら、私はノヴァの無邪気な笑顔に微笑み返した。刻印が終わるまでの待ち時間も、どこか心地よい静かな時間が流れていった。
やがてペンダントが仕上がり、店員が手渡してくれた。店員が差し出したそれを受け取ると、「Nova」「Shion」と名前がしっかりと彫られたロケットが光を反射して美しく輝いていた。二人はそれぞれのペンダントを手に取り、慎重にチェーンを首にかけた。
「これで、いつでもみんなといっしょだね!」
ノヴァは満面の笑みを浮かべ、ロケットペンダントを大切そうに手で触れながら言った。その瞬間、私は彼女の純粋な喜びが胸に響いた。
「そうだね、いつでも一緒だ。」
私は彼女に静かに頷きながら、彼女がこのペンダントをどれほど大事に思っているかが伝わってきた。
そして私もまた、彼女と過ごすこの一瞬一瞬が、どれだけ貴重で大切なものなのかを実感していた。ノヴァにとっても、私にとってもこのペンダントはただのアクセサリーではなく、二人の絆を象徴するものになった。
店を出た後も、ノヴァは何度もペンダントを触りながら笑っていた。彼女が嬉しそうにそのペンダントを眺めている姿を見て、私もまた胸の中に暖かいものを感じた。ああ、これから帰宅したら写真を撮らないと。クロは大人しくするだろうか…。これから撮る写真がどんなものになるのか、想像しながらゆっくりと帰路についた。