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クロノスフィンクス  作者: まる
序章
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序章-4話 おかえり

 ノヴァとの暮らしが始まって半年が経過した頃、彼女の行動に少しずつ変化が現れ始めた。普段は学校から真っ直ぐ帰っていたノヴァが、最近は連絡もせずに帰宅が遅れるようになった。


 最初は些細なことだと思い、特に気にも留めていなかったが、ある日ノヴァが夜まで帰ってこなかった日があった。


 その夜、時計の針が日々の夕食の時間を遥かに過ぎても、ノヴァはまだ戻ってこなかった。私は不安を感じ、何度か外に出ては周囲を見渡し、彼女の姿を探した。だが、街のどこにもノヴァの姿は見当たらない。心配が次第に焦りに変わっていく。


「一体、どこにいるんだノヴァ……」


 私は胸の内に不安を抱きながら、玄関で待ち続けた。そしてようやく、日も完全に落ちた頃に玄関のドアが静かに開き、ノヴァがランドセルを背負ったまま姿を現した。彼女はいつもと違う、どこか焦燥感を隠しているような様子で私を見上げた。


「……おかえり、ノヴァ」


 私は落ち着いた声で言ったが、内心は困惑していた。なぜ彼女はこんなにも遅くまで連絡もなく外にいたのか。普段なら夕方までには帰ってくるはずだ。


 ノヴァは何も言わず、靴を脱いでリビングに向かおうとした。その姿に何か違和感を覚えた私は、彼女の行動がいつもとは違うことに気づく。何か不自然さがあった。


「ノヴァ、どうしたんだ? なんでこんなに遅くまで……」


 ノヴァは一瞬立ち止まり、振り返ることなく小さな声で答えた。


「……ただ、ちょっと」


 ノヴァは一瞬言葉に詰まるように言葉を止めた後、私を伺うような視線を送った。


「……遊んでただけ……」


 その言葉には、どこかいつもと違う響きを感じた。まるで私を試すような、探るような視線。私はその瞬間、彼女が何かを隠していると直感した。


 しかし何を隠しているのか、その意味がすぐには理解できなかった。ただノヴァの中で、何かが揺らいでいるのは明らかだった。それをぶつけてきているのだろうか。それとも、私に何か伝えたかったのだろうか。


 待っていたにも関わらず、怒りは感じなかった。むしろ、彼女の曖昧な態度に対して戸惑いを覚えた。ノヴァが何を考えているのか理解できない。


「夕飯を食べようか」


 静かにうなづいた彼女に少し安心するも、夕飯時、いつもなら学校の話題で持ちきりのはずが結局何も話さない。結局胸の靄は消えないまま、私は翌日を迎えることになった。


--------------------------------------------------


 翌日、図書館に行き、私は公共のPCの前に座っていた。彼女の行動が気になり、心のどこかでその理由を理解したかった。


 「未来」にいたときは、他人の行動に心を砕く機会などなかった。だが今は違う。彼女の行動に、私は予想以上に心配している自分がいることに驚いていた。


「(……試し行動?)」


 画面に表示されたその言葉が、私の目に留まった。「試し行動」とは、子どもが大人に対して無意識に試す行動だと書かれていた。見捨てられないかどうかを確かめるために、わざと遅く帰ったり、問題を起こしたりすることがあるという。


 私はしばらく無言で画面を見つめ、その内容をじっくりと読んだ。捨てるも何も私こそ居候の身だ。それでも、ノヴァの不安が痛いほど伝わってきた。ノヴァも同じなのだろうか? 彼女が自分を試している…私に(・・) 捨てられないかどうか確かめているのか。


「まさか……こんなに心配してるとは思わなかったな」


 私は軽くため息をつき、背もたれに寄りかかった。今までは感情を押し殺し、効率的に生きることが何より大事だった。…親に認められるために。


 だが、ノヴァとの生活を続ける中で、自分の感情が変わりつつあることに気づいていた。冷静で合理的なはずの自分が、今では小さな子どもの些細な行動に心を乱されている。驚くと同時に、何か不思議な感情が胸に広がるのを感じた。


 ノヴァが自分を試す行動を取っていることを知った今、どう対処すべきか考えつつも、彼女の不安を理解しようとする気持ちが強くなった。


--------------------------------------------------


 その夜もノヴァは遅く帰宅した。ノヴァが玄関を開ける音を聞くと、私はすぐに立ち上がり、玄関につながるリビングのドアを開けた。彼女は玄関から私を伺うようにじっと立ち尽くした。


 ランドセルを背負ったまま、上目遣いで私を見つめ、その瞳は少し怯えているようだった。私の反応を探るようなその小さな姿がいじらしく、同時に痛ましく感じられた。


「おかえり、ノヴァ」


 そう言った私の言葉に、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、次いでどこかほっとした様子で、小さく頷いた。しかしその頷き方も、まるで自分を試していることが後ろめたいとでも言うかのようで、私に背を向ける姿に、一抹の罪悪感が漂っているのが伝わってきた。


 彼女が玄関に入ると、少し怯えたような表情で私を伺っている。


「おいで」


 私は穏やかに言ったが、内心では彼女を気にかける感情が混乱していた。彼女は靴を脱ぎ、静かにリビングへ向かおうとする。背中が小さく揺れ、まるで私の反応を試しているかのようだった。


「次は遅くなるなら事前に伝えてくれ。心配するから」


 私がそう言うと、ノヴァは驚いたように私を見上げ、少し後ろめたさを感じているようだった。彼女の顔には、少し安心したような色も見えたが、やはり試しているのだという後ろめたさが消えなかった。


「……わかった、シオン」


 その言葉には、自身の行いを続けることへの戸惑いと、私に対する感謝の気持ちが混じっているように感じた。


--------------------------------------------------


「夕食を食べよう」


 その空気の気まずさに、私はノヴァに食事を促した。ノヴァは短く頷き、無言で食卓についた。言葉が出ず、食事の音だけが部屋を満たしていた。食事は淡々と進んだが、どこかぎこちない雰囲気が流れていた。ノヴァは私の視線を避け、何かを感じ取られまいとするかのようだった。


 食事を終え、私はソファの隣に座るようノヴァに声をかけた。ノヴァは罪悪感からなのか、素直に私の隣に座る。彼女が恐る恐る座ると、私は彼女の方に向き合った。


「ノヴァ」


 彼女が視線を逸らしているのを見て、私は彼女をそっと抱き寄せ、背中に手を回し背中を撫でた。


「大丈夫だよ」


 その瞬間、ノヴァの体がわずかに震え、彼女の目から涙がほろりほろりと少しずつ溢れ出した。やがて彼女は、こらえていた涙が(せき)を切ったように溢れ出し、抑えきれない感情が一気に爆発したように、そして静かに…止め処なく泣き始めた。


 ノヴァが泣き出した瞬間、私の胸に何かが締め付けられるような感覚が走った。彼女がこれまでどれほどの孤独を抱えてきたのか、半年を経て今更…ようやくその重さを理解し始めたのだ。


 私は彼女をしっかりと抱きしめ、彼女が泣き続けるのを黙って見守った。ノヴァの体は小さく震え、涙はポタポタと私の胸に染みを作る。その泣き声は小さく、まるで自分の気持ちを抑え込んでいるかのようだった。


「ずっと……ずっと……ひとりだった……。だれも……わたしのことをみてくれなかった……」


 彼女が途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。それは、彼女の胸の内にずっと押し込められていたものが、ようやく溢れ出してきた瞬間だった。


「おかあさんも、おとうさんも、いなくなって……だれも……だれも「おかえり」って……いってくれなかった……」


 その言葉に、私は自分の胸が痛むのを感じた。これまで彼女が背負ってきた孤独、見捨てられる恐怖――それは私が想像もつかないほど深いものだったのだろう。


「ノヴァ……」


 私は彼女の名前をそっと呼び、さらに強く抱きしめた。彼女の涙は私の胸を濡らし続けていたが、それでも彼女がその涙を流し切るまで、私は何も言わずに彼女を抱いて、背中をさすり続けた。


「もう、大丈夫だ。君はもう一人じゃない。私はここにいる。どんなことがあっても、君を置いてどこかに行ったりはしない」


 私の言葉に、ノヴァはしばらくの間、何も言わなかった。ただ、私の腕の中で静かに泣き続けていた。そして少しずつ、その涙も収まり、彼女の体から力が抜けていくのがわかった。


「……ほんとうに?」


 涙で潤んだ瞳で私を見上げながら、彼女は弱々しくかすれた声で尋ねた。その言葉には、まだ不安が残っているものの、どこか救いを求めているような響きがあった。


「本当だ。もう一人じゃない。ずっと一緒にいる」


 本当だ、と言いながらも、心のどこかで未来に戻る可能性を考えていた。正直、その保証はできない。私が急に過去に来たのであれば、いつ未来に戻る保証もないからだ。


 けれども、その時だけは、その想いは本当だった。願っていた。本心だった。まるで自分が過去に言われることを願っていた、その言葉に重ねるように、私は言った。


 私の言葉を聞いて、ノヴァはまた涙を流しながら、今度は私に身を委ねるように頭を預けてきた。彼女の小さな体を包み込むように、私はさらに強く彼女を抱きしめた。


『ありがと……シオン……』


 震える声でそう言った彼女の呟きは、まるでその瞬間、彼女の中で固く結ばれていた孤独が少しだけほどけたように聞こえた。そして、その言葉を聞いた私は、今までの自分の打算的な思いが、大きく消え去っていることを実感した。服を濡らす彼女の涙を感じながら、これまで押し殺してきた感情が少しずつ溶け出していくのを感じた。


 これまでノヴァを守ろうと思っていたのは、彼女が幼いながらも家の主だからだと思っていた。打算的に、彼女がいなくなれば私の居場所もなくなると考えていたからだ。…けれども今、彼女の涙と共に心に芽生えたものは、それとは違う感情だった。ノヴァは、私にとって大切な存在となりつつあった――自分の望んでいた家族として。


 静かな夜の中、ノヴァの穏やかな息遣いが戻るまで、私は彼女を抱きしめ続けた。

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