第8話「精霊たちにお手伝いをしてもらう」
屋敷の部屋からは、山が見えた。
大昔に魔王が拠点にしていたという、魔の山だ。
標高の高い山で、槍の穂先のような形をしている。
黒々とした先端が山脈の上に突き出ているのが、はっきりとわかる。
ここは、灰狼公爵家の屋敷だ。
アリシアは俺に最上階の部屋を与えてくれた。眺めがよくて、一番広い部屋らしい。
古いアパートに住んでた俺にとっては、いい部屋すぎて落ち着かないんだけど。
服ももらった。この世界の貴族の服だ。
さっきまで着ていたスーツとシャツは、アリシアに渡した。
洗っておいてくれるそうだ。助かる。
王都から灰狼侯爵領までは長旅だった。その上、今日は魔物と戦って、荒れ地を掘り起こしたりしてた。
スーツは土ぼこりで、かなり汚れてしまった。
そしたら、アリシアが「洗濯物があったら出してください」って言ったから、渡したんだ。
「そういえばこの世界って、洗濯はどうしてるんだろう? 素材とか洗い方とか、確認した方がいいかな?」
俺がそんなことをつぶやくと──
「──お洗濯をすると聞きましたー?」
「──お手伝いさせてくださいー」
「──わたしたち、水仕事の精霊におまかせをー」
窓の外に、精霊たちが来ていた。
数は3体。
髪の毛が青いから、水の属性の精霊たちかな。
精霊の属性については精霊姫のティーナが教えてくれた。
精霊たちには色々な属性と種類があるらしい。
たとえば水属性の『水仕事の精霊』『煮炊きの精霊』『井戸の精霊』
たとえば土属性の『農業の精霊』『採掘の精霊』『土器や陶磁器の精霊』
たとえば火属性の『かまどの精霊』『鍛冶の精霊』『ストーブの精霊』
たとえば風属性の『乾燥の精霊』『涼風の精霊』『換気の精霊』
──その他にも、たくさんの精霊がいるそうだ。
俺の世界の言い伝えにあった『八百万の神さま』みたいなものらしい。
ティーナに『鍛冶の精霊』は火と土じゃない? と聞いてみたら『精霊たちは属性のうち、強い方に引っ張られる』という答えが返ってきた。
鍛冶は火加減が大事だから『火属性』になるんだとか。
精霊たちは人間の役に立つのが大好きだから、それに適した姿をしているらしい。
羽は、素早く人間のところに行って手伝いをするため。
身体が小さいのは、集団で手伝いをしやすいように。
──とか、そんな理由があるらしい。
精霊王のジーグレットや精霊姫のティーナが人間と同じ姿をしているのは、人間を知るのが役目だからだそうだ。
彼らは人間と同じ姿を取ることで、人間たちと関わり、人間の文化や知識を学ぶ。
一般の精霊たちは精霊王や精霊姫から人間について学び、人間の手伝いをする。
そうして人間と精霊たちは、愉快な隣人として付き合っていく。
人間と精霊は大昔から、そんなふうに生活してきたのだと、精霊王のジーグレットは教えてくれた。
──で、今の精霊たちは、封印から解放されたばかり。
だから、この世界のことを知りたいし、仕事がしたくてしょうがない。
それで俺のところへ「「「お仕事ありませんかー?」」」って、聞きにきたらしい。
……うーん。
精霊たちは窓にくっついてる。
目を輝かせて、俺の答えを待ってる。断ったら泣きそうだ。しょうがないな。
「それじゃ、洗濯を手伝ってもらおうかな?」
「「「わーい、やったー!」」」
俺が窓を開けると、精霊たちが飛び込んできた。
身体は3等身。丸っこい手足をぱたぱたと振り回してる。かわいい。
そんな精霊たちを肩に乗せて、俺は部屋を出た。
確か、水場は一階にあったはず。
そこに行って、洗濯の担当の人に精霊たちを紹介しよう。
「すみません。洗濯物を洗う場所ってどこですか?」
階段を降りたところにメイドさんがいたので、聞いてみた。
紫色の髪を三つ編みにした人だ。アリシアさんの専属だって聞いてる。
「は、はいぃ!? あ、洗い場ですか……えっと、あのその」
メイドさんは慌てた様子で、廊下の奥を指さした。
俺は彼女に頭を下げて、
「ありがとうございます」
「あ、あの……お客さま。肩に乗せているのは、精霊さんですか?」
「はい。お仕事がしたいみたいで」
「わ、わかります。炊事場のまわりにもいましたから」
「精霊って、働き者なんですね」
「は、はい。でも……みんなとまどっているみたいで……」
メイドさんはとまどったように、俺と精霊たちを見た。
「私たちが……精霊たちを見るのははじめてですから……どうしたらいいものかと」
「確かに……精霊たちはずっと封印されていたわけですからね」
「はい……」
「精霊たちのお手伝いのことは、アリシアさまに相談した方がいいですね」
「そうですね」
メイドさんはうなずいて、
「アリシアさまは、洗い場にいらっしゃるようです。お話をされてはいかがですか?」
「洗い場にですか?」
「はい。お客さまの服を抱えていらっしゃいました」
「アリシアさまが? もしかして、異世界の服に興味があるんでしょうか」
「そうかもしれません。お嬢さまは、知識欲が旺盛な方ですから。お屋敷にある本も、ほとんど読んでしまわれているのですよ」
「……すごいですね」
アリシアが物知りなのは、なんとなくわかる。
彼女は精霊王ジーグレットのことも、精霊たちのことも知ってた。
灰狼侯爵領から出られないアリシアは、本を読むことで知識をたくわえていたんだろうな。
そんなアリシアだから、異世界の服に興味を持ったのかもしれない。
「ただ、教師の方には知識偏重すぎると言われておりました」
メイドさんは記憶をたどるような表情で、
「本を読むばかりではなく、もっと色々な体験をするようにと注意されていたようです。それでお嬢さまは、たまに思いもよらないことを……あ、すみません。話しすぎてしまいました」
「いえいえ」
俺はメイドさんに一礼して、
「それじゃ、俺は洗い場で、アリシアさまと話をしてみます」
「よろしくお願いいたします。それでは」
メイドさんは階段を上っていった。
俺は廊下の奥にある洗い場に向かう。
ドアの向こうにはアリシアがいるんだよな。声をかけた方がいいな。
「失礼します。アリシアさま」
「「「失礼しますー!! お洗濯に来ましたー!!」」」
ばんっ。
精霊たちがドアを開けた。
洗い場は広い、石造りの部屋だった。隅の方には井戸がある。
木製の大きな籠がいくつかあって、洗濯物が積み上げられてる。
部屋の中央には大きな柱があり、そこに服が数枚入った籠がある。
アリシアは、その籠の前に立っていた。
着ているのは、さっきまでのドレスとは違う。異世界の服だ。
というか俺のワイシャツと、スーツの上を着てる。
彼女に俺のワイシャツは大きすぎた。裾が膝のあたりまであって、彼女の素足を隠してる。上着の、長すぎる袖からは、指先しか出てない。
その状態で胸を押さえて、布地の感触を確かめていたアリシアは──
「…………コ、コーヤさま? それに、精霊さまたちも!?」
──俺と精霊たちに気づいて、硬直。
それから、真っ赤な顔でシャツの裾を押さえた。
「ど、どうしてここに!? いえ、コーヤさまはお屋敷のどこにいらしても問題ないのですが! わたくしの部屋にいらしてもよろしいのですが!! でも……どうして洗い場に!? いえ、いらしてもまったく問題ないのですが!? わたくしが覚悟を試されているだけなのですが!?」
「落ち着いてください」
「は、はい……」
「精霊たちが洗濯の手伝いをしたいそうなんです。俺はそれで、ここに」
「あ、そういうことだったのですか」
こくこく、と、うなずくアリシア。
それから彼女は、じっと俺を見て、
「あ、あの! わたくしがコーヤさまの服を着ていた理由は……」
「わかります」
「え?」
「メイドさんが言ってました。アリシアさんは知識欲が旺盛だって。でも、知識に偏っているところがあるから、色々な体験をするように教師の人から言われてるって」
そんな彼女が、異世界人の服や持ちものに興味を持つのは当然だ。
だから──
「アリシアさまは、異世界の服に興味があるんですよね? それで着心地を確認したくて、つい、俺の服を着ちゃったんですよね?」
「そうですっ!!」
服の裾を押さえたまま、アリシアは力一杯声をあげた。
「おっしゃる通りです!! それ以外の理由はありません!!」
「ですよね」
「一目で見抜かれるとは、さすがはコーヤさまですっ!! おそれいりました!! わたくしアリシア=グレイウルフがコーヤさまの服を着ているのは、異世界の服の着心地をじかに、肌で感じるためです! 決して、決して、やましい気持ちはございません!」
「それはわかりました。わかりましたから」
アリシアは真っ赤な顔をしてる。
異世界の服を着るのは、彼女にとっては秘密の実験のようなものだったんだろうな。
そこに俺が精霊を連れてきたら、そりゃびっくりするよな。
うん。深く追求しないでおこう。
ここは異世界で、俺はこの世界のルールに、まだ慣れてないんだから。
「でも、アリシアさま。そのスーツを精霊たちが洗濯したがってるみたいなんです」
「そ、そうなのですね」
「申し訳ないんですけど、服を精霊たちに渡してあげてくれますか?」
「……わ、わかりました」
アリシアの身体が真っ赤な顔で、うなずいた。
彼女は指先で『首輪』に触れて……身体を震わせて……それから、
「お願いがあります。コーヤさま」
「なんですか?」
「わたくしに『脱げ』とおっしゃっていただけないでしょうか?」
「……なんでですか?」
「コーヤさまのおっしゃる通り、わたくしは知識欲が旺盛なのです」
なぜか視線を逸らしながら、アリシアは言った。
「そして、コーヤさまの服を着るのは、わたくしにとって知識欲を満たすための体験です。それを途中でやめるのですから……気合いをいれなければいけないのです」
「わかりました。じゃあ、脱いでもらえますか?」
「敬語はなしでお願いしますっ!」
「……えっと、それじゃ……脱いで。アリシア」
「……んっ」
アリシアは膝をこすりあわせながら、スーツのボタンに手をかける。
そして──
「わ、わかりました。では……」
「間違えた。脱ぐんじゃなくて着替えて」
「…………はっ!」
アリシアは我に返ったように目を見開く。
それから、部屋着の入った籠を手に、柱の向こうへ移動する。
俺から見えない位置で、衣ずれの音をさせていたと思ったら──
「……脱ぎました。どうぞ」
柱の後ろから、スーツとシャツを持った白い腕が伸びた。
精霊たちがそれを「「「待ちくたびれましたー」」」と、受け取る。
それからアリシアは「はぅ」とため息をついて、
「実は……コーヤさまには、もうひとつお願いがあるのです」
「あ、はい」
「先ほども申し上げましたが……わたくしに敬語を使うのは、やめていただけませんか?」
柱の向こうに隠れたまま、アリシアは言った。
「コーヤさまは、精霊たちに慕われていらっしゃいます。精霊王のジーグレットさまや、精霊姫のティーナさまも、コーヤさまを尊敬しているご様子です。そのコーヤさまに敬語を使われると……わたくしが精霊王さまや精霊姫さまよりも偉いと、皆がかんちがいしてしまうかもしれません」
「そういうものですか?」
「そういうものです! 他の意味はございません!」
しばらくして、着替えたアリシアが、柱の陰から出てくる。
彼女は部屋着の裾をつまんで、一礼して、
「どうかわたくしには、部下や友人にするように話してくださいませ」
「……うん。わかった」
郷には入れば郷に従えと言うからな。
異世界の人が望むようにした方がいいんだろう。
「わかったよ。アリシア」
「は、はいぃっ!」
「それじゃ精霊たち。どんなふうに洗濯するのか見せてくれる」
「「「承知しましたーっ!! お洗濯、開始なのです!!」」」
精霊たちが3人がかりで、俺のスーツとシャツを持ち上げる。
その表面をぺたぺたと触っていたと思ったら、
「素材を確認したですー!」
「お湯の適温も、わかったですー!」
「洗剤は不要なのです。魔法的に洗って大丈夫なのです!」
精霊たちはスーツを抱えたまま、宣言した。
そして彼女が手を振ると──井戸から、巨大な水の球が浮かび上がる。
「水をあやつる魔法とー」
「風をあやつる魔法でー」
「すべての汚れを、落とすですー!」
俺のスーツとシャツを、水の球が包み込む。
それから──水が、猛烈に泡立ちはじめた。
沸騰しているわけじゃない。
精霊たちが水と風を組み合わせて、微細な泡を作り出してるんだ。
「「「洗浄魔法……第一段階なのですっ!!」」」
服の汚れが消えていく。
次々に水の球体がやってきて、洗濯の工程が進んで行く。
最後に風の魔法がスーツを乾かして、火の魔法を応用したアイロン効果でプレスして、完了。
俺の手元に戻ってきたスーツは、新品同様になっていた。
「すごいな。これが『水仕事の精霊』の力か……」
「「「お役に立てて光栄なのです!!」」」
「すごいものを見てしまいました……」
アリシアが目を輝かせてる。
「機会があったら、また見せてください。今度はじっくり観察したいのです!」
「今すぐでもいいですよー」
「まだまだ、お手伝いできますー」
「よろしければ、部屋着を洗って差し上げるのですー」
ほめられたのがうれしいんだろうな。
『水仕事の精霊』たちは楽しそうに、アリシアのまわりを飛び回ってる。
「アリシア。提案なんだけど」
「は、はい。コーヤさま」
「精霊たちのお手伝いを受け入れてもらえるように、灰狼侯爵領に布告を出すのはどうかな?」
精霊たちは働き者だ。
封印から解き放たれたばかりで、人間の役に立ちたがってる。
それに、この時代のことも知りたいみたいだ。
「アリシアが侯爵家を代表して布告を出せば、灰狼領の人たちは、精霊たちのお手伝いを受け入れやすくなると思う。精霊たちも、領地の人たちと仲良くなれるんじゃないかな」
「よいお考えです。さすがコーヤさまです!!」
「「「大賛成なのです──っ!!」」」
「精霊たちは人のお手伝いをして、人と仲良くなりたがっている……とてもいいお言葉です。心が温かくなります。灰狼領のみんなも、よろこぶと思います!」
「よかった」
「まずはわたくしが率先して、精霊たちにお手伝いをお願いしなければいけませんね!」
アリシアは拳を握りしめた。
彼女は部屋着のボタンに手をかけて……それから、俺を見た。
なるほど。
さっそくアリシアは精霊たちに、部屋着を洗ってもらうつもりなのか。
「それじゃ、俺は部屋に戻ってるよ。なにかあったら呼んで」
俺は洗い場を出た。
やっぱり、アリシアは知識欲が旺盛みたいだ。
精霊たちの仕事を見たくて、しょうがないんだろうな。ここは彼女に任せよう。
そんなことを考えながら、後ろ手にドアを閉めると、
「……くしゅん」
「アリシアさま。なにか着た方がいいですよー」
「風邪をひいたら大変なのですー」
「着るまでの間、温風魔法を使ってさしあげるのですー。えいっ」
「大丈夫です。コーヤさまが着けてくださった『首輪』があります。これさえ身に着けていれば……どんな姿でいても……心と身体がぽかぽかしてくるのです」
──ドアの向こうからは、そんな声が聞こえていたのだった。
次回、第9話は、明日の夕方くらいに更新します。