第64話「黒熊領沿岸防衛戦(2)」
──金蛇侯爵家の船団では──
「ジュリアン殿下と聖女さまのために、黒熊領への治安出動を行う」
船上で、兵団の指揮官が叫んだ。
金色の髪をした青年だった。
彼はジュリアン王子の従兄弟にあたる。
年長の従兄弟ということで、ジュリアンからは兄のように慕われている。
名前はエディオ=アイロンスネイク。年齢は25歳。
領主の血筋であることから、数多くの職務を担当している。
王都との交渉や、聖女の接待を行っていたのも彼だ。
召喚された聖女カザネを、金蛇侯爵領までエスコートしたのもエディオだった。
エディオにとっては光栄な任務だった。
『聖女』のジョブを持つ者が現れたのは、初代王アルカインのとき以来だ。
あの時の聖女は初代王の大陸統一に手を貸したと言われている。
聖女カザネは、その再来だ。
エディオの伯父である金蛇侯も、同行していた者たちも、聖女が金蛇侯爵領を発展させるのだと信じている。
「だが……カザネどのの力は聖女のジョブだけではない」
当時のことを思い出して、エディオはため息をつく。
「あの方はすばらしい。異世界から来られたばかりだというのに、我々の気持ちを、深く、理解してくださったのだから」
数回、言葉をかわしただけで、わかった。この人は自分の理解者だと。
エディオは、聖女カザネを船で運んだときの話を思い出す──
『ジュリアン殿下こそが、ランドフィアの次期国王にふさわしいお方なのです』
エディオはカザネを客室に案内しながら、そんなことを言った。
『ですが、ダルサールをはじめとする魔法使いの派閥は、ナタリア殿下を支持しているのです。ナタリア殿下の母君が、自分たちと同じ魔法使いだったという理由で』
『先入観とは怖いものですね』
聖女カザネは目を伏せて、そんな言葉を口にした。
『思い込みは人の目を曇らせます。残念なことです』
『わかってくださいますか』
『私も元の世界で、色々なことがありましたから』
『聖女どのは、ジュリアン殿下を支持してくださるのだろうか?』
『私は……尊敬できる人のもとで働きたいと思っています』
『ジュリアン殿下を支持してくださるか。さすがは聖女どのだ!』
興奮した口調のエディオに、聖女がにっこりと笑ったのを覚えている。
聖女は控えめな人物だった。
誰にも命令することもなく、自分の意思を、積極的に語ることもしない。
それがエディオたちに好感を与えているのだった。
『ジュリアン殿下は次期王位を担うだけの責任感と能力をお持ちなのです!』
エディオは興奮した口調で、聖女に訴えかけた。
『王陛下や高官たちにも、それをわかっていただきたいのですが』
『真に能力のある方は、なかなか理解されないものでしょう』
『聖女どののおっしゃる通りだ。だが、いつまでもそれでは……国が落ち着かぬ』
『皆さまがお怒りなのはわかります』
『……怒り、か』
『思いやりの心がある人ほど、怒りを溜め込んでしまうものです』
『ああ、そうだな。我らは、怒っているのかもしれぬ』
『理不尽なことに怒るのは当然です。逆に、怒りを示さないことが、理不尽を受け入れることにつながってしまうのかもしれません』
『……理不尽には抵抗すべき。確かに、その通りだ。』
『失礼いたしました』
聖女は目を伏せ、一礼した。
『余計なことを申し上げました。私は意見を述べる立場にはないのに』
『い、いや。こちらこそすまなかった』
不思議だった。
聖女がうつむくたびに、自分が彼女を責めているような気分になる。
『私は金蛇侯爵家にお仕えする者です。なにより主君のことを一番に考えるべきだと思っています』
口ごもったエディオに一礼して、聖女カザネは告げた。
『皆さまのご希望が叶うように、私は力を尽くすつもりです』
聖女カザネは静かな口調で、そんなことを告げたのだった。
その後、聖女カザネは多くの功績を上げた。
魔物が現れる森に結界を張ったのもカザネだ。
出現する魔物は激減し、皆は安心して狩りができるようになった。
森で採取した薬草を使い、カザネは大量のポーションを作った。
体力を増強するものや、病の症状をやわらげるものを。
数日間、森に天幕を張り、薬草の研究をしていたこともある。
エディオにとってうれしいのは、聖女カザネが常にジュリアンと連絡を取り合っていたことだ。
それは、聖女がジュリアン王子を認めたことを意味する。
事実、聖女カザネは、いつもジュリアンをほめたたえていた。
『聖女がジュリアン殿下に味方している。これは殿下こそが次の王位にふさわしいという証だ』
──いつの間にか、金蛇侯爵家の者は、そんなことを思い始めていた。
それに比べて、ナタリア王女はどうだろうか?
彼女は大きなミスをした。
それは、聖女を金蛇侯爵家に与えてしまったことだ。
ナタリア王女が次期王位を狙うのならば、聖女カザネを手放すべきではなかった。
聖女は、異世界人召喚の儀式の例外とするべきだった。
聖女を別格とした上で、もう一度異世界人の召喚を行い、やってきた者を金蛇侯爵家に与えればよかった。
魔法使いたちに慕われているナタリア王女なら、それができたはずだ。
なのにナタリア王女は、聖女を手放した。
それがジュリアン王子の力になるとも知らず。
『そのような失敗をしたナタリア王女は、ランドフィアの国王にふさわしくない』
──金蛇侯爵家の者は、そう考えているのだった。
「国王陛下が回復されなかった場合……おそらくは、選王会議が行われるだろう」
考えに沈んでいたエディオは、頭を振り、意識を現在に引き戻した。
今は船の上だ。間もなく、黒熊侯爵領が見えてくる。
上陸の準備をはじめるべきだろう。
ジュリアン王子を、ランドフィアの次期王位につけるために。
「選王会議でジュリアン殿下が選ばれるのは間違いない。だが……万一ということもある。勝利は確実にしておかなければならぬ」
今、黒熊領には偽の魔王軍がいるはずだ。
あれを討伐するという名目ならば、黒熊領に兵を入れられる。
黒熊領ゼネルスは王都にいる。彼は領地に帰るつもりはないらしい。
それどころか、ゼネルスは黒熊侯の地位を捨てるつもりでいる。
灰狼領には魔王がいるからだ。ゼネルスには、魔王のすぐ側で暮らすような度胸はないのだろう。
ならば、金蛇が代わりに領地を治めてさしあげよう。
黒熊領を魔王から守る代わりに、傀儡を侯爵代行に据えよう。
得た利益は、赤鮫侯爵家や銀鷹侯爵家に分け与えればいい。
そうすれば、彼らもジュリアン王子の味方になってくれるはず。
選王会議では全会一致で、ジュリアン王子の即位が決まるのだ。
会議は、ランドフィアの歴史に残るものになるのだろう。
そんな金蛇の思いを乗せて、船は進んで行く。
船の数は4隻。そのすべてに兵士を乗せている。
歩兵に騎兵。弓兵に魔法使い。序列一位の金蛇侯爵家にふさわしい精鋭たちだ。
「──陸地が見えたぞ!!」
やがて、黒熊領の港が近づいてくる。
港に兵士の姿はない。
偽の魔王軍は山岳地帯で活動をしている。黒熊領の兵士たちは、そちらに向かっているのだろう。それで港が手薄になっているのだ。
金蛇にやってきた灰狼の船は撃退した。
撃沈できなかったのは残念だが、ダメージは与えた。あの船で海を渡れたとは思えない。
灰狼に、こちらの情報は伝わってはいないはずだ。
我々の治安出動の邪魔をする者はいない。
偽魔王軍の討伐を名目に、一黒熊領を制圧する。
ジュリアン王子の勢力拡大のために。なによりも、金蛇侯爵領の未来のために。
そう考えた彼らが上陸準備をはじめたとき──
「……なんだ、あの男は」
黒熊領の港に、ひとりの男性が現れた。
黒髪で長身の男性だ。
武装はしていない。兵士のようには見えない。
こちらの船が見えているはずなのに、無造作に海へと近づいてくる。
そして、彼は海に向かって手を伸ばし──
──その直後、海が荒れ始めた。
高波が船を持ち上げる。
斜めになった甲板の上で、人が滑り、転がる。
渦を巻く海流が、船を回しはじめる。
まとまって移動していたはずの船団を、潮の流れが分断する。
──まるで、海が意思を持っているのように。
「な、波が!?」
「馬鹿な。陸地の側で、こんな高波が起こるはずがない!」
「流される!? 我らの船団が!? こんなことが──」
空は快晴。雲ひとつない。風のおだやかだ。
なのに海には、すさまじい高波が発生している。
海面は渦を巻き、3隻の船をその場で回転させている。動けるのは1隻だけだ。それも、自分たちの意思ではない。帆はとっくに降ろしているのに、海流が船を港へと押し流していく。
エディオ=アイロンスネイクの乗る、主力の船を。
「──全員、上陸準備をしろ!!」
隊長のエディオは判断を下した。
船は港に近づいて行く。止めることはできない。
ならば、強引にでも上陸するしかない。
上陸用の小舟を出すことはできない。この波では、転覆するだけだ。船が港に近づいたら、ロープを下ろす。そのロープで身軽な兵士たちを上陸させる。
彼らに船を係留させてから、本格的に兵士を上陸させるのだ。
手段は、これしかない。
「上陸してしまえばこちらのものだ! 準備を急げ!!」
「「「──それはよくないのですー!!」」」
不意に、彼らの頭上で声がした。
見上げると、上空を小さな生き物たちが飛んでいた。
背中に羽を生やした、人のかたちをしたものたちだ。
「──黒熊領には、すでに侯爵代行がおられますー!」
「──侯爵代行のカリナさまは、金蛇の者の上陸を許してませんー!」
「──というか領民誘拐犯は金蛇の手先だとばれてるです! 奴らはもう、捕まっているですー!」
「「「異国の船に警告するです。武器を捨てて、その身を黒熊領の方々にゆだねるのですっ!!」」」
精霊たちは堂々とした口調で、そんなことを宣言したのだった。
次回、第65話は、次の週末の更新を予定しています。




