第58話「王都の出来事 (聖女と、その親友)」
──王都の離宮で──
「大変だったね。みぃちゃん。でも、もう大丈夫だよ?」
聖女カザネは友人のミナ=ミサカに語りかけた。
ここは、王都の離宮。
ジュリアン王子が彼女のために用意してくれた場所だ。
ジュリアンにはこの場所を自由に使っていいと言われている。
使用人も用意してもらった。
それが、聖女カザネが国王を治療する報酬だった。
「大変だったよね。ひどいよね。気持ちはわかるよ」
友人の肩を抱きながら、カザネは語りかける。
人払いは済んでいる。
近くにマジックアイテムがないことは確認してある。
聖女には魔力を感じ取る力がある。
それを応用すれば、マジックアイテムの存在を感知することもできるのだ。
「知らないうちに召喚されて、役目を押しつけられて、大変だったよね。みぃちゃんは能力測定のときも怒ってたもんね。気持ちはわかるよ。怒って当然だよ」
「……カザネ」
「私、聖女だからね。みぃちゃんを守ってあげられる。理不尽なことがあったら怒っていいよ。ううん。むしろ怒ったほうが、まわりもみぃちゃんの気持ちを理解するんじゃないかな。ずっとそうだったよね?」
カザネとミナ=ミサカは学生時代からの友人だ。
短気なミナ=ミサカは、いつもなにかに怒っていた。
そんな彼女をなだめて、彼女に怒りをぶつけられた人々に謝るのが、聖女カザネの役割だった。
社会人になっても、その関係は続いていた。
仕事帰りや休日に、カザネはいつもミナの愚痴を聞いていた。
それでもミナは、すぐに仕事を辞めてしまうのだけれど。
異世界に召喚されてからも、ミナは同じことを繰り返している。
ミナは能力測定の時に怒りを爆発させ、行く先が決まったときも怒っていた。
赤鮫侯爵領に向かうときも不満たらたらだった。
そんなミナを元気づけるために、カザネは手紙を送っていた。
ずっと、親友のことを心配していた。
そうしてやっと、カザネはミナを離宮に迎えることができたのだった。
「大変だったよね。不満があるよね? いいよ。怒っても」
聖女カザネは親友をいたわるように、
「ジュリアンさまの許可はいただいているからね。みぃちゃんが他人を怒鳴っても、誰も文句は言わないよ。むしろみんながみぃちゃんの不満をわかってくれると思う。だから──」
「……不満なんか……ないわよ」
つまらなそうに、文官長ミナ=ミカサは答えた。
「気にしすぎなのよ。カザネは」
「え?」
「召喚された直後も、あんた、私にずっとささやいてたわよね。『理不尽だよね』『こんなの、おかしいよね』『みぃちゃんは怒るべきだよ』って」
「だって、みぃちゃんは怒ると思ってたから」
「『みぃちゃんはきっとすごいジョブ持ちなんだよ』『うらやましいよ』『偉い人になっても、私のことを忘れないでね』とも言ってたわよね?」
「そうだよ。だって、みぃちゃんはすごい人じゃない?」
「……あんたと私って……ずっと、そうだったのよね」
「うん。そうだよ。おかしいかな?」
カザネはとまどうようにつぶやいた。
カザネとミナが違う侯爵家に派遣されてから、まだ1ヶ月と少し。
その間に親友の雰囲気が、変わってしまったように思えた。
「私は、あんたに仕事の不満を聞いてもらってたのよね」
ミナ=ミカサは言った。
「あんたは言ってくれたよね。『みぃちゃんの上司はおかしい』『怒って当然』『どうしていつまでも我慢してるの』って……」
「そうだよ。だって、みぃちゃんは間違った人を許さないもん。絶対に、怒る人だもの」
「……そうよね。私とカザネは、ずっとそうだったんだ……」
「どうしたの。みぃちゃん」
「あんたは悪くないんだよね。カザネは、私が望む言葉をくれただけなんだから」
「……みぃちゃん?」
「あのね、カザネ。今の私には……不満がないんだよ」
文官長ミナ=ミカサは、着けたままの『首輪』に触れた。
カザネの首にはないものだ。
その違いに思うところがあるのか、ミナ=ミカサは頭を振る。
「私、赤鮫侯爵領で普通にあつかってもらえた」
ため息をついて、ミナ=ミカサは話し始める。
「赤鮫は港町でね。みんな力仕事は得意だけれど、書類仕事が苦手なの。だから、文官長の私は大切にされてた。貴族に準じる立場になるというのも、嘘じゃなかった」
「ふーん。そうだったんだ」
カザネはうなずく。
「でも、大切にするのは当然だよね。異世界人が勝手に私たちを召喚したんだから」
「はじめて、仕事をして……ちゃんと認めてもらえた」
「当然だよ。みぃちゃんはできる人なんだから。そんなことで感謝するのはおかしいよ」
「そう?」
「みぃちゃん、だまされてない?」
「だまされては……いないと思う」
ミナ=ミカサはため息をついた。
「赤鮫領では部下ができた。私は書類仕事の部署を任されて、みんなと一緒に働いている。そうそう、私が来たことで仕事が早く終わるようになったんだ。時短勤務になって、みんな家族と過ごせるようになった。こんなこと……元の世界ではなかったのに」
「まわりの人は本当にみぃちゃんに感謝してるのかな? 上の人からそう言うように命令されてるんじゃないの? 真に受けるのは危ないよ?」
「私……赤鮫領に戻りたいと思ってる」
「うん。みぃちゃんは優しいもんね。でも、よく考えた方がいいよ?」
「カザネに会えたのはうれしいけど、私……赤鮫侯爵領の人たちが気になるんだ」
「わかるよ。ただ、私がみぃちゃんの一番の味方だってことを忘れないで」
聖女カザネの口調が、早くなる。
「私はみぃちゃんの味方なんだよ。私が、一番みぃちゃんのことを考えてるんだよ。ずっとそうだったよね」
「わかってる。カザネは、いつも私の不満を聞いてくれた」
「そうだよ」
「でも、どうして私、カザネに不満をぶちまけてたんだろう」
ミナ=ミカサは遠い目をして、つぶやいた。
「それでいい結果になったことって、あるのかな? 私、カザネに依存してたのかも……」
「親友なんだから当然だよ。そんなこと気にするのおかしいよ。どうしちゃったの、みぃちゃん?」
「あのね、カザネ。王家の人に頼んで欲しい。私が赤鮫侯爵領に戻れるように」
「……本気?」
「本気よ。あの地には、私の仕事があるから」
「そうなんだ………………うん。わかった!」
「本当に?」
「私はみぃちゃんの味方だって言ったよね?」
「信じてる。ずっとそうだったから」
「そうだよね。みぃちゃんはいつも、私のアドバイスを受け入れてくれた。これからもそう。私たち、親友だもんね。私の言葉を無視したりしないよね?」
聖女カザネは立ち上がる。
考え込んでいる文官長ミナ=ミカサの肩に手を乗せて、
「お茶が冷めちゃったね。おかわりをお願いしてくるよ」
「ううん。まだ飲めるから……」
「みぃちゃんも不満だよね。冷めたお茶なんか、飲みたくないよね?」
「……えっと」
「いらないよね? 異世界人に冷めたお茶を飲ませるのなんか失礼だよね? メイドがジュリアンさまに怒られちゃうよ」
「……そうなんだ。だったら──」
「うん。交換した方がいいって、みぃちゃんも思うよね。私、みぃちゃんの言う通りにするよ。メイドさんにお願いしてくるから、待ってて」
「あのさ、カザネ」
ふと、ミナ=ミカサは顔を上げた。
「あんたは、元の世界に帰してもらった方がいいんじゃない?」
「どうして?」
「母親が壊れちゃったんでしょ? 言ってたじゃない。遺産のことでもめて、母親があんたとは腹違いの……その、義兄の職場に怒鳴り込んだって──」
「私に義兄なんていないよ?」
そう言ったカザネからは、表情が消えていた。
一切の感情が読み取れない、無表情。
カザネは首をかしげて、ミナ=ミカサを見下ろす。
「そう呼ばれているモノはいるかもしれないけど。きっとそれは気持ち悪いナニカなんだよ。この世界でいえば、魔物とか魔王とか、そういうモノなんだ。そんなものを相手にしたら駄目だよ」
「カザネ。あんた……」
「お母さんが壊れたのは、私の言うことを聞かなかったからだよ。『お母さんは怒っていい』『不満があるなら言うべき』『悪いのは、図々しくも生きている、気持ち悪いナニカ』なのにね。お母さんは、私のアドバイスを聞かなかったんだ。限界まで我慢してたんだ。だから爆発しちゃったんだ」
「…………待って、カザネ」
「みぃちゃんも、我慢しない方がいいよ。不満があるなら言った方がいいよ。異世界の仕事に満足してるなんて、そんなことあるわけがないんだから。私のアドバイスは聞いた方がいいんだよ? 私が世界で一番、みぃちゃんのことを考えてるんだから」
言い捨てて、カザネは部屋を出ていった。
残されたミナ=ミカサは『首輪』に触れた。
彼女が王都に来ることになったのは、王家の意思によるものだ。
勝手に赤鮫侯爵領に帰るわけにはいかない。
王家の意思に反する行動を取ったら、『首輪』が火を噴き、彼女を焼き尽くすだろう。
「王さまか、王子さまにお願いすれば……帰れるのかな」
──帰りたい。ここにいるのは危険。
そう考えたミナ=ミカサは席を立つ。
外に出て、偉い人を探そう。
ミナ=ミカサと会うのが聖女カザネの望みなら、それはもう叶っている。
用事は済んだ。帰ってもいいはず。
そのことを偉い人に伝えよう。
だが──
「鍵が……かかってる」
ドアは開かなかった。
おそらくは、外から鍵が掛けられているのだろう。
窓も、はめ殺しで、開かない。
たぶん、聖女カザネと一緒でなければ、外には出られないのだろう。
広い部屋だ。客間と寝室は別になっている。
トイレも浴室もある。食事はメイドが運んできてくれる。
外に出る必要はない。不満はない。
なのに、寒気が止まらない。
「カザネって……前からあんなふうだったっけ」
カザネは名家の出身だ。
祖先は十数代前までたどれると聞いている。
父親は、いわゆる旧財閥系の出身で、複数の企業を管理しているらしい。
なのにカザネは偉ぶったところがひとつもない。
聞き上手で、自分の意見を言うこともなく──
『みぃちゃんは怒って当然だよ』
『どうして我慢してるの?』
『理不尽には抗議するのが、みぃちゃんだよね?』
──適切なアドバイスをしてくれていた。
相手がアドバイスに従い、行動を起こすまで、繰り返し、繰り返し──
だから、異世界に召喚されたとき、ミナ=ミカサは怒った。
『怒って当然』という言葉を、ずっとささやかれていたからだ。
けれど──あれは本当に自分の意思だったんだろうか。
「……赤鮫領に……帰ろう」
ずっと頼りにしてきた親友のことが、今は、恐ろしい。
次にドアが開いたとき、自分はどんな顔をするだろうか。
カザネにおびえていることを、隠しきれるだろうか。
異世界で『聖女』の地位を手に入れたカザネは、国を動かすほどの力を持っているというのに──
震える身体を抑えながら、ミナ=ミカサは親友を待ち続けるのだった。




