第20話「黒熊侯爵、灰狼侯爵領を訪問する」
──数日後、灰狼侯爵領に通じる街道で──
「黒熊侯爵ゼネルス=ブラックベアさまが、灰狼侯爵領に入られます!」
街道で兵士たちが声をあげる。
先頭の兵士が掲げるのは、紋章がついた旗だ。
旗はマジックアイテムだ。
一行が黒熊侯爵家の者であることを証明する機能がある。
やがて黒熊侯の一行は『不死兵』が並ぶ境界地域に、足を踏み入れる。
『不死兵』は反応しない。10体とも灰狼領の方を向いたままだ。
黒熊侯の一行は、灰狼侯爵領を自由に出入りできる。
あの旗を持つ者たちを攻撃しないように、『不死兵』が設定されているからだ。
王家の者は『不死兵』の管理権限を持つ。
誰を攻撃して、誰を攻撃しないのかを設定できる。
『不死兵』に対して、『このアイテムを持つ者に従え』という指示もできるのだ。
そんな『不死兵』を顧みることなく、黒熊侯の一行は北へ進んでいく。
そうして黒熊侯爵領の一行は、なにごともなく灰狼領に入り──
街道の先で待っていたアリシア、それと灰狼の兵士たちと、顔を合わせたのだった。
「お待ちしておりました。ゼネルス侯」
「久しいな。アリシア=グレイウルフ」
屋敷の応接間で、アリシアとゼネルスは向かい合っていた。
ゼネルスは中年の男性だ。
身体は筋肉質でかなりの長身。
顔の下半分には、黒々とした髭をたくわえている。
ふたりの他に、部屋にはそれぞれの護衛がいる。
黒熊侯の護衛は、筋骨隆々とした兵士。
灰狼侯の護衛は、兜を被った若い兵士だ。武器は持っていない。室内でも防具を着ている理由をただすと、『黒熊侯の威光をおそれているためです』とアリシアは答えた。
その答えにゼネルスは、満足そうにうなずく。
黒熊侯爵家は強く、灰狼侯爵家は弱い。
アリシアも彼女の護衛の兵士も、それがわかっているのだろう。
「また美しくなられたようだな。北方の美姫、アリシア=グレイウルフよ」
ゼネルスは重々しい口調で告げる。
「灰狼領を訪れるのは、貴女が16歳になってからにするつもりだったが、待つ必要もなかったかもしれぬ。また美しくなられたようだ。貴女の夫となる者はしあわせだな」
「過分なお言葉に感謝申し上げます。ゼネルス侯」
アリシアはゼネルスの言葉を受け流し、一礼する、
「父レイソンは病のため、わたくしが灰狼侯を代行しております。今日は、いかなるご用でいらしたのでしょう」
「奇怪なことがあってな」
「と、おっしゃいますと?」
「わが黒熊侯領に、魔物が出没しているのだ」
「そうですか。ここ灰狼でも、魔物には常に悩まされておりますよ」
アリシアはティーカップを手に、ほほえむ。
「もしかして、魔物への対策についてご相談にいらしたのでしょうか? でしたら、担当の兵士をお呼びいたします。当家のものは魔物との戦いを数多く経験しております。彼らの意見は参考になりましょう」
「灰狼領に魔物が多く出没するのは知っておる」
ゼネルスは皮肉っぽい表情で、
「だが、わが領内……特に北の山岳地帯に魔物が現れるのは珍しいことなのだ」
「魔物が出現するのが珍しいとは、うらやましいことです」
アリシアは笑みを絶やさずに、
「魔物を避けるための秘策がおありなら、ご教示いただきたいものです」
「王家の許可があればな」
「王家の?」
「我らに領地を与えてくださったのは、初代王のアルケイン陛下だ。王しか知らぬ魔物避けの方法があるのだろう。それよりも」
ゼネルスは探るような視線で、
「我が領内に魔物が現れたことについて、なにか心当たりはないのか?」
「わたくしどもは、普通に魔物対策をしているだけですが……」
「本当か?」
「よろしければ、担当の兵士に説明をさせましょうか?」
「いや、自分で確認する。まずは、山岳地帯に案内してもらおう。念のため、腕利きの護衛を用意した上でな」
ゼネルスは懐から、紋章入りのペンダントを取り出した。
「『ランドフィア王家の名のもとに、ゼネルス=ブラックベアが命じる。屋敷を囲む「不死兵」は、我が供をせよ』」
彼はペンダントを窓の外に向けて、宣言する。
やがて、規則正しい足音が聞こえてくる。
灰狼の者たちのおびえる声も。
足音は徐々に近づき、やがて、応接間の扉が開いた。
部屋に入ってきたのは10体の『不死兵』だった。
彼らは横一列になり、黒熊侯ゼネルスの前に立つ。
「黒熊侯の権利として、『不死兵』をわが護衛とする」
ゼネルスは肩を揺らして、笑った。
「黒熊侯爵家は王家より『不死兵』に対する命令権を与えられている。偉大なるランドフィア王家はマジックアイテムの管理権限により、そのように設定してくださったのだ」
「ええ。存じ上げております」
「灰狼の者たちには自分たちの立場と、黒熊侯爵領が上位者であることを思い出してもらわねばならぬ。『不死兵』はいつでも灰狼領を滅ぼせること。お前たちは、王家と我らによって、生きることを許されているのだということをな!」
「存じ上げていると申し上げました」
護衛の兵士の隣で、アリシアが答える。
兵士がなにかつぶやいているが、ゼネルスには聞こえない。
アリシアは兵士の側に立ち、落ち着いた口調で、
「ゼネルスさま。ひとつうかがってもいいでしょうか?」
「許す」
「ゼネルスさまは、『不死兵』が怖くはないのですか」
「……なにを言うかと思えば!」
笑い声をあげるゼネルス。
「わしに『不死兵』を恐れる理由があるものか!」
「『不死兵』が作られたのは、今から200年前と聞いております。古いものは、予期せぬ動きをすることもありましょう」
「王家のマジックアイテムを疑うことは不敬であろう?」
ゼネルスは『不死兵』の肩に手を乗せ、その槍に首を近づける。
『不死兵』に急所をさらしながら、ゼネルスは笑みを浮かべている。
「王家のマジックアイテムは正しい! 王家のマジックアイテムは間違わぬ! 黒熊侯爵家の者が『不死兵』を恐れるなどありえぬよ」
「さようでございますか」
「わしと『不死兵』を引き離すつもりだったのだろう? だから『不死兵』が誤動作を起こすと言ったのだな? いやはや、灰狼の者にふさわしい浅知恵だな」
「いえ。そのようなことは……」
「初代王アルカインのマジックアイテムは絶対だ。ひとつの間違いも犯さぬ」
黒熊侯ゼネルスは高らかに声をあげた。
「では、アリシア=グレイウルフよ。わしを山岳地帯の近くへと案内するがいい。黒熊侯爵が、灰狼侯の行いを見定めるとしよう」
それぞれの馬車に乗り、アリシアと黒熊侯は南の山岳地帯に向かった。
ゼネルスは護衛の兵士と、10体の『不死兵』を引き連れて。
アリシアの側には兜を被った衛兵と、髪をフードで隠した少女がいた。
黒熊侯の馬車からはゼネルスの笑い声が漏れている。
ときおり『槍を振り回せ』『灰狼の兵士を威嚇せよ』という命令が、馬車から発せられる。
『不死兵』はそれに答えるように槍を振り回し、灰狼の兵士の前で足を踏みならす。
灰狼の兵士は『不死兵』を遠巻きにするばかり。
その反応が面白いのか、ゼネルスはまた、笑う。
そうして、アリシアとゼネルスの馬車は、南の山に向かって進んでいき──
数十分後、山のふもとにある砦に到着したのだった。
「なんだこれは!? いつのまにこんなものを!?」
巨大な石壁を前に、黒熊侯ゼネルスは目を見開いた。
「こんな巨大な防壁を……どうやって……」
「灰狼侯爵領では、常に魔物への対策を考えております。その一環として、新たな防壁を設置していただきました」
アリシアが答える。
「また、これは魔王への対策も兼ねております。魔王が復活したとき、最初に戦うことになるのは灰狼領の兵士たちですから。石壁を建造したのはそのためです」
「……な、なんと」
「石壁を作ってから、魔物の被害は格段に減りました。この石壁は長く、民を守ってくれるでしょう」
「いや、灰狼侯爵領にこんなものは必要ない!」
ゼネルスは吐き捨てた。
彼は、黒熊侯爵領に魔物が出没するようになった理由に気づいたのだろう。
魔物は生存本能で動いている。守りの堅い場所は避ける。
そして、この防壁は遠くからでも見える。
魔物からも、灰狼侯爵領の守りが堅いことは一目でわかる。
だから魔物たちは灰狼侯爵領を避け、黒熊侯爵領へ向かうようになったのだろう。
「黒熊侯の名において命ずる。灰狼の者たちよ。防壁を破壊せよ」
「ゼネルスさま!?」
「お前たちは、捨てられた者たちだ」
ゼネルスはアリシアを見据えて、告げる。
「捨てられた者たちが、どうして自分の頭で考えるのだ? 魔王が復活したときの備えだと? 余計な真似をするな!! 生意気な!!」
「魔物や魔王への対策が余計なことでしょうか?」
「ああ、余計なことだ。これまでのやり方でなんの問題もなかったのだからな。変わったことをすれば変化が起こる。変化が起これば、他領の者が迷惑する!!」
ゼネルスは地面を踏みならした。
「なにもするな。お前たちはただ、死ぬまで生きていればいい……いや、お前にはして欲しいことがひとつあったな」
「わたくしに、して欲しいこと?」
「我が子息のもとで、子供を産んでもらう」
「────!?」
アリシアが青ざめる。
両腕で自分を抱くようにして、ゼネルスから距離を取る。
「すでにお前の父には通告してあるのだがな。聞いておらぬのか? それだけでも灰狼侯爵領を裁く理由になるぞ」
ゼネルスは薄笑いを浮かべた。
「灰狼の者に価値はない。だが、アリシア=グレイウルフには商品価値がある。その血を当家に取り込めば、それなりに見栄えがする子が生まれる。政略結婚にも使えよう」
「お断りいたします!!」
アリシアは叫んだ。
「父上がわたくしにその話を伝えなかったのは、断るつもりだったからでしょう! 黒熊侯の一族の子を産めなどと……まして、その子を政略結婚の道具にするなど、受け入れられるわけがありません!!」
アリシアは嫌悪に満ちた表情でゼネルスを見返す。
そんな彼女を見ながら、ゼネルスは、
「次の灰狼侯爵は必要だ。それが我が血を引く子どもであれば、黒熊侯領は灰狼侯領に便宜をはかることもできる。民のことを思うなら、受け入れるべきではないか?」
「……便宜ですか」
「そうだ」
「それを信じろとおっしゃるのですか?」
「なにを言いたい?」
「あなたは、灰狼領の者との約束を守ったことがありますか?」
「失礼なことを言う」
「灰狼の兵士たちには、黒熊侯領に働きに出た者が多くおります。兵士として黒熊領のために戦い、深手を負った者もいました。その者たちに、約束通りの報酬を支払いましたか? 問い合わせのために父上が送った手紙に、あなたはなんと返答されましたか?」
「さぁ。なんと言ったのだろうな」
「『思い上がるな。人としてあつかってもらえると思うな』です」
アリシアは黒熊侯ゼネルスをにらみつける。
「灰狼の民にそのような言葉を投げつける人間を、信じられるわけがありません!」
「ああ……おそらくあれは行き違いだな。正せばよかろう」
「では、今すぐ、民にあのときの報酬を支払っていただけますか?」
「すぐにとはいかぬ。貴女の父上にも、そう返答したはずだが」
「…………5年前のお話ですよ?」
「そうだな。時の経つのは早いものだ。幼かった貴女が、このように美しくなったのだからな」
ゼネルスは一歩、アリシアに近づく。
護衛の兵士がアリシアを守るように前に出る。
その姿を見ながら、ゼネルスは、
「北の果ての地に、貴女のような美姫が生まれるとは意外だ。我が子にくれてやるのが惜しくなってきたな。いっそ我が子を産むつもりはないか?」
「……お断りします」
「むろん、その子には黒熊侯は継がせぬ。次期灰狼侯として、黒熊侯の下風に立ってもらう。黒熊侯爵家にすべてを捧げるよい子に育てよう。いい話ではないか」
「お断りすると申し上げたはずです!」
「『首輪』のことを忘れたか?」
ゼネルスは、王家の紋章が刻まれたペンダントを掲げる。
黒熊侯が灰狼侯の上に立つことを示す、マジックアイテムだ。
「歴代の黒熊侯は灰狼を管理することを認められている。逆らえばどうなるか、わかっているだろう?」
「わたくしを殺すのですか?」
「いいや。貴女の父、レイソン=グレイウルフを殺す」
「……あなたという人は!!」
「灰狼侯に王家への叛意あり。ゆえに『首輪』が発火し、灰狼侯を焼き尽くす。それだけのことだ」
ゼネルスは歯をむき出して、笑った。
「我が意思は王家の意思だ。それに逆らうのは、王家に反乱を起こすのも同じ。その証拠に、これらの『不死兵』は黒熊侯の命令を聞くように設定されているのだから!! さあ、黒熊侯ゼネルスの命令だ。すべての『不死兵』よ、前に出ろ!!」
ゼネルスが手を振ると、10体の『不死兵』が前進する。
その『不死兵』の肩を叩きながら、ゼネルスは、
「これは罰だ。灰狼領の者が防壁など作らなければ、私がここに来ることもなかった。貴女の16歳の誕生日まで、手を出さなかっただろう」
ペンダントを高らかに掲げて、宣言する
「だが、もう遅い! 悪いのは貴女だ! さぁ灰狼の民よ、あの防壁を破壊せよ。逆らうならば、『不死兵』が貴様たちを殺す! そしてアリシア=グレイウルフよ。父の命が惜しければ私のもとへ来るのだ!!」
南の山岳地帯に、黒熊侯ゼネルスの声が響き渡る。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
怒りに満ちた目でゼネルスを見返すアリシアも。
彼女をかばうように立つ、護衛の兵士も。
フードで髪を隠した侍女も。そのほかの兵士たちも。
アリシアは深呼吸。
余裕の笑みを浮かべるゼネルスを見据えて、告げる。
「お断りいたします」
「な、なに!?」
予想外の回答だったのだろう。
ゼネルスは目を見開き、あわてたように問い返す。
「なんだと!? 貴女は自分の言葉の意味がわかっているのか!?」
「ええ。その上でお答えしております」
アリシアはドレスの裾をつまんで、一礼。
「ゼネルス侯。あなたのご提案はきっぱりとお断りいたします。わたくしは自分の命の使い方を決めております!! 黒熊侯に身を売るつもりは毛頭ございません!!」
「よくぞ申した! アリシア=グレイウルフ!!」
ゼネルスが紋章を突き出す。
「灰狼の兵たちも聞くがよい!! アリシア=グレイウルフは我が身かわいさに、父親を捨てたのだ!! 父の命よりも、自分の身が大切だと言ったのだ!! なんという卑怯者だろうか!!」
「わたくしが卑怯だというのなら、今すぐ、この『首輪』を発火させなさい!!」
アリシアは自分の首を飾る『首輪』に触れて、告げる。
「あなたに逆らったわたくしを殺しなさい!! あなたにはその権利があるのでしょう!?」
「……それは」
「歴代の黒熊侯は『首輪』を口実に、灰狼侯の一族をおどしてきました。ですが、誰ひとりとして『首輪』を起動して、灰狼侯を焼き殺した者はいません」
「……う」
「あなたは本当に、わたくしたちを殺せるのですか?」
アリシアは怒りに満ちた表情で、ゼネルスをにらみつける。
「わたくしと父が死ねば、灰狼侯爵家は断絶します。5大侯爵家という国の体制を、黒熊侯ゼネルスが変えるのです。初代大王アルカイン陛下の決定をあなたがくつがえすのです!! その覚悟はおありですか!?」
アリシアは黒熊侯ゼネルスを指さす。
黒熊侯ゼネルスは歯噛みしながら、アリシアを見返すだけ。
「おどしには屈しません。わたくしを殺す覚悟がないなら、どうか、お帰りください」
アリシアはドレスの裾をつまんで、一礼した。
「わたくしたちは、ただ、放っておいていただきたいだけです。灰狼は黒熊に関わるつもりはないのです! どうか、このまま立ち去ってください。ゼネルス=ブラックベア侯爵!!」
「小娘が偉そうに!!」
黒熊侯ゼネルスは、叫ぶ。
「立場をわきまえよ! 身分をわきまえよ!! 私は5大侯爵家の序列3位、黒熊侯ゼネルス=ブラックベアだ!! 捨てられし土地の侯爵などに説教されるいわれはない!!」
「ならば『首輪』を発動いたしますか!?」
「そんな話はしていない! 立場をわきまえろと言っているのだ!!」
ゼネルスはペンダントを掲げた。
「ゼネルス=ブラックベアが命じる! 『不死兵』よ。灰狼の兵を攻撃せよ」
「黒熊侯!? あなたはなにを!?」
「お前も、灰狼侯レイソンも殺さぬ。代わりに、民を殺すとしよう。百人も殺せば、貴女も考えを変えるだろうよ。ああ、私が直接手を下すわけではない。手を下すのは『不死兵』だ」
10体の『不死兵』が動き出す。
その姿を見たゼネルスは、笑いながら、
「『不死兵』は間違わぬ。『不死兵』の行動を疑うことは、王家への叛逆に等しい。逆らえるならば逆らってみよ。不死の兵士に勝てるものならばな!!」
そうして『不死兵』は動き出す。
彼らは黒熊侯ゼネルスの見ている前で、槍を構え──
「ひ、ひぃっ!? なんだ!? わしは黒熊侯ゼネルス=ブラックベアだぞ!? どうしてわしに槍を向ける!?」
「「「な、なぜ、『不死兵』が我らを…………!?」」」
『不死兵』は槍の切っ先を、ゼネルスと護衛たちに突きつけたのだった。
次回、第21話は、明日の夕方くらいに更新します。




