龍の皇弟殿下に見初められようと、あやかし狩人の私がうなずけるはずもありません
月光の差しこむ夜は輪郭をみるのがせいぜいで、誰そ彼と呼ばれる夕方にはまばらにいた人もすっかり、見張りのみを残して姿を消して静まり返っている。
こんな時間にうろつくのは夜行性の獣か、よほどの急ぎの使いか、闇夜に暗躍して企みをねらう犯罪者か。
あるいはこのような魑魅魍魎、あやかしども。
放物線を描いて放たれた飛刀がもやのような形をした白灰色の塊を一閃すれば、この世の物とも思えぬ断末魔が一瞬だけ上がり、そして消えた。
そのまま勢いを弱めて手元へと帰ってきた刃には血すら付着していない。あやかしというものは総じて、殺した後にはその血肉のかけらすら残らないのだ。
人の世のみならず、獣の世の理とも異なる。およそ人間には理解できない存在だ。
「……これで全部かしら」
呟いたのはまだ十五かそこいらの顔立ちに見える少女だ。
黒髪は伸ばされているものの端がいくらか跳ねており、また彼女もそれを気にした様子はない。最も印象深いのは瞳の力強さだ。紅の瞳は煌々と燃え輝き、まごうことなき生を感じさせる。
幽鬼は常世から生まれ出ずるものだから、他と比べて対処が厄介だ。本命の任務を邪魔されては困るから、こうして定期的に駆除する必要があるけれど。
そう考えながら夜空を見れば、輝くものに目を見開く。
「あ!そろそろ帰らなきゃ」
月が抜けだしたころから大きく傾いている。このままでは尚儀局の仕事の準備がはじまってしまう。
尚儀を統べる霊羊はおっとりした女人……もとい、女妖であるが、こと仕事の面で彼女の不興をかうことは避けたかった。
とりわけ、形に未だならぬ悪鬼といえど、彼女らの同胞を屠ったあとだ。余計な穢れを祭儀に持ち込んで疑われてしまってはまずい。
人の気配が薄い細道へと足を踏み入れ、懐から銅鏡を取り出す。
「『かしこみかしこみ申し上げる。陰潜めし宵闇と陽輝きし暁光。その境を抱くもの』」
言霊と共に銅鏡は光を放つ。龍穴でもあるこの場所を鏡で照らせば、ぼぅと灯りがともり、渦を巻く。
「『我宵闇へと足踏み入れん。』」
その言葉と共に足を一歩踏み出せば、ぐらりと酩酊する感覚。相変わらず慣れることはない。
渦門をくぐった先は、これまた
大きな違いといえば空だろうか。渦をくぐる前と、城と月の方角が異なっている。
否、それどころかこちらは沈みかけているとはいえ、いまだ太陽が残っていた。
「黄昏帰りか、静麗」
聞こえてきた声に大きく顔をしかめる。
東華門から少し外れた、見張りの妖もいないはずの場所から声が聞こえてくる。
──いいえ、正確には見張りなんていなくとも順風耳と千里眼の二人がいる以上本来なら周囲をうろつくことすらできないのだ。
本来なら。
振り返れば、そこにいたのは男だ。青白銀の腰まである長髪をゆるく結えた男。凛とした白皙の顔立ちは人間離れした美しさを備えている。
顔立ちだけではない。側頭部から生えている二本の角こそが、彼が人でないことを示していた。
「颯雨」
けれども彼を認めた静麗の表情はこれ以上ないほど歪んでいる。嫌悪こそないが、厄介ごとの種が植っているのをみた心地だ。
「また来たの?っていうかお説教?」
「ここは後宮の外だ。私が出歩いていても何ら問題はない。むしろ後宮尚儀局の女官である君が、許しなく外を歩いている方が問題だろう」
嫌味のつもりで投げた言葉に正論を返されてぐっと言葉が詰まる。
はじめて出会った場所だったら問題になっていたのは彼だが、今この場での異分子は少女の方だ。
「はぁ……それはそうね。じゃあ今度また貴方が水母娘娘の皇貴妃さまの元を訪れている時に嫌味を言ってあげる」
「勘弁してくれ。義姉君の御耳に下手なことが届けば、目的を果たせなくなる。君とて、彼女らが宮内の謀に巻き込まれることは望まないだろう」
「……そうね、娘娘を傷つけた輩を放置するつもりはないわ」
表面上は同意して、内心では熱がとぐろのように渦巻くのを静麗は理解する。勘違いしないでほしいと言い訳めいたものを内心でだけ呟く。ただ、たまたま目的が同じだけよ。
それに、と男は……龍の、それも天龍の力を持つ第三公子様、颯雨はひどく真面目くさった顔をしてこちらを見据えた。
「求婚もした惚れている娘が、一人で出歩いたともなれば心配くらいする。当然だろう」
「……〜〜っ!」
背筋が急に痒くなる。
無礼だと思われるかもしれないが知ったことではない。歩み寄ってきた颯雨の後ろ側へと回り込み、その背中を勢いよく押してやる。
「な、何馬鹿なこと言ってるのよ! ほら、私は私でさっさとばれないうちに帰るんだから、あなたも持ち場に戻りなさいよ。どうせ夕議をほっぽってきたのでしょう」
「だが……」
なおも言い募ろうとした男の背中を押し続ける。反発するように足に力をかけられるが、静麗とて鍛えている方だ。
このまま押し込み、門に一歩でも足を踏み入れようものなら、妖避けのまじないをかけていたとしても千里眼たちが気づかぬはずがない。
半ば諸共と言わんばかりの勢いに根を上げたのは向こうのほうだ。
「分かった。分かった、戻るからやめてくれ。流石にここで見つかると立場がない」
「やっぱり忍んできたんじゃないの。ま、これに懲りたら惚れてるだのなんだの、妙なちょっかいはやめてちょうだい」
「……」
視線が物質的な概念を持っているならば針の筵を押し付けられるも同然だっただろう。それをあからさまに無視して、少女は背中を向けて足早に去っていく。
「静麗!」
「…………」
「また、暁霧の頃」
実に堂々たる、後宮へ忍び込む宣言をまるで無視して、少女はひとかたならぬ跳躍を見せた。
本来ならば何物の侵入をも拒み永劫と伸びる城壁が、その時ばかりは沈黙を保つ。
その内側、陰陽鏡の裏後宮へと飛び降りてから少女は小さく吐きすてた。
「ばっかじゃないの」
耳元に熱がたまっている心地になって、けれどもそんなはずがないと言い聞かせるように片手で覆った。言い聞かせるように、細心の注意を払いながらも口は言葉を紡ぎ続ける。
「あんなこと、私の正体をしれば言えるはずもないでしょうに。現龍帝の弟君、人間嫌いの龍公子様が」
──そして私だってそれを信じるわけには、受け入れるわけにはいかない。
だって私は彼らを妖狩る立場。妖狩人なのだから。
こちら後日カクヨムで長編にて投稿予定です。(なろうは時間を空けて投稿するかも)
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