第七話「定期テスト、其れは戦争 下」
―――時計の秒針が進む時間を刻む。
―――試験官が腕元の時計を見て手元の紙束を教卓に叩き付け、端を揃える。
―――風を制限するため、少ししか開けられていない窓から、鳥の囀りが聞こえる。
二日間にわたる定期テストの、一日目―――。
戦いが、ここに火蓋を落とそうとしていた。
大輔は、列の最前列だ。試験監督からテスト用紙を受け取り、後ろに回して、紙面を机の中央に、シャープペンシルと替え芯、消しゴムを机の端、それぞれ定位置に置く。
大輔は、全てを揃えて一瞬の間、目を瞑った。大輔は瞑想などを嗜むわけではなかった。しかし、勉強が得意な―――言い換えれば勉強でのみ力を発揮してきた大輔にとっては最重要であるテストを前にして、目を瞑るなどして気を落ち着かせずには居られない状況だった。
昔から、彼に比肩する生徒は一人としていなかった。
確かに、小学校の頃からクラスの中で賢い児童、というのはいるが、それは〝賢い児童〟でしかない。
賢いという表現だけでは足りない。何故か、出来る。それこそ、勉強という点においては全く、出来ないことなど無いのではないかと思わせるほどに、大輔は一つの極点に到達していた。
そんな彼が、クラスの中に〝尊敬できる人〟というものを見つけた。以前にも、彼にとってのそのような人はいた。しかし、今回こそは勉強の面で、である。
これまで、考え方で、行動の仕方で、彼の苦手分野である運動で、彼を越えて、彼の尊敬する人になった人はいた。しかし、その時まで、彼が勉強面で尊敬する人はいなかった。
しかし、その彼女もまた、彼に比肩することはなかった。
中学校に入ってからも同じだった。
勉強分野で尊敬していた彼女も、何時しか部活に傾倒するようになって勉強面では鳴りを潜めた。
そんな時に、彼は里奈と出会った。
大輔にとって、里奈という存在は、明確な分岐点となり得た。
これまで自分を越えるなどという存在は現れたことがなかった。だからこそ、越えることは未だなくとも、自分と肩を並べる、そんな存在が現れたことに大輔は驚きを隠せない。
そして同時に、嬉しくもあった。
大輔は、天性の才を授かった神童ではない。
授業を聞いてすぐに理解することのできる理解力、そして興味のある事ならば深く理解して記憶しておける記憶力。それらは確かに大輔の持つものだ。
しかし、大輔はそのような生まれ持った能力に関わらず、ずっと努力を重ねてきた。
それなのに、これまでと言えばどうしてもその抜きんでた学力で一目置かれ、彼は天才なのだ、と持て囃されるばかりだ。
自分は、努力もせずにこの学力であるわけではなく、全くの犠牲なくしてトップに座すわけではない。
それを、ただ認めてほしいだけなのだ。
だから、今回も大輔は自らの勝負場、戦場でシャープペンシルを握る。
* * *
「さて、やっと終わりましたね―――定期テストが」
定期テストの実施、返却が全て終わり、平穏さを取り戻したように見えた美術部に、もう一度騒乱の予感がもたらされた。
大輔の言葉に、最も反応したのは里奈だ。
「ほぉぉ、自分から宣戦布告とは―――余程自信があると?」
戦士のような言葉を連ねながら、里奈はパサリと、手に持っていたテストの答案用紙を扇子のように広げる。
大輔も同じようにして手に答案用紙を持っている。
「雌雄を決する時が来ました。お互い、言い訳があるならここですべて話しておきましょうか」
大輔の言葉を挑発と受け取った里奈がふっふっふ、と低い笑いを溢す。
彼我の差は存在しない。これまでに、こんな状況下での学力勝負があっただろうか、と大輔は想起する。――――――いや、なかった。
「では――――――」
二人は机の上に自らの答案用紙を並べる。
大輔の戦績は―――、
国語95点、数学93点、社会97点、理科98点、英語100点。
対する里奈の戦績は―――、
国語91点、数学93点、社会95点、理科99点、英語93点。
―――大輔の勝利だった。
大輔は表情こそ冷静を保ってはいるが、心の中では歓喜の荒しに巻き込まれながらガッツポーズをしていた。
そこでふと気づく。これまで、学力勝負で勝って、ここまで喜んだことがあっただろうか。
今日、大輔は初めて〝勝った〟と思うことが出来たのだ。
「惜ッしッ!!」
目にもとまらぬ手際の良さで眼鏡をはずし、中途半端に折りたたんで机の端において、里奈は机にばたりと倒れこむ。
倒れこむと同時に眼鏡が吹っ飛んだ、という設定なのだろう。
ここまでわざとらしい倒れ方も、初めて見た、と思いながら大輔は微笑む。
やっと、美術部にも平穏が訪れた。
「「定期テスト、お疲れー!!」」
乾杯をするにはグラスがないので、各々筆やら筆洗やら人によってはスパッタリングに利用した歯ブラシやらを掲げておー、と叫ぶ。
美術部は意外と勉強に熱心な人が多い。まあ、サーバー内ランキング一位をとった別の意味での猛者もいるが。
それだけに定期テストのテスト期間は彼ら彼女らにとって大変なものだったのだ。
定期テストは、学生にとっての戦いである。
そして、その戦いがあるからこそ終わった時の楽しみが増えるのである。