第六話「定期テスト、其れは戦争 上」
いつも、一応は平和な美術部に、戦乱の時代がやってきた。
「奴が来た」
「奴ですか……」
「奴、やなぁ」
そう、定期テストの時期である。
6月も後半に入り、もうすぐ夏休みに入る、と期待を膨らませる学生の前に立ちはだかるのは、中間テストである。
大輔らの学校で採用されているのは一学期一テスト制であり、一学期二学期のテストは中間テスト、三学期のテストは期末テストと呼ばれる。
大輔ら二年生は、一年生の時にテスト期間を経験し、その苦痛を知っていた。
テスト自体はあるはずの授業が無くなるので逆に楽なものである。しかし、それまでのテスト期間こそが、本当の苦痛なのだ。
テスト期間だから、という理由で先生側は勉強時間を報告するように生徒に義務付け、テスト期間であるという理由で親は勉強をするようにいつも以上に言ってくる。
夏休みを楽しみにする生徒たちを一度に地獄に堕としうる、テスト期間はそれだけの力を持っていた。
「さて。茶番は良いのでさっさと勉強しましょうか」
因みに、ここまでの壮大な説明は祐介と里奈によるものである。
彼らによる定期テストの苦痛についての説明を淡々と両断し、大輔は机の上に課題のワークを広げる。
「ちょっと待て、鈴木ェ……」
ハードボイルド系推理ドラマに出てくる先輩刑事を意識し語尾を気だるげに伸ばしながら、里奈はワークに手を付けようとシャーペンを手に取った大輔の手首を掴む。
軽く掴んでいるはずなのに、大輔はその手を振りほどけずにいた。
「何ですか?」
「…………俺ァもう酒飲んじまって勉強なんてしてられねぇんだ」
大輔が率直に対応してきたせいで、続きを考えていなかった里奈は少し黙ったうえで先程のキャラを継続させながら適当なことを言い出した。
そのまま、里奈は大輔がワークを広げた机の上にだらりと寝ころび、机を片手で叩きながら酒に酔った中年のまねを始める。
「おぉい、もっと酒もってこぉい……」
そう言って右に左にと体を捩らせて転がる里奈を見て、大輔ははぁ、と一息。
「どうぞ」
カタリ、と机の上に筆洗代わりに机に置かれていたガラス瓶を里奈の顔の横辺りに音を立てておく。
「へぇっ!? あ、マジでお酒出されたかと思ったぁ……」
思ったより面白い反応が返ってきた、と大輔は小さく肩を震わせる。
「はい、お望みのお酒ですので勉強してください」
大輔は肩の笑いを抑え込み、里奈にわざと冷たげに言う。
「えぇぇ……けどさぁ、まあまあ成績は良いし、いいんちゃう?」
正直言って、これまでの言動からどれだけの学力だと予想するか、と問われると失礼なことを口走ってしまいそうになるのだが……と大輔は苦悶する。
しかしまぁ、生徒会本部に推薦されるほどである。ある程度は賢いのであろう。
「どれだけですか?」
大輔は自分のテストの点数には自信があるために人の成績にもどこか興味を持っている。わざわざ比べて優越感に浸るような事はしないが、少し気になってしまうのだ。
「一年の時は数学と家庭科が4で、それ以外は全部5やったなぁ」
大輔と比べても勝利しているだろう、と予想して里奈はにやりとした笑みを浮かべながら自らの成績を宣言する。
大輔を含む周りは里奈の成績が普段の言動とは違って良い事に驚いていた。
正直言って、酒におぼれた中年の真似をし出す女子生徒が成績がいいとは決して思えないだろう。
「で? 鈴木はぁ?」
次期生徒会長候補と目され、根拠なく優等生だという噂ばかり流れている大輔だが、その実力はあまり知られていない。
里奈も大輔の具体的な成績を聞いたことはなかった。
しかし、中学生の噂なんて尾ひれがつくどころか頭が他に挿げ変わって居てもおかしくない。大輔の成績だってそこまでではないのではないか、と予想していた。
「そうですね……。多分ですが、一年の時が体育が3で、それ以外5でしたね。体育はどうしても苦手なものでして」
まさか、合計点としては自分と同等であるとは……と里奈は心中で歯を食いしばる。
因みに、この会話がなされている間、祐介と美穂は会話に入ることが出来ていなかった。
そもそも、里奈がアル中の中年の真似をし出したころから会話にはいれていないのである。
丁寧な物言いの大輔だが、ツッコミの精度はいざ知らず、ツッコミの速度に関しては一目置かれているところがある。
その大輔が里奈にツッコミを入れていくので、他二人は会話に入って行けないわけである。
「そういえば、皆さんは勉強会などしたことありますか? 最近はテスト期間になってよく聞きますが、僕は今までそのようなことをする友達がいなかったもので」
ふと、里奈にツッコむのにも疲れたのか、大輔が話題を変えようとしてそんなことを言い出す。
「したことはないけど、する予定はあるなぁ」
そう言ったのは美穂だ。美穂がそんなことを言い出すものだから、他三人の瞳の色が変わる。これは、恋愛のにおいがする―――。
「それ、相手は?」
三人とも気になっていたことを祐介が先陣を切って聞き出そうとする。
しかし、その答えはかなり簡単に引き出せた。というより、美穂もその事を三人に言いたかった節があるのかもしれない。
「普通に、シュガー君と」
全員が期待していた答えが美穂の口から紡がれ、大輔らは心の中で歓喜を上げる。
しかし、ここでにやにやと下卑た笑みを浮かべていてはいけない。それでは、傍観者として不合格である。
「それは、学校で、ですか?」
「いや、塾が同じやし、自習室で」
あぁぁ、そう言えばそうだった、と三人は心の中で唸る。
ここでの最も良い回答は「家で」だったわけだが、まあ、流石にそれは早急やもしれない、と結論付ける。
美穂と健太の恋路を見守ることを何時の間にか誓い合った三人だが、それは強引に干渉して無理やりくっつけようという話ではない。うまぁく調整して、彼らが上手くくっつくように策をこねくり回すのが必要なのだ。
ここで余り干渉しすぎてもよくないか、と彼らは判断した。
「まあ、テスト期間ですし、勉強会も必要ですね」
そう言いながら、大輔は祐介に視線を向ける。
「ところで、高橋君? 最近の進捗のほどは?」
「あぁ、最近はイベントがあって、サーバー内ランキング一位とったわ」
「いや、ゲームの話じゃなく、勉強……」
そういうことではない、とさえ言えない。
もはや、手遅れなのだ、と大輔は思った。