第五十一話「雨降り、魅せるは伝説の一端」
「――これ、晴れへんかったらどうなるんやろなぁ」
「体育祭も中止、なんかな。けど、明日からはもっと本格的に雨の予報やし……もし今日出来ひんかったら、最悪中止とか」
「そうはならんといて欲しいな……」
空を小さく見上げる美穂の眼には灰色の曇天が映る。そこに光明が差す気配はなく、このままでは今日の体育祭が延期に――ひいては中止にすらなりかねない。
不安定な天気になる、という話は聞いていた。数日前から天気予報で示されていた通りだ。しかし、それでも事前に中止することは出来なかった。出来るはずもなかった。この日のために、どれだけの人間が努力を重ねてきたか、知る人は知っている。
「里奈も、毎日死にそうな顔してたもん」
「こっちも、生徒会副会長が……あんなに疲れてるのを見たの初めてかもしれん」
美穂と健太がそれぞれ仲の良い生徒会本部役員の顔を思い出しながら彼らの努力を想う。直接生徒会本部の仕事に関わっていたわけではなく、ここのところは彼らと接触する機会も少なかった彼らだが、だからこそ本部役員の面々がどれだけ頑張ってきたのかについては知っているつもりだ。
これまでは毎日のように会って話していたのに、忙しいからとほとんど部活に顔を見せることもなく、部活終わりに一緒に下校することもできていなかった――それだけの忙しさ。
「それだけに、成功してほしいよな」
「うん、まずはこの天気から――やけど、こればっかりは運かな」
「努力は報われる、っていう言葉が本当かどうかの運やな」
*
登校中の仮カップルが話しているのとほぼ同じタイミングで、生徒会本部役員の面々は体育足の事前準備を終わらせて本部テントに集合していた。目の前の景色にはいくつものテントが並び、前半の競技で用いられる道具もすでに用意されている。ただし、それらは既に水を被り始めていた。
――曇り空からは雨が滴る。
グラウンドが湿り、引かれた白線が水を吸い込んでいた。
まだ傘なしでも歩けるほどの小雨だが、ここから雨脚が強まることがあれば、体育祭は中止になるだろう。一度崩れてしまった天候は、少しして回復したとしても既にグラウンドを水たまりだらけにしてしまうに違いない。そうなってしまえばもう、体育祭は開催できない状況になる。
「予定では生徒たちが椅子を運び込むタイミングやけど……来ぉへんな」
「ちょっと私が急かしてくるわ!!」
「待ってください、議長。生徒たちの考えていることも分かります。今外に出ても、雨で濡れるだけ。しかも体育祭が中止になれば濡れた椅子をもう一度校舎内に運びなおさなければならない……無駄になるかもしれないと思えば、予定がどうあれ動きたくはなくなります」
しかも、予定通りに生徒たちを動かす役目を担っているのは先生方だ。里奈が急かしに行くまでもなく、先生が生徒たちを促すはずだ。しかし、状況からしてそうなってはいない。先生たちもまた、今の天候を鑑みて動けない状況にあるとみて間違いないだろう。
生徒会本部役員は、聡明だ。だからこそその事実に気づき、自然とその表情が暗くなる。
「あ……雨が――」
「雨脚が、強まってきましたね」
「雷神か風神か、雨の神か知らんけど――殴りこんでくる!!」
「待ってください、議長。無理ですから」
テントの屋根にぶつかって来る雨粒の音が大きくなってくる。一気に強まった降水の勢いに景色が不透明に染まっていく。地面の白線が雨粒で滲んでいくのと同時に、これまでの努力も一緒に流れて消えてしまうような気がした。
大輔らの背後で、静かに人影が離れていくのが感ぜられた。先程からずっと、沈黙を保ってきた木村先生がこの場を離れようとしていた。大輔はその行動の意味を、知っている。
「木村先生――待ってください」
「……皆には申し訳ないけど、この雨の勢いでは――」
「お願いします……もう、あと少しだけ――待って下さい」
最終決定を下そうとする木村先生の前に、大輔が割り込んで頭を下げる。
その横に並ぶようにして、ほかの生徒会本部の役員も頭を下げた。
「私も、お願いします。これが――通り雨の可能性も、まだあるはずです」
「私も。あと十分でいいです。濡れたグラウンドは事前に用意したスポンジで掃除します……!!」
「俺からも、お願いします。みんなも体育祭の中止なんて、望んでないはずです」
四人から懇願され、木村先生は相好を崩して両手を挙げた。降参の合図だった。
それを視界の端にとらえながら、しかし大輔はまだ頭を上げなかった。それを屈辱だとは決して思わない。それもまた、誇りなのだとさえ思えた。
「あと十分、ね。先生らの説得でもしてこよかな。奇跡を一度や二度起こすくらい、神様も許してくれるやろう」
「「ありがとうございます!!」」
当然、これで体育祭が開催されることの確約が得られたわけではない。それどころか、あと十分という制限時間まで付与された。しかし、大輔は確信している。木村先生の言葉も借りるなら――、
――奇跡は起こるのだと。
必要ならば、奇跡くらい何度だって起こして見せる。
生徒会副会長であり、次期生徒会長だと目されるだけの人間ならば、その程度のことが出来なくてどうするのか。奇跡は努力の堆積でしかないのだから。
「運だって、自然だって――私たちの努力を認めてくれますよ」
――そして、その八分後。曇天に光明が差した。
*
「もしかしてですけど――すべて想定通りだったりしますか?」
「なんのことやろね、鈴木くん?」
「では失礼を承知で質問を重ねますが、『この仕込み』は木村先生のものではないんですか?」
「さあねぇ。神様が勝手にやってくれたのかもしれんし」
大輔は呆れ二割と尊敬八割で木村先生の横顔を見ていた。そして視線をグラウンドに移してみれば、そこにはほんの少し湿っているだろうか、というくらいの地面が広がっていた。当然、あれだけの雨が降ってこの程度の状態に抑えられるなど、普通に考えれば不可能だ。
ただ、グラウンドには事前に吸水性の物質が撒かれていたというだけ。雨が上がったタイミングでその物質だけを取り除けばいいというだけ。――そんな、ただそれだけ。
「それだけ、というか……」
「いいじゃないの、鈴木くん。君たちの努力が報われたということで」
「……ありがとうございます」
「んじゃ――ここからは頼んだよ。生徒会本部主催の、初めての企画やからね」
「勿論です。――これからですから」
――今度こそ、体育祭が始まる。




