INTERVAL MISSION
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暴力シーンがあります。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
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ペンリスまであと5kmというところで、ローカル・エリア・ネットワーク社の路線バスは立ち往生してしまった。
原因はいたっておそまつなもので、タイヤがパンクしたからだ。
運転手が恐縮しつつ事態を説明すると、たったひとりの乗客──つまり、あたしだ──は、怒るよりも先にあきれてしまった。
湖沼地方と呼ばれるあたりは連合が定める自然保護地域で、大昔から夏ともなれば多くの避暑客でにぎわう。そのためローカル・エリア・ネットワーク社はカンブリア地区の全路線バスを旧式車にしてレトロ調サービスに努めた。テラ暦273年現在はエアカーが普及しているからだ。
運転手の幸運は、シーズン前だったために詫びる対象がひとりだったことだ。彼は誠心誠意をこめて謝ってくれた。そのことについて、あたしはとやかく言わない。
だが、就業前点検でスペアタイヤに不備を発見し、装備から外したまま運転していたのは、ダメなやつだ。あたしが予約しなければ、走らせる必要はなかった? そうだとしても、それならそれで、代替のサービスを提供することだって可能だった。そして、パンクを修理するなりタイヤを交換しないかぎり、バスは動かない。
時間が惜しかった。
あたしの名前はエテルナ・ラバウル。地球連合宇宙軍の将校である。
なぜシーズンでもないのにあたしが湖沼地方にいたのかというと、それは、いわゆる静養のためだった。
戦傷を受けたからではない。あえていうと、不名誉の負傷だ。せっかくの休暇中にあたしは某所で建物の爆発に遭遇し、病院送りとなった。
そして、退院後は観光客のいないウィンダーミア湖畔で残りの休暇をのんびりと楽しんでいた。週末には妹のユリアが学校から直行で遊びに来てくれたので、ふたりでヨットを出したわ。彼女がまた学校へ行っているあいだは読書や映画や音楽鑑賞と体力作りに励んだ。休暇は、順調に軌道に乗っていた。
しかし……二時間前に届いた非常呼集がそれにピリオドを打ちやがった。
大至急、マン島はダグラスにある(いまにして思うとなんて地名かっっ)地球連合宇宙軍エウロパ地区本部へ出頭せよ、ときたもんだ。仕方なく、あたしはそれに応じた。
佐官クラスにお迎えを差し向けてくれるほど軍は甘くない。それでもお情けでブラックプール基地から軍用機を飛ばすと連絡があった。それであたしはバスに乗りこんだのだ。とりあえず、ブラックプールへ行くために。
あたしが最初に考えたプランはウィンダーミアから鉄道を利用してランカスターへ出て、そこからブラックプール行きに乗り換えるというものだった。しかし、これは最善策ではないことが時刻表を見たときに判明した。シーズン・オフにはランカスター行きは、なんと、半日に一本しか運行されていなかったのだ!
自然保護地域ということで、むやみやたらと空港も無し。レンタカーもオフのあいだに一斉に車検に出されたと聞いたときには、いっそカンブリア山地をつっきってセントビーズ岬へ出て、ラムジーまで泳ごうかと思った。
ドーバー海峡を泳いで渡る人間がいるのだ、多少(?)距離は長いが可能ではある。だが……全治しているとはいえ、夏と呼ぶにはまだまだ早い季節に、アイリッシュ海で水泳を堪能するほどあたしは超人ではない。
そして、気づいたのだ。カーライルからスーパーハイウェイを走ってリバプールとマンチェスター、さらにブラックプールへ行ってくれる高速バスなるものが存在しているということに!
カーライルまで行かなくても、途中のペンリスから高速バスに乗ればかなりの時間が短縮できる。これを利用しない手はない。
しかし、一つ計算が狂うと、連鎖反応のように物事の歯車が噛み合わなくなることって、やっぱりあるんだ……柄にもなくあたしは悲観した。
あと、たったの5kmだった。高速バスにはギリギリの一歩手前くらいのタイミングで間に合うはずだった!
走ろうとは思わなかった。荷物はスーツケースが一つとショルダーバッグ。それほど重くはないが、世の中にはやっていい悪あがきとそうじゃないものとがある。いまの場合は後者だ。当然、これは独善的な常識論からの判断にすぎないが。
あたしはゆっくりと舗装された道を歩いた。
運命の女神が、あたしをそう嫌ってはいないらしいとうぬぼれたのは、ほどなく聞こえてきたエンジンのうなりをそれと認識したときである。
四輪車をいまだに乗り回しているとは、いわゆる有閑人種かな?
一瞬だけあたしの脳裏をかすめたヒッチハイクという単語は、遅れて視認した車体によって完全に抹消された。
シャ・ノワール社の高級車ディアーヌ2000……最新モデルだ。これは、いい。まだ許せる。あたしが許せないのはシャ・ノワールといえば車の色は黒、というお約束を破ってその車が真っ赤っ赤に塗装されていたことだ。
あたしはディアーヌ2000を見送った。
渇しても盗泉の水は飲まず……石頭なようだが主義を捨てると次はプライドまでも、ということになるのはありがちだ。おそらくあたしは、一生、赤いスポーツカーに乗りたいとは思わないだろう。
だが、そう心に決めてものの三分とたたないうちに、あたしはおぞましいまでに妖しく麗しい、当のディアーヌ2000に乗るはめになった。
乗せてくれという意思表示をしなかったあたしの横を風のように当該車は走り抜けていった。が、すぐに停車してあろうことかバックしてきたのだ。
頼むから、単に道を訊くだけにしてくれという願いもむなしく、軽やかにウィンドゥが下がると運転席の男が言った。
「失礼だが、どちらへ向かわれるのかなお嬢さん? 若い女性の一人歩きは物騒だ。よろしければお送りしますが」
これはたぶん、ナンパと呼ばれるあれだな、と思ったのであたしは言った。
「ブラックプール」
ここでペンリスなどと言おうものなら、まちがいなく男は送ってくれてしまう。いくら女をひっかけるためとはいえ、ブラックプールまで本気で送る物好きもいまい。あたしにしては、これは穏便な断り方だ。
ところが男の応えであたしはひきつり笑いを浮かべざるをえなくなった。映画俳優のように秀逸で、それでいて洗練されたインテリジェンスを感じさせる精悍な面にいくばくかの愛嬌を含ませた笑みをのせて男は言ったのだ。
「そいつは素敵な偶然だ。俺もブラックプールへ行くところです」
「…………」
地図の上であたしはブラックプールと逆方向に歩いていた。嘘を言っていると思って男はわざとのってきたのだろうか?
常になく逡巡してしまい黙ったままで男を見つめていると、沈黙を了解と採ったらしくディアーヌ2000のトランクが開いた。
後部座席がミニマムなため、そこにスーツケースを入れろということだろうが、もしかしたら逃亡させないためなのか? いざとなったら身一つでトンズラこいてもいいんだが制服(休暇中も持ち歩く事情を察してくれ)が入っているんだよね。まずいことにいま、銃器類の持ち合わせもない。
動こうとしないあたしに代わって、男は車から降りてスーツケースをトランクに収めた。わりと、というか、思っていたように、男があたしよりも背が高いことを確認した。これは、格闘になったら不利だ。
「……ありがとう」
男がフェミニストぶりを発揮して助手席のドアまで開けたときにあたしの肚は決まった。
下心に対する警戒心は緩めずに、それでもこいつはただの親切な奴とみなしてブラックプールまで──それが無理ならせめてペンリスまで──送らせてやろうじゃないか。
ありがとうという言葉で宣戦布告したのは、これが初めてだ。
「お名前を、うかがってもいいかしら?」
走り出したスポーツカーの助手席で、あたしは訊いた。
することがないのと、まったく未知の人間の運転に対する不安感を紛らわせるためだ。バスだったら、窓外の景色を楽しめただろうに。
男の運転は無理のない加速ぶりだったが、ローからトップ・ガンに入るまでの所要時間が短すぎる。
奴は考え深げにあたしを一瞥した。なによ、人に名前を訊くときは、まず自分から名告れって? おーし、わかった、名告っちゃるっ。
「あたしは、エテルナ・ラバウル」
「ラバウル?」
姓に反応されてしまった。なに? こいつってば、ひょっとして親父と同じ業界の人間なの? まさか親父の部下じゃないわよね。だったら、あたしを知らないはずないもの。
「あたしの名前が何か?」
すまし顔で訊いてやった。男は巧みに無関心を装う。
「いや、めずらしい名前だと思って」
「そうね。同姓の有名人もいないし」
あたしの相槌には多聞の虚偽もどきを含ませた。
そんなことはない、などと言って誰かさんの名前を出したら、まずまちがいなし。こいつはエージェントだ。
「……俺はジャック・レイン。ま、ジェイと呼ぶ人間のほうが多いけどね」
ありゃりゃ、誘い水が露骨すぎて警戒されたかな? それともあたしの勘ぐりすぎか? 男は一呼吸だけ間を置いた。
「ジェイと呼んでもよくて?」
とっときの笑顔で尋ねてやった。いままでこれを使って男にノーと言わせたことはない。
ジャック・レインはあたしという存在を改めて眺めてから、まるで称賛するかのように黒い瞳を輝かせた。
「もちろん! 君のことは何と? ミス・ラバウル?」
「……エテルナでいいわ」
わずかに躊躇したのはもっと短い、もう一つの名前を思い出していたせいだ。
「エテルナ……永遠という意味だったかな」
「なに?」
男──ジェイがかすかに笑ったので、その理由を質さずにはいられなかった。どうせ、名前負けしてるとでも言いたいんだろうけどね、ふん。
「や、一度聞いたら忘れそうにない名前なのに、TVやスクリーンで君を見たことがないと思って」
「TV?」
「君、美人だから俳優かモデルなんじゃないのかい? 背丈もわりとあるし」
第三級戦闘配置レベルの口説きが始まった──あたしの直感がシグナルを出していた。搦め手もへったくれもない、安易なやり方だ。本気じゃない。
「そんな華やいだ職に就ける才能があるんだったら、いまからでもそうなりたいわね」
おそらくこの男の本質はフェミニストなんていう生易しいものではないはずだ。それを鎧って、らしくふるまうあたり、玄人だねお兄さん。
罪悪感もないままに誑しまくってきたんだろう、根拠はないが確信した。
「ちなみに現在は何を?」
「公務員」
嘘ではないはずだ!
地球連合宇宙軍は地球連合に属する惑星と衛星と、コロニーに住む人々を守り、あまねく公平にこれを助けるために存在する。
「もしかして婦警さんかな?」
交通違反点数にして十点以上の減点は免れないであろう過加速走行車輛に同乗して、何であれそれについてコメントしない警察官なんているのかねぇ。
「まさか」
つい、苦笑してしまう。ささやかな交通違反なしで完璧にエアカーの操縦ができないかぎり、そういう職業に従事する資格はないんじゃないかとあたしは思っている。
口笛なんか吹いてジェイは明るく言った。
「助かった。君がもしハイウェイ・エンジェルだったらどうしようかと一瞬、思ったんだ」
刹那、あたしの心の中にいじわるしたがりの黒猫が現れた。
苦笑を浮かべていた口元がわずかにスレットめにゆがんだのを感じる。
「それって、単に交通違反してるからだけ?」
「失礼、質問の意味がわかりかねるな」
さすがに鼻白んだものの、余裕で彼はとぼけてみせた。
くふふん、そうなの? よもや犯罪者なんじゃないのかっていう懸念は邪推なのかしら?
ま、何となく根本的に警察は苦手って人もいるんだろうけど。
「どなたかお知り合いでも、いるのかと思って」
考えようによってはヤバい意味も含む言葉だが、あたしとしては一応それでこの話題は終わったと思った。しかしジェイは、警察関係は脇へやったもののすぐに新しい推量をご披露してくれた!
「婦人警官じゃないとすると、看護師さんとか」
西暦でいう二十一世紀の末に医師や看護師などの医療職はすべて公務員とされたために、労働基準法が完全遵守されるようになり、定着率は高い。しっかし、このあたしが白衣の天使だって? 自分で笑っちゃうよ、それ。
「ぜんぜん違うけれど、そう思った理由をうかがいましょうか?」
ディアーヌ2000はすでにスーパーハイウェイへのバイパス線に入っていた。このままいくと、高速バスに乗れるかもしれない。穏便にことを運ぶにはそれなりに会話を弾ませるべきか……あまり気のりしないが、義務的に訊いた。
「いや、なんとなく? てきぱき物事を処理するタイプだろ?」
確かに、ちんたらやってるのは、好きじゃない。
「あたってるかもね。そういうあなたは、ひょっとしたらお医者さまかしら?」
「そう見えるかな」
見えないから訊いてるんだよ。
外見からすると芸能人っぽいし、車の趣味もかったるい。けど、どことなく香ってくる知性は青年実業家みたいな、底知れない野望を含んだ自信を感じさせるものだ。
「あ……」
会話を途中でうっちゃって、あたしは遠ざかる高速バスステーションを目で追った。
高速バスに乗るには、ここから専用通路を上ってスーパーハイウェイのサービスエリアへ出なければならないのだ。乗車チケットは携帯端末から買える。
「何かおもしろいものでも?」
至極当然というハンドルさばきで車をランプに乗せながら、ジェイはのほほんと尋ねやがった。
「あなた、本気でブラックプールまで、送ってくれるつもりなの?」
驚いた、というより、信じられない。
「もちろん、本気ですよ。俺もそこへ行くところだって言ったと思うけど」
「あたしは、ペンリスからバスに乗るつもりだったわ」
ちょっとだけ意外そうな顔を、ジェイはした。
「いくらなんでも、今日はじめて会った人にそんなところまで送らせるなんて、あつかましいと思うだけの分別は持ってるつもりよ?」
つまり、あんたに非はないから、その辺で降ろしてくれって意味だ。さし迫った危機感はないが、いつのさなきゃならない状況になるか、わかんないからねぇ?
ジェイはただ笑ってさらなる過加速をディアーヌ2000に強いた。
本能的にあたしはシートベルトを締める。
それを横目で見て、やっとジェイは応えた。
「自分の言葉に嘘をつくほど不誠実な男なんて、男じゃないな。俺は最初に君の行き先を訊いて送ると言ったんだから、あつかましいなんて思うわけがない!」
このときすでにペンリスのサービスエリアは視界の彼方に消し飛んじまってた。それを見送ってる余裕は、あたしにはなかった。
タイヤを転がして進む種類の車で、これほどのスピードを出したことなどあたしにはないっ!
速度無制限のスーパーハイウェイだからできることとはいえ、一般道路でこれをやって御用になったら、きっと一生涯、免停のままだね。
あーやだやだ! きっとブラックプールに着いたころにはガッチガチに肩が凝ってるわ、こりゃ。
「どうかしたのかな、黙りこくって」
さすがのあたしも、この緊張だけは隠せないってとこか。ま、むしろわざと硬くなってセーフティドライヴというのを求めていたりもするのだが。
「もしかして、あなたプロのレーサー、なんかじゃあないわよね」
仕方がないから、訊いてやった。
べつに、褒めてるわけじゃない。プロだろうとアマだろうと、馬鹿をやったら死ぬときゃ死ぬんだ。
これは先刻の婦人警官と看護師さんの仕返しのつもり。ともかくこのまま一緒にあちらの世界になんて行きたくないからねぇ、投げうる牽制球は投げまくっちゃう!
当然のってくると思ったジェイは、それには応えずに逆に訊いてきた。
「エテルナ、君、ジェットコースターとかって好きかい」
「ジェットコースターぁ?」
格別に好きってわけでも鬼門ってわけでもないが。
「ふつう、だけど」
高速走行中にジェットコースター?
一抹の不安が胸をよぎったぞ。まさか、ねぇ……?
「それは良かった♡」
しっかりハート印付きで言ってジェイは速度を緩めた。
はなはだ意外な展開だが、素直にそれを喜ぼうとした瞬間にジャック・レインは、手首を翻して──ハンドルを切るにはまだ危険なスピードが出ている──ディアーヌ2000を蛇行させやがった!
「……なにしてんのよ?」
気を取り直して訊いたとき、あたしは状況を把握しかけていた。万華鏡のように刻一刻と異なる景色を映しだすドアミラーに、燻る路面を見つけてしまったのだ。
不規則に繰り返されるターンで頭を窓とかにぶつけないよう注意しながら原因、あるいは加害者を探す。ジェイはミラーで後ろを見てはいないようだが……。
「ヘリ……」
そしてあたしは見つけた。消音型のだ。
「さっきからなんとなく、つけられてるみたいな感じはしてたんだけどね」
腹立たしいほど落ち着き払っているジェイ。
「ということは、あたしたちを狙って攻撃してるってことよね、これ?」
前を見ても後ろを見ても、この界隈をすっとばしているのは深紅のディアーヌ2000だけなのである。まちがえようのない事実だった。
幸いなことにヘリに軍や警察のマークは入ってないけど、なんともド派手に攻撃されて平然としてるなんてどういう神経よっ。こいつ、タダ者じゃない。
よっぽどそこを追及してやろうかと思ったが異常事態発生時であり、ヘリの攻撃目標があたしとジェイのどっちかもわかんないので不問にした。藪をつつくと蛇が出ちゃうからなぁ。
「や、まったく申しわけないな。助けるつもりが怖いめ、みせちゃって」
ひょいひょいと車体をくねらせながら、あっさりすぎる口調で謝られてもうれしかないわっ。ポーカー顔が板についてるなんて胡散臭いじゃないか! 怖いめ、ってのがどんなもんかなんて、人それぞれじゃん。この程度であたしがビビってるとは思いなさんなよ。
「カーラ・サヴァスティカ!」
はっきり見えてしまったヘリのドアの黒い卍のマークで、加害者が何者なのかわかった。反地球連合組織・黒卍コネクションである。
ジェイは身に覚えがあって自分が攻撃されていると思っているみたいだが、相手が黒コネとなるとあたしも、知らん顔するわけにはいかない。
「ぃたっ!」
黒卍に気をとられすぎて油断した。したたかに頭をぶつけてしまった。ジェイの視線を感じるが、あたしの様子を案ずるというよりもいぶかるようなそれだ。
あたしが黒卍を知ってちゃいけないのか? ま、怪しんでるのはあたしも同じだけど。
このジャック・レインという男は果たして黒卍コネクションの敵なのか、それとも逃亡者とか裏切り者のたぐいなのか。
「……まだ振り回すから、吐くんだったら御存分に」
内心の疑惑を口に出さないなんて、ホント喰えない野郎だわ。そんでもってあくまで表面上はフェミニストぶるのを崩さないでやんの。
「吐く? あたしが? ハ、ごじょーだんっっ」
本質そのものからのフェミニストならば我慢してくれくらい言いそうなものだ。あたしは、笑った。
「我慢は体に良くない」
「この程度なら、まだ平気よ」
「エテルナ?」
反射的な刹那の判断でハンドルを操りながらジェイはあたしを見つめる。ちゃんと前見て運転してよ?
「アクセルっ!」
踏め、という意味であたしは叫んだ。
至近距離のヘリから飛んできた対戦車用の破砕弾が落ちたのだ。爆風と煙と、道路のかけらと……もうもうたる埃靄の中をディアーヌ2000は駆け抜けた。
「覚悟しといたほうがいいわよ」
ふと可能性に気づいた。
「これだけ派手にスーパーハイウェイほじくる要因になったんだもの、いずれ公共道路管理局あたりから修復費を請求してくるんじゃない?」
「そのときはこの島中の道路を直してやるさ」
ジェイはウインクまでして請け合った。ほほぉーん、
言ったな。いざそのときになって連帯責任がどうのと言いなさんなよ。
「豪儀ね」
この男ならそれくらい苦にもしないのではと思うとなんだか冷めてしまった。いやみの一つも言いたい。
「ん?」
「でも、実際にはこの道は税金から捻出された予算で造られてるわ」
「だからどうだと?」
「納税者のひとりとしては、あんまり壊してほしくない」
新たにこいつを冷めたヤツだと認識したのはこの瞬間だった。
それはそれは、みたいなシニカルな微笑を浮かべてジャック・レインは煙草をくわえる。そして、何の躊躇もなく火をつけた。
「スピード、もう少し殺せない?」
漂ってくる紫煙を睨みながらあたしが言うと、
「あ、煙草きらい?」
それでも灰皿に押しつけるそぶりすらなくジェイはまた煙を吐き出す。
「嫌いと言っても、吸うんでしょ。それよりスピード」
「落としてもいいけど、何するんだ?」
「今日の天気に感謝することね」
あたしはシートベルトを外した。
「あっと、おシリは振っといて」
殊勝にもジェイはあたしの指示に従った。
バッグをごそごそさせてコンパクトを取り出し、保護シートとパフをとっぱらっているのを不思議そうに眺めてはいたが。
ディアーヌ2000は緩やかにイレギュラーな蛇行を繰り返す。
「灰、落ちるわよ」
注意しながらウィンドゥを全開にしてコンパクトを握った右手を車外へ突き出す。銃さえあれば、ヘリの一機くらいブチ落とすのは簡単なのだが……この際、贅沢は言わない。石っころ一個でヘリを撃墜したツワモノも大昔にはいたって話だし。
とりあえずコンパクトの鏡を使った日光の反射攻撃は功を奏した。が……。
「なぜパイロットを狙わないんだ?」
砲撃手を閉口させるに留まっている攻撃にジェイの奴はしびれを切らす。
「パイロット狙うとヘリが墜ちるじゃない。そりゃ、黒コネ野郎の一匹二匹、おっちんじまってもかまやしないけど、第三者で人死が出ると始末書を──」
っと待てよ。今回、大惨事になったとしても始末書を書くのはジェイになりそうな気がするぞ。何となく正体が見えてきた感じ。
「なんだって?」
「いいわ、やったげる!」
ジェイはどちらかというと発言内容よりはその表現に目を剥いてる様子だったのだが、あたしは気づかなかったフリをした。
わずかに手首をひねっただけで、滑らかだったヘリの動きがぎくしゃくしだす。しかしそれだけでは攻撃が再開されそうなので、適度に間を置いてパイロットと砲撃手に交互にめくらましをかましてやった。
「よく、どこに目があるかわかるな」
へろへろと退避してくヘリを横目にジェイが言った。どうでもいいことは別として、必要以上にしつこく物事を追及しない姿勢は褒めてあげよう。朗らかに応える。
「多分あたしの視力、3コンマ0か5くらいあると思う」
「そいつぁまた、まるで……」
言いかけた言葉を飲み込んでジェイはローリング走行を終わらせた。そのまま、らしくない雰囲気で黙りこむ。
「……ジェイ」
仕方ないからあたしから話しかけた。どちらも黙ったままじゃ、ろくなこと考えそうにないもの。
「あの連中、あれであきらめたと思う?」
あたしに視線をすべらせてJ氏は言った。
「いや、思えないな」
さらにらしくないことに、ジェイはアクセルを甘くして追い越し車線から走行車線にディアーヌ2000を乗り入れさせた。
「ちょっとランカスターに寄らせてもらうよ。埃まみれじゃ月の女神サマに申しわけないからな」
これはスーパーハイウェイから降りてランカスター市街に寄るってことじゃなく、サービスエリアを利用するってことだろうね、多分。特に異存はないからうなずく。当初の予定よりもずっと早くカンブリア地区から出ているんだから、洗車する時間くらいならば割いても大丈夫だ。
「どうする? ランカスターで高速バスに乗り換えるかい」
「え?」
いきなり思いもかけない言葉を聞いて、正直あたしはうろたえた。なんだか同情しているような、それでいて人を小馬鹿にするみたいな調子でジェイは言う。
「君のような普通のお嬢さんが、黒卍コネクションという極悪非道な組織の襲撃に遭遇したんだ。二度と同じめに遭いたいなんて思わないだろうな」
普通のお嬢さんがコンパクト片手に目潰し攻撃なんてするかねぇ?
案外とジェイってば、あたしが誰だかわかっててからかってんじゃないかと思ってしまう。
「実際、泣き叫んで怖がっててもおかしくない状況だ。それを勇敢にも君は切り抜けた。素晴らしい勇気だ。たとえここで安全なバスに乗り換えても、君のこと、君の勇気を俺は忘れないだろう」
こいつ……?
いったい、何が言いたいんだ? すべての迂回路をふさいで一方通行へと追い立てられてる気分。
「ただね、エテルナ。ひょっとしたら俺といたせいで奴ら、君のことを誤解したかもしれない」
「バスには乗らないわ」
なにさ。たまたまあんたの車に乗ったからってことだけであたしも狙われるって?
へっ! 上等じゃない。
あんたの仲間と誤解されたりするのは癪だし、本当にどっちが奴らの本命かわかんないから、何の罪もない高速バスの乗客を巻き込む可能性があると知っててバスに乗るほどあたしは無謀じゃないわよ!
別段、声を荒らげたわけでもないが、きっぱり言ってやったらジェイは驚いたようにあたしを見た。
端正な顔に浮かぶ意外そうな表情は、あたしを抱き込むための奴の演説のかなり初めの部分であたしが諾と言ったためだろう。
「怖く、ないのか?」
「さぁね。ただ、名前も知らない大勢の人々を道連れにするよりはあなたと一蓮托生のほうが、罪悪感なさそうじゃない?」
けっして人ひとりの命をおろそかに考えるわけではないが、これはあたしの本音だ。
「罪悪感……」
ジェイは絶句した。
あたしが思うに、彼だってあたしを巻き添えにして罪悪感を感じていないはずだ。
あたしがもっとこう、なんとゆうか、守ってあげたいタイプの女だったらこいつはあっさりとランカスターで解放するだろう。人を見る目があるといえばそうかもしれないが、単なる下心とか執着心が原因だったらお笑いかもね。
「ランカスターは赤薔薇ね」
地名から歴史上の戦争を連想して、つい言ってしまった。フッ、と華麗なまでに微笑んでジェイが応える。
「サービスエリアに置いてあったらプレゼントするよ」
よせやい! 真っ赤な薔薇の花言葉くらい、あたしだって知ってるんだぞ。
「なんでっ?」
拒絶をも含んだ語調で訊いたのに、
「女性に花を贈るのに理由なんてないだろ」
しれっと言われてしまった。
理由のないプレゼントなんて、もらうほうが困惑するじゃないか、と言ってやろうと思ったが辛うじてこらえる。そして言わなくて良かったと、少し後になってから思い直した。ランカスターのサービスエリアに花屋はなかったのだ。
並立する燃料スタンドでディアーヌ2000を洗ってもらっているあいだに少しだけ情報を得た。案の定、高速バスは路面状態の悪化による車線制限のため、遅れている。高速バスは旧式車ではないが、前をそれがちんたら走っていたら、つきあうしかない。
やはり高速バスはあてにできないことが決定したので、とりあえず化粧室へ寄った。顔や髪が何となく埃っぽいのを感じていた。長便所こいてるとジェイに思われるのはくやしいが、腰まである髪を編み、顔を洗って化粧をしなおす。
少しきついくらいに紅をひいて外に出た。
スタンドの外れの方に洗車を終えて移動しているディアーヌ2000を見つける。色としては、わりと好みの赤なんだけど、やっぱり車として乗るにはちょっと……かな。
その周囲にジェイの姿はない。車の中であたしを待っているのか?
「エテルナ・ラバウルさまでいらっしゃいますね?」
何が嫌いといって、あたしは人を待たすほどヤなことはない。相手が好きなひとなら当然だし、逆の場合は余計にだ。だからこそ早足といわれる歩調をさらに速めたのに、いきなり前方に立ちはだかられてしまった。
黒いスーツを着込んだ二人連れ。
「主人よりの言伝をお伝えします」
主人? はて? こんな妙な野郎どもをメッセンジャーとしてよこす人間に心当たりなんてないのだが。
親父かとも思ったが、それにしては見知った顔じゃないし……。
「ご同行の人物は芳しからざる風評の持ち主です。いずこなりとお望みのところまでお送りしますので、こちらの車にお乗りください、と」
「断る!」
ふたりのスーツの襟につけられた徽章に気づき、すぐさまはねつける。こいつら、黒卍コネクションじゃないか。
それがわざわざお送りするだぁ? けっ! そう言ったその主人とやらが誰だか、わかっちまったぜ。
「ラ、ラバウルさま」
身をかわして通り過ぎようとしたあたしの肩を、あわててひとりがつかむ。あえて離せとは言わずに声にドスをきかす。
「ジャック・レインを狙っているのはあいつなのね」
不本意ながらあいつがあたしの命を狙うことはまずありえないのだ。もし仮にそうだったとしても、あいつは絶対、自分自身が表に出てあたしを狙う。よって今回の標的はジェイ、ということになる。
「いいえ、あの方ではございません。ただ、あなたがご一緒だとお知りになって、わたくしどもを差し向けられたのです」
なんだって? するってぇと、あいつの助け舟なの?
んなろぉ、馬鹿にしやがって! 沈みかけた船を見捨てるネズミだっての、あたしが?
「……他人のやることに、いちいちくちばしつっこみなさんな、って言っときな!」
あたしの行動はもとより、ジェイを狙ってる誰かさんにも干渉するなってことだよっ。
それにしても、あいつがこんなふうに手を回すなんて、その誰かさんも只者じゃなさそうだね。
「いつまでつかんでンだよ、このボケナス!」
相手がひるんだところで腕をはねのけ、鳩尾にエルボーを突き入れてやった。これで一丁あがり、だ。
「あッ」
残るひとりは、そのとき既に戦意を喪失していた。
何を聞かされてこんなとこまで迎えに来たのか知らないが、ターコイズブルーの優美なソフトスーツを着込んだうら若き乙女(!)が大の男をただの一撃でダウンさせたのを目のあたりにしたショックは、大きかったようだ。
身構えるだけの余裕すら、許してやらなかった。
左足を軸にターンして反動をも利用して手刀を首筋に見舞う。この間、約2秒。
スカートがセミタイトなため足攻撃が困難な状況で男をふたり、倒す時間としてはまあまあだと自己評価する。
「部下に八つ当たりするようなご主人サマでなくって、良かったわね!」
アスファルトの上でのたうつ黒スーツに言い残してディアーヌ2000へと急いだ。単に足止めする程度にしかやっつけてないんだ。いつ復活するか、わかったもんじゃない。
「ジェイ!」
あきれたことに、彼はあたしの様子を見ながら煙草をふかしていたらしい。陽だまりの中の猫みたいに、最大限までリクライニングさせたシートに寝転びダッシュボードに足を乗っけている。
ダッシュボードに、だよっ。
「なんで助手席に座ってるの? 早く車だしてよ」
さすがにどけとは言えないからせかすと、奴めは涼しい顔でほざきやがった。
「あ、悪い。君が操縦してくれないかな」
「あたし? タイヤ転がすのって、あんまし上手くないわよ?」
ほとんど叫びながらあたしは運転席に転がり込んだ。
くやしいが、これは本当なのだ。
だが、押し問答してても埒があかないからね。後悔するのはあたしじゃない!
「だろうと思ってエアカーに設定しなおしたよ」
「えらい!」
おおよそ無礼な発言だったが気にしないことにした。
エアカー飛ばすんだったら上手いぞぉ。さーっすがシャ・ノワールの最新作高級車! 空陸両用だなんて、うれしいじゃないか。
「ベルトしたほうがいいわよ」
ショルダーバッグをジェイに押しつけるのと、シートを調節してシートベルト締めるのとを同時進行でやりながら忠告した。いいお返事なんか期待してないから、ジェイがそれに従うのを待ったりせずにエンジンをスタートさせる。
「なに、それ?」
左右を確認する際にジェイが膝に乗せているコロっとした形のケースに気がついた。なかなか頑丈そうな造りで、手提げ金庫みたいな威圧感がある。
「いいもの♪」
素直には答えない。ふーん、あっそうなの。そっちがそう出るんなら、深く追及なんかしてやらん。
ミラーの端に、例の二人連れがヨロヨロと黒塗りのリムジン型エアカーに乗り込む様が映っていた。
思いっきりアクセルを踏み込んでディアーヌ2000を発進させる。エアカーのときはペダルはアクセルとブレーキだけ。ギアの切り替えはオートマチックなのでクラッチは床に格納されるのだ。シフトレバーは車体を浮かすホバースロットルになる。
何気ない口調でジェイが言った。
「ありゃあブームスランの手下だぜ?」
「えええっ?」
急加速中に心臓に悪い言葉を口にするのはやめんか!
あたしはモロに驚き、結果として前方不注意をしてしまった。
あわててジェイのほうを向きかけていた顔を前に向けたときには、サービスエリアから車線へ出ようとしている他の車のケツが、視界いっぱいになっていた。
「っつ!」
はっきりいってあたしは何も考えなかった。何をどうするか、ということは。代わりにどうしたいか、ということは瞬時にしてひらめいた。
可能なかぎりシフトレバーを引き、アクセルを踏みつける。キックダウンを憂える暇などない。成功すれば、ディアーヌ2000は華麗に前の車を飛び越えてスーパーハイウェイに躍り出るはずだった。
しかし、あたしは失敗した。
ディアーヌ2000のホバーの加減を、見くびりすぎていたからだ。
ほぼ垂直に彼女は走った。
あえて前方噴射を強調したため、そのまま上昇角は大きくなってゆく。まったくのド素人だったら、そこでビビってシフトレバーを戻し、真正面から路面に激突していたかもしれない。
だけどあたしは、飛ぶことに関しては素人ではない!
上昇方向の強いホバーの連続で自然とディアーヌ2000は一回転していた。サマソールトというやつだ。そしてそれが完全に終わる直前に、ホバーを普通の状態にする。
タイミングを見極めたのは偶然もぎとった幸運ではなく、以前に体にたたきこんだ経験からだ。
「お見事!」
何とか無事にスーパーハイウェイに乗っかったのを確認するまでもなく、ジェイは口笛を吹いた。お見事なのはどっちだよ、まったく。
どうやったらベルトなしでナビ・シートに座ってて、トンボきったのに無傷でいられるんだ? 残念ながら決定的瞬間を見逃しちまったぜ。
「蛇がどうかしたの?」
しかし、そのことよりもジェイの発言があたしの気をひいていた。
ブームスランというのはアフリカ大陸に広く棲息している蛇の種類であると同時に、ある男のコード名だったのだ。かつては。いま、そう呼ばれていた男は黒卍コネクションの幹部のひとりだ。
多少わざとらしさを自覚しつつも、しらばっくれた質問をするとジェイはにっこし笑った。
「とぼけっこなしだぜ、エテルナ? まあ、君ほどの美女なら、あの男がモーションかけるのもわかるが」
「さっきの奴らはただのナンパよ。あなたは芳しからざる風評の持ち主なんですって?」
「ぁあ?」
「奴らが言ってたわ」
軽口をたたきつつも、あたしの中でジャック・レインは再び要注意人物の項に入れられた。
あたしもそう顔が広くないけど、ジェイみたいな男だったら多少なりと噂くらい聞きそうなもんじゃない? 仕事ぶりとか、容姿のこととか、女にチャラいこととか。
でも、実際に聞いたことはなく、それでこういう人間なんだからジェイは地球連合軍に属してるんじゃないかと思うんだ。ところがいまの口ぶりでは、あいつを敵とみなしてはいないような感じで……うまく言葉にできないけど何か繋がりがあって、遠慮? かばって? いるみたい?
それにしても、あたしがあいつと知り合いだっていう推察は鋭いのに、その根拠がふるわないなぁ。
「ふーん、自分がハンドル握ってるとスピード出しても平気なんだ」
女たらしのブームスランのことは話したくないというあたしの気持ちを酌んだのか、ジェイは話題を変える。
「エアカーの場合はね。四輪車だと時速80kmくらいで脾腹のあたりがオゾオゾくるのよ」
スピードに酔いしれ、エクスタシィを感じる以前の問題だ。もちろん、本物のそらを飛んでるあいだは不謹慎なことなど考えてられないし!
慎重なのを臆病だとそしるなら、そうしてくれてもいい。あたしは……後で悔やみたくないのだ。
律義に追いかけてくる黒リムジンをミラーで確認すると、ジェイは言った。
「少なくとも走ってるうちは何もしないんじゃないか? 彼は無傷な君に用があるみたいだし」
「あなたが無傷じゃ嫌だってぇ連中もいるでしょ」
「ヘリの奴? 案外、かばってくれたりして」
実際に黒リムジンの奴らがかばったりしたら面白くないって言ってるように聞こえるんだけど?
「あんなお使いアリさんが、そこまでしてくれるかな」
PURURURURU──♪
そのとき、コール音が聞こえてきた。
「携帯端末か?」
♪PURURURURURU──N
「あたしの、だわ。悪いけど出してくれる? バッグの中」
……PURURURURURURU──♪
「スーツケースの中でなくて良かったよ」
実に紳士的な動作でジェイはあたしのバッグを開いて携帯を出してくれた。刹那的な一瞥で銃器をチェックしたらしいが、必要以上に引っ掻き回すでなく、ライセンスにちょっかいかけるでなく(やたらと人のを見たがる奴っていない?)それなりの躾ってやつか、これ。
アクセルを踏む力を緩め、安全速度におとしてから通話モードで回線を開く。外耳に埋め込んである骨伝導端子に飛ばす設定にしてあるため、携帯を耳に当てなくても会話は可能だ。
「……あたしよ」
この端末にかけてくる相手に心当たりがあったので、あたしはわざと名前を問わない。
『ブラックプール基地のドワンス大尉です』
それでも相手は名告った。あたしの休暇に終止符を打った連絡係だ。
『ラバウル中佐、現在位置を知らせてください』
「現在位置?」
なるたけ早く行くとは言ったが、具体的に使用する交通手段とか伝えなかったから心配されたか?
「ランカスターを過ぎたところだ。もう30分もすれば着くと思う」
30分、と言ったときに偶然にもジェイと目が合ってしまった。いかにも心得た、という微笑に応えてあたしも笑む。
ここからブラックプールまで30分かけるような人間はスーパーハイウェイになんか乗っからないほうが、世のため人のためだ。
そう思うあたしがなぜ時間に余裕を持たせるのか……当然、それは黒卍コネクションともう一戦まじえるためである!
『はぁ、ずいぶんお早いですね。てっきり鉄道でおいでになるものと思いまして、本部へは今夜の最終でお送りすると伝えてあるのですが』
「それ、何時に出るの?」
『21時です』
喚きちらしたい衝動をおさえるためにあたしは大きく息を吸って、はいて、さらにとお数をかぞえた。
ちなみに現在時刻は16時14分35秒……。
『もしもし、中佐どの? もしもーし』
ドワンスの声があんまり心配そうだったので、彼にあたるのはやめてやった。
「わかった。それまで何とか暇をつぶすわ」
おそらくドワンスは、銀河の果てからのハイパーウェーヴ通信を待つような思いであたしの返事を待っていたんだと思う。低くつぶやくと、狂喜乱舞せんばかりの浮かれヴォイスでおすすめしてくれた。
『でしたら、ホテル・タレイアに一室お取りしましょうか? 食事と仮眠をとられたらいかがです? 20時30分にお迎えに参ります』
「20時30分? いいわ。じゃあその時間に迎えにきてちょうだい。ホテルはタレイアね?」
べつにエウロパ地区で五指に入るホテルにつられたわけではないが、会ったこともない人間相手に親切にしてくれるドワンスの気持ちがうれしいじゃないか。きっとひとの善さそうなおじさんなんだろうなぁ。
「携帯端末、借りてもいいかな?」
回線を切るのと同時くらいにジェイが言った。
「どうぞ」
あたしは気さくに貸してやった。とりあえず予定が決まったので気分がすっきりしているのだ。
「……俺だ」
ナンバーを呼び出して相手が出た(らしい)後、すぐにジェイはそう名告った。詐欺か? 聞くとはなしに耳に入ってしまい、心の中でつっこんでしまった。
「彼のオフィスへは何時に行けばいいんだ? ……19時、呪われろ、だ! いや、そうじゃない……ああ……そうだろうと思うな。大丈夫だ……じゃあ」
あたしもそう長通話するほうじゃないけど、ジェイのは自分の用件だけ伝えて切ってるって感じだ。ま、ひとが一生懸命エアカー飛ばしてる横で長話に、打ち興じられても面白くないけどね。
「呪われちまえ」
とうてい上品とは思えない言葉を、再びジェイはつぶやいた。
「バッグに適当に入れておいて。何か良くないことでもあった?」
オフモードにした端末を持て余してるみたいなので指示して、ついでに訊くと、ジェイは肩をすくめた。
「いや、会っても目の保養にもならないオヤジに会う予定があって、残念ながら君を深夜のデートに誘えそうもない」
「そりゃあ残念ね。あたしのほうも今夜は先約があるのよ」
たとえなくても、お誘いにはのらないってーの。その、あまり美的ではないオヤジとやらに感謝しときな。もし本当に深夜のデートに誘ったりしようものなら、ご自慢のお顔にとびきり素敵な化粧をほどこしてやったところだ。
「それなら代案として、ホテル・タレイアで夕食をどうかな? 少し早めだが、なんなら遅めのお茶でもいい」
「夕食にしましょう」
早めに食事をすればシャワーを浴びて多少の仮眠がとれるという打算の元にあたしはうなずいた。
「その前に、片づけるものはきっちりしなければ、ならないようね」
なんというか、修羅場が近づくのが感じられるのってある種の本能というか、野性なのかねぇ? ふとジェイの方をみたら三時方向から接近しつつあるヘリまで見えてしまった。しかも今度は二機!
「むこうもペアを組んだらしい」
のほほほ〜んとつぶやいてジェイは膝の上のケースを、開いた。
ちょうどトランペットが入りそうな大きさなのだがその中に入っていたのは楽器ではなく……ストロング・ビューティ社のノヴァ型ライフル銃だった。軍用のグレネードランチャーより始末が悪い。
慣れた手つきでてきぱきと組み立てているジェイにあたしは尋ねる。というか、依頼する。
「シートベルトしたまま、それ撃てない?」
手を休めずにジェイはあたしを見た。
可能か否かの返答を保留にしたままで訊く。
「なぜそうしなきゃならないんだ?」
「窓からこぼれ落ちるからよ、あなたが」
ズバリ結論から答えてやった。それだけでは釈然としないらしいので、次いで補足する。
「ずいぶんと大昔の話になるけれど、地球上のある国で造られた戦艦が戦闘機からの砲撃であっけなく沈んだわ。その戦艦は無敵のはずだったのに、空からの攻撃にはまったくといっていいくらいに無防備だったの。うえからの攻撃に対して不利なのは海も陸も大差ないと思うんだけど」
「つまり、空中戦に持ち込むと? 君が?」
「肝心かなめの砲撃手はあなた」
狙いをつける必要もないくらい、いい位置につけてあげる、なんて蛇足は心の中でつぶやくにとどめた。自分自身、意外なことにあたしは彼の腕を信頼してるらしい。感情に鞭打つまでもなく余裕の笑みが口元に浮かんでくる。
無言でジェイはシートベルトをした。暗黙の了解ということである。
ホバーの噴射方向を微妙に調整しつつ、シフトレバーを勢いよく引いてアクセルを踏みつける。ディアーヌ2000にはオーバーホールが必要になりそうだが……。
滑らかに彼女は大空へと昇っていった。
気分として戦闘機よりは旅客機を扱ってるみたいかな。エアカーで出せる最高速度で飛ばしてるけど、ハンドルがブレないのは車体に設定されているあそびと、あたしがマッハ3まで慣らしてたせいか?
「……わかったぞ」
先頭のヘリの真下にもぐりこんだときにジェイは言った。
「君は、連合航空公社のパイロットだろ」
尻尾の付根にヴァジュラ弾が二発食い込むのを見届ける前に大きくハンドルを切って離脱する。航空機のような横転がやりにくいってのは、なかなか……。
「はずれ!」
「んじゃ、アテンダント」
ジェイって、いったいなに考えてんだ?
ンなことを暢気に当ててる場合かっ。
「大はずれだ、右上っ!」
ヴァジュラを二発みまったヘリは胴と尻尾がすっぱりと離ればなれになり、黒煙を上げながら墜ちていった。それを確認しながら応えてたので索敵が後回しになってしまった。
覆いかぶさるように黒卍コネクションのヘリが降ってくる。
「こなくそッ!」
無意味なことだとわかっていながら、叫んでしまった。そのあいだに手と足はもういっぺん先刻と同じ処理をやりとげている。
ローターの外縁ぎりぎりをかすめて、ディアーヌ2000は再びトンボ返りをうった。優雅な車体でシャープな技をご披露したのだ。10.0の満点、だ。
「その口の悪さは宇宙航路とみた。宇宙飛行士か」
この男には緊張感だとか緊迫感を感じる神経がないんじゃないのか?
Gにきしむ全身を、あたしは必死に頑張らせているというのになんだってこんな、力の抜けるようなことを言う!
ジェイの声にかぶさってドーンというかドッカーンというか、ともかくなにかが爆発する音が聞こえた。
ずいぶん遠くのように耳には聞こえたが、爆風でディアーヌが揺さぶられたんだから、近くで起こったものだ。
「……どっちかってぇとディスパッチャーとか航海士みたいなものよ。中間管理職だし」
たったいまかわしたばかりのヘリが爆発したのだとわかるなり、まっとうな応えを返す気になった。それにしてもいくらかひねってあるのは、まあ、あたしの性格のせいだが。
「いい腕ね」
しかしあたしは素直にも認めてしまった。
あたしでさえ、攻撃よりは回避に思考回路を占拠されていたあの時点でトリガーが引けるなんて、どんだけ冷静なのかっ!
「そちらこそ」
ジェイのほうも、感心したように言った。
どことなく、まなざしがさっきまでと違うように感じられるのは、あたしの気のせいか?
恋愛感情(あるいは単純な好感)という大義名分を掲げながらも、そのくせどこか倦み、惹かれながらも蔑む、そんなただの男が女を見る視線だったのが……変わった。
いまのジェイのまなざしは、あたしのことを女だと思っていないらしい連中と同じものだ。女性だからとやたらかばったりせずに、あたしという人間を識ってる奴らの目。
「……残念だ」
ゆるゆるとスーパーハイウェイに戻るとジェイはすねたように、目をそらせてしまった。
「すでに公務員なんじゃ、スカウトもできない」
地球連合軍にか? おやおや。
あたしは思わずニヤリと笑った。
「スカウト」
「そう」
ジェイはあたしがつぶやいたのを質問だと思ったらしい。うなずいて応える。
「君のような優秀で美人の人材が確保できれば、俺の職場だって少しはマシになるのになぁ。でも、まったく不可能ってわけでもない。考えてみる気は、あるか?」
「そんなにひどい職場なの」
つい、つっこんでしまった。
「というか、君の度胸と腕に惚れた! できればその腕を俺の下でふるってほしい。一応の身分は公務員だ」
おーっと。とうとう白状したわね。
それきりジェイは返事を待ち受けるかのように口を閉ざし、あたしを見つめた。
「その先を言う必要はないわ」
あたしが具体的な回答を与えないかぎり何も言うまいという気構えに、あえて先回りして言葉の援軍を退けさせる。あたしの応えは決まっている。
「しまいまで聞いたが最後、知らぬ存ぜぬでは通らなくなってしまうんでしょ? だったら、聞きたくないわ」
吹き出しそうになるのを堪えているので、微妙に声が震えた。
「……そうか」
それをどう捉えたのやら、考え深げにジェイは言う。
「俺はあきらめのいい人間だと言われてるらしいが、君に関してはどういうわけだか、執着してみたくて仕方ない」
でぇ〜やめてよぉ。来る者は拒まず・去る者は追わずがプレイボーイの信条じゃないんかよ?
あたしの見たところ、ジャック・レインという男はひとりの女に深入りすることを極力避ける奴なんではないかと思うのだが。
「じゃ、なんでスカウトに応じられないのか、その理由を教えましょうか?」
公務員だろうと何だろうと、ひとまず退職してフリーになれば再就職先は選り取り見取りだ。だけどあたしは一度、選んでしまった。地球連合に属する軍隊で、宇宙を翔ける部署を。
ジェイならば本気で人事に手を回してしまいそうなので、否と言わせるつもりで思わせぶりに尋ねると、果してそのもくろみは成功した。半分だけ。
「や、いい。知りたいことは自分で調べることにしている」
そしてジェイは、不敵に(もしくは魅力的に?)笑む。
「君とはそう遠からず再会することになるだろう。だからいまは……エテルナ・ラバウルという女性に出会えたことに満足するさ。言わぬが花ってね」
「言わぬが花、ねぇ」
知らぬが仏、のまちがいじゃないの? あたしの名前だけですべてを調べ尽くすってわけ? そりゃまたご苦労なこったわ。
「そ。お互いさまにね」
あきれたのを通り越して感心しちゃうわ、まったく。
たいした自信過剰だ。あたしがジェイのことを調べると、自負してやがる。
それでも、負けずに微笑み返してやった。
地球連合情報局長の娘を、なめてもらっちゃあ困る。
「双方ともにわかっているのは名前だけ。条件は五分と五分ってことね」
いいわ。この勝負、のった!
「See you again!」
改めて宣戦布告した。
「再見」
ジェイは応えた。
そしてあたしたはちは、ホテル・タレイアで一杯のワインを添えて晩餐会を開き、別れた。
約束の時間ちょうどに、ドワンス大尉の部下が迎えに来た。5分前に、女性士官のコバルトの制服を着用し、髪を結って制帽までかぶってロビーに出ていたあたしを難無く見つけ、軍曹は一目で軍のものだとわかるエアカーに案内した。よっぽど大尉の教育がゆきとどいているのか、あきらかに年下である中佐に対して、及第点ものの接遇だ。
夜ということもあってブラックプール基地の空港は昔みたオールドムービーを思い出させる。
去ってゆく男女、見送る男……あの俳優は何という名前だったが、男のダンディズムに孤高を保つ生きざまは誰かに似てる。
「ラバウル中佐?」
ほとんど癖みたいなもので、これからあたしを乗せて飛び立つRZ−078型軍用機の外部点検をしていたら後ろから声をかけられた。ドワンスかと思って振り返って、正直あたしは驚いた。
男性士官用のネイビーブルーの制服を着ているからには男なんだろうけれど、美人なにーちゃんが後ろに立っていたのだ。
目で誰何したのを理解したらしく、足をそろえ敬礼しなから彼は言った。
「本部まで同乗させていただきます悠・レシアス中尉であります」
「エテルナ・ラバウル中佐だ」
足をそろえてあたしも応える。応えながら中尉の襟についてる徽章に気づき、また驚いた。難解なまでにデザインされたGの飾り文字……遊撃隊=独立部隊特殊作戦本部所属だって? この美人が?
地球連合の有する二つの軍隊(地球連合軍と地球連合宇宙軍)の違いは、その守備範囲が惑星やコロニーなどの大気・重力圏内か宇宙空間か、である。おおざっぱには。
しかし、地球連合宇宙軍にもその管轄外で処理しなければならない問題が突きつけられることがある。そこで活躍するのが独立部隊特殊作戦本部なのだ。
ひとくせもふたくせもある連中の集団だと聞いたことがある。
「あなた……ひとりなの?」
もしこのにーちゃんが本部から呼び出しを受けたんだったら、人は見かけによらないって言葉を信奉しちゃうね。超美形中尉どのはおだやかに首を振った。
「いえ、僕、もとい私の上官が同行いたします」
「あ、そう」
つまり直接お声がかかるほどではないが、随行を許される程度には認められている人材なわけだ。
「だったらおめぇやってみろよ!」
あたしが判断を下したとき、荒々しい叫び声がエプロンを渡って鼓膜を揺るがした。叩きつけるような靴音が近づいてくる。
「中佐どのぉ」
くっついてくるのはドワンス大尉の声のようだ。その前の叫び声も、どこかで聞いた覚えのあるような……?
「みえたようです」
不機嫌な様子でやってくる上官にひるみもせずレシアス中尉は静かに言った。
「わかったから、ぐずぐず言うんじゃねぇ!」
歯切れの良い冴えた口調……まさか?
あたしの真後ろで、足音は止まった。
「よーぉレシアス。こんなところでなぁにオンナ口説いてるんだ」
振り返って目の前の美形の上官の中佐どのとやらを見たいような、見たくないような。
迷っていると中尉が苦笑した。
「そんな言い方は中佐どのに失礼ですよ」
「中佐?」
怪訝そうなその声に応えるべく、あたしはゆっくりと体の向きを変えた。
あたしの予想は多分、当たっている。余裕で唇の端に微笑がのっかった。
「こんばんわ、ジェイ」
「エテ、ルナ?」
その日のうちに再会しちゃうんじゃあ勝負はドローだけど、先に復活しただけはあたしのほうに分があるわよね! ジャック・レイン中佐は、愕然としてあたしを見ているもの。
「あたしがあなたを知らないはずね。独立部隊と組んだこと、ないんだから」
ジェイほどネイビーブルーの制服をファッショナブルに着こなしてる軍人も珍しい。彼の襟にもGの徽章を発見してあたしはさらに目を細めた。
「まいったな……」
つぶやきながら、それでも徐々にジェイの口元もほころびだした。
「ラバウルっていうから、てっきり情報局の人間だと思ってた」
「情報局長はあたしの父よ」
レトリックとしてあたしはわらった。
根本的には親父が情報局長であることとあたしが宇宙軍の中佐であることには何ら因果関係なぞないとわかってても、ひとに吹聴することじゃないと思うからだ。
「疾きこと日輪よりも、暁なるエオス──噂には聞いていたのになぁ。道理でスカウトできないわけだ」
「そういうこと」
「だが今日みたいにまたいつか、共同戦線をはることも可能だ」
ジェイの言わんとすることがわかったので、おしまいまで彼に言わせてしまうといった野暮を、あたしは承知しなかった。
出し惜しみせずに、とっときの笑顔で応える。
「そのときは、一位指名してさしあげるから、パスはなしよ」
「もちろん!」
彼は笑いながら手を差し出した。握手のためではなく、タラップへエスコートするためだ。
あたしはしっかりと、その手を取った。
『INTERVAL MISSION』
いんたーばる・みっしょん
── 了 ──
お読みいただき、ありがとうございました。
WWWA同人N・I氏とそれぞれの書いている小説中の軍が似ていることから、お互いのキャラクターを出し合ったコラボとして作った作品です。