第55善「記憶消さないと」
「わたし、会社の中って初めて入ったかも」
「俺もだ。初めての会社見学が天界とはな」
オフィスはそれなりの広さだった。パーテーションで仕切られた机がいくつか固まってできた、いわゆる『島』が十個くらいある。椅子は一昔流行った感じのバランスボールだ。
様々な髪色のギャル天使が真剣にモニターを凝視しているのは異様な光景だった。ギャル天使達はみな真面目に仕事をしているので、堂々とオフィスを歩いても誰も俺達のことを気に留めない。
「左側が『転移課』っすよ〜」
「なんだそれ」
「異世界からの転移の要望があった時に、条件に見合う人を現世から選定するんっすよ〜」
え、勇者や魔王ってそういう人材派遣みたいなシステムで選ばれてるの。
少し気になったので、『転移課』の方へ耳を欹ててみた。すると、ギャル天使達の気の抜けるような会話が聞こえてくる。
「お、新しい転移依頼きたよ〜」
「まじ〜? どんな感じ〜?」
「『魔王募集☆ 未経験歓迎☆ 人類を殺すだけの簡単なお仕事☆ アットホームな魔界です☆』だって〜」
そんなバイトみたいな感じで求人来るのか……。
「転移期間は〜?」
「現世の時間で最長五日だって〜」
「おけまる〜。じゃあ、五日失踪してもバレない人間で検索するね〜」
もしかして、俺ってそういう観点で選ばれたの? 泣いていい?
でもその点で言えば聖母先輩や化学教師も数日失踪しても気付かれない悲しい人間だったらしい。初めて仲間意識が芽生えた。
「この人でいいんじゃね〜?」
「どれどれ〜? 『吉井善七』さんね〜。いいと思う〜魔王っぽい顔してるし」
まさかの俺が選ばれた。だから顔採用やめろって。
つか俺、また異世界に呼ばれるの? しかも魔王として?
「この人、失踪しても大丈夫な人〜?」
「大丈夫じゃね〜。友達いなそうだし〜」
それな〜。てか泣いていい〜?
「あっ、でもこの人、転移経験あるっぽいよ〜」
「別にいいんじゃね? 経験不問っぽいし」
「ちがうちがう。異世界から出禁くらってるの」
異世界から出禁くらってんの俺。
いや別にもう行きたくねーからいいけど。
「じゃあこっちの金髪の女子高生は……と思ったけど、この人も出禁だ。『お願いですからもう来ないでください。魔族一同より』だって」
誰か分かっちゃったよ。
お願いだからその人こっちの世界でも出禁にしてくれよ。
「ちょっと吉井サ〜ン。何してるんすかー」
柱の影から『転移課』の話を盗み聞きしているところ、監視天使が俺の腕を引っ張ってきた。もうちょっと聞いていたかったが、今は目的を果たすのが先だ。彼女に続いて部屋の奥へと進む。
「あれがウチの所属してる『監視課』っすよ」
入り口から数えて二本目の柱の陰に隠れ、天使はとある島を指差した。天使の後に続いて俺と委員長も柱の影へ。指差された先を盗み見る。
「あ、あれ、先輩じゃない!?」
指先にはピンク髪のギャル天使。その肩越しに見えるモニターには、見慣れた金髪シスターの姿が。聖母先輩の監視天使のようだ。
盛り盛りのピンク髪のせいで見え辛いが、聖母先輩と気の弱そうな生徒、それと対峙する不良生徒数人が見える。ピンク髪天使は何やらキーボードを叩き始めた。
「『カツアゲを阻止する』っと。送信! ふぃ〜、これで五十善達成〜。今日もおつおつ〜」
エンタキーを力強く叩くと、大きく息を吐いて伸びをする。ちょうど聖母先輩のノルマが完了したらしい。
「そっちはどーよ?」
ピンク髪はパーテーションから身を乗り出し、隣の席のミドリ髪天使のモニターを覗き込んだ。ヘッドホンをしていたミドリ髪は片耳だけ外すと、ピンク髪にもモニターが見えるように少し横に移動する。
「こっちは残り二悪だよ〜」
「どんまーい。つか、『一日七悪』とかマジ意味分かんないよね〜」
「それな〜」
ミドリ髪天使は化学教師の担当のようだ。
「その人、今日はどんな悪行したの〜?」
「教室の扉に黒板消し挟んだり、女生徒のスカートめくりしたり……」
小学生のイタズラかな?
「あと何故かオムツ履いてた。マジで意味わかんね〜」
それな〜。
「それと教室で寝てる金髪の男子生徒がいたんだけど、その人の顔に落書きしてた〜」
「なにそれウケる〜。その子が寝てる間にエッチなイタズラしてなかった〜?」
横にいる委員長の肩がピクリと動いた気がした。
「あ〜、なんか、こっそりパンツ脱がせてたな〜」
え、寝ている間にナニされたの俺? うわ、委員長から禍々しいオーラが出始めた。怖い。顔が見れない。
「えぇ〜。それでそれで?」
「オムツ履かせてた〜」
「は?」
は?
慌ててベルトを緩めて下半身を確認。
オムツ履いてる。
え、俺、オムツ履いてる。
「吉井くん、見られたの? え? 見られたの?」
「す、すまん……」
あまりの圧に思わず謝ってしまったけど、俺悪くないよな?
委員長は顔をこちらに顔を向けず、じぃぃぃぃぃぃと一点を見つめ続けている。おそらくモニターの向こうの化学教師だ。髪がかかっていて委員長の顔は横顔すらも見えない。が、見てはいけないような気がした。何かブツブツ言っているので耳を向けてみる。
「記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと記憶消さないと」
……うん。聞かなかったことにしよう。
「はぁ〜、早く『一日七悪』のノルマ終わらせてくれないかな〜」
「ずっと監視してるの大変だよね〜」
「それな〜。でもアンタの担当、優秀だよね〜。一日五十善もしてるのに」
「ね〜。ラッキーだわ〜。でも前任者が立て続けに二人も辞めたんだよね〜」
「え、なんで?」
「知らね〜。なんか、見てはいけないモノを見ちゃって病んじゃったらしい〜」
「なにそれ怖〜」
映ってるよ! その見てはいけないモノが今モニターに映ってるよ! ちゃんと見て!
ダメだ。ピンク髪は化学教師のモニターに夢中で、自分のモニターに映り出される虐殺ショーに全く気が付いていない。ちなみに俺は事の顛末を目撃してしまった。先輩がカツアゲされていた生徒を逃すなり、不良生徒を虐殺し始めたのだ。こんなの毎日見てたらそら精神病むわ。
「んじゃ、あーし上がるわ〜。おつまる〜」
「おつまる〜」
グロ映像には一向に気が付く様子を見せず、ピンク髪はそのまま席を立った。さすがガバガバセキュリティ。パソコン点けっぱなしだ。こちらに歩いて来たので、俺達はさっと柱に身を隠す。
「今帰った人のパソコンを借りるっす!」
いよいよここからが本番だ。
「委員長はここで見張っててくれ」
「わ、わかった!」
ピンク髪がオフィスから出て行くのを確認すると、委員長を残して俺と天使は柱の影から移動する。抜き足差し足でピンク髪のデスクへ。隣のミドリ髪はヘッドホンをしてモニターに集中しているので、こちらに全く気が付く様子がない。
「一旦この人のアカウントからログアウトして、ウチのアカウントで入り直すっす」
「ちょっと待て」
「なんすか?」
ふふふ。こんな絶好の機会、逃すワケがないだろう。今、聖母先輩を監視しているパソコンが目の前にあるのだ。
画面中央のウィンドウには、先輩を斜め上から捉える映像が映し出されている。虐殺を終えた先輩は(もちろん不良の蘇生をしたうえで)上機嫌で廊下を歩いていた。
「ちょ、吉井サン!」
小声で叱責する天使を無視し、俺はマウスを手にする。映像のウィンドウを横に移動させると、その下に目的のアイコンがあった。
『天罰.exe』。これだ。躊躇うことなくダブルクリック。新しいウィンドウが開かれ、1から5の数字が並ぶボタンが表示される。
まぁ俺も悪魔じゃない。レベル1の罰で許してやろう。ポチッとな。ボタンを押した直後、画面の向こうの先輩は途端に手を抑えて悶え始めた。
「くく、くくくく」
「吉井サン……あなたって人は……」
監視用の端末としては、スマホよりもパソコンの方が多機能なようだ。スマホには無かった機能がいくつかある。
『デザイン.exe』というものを発見。開いてみると、どうやら刻印の見た目・場所を編集するお絵かきソフトみたいな物のようだった。刻印の見た目はテンプレートからも選ぶこともできるし、手書きもできる。俺の七芒星もテンプレートの中にあった。
よし、先輩の刻印を手書きのウンコマークにするか。表示する場所は額にしてあげよう。ウキウキと丁寧にウンコを描いていた時だった。
「ヒィ!?」
天使の小さな悲鳴が聞こえてきた。もしかして潜入がバレたか!? と思って天使の顔を見るが、そうではないようだ。モニターを見据えてガタガタと震えている。何事だろうと、聖母先輩の監視映像へ視線を戻す。
先輩が、こっちを見ていた。
口元は満面の笑みで。可愛らしく小首を傾げて。しかし、瞳孔は開いて。
こわっ。ガチギレしてる顔だコレ。
慌てて天罰を終わらせようとするが、恐怖ゆえ手が震えてしまって、別のアイコンをクリックしてしまった。しかも震えのせいでダブルクリックしちゃった。危な。クリックがあと数センチずれていたら、『さもなくば家族・友人もろとも死』を押すところだった。
クリックしたのは、『召還.exe』。なにこれ。おや、画面の中の先輩の姿が消えているぞ?
「あ……」
絶望に染まったような天使の声。
背後に禍々しい気配を感じる。
恐る恐る振り返る。
先輩が、いた。
「うふ、うふふ」
なるほど、召還って天界に呼び寄せるってことなのね。
聡明な先輩のことだ。恐らく場所と状況を即刻把握したのだろう。満面の笑みの、しかし瞳孔が開き切った先輩の顔が近づいてきて、そっと耳打ち。
「今、ここでは何もしません。……ですが、考えておいてくださいね?」
何を?
「いらない骨を、考えておいてくださいね?」
人体には、いらない骨なんてないんダヨ?




