第53善「侵入しましょう!」
「吉井さん、今までありがとうございました……」
「吉井、最後にラーメンおごってやるよ……」
俺の死が決定し、車内はお通夜モードである。
しかし委員長だけはまだ諦めていない様子。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ諦めるのは早いですよ!」
「何か策があるのか!?」
彼女は小さく頷き、視線を監視天使へと向ける。
「天使ちゃん、さっき言ってたよね? 天界ではパソコン使ってるって」
「はいっす」
「そうか! 天界に行けば監視用のパソコンがあるのか! よし、天使! 行くぞ!」
さすが委員長。妙案だ。が、天使は顔を曇らせる。
「今、ウチのPC故障中なんっすよね。その……ネットからMOD落としたらウィルスに感染した的な……」
仕事用のPCで遊んでんじゃねぇよ!
「他にも同僚?の天使さんがいるんだよね? その人達に借りれないかな?」
「セキュリティ的なアレでPCの貸し借りは禁止されてるっす」
仕事用のPCでゲームしてる奴がセキュリティとか言ってんじゃねぇよ。
「そもそも、実はウチ、天界出禁中なんっすよ……。上司のお許しが出るまで出勤できないんっす」
「はぁ!?」
聞くところによると、仕事をサボり過ぎたせいで天界に来るな、現地で仕事しろ、と言われているらしい。
「え、詰んだ?」
「詰んでるっすね……」
「吉井、チャーハンとギョーザも食べていいぞ……」
「吉井さん、遺骨はわたくしが頂きますね……」
遺骨やらねーよ。燃やしてくれよ。
「皆さん、まだ諦めないでください!」
委員長……。
俺でさえ諦めつつあるのに、彼女の目はまだ死んでいない。
「だけど委員長ちゃん。実際問題どうするんだ? 何か他に案があるのか?」
「……あるといえば、あります。先輩、念話できませんか?」
《はい。いいですよ》
聖母先輩の声が直接脳内に反響する。運転手を除き、この場にいる全員が聖母先輩を媒介して繋がったようだ。
《天使さんも参加していいんですよね?》
《はい》
《吉井さんも?》
《大丈夫です》
ナチュラルに仲間外れにしようとしないでくれる?
《念話というのは……先生や聖母の《監視天使》に会話を聞かれないようにするためか?》
こくり、と委員長は小さく頷く。
天使に知られたくない会話。一体なんだろうか。
俺達は委員長の言葉を待つが、彼女はどことなく緊張していて、言葉にするのを逡巡しているようだった。しかし意を決したような顔を見せると、脳内で力強く宣言する。
《侵入しましょう! 天界に!》
言葉の意味がすぐに飲み込めず、俺たち全員ポカンと間抜けな顔を並べてしまう。意図が伝わっていないと思ったのか、委員長は補足する言葉を付け足してきた。
《バレないように忍び込むんです。天界に。そして、他の天使さんのパソコンを勝手にいじっちゃいましょう!》
天界に、忍び込む。
先ほどは流してしまったが、天使は『皆さんも今度(天界に)招待してあげるっすよー!』と言っていた。つまり、俺達も天界に入る術があるということだ。
《ちょ、ちょっと待ってくださいっす! 天界は神様とか天使の住処っすよ!? 勝手に入ったらヤバイですって!》
《でも、このままだと吉井くんが死んじゃう!》
委員長は縋るような目を魔王二人に向ける。
《天界に侵入か。また大きく出たな。ククク、楽しそうじゃないか》
《えぇ。勝手に覗き見されてムカついてましたし。やっちゃいましょう》
魔王二人はノリノリである。
逆・銀行強盗といい誘拐といい天界に侵入といい、なんか俺ら犯罪しまくってない? いや天界への侵入は犯罪にカウントされないか?
《あ、先生と先輩は来ちゃダメですよ? 監視されてるんですし》
《《そんなぁ……》》
*****
場所は変わって化学室。
俺達は天界侵入の具体的な作戦を練っていた。
《では作戦のおさらいです》
脳内に響く委員長の声。
左手の痛みから意識を遠ざけるべく、彼女の心地良い声に集中する。
《天使ちゃんの情報によると、監視天使さん達には一人一つパソコンが与えられてます》
天使はコクコクと頷く。
《監視天使さん達は、自分の仕事が終わる、つまり監視対象者のミッションが完了すると、パソコンはそのままにして帰宅するそうです。我々はその空いたパソコンを狙います》
《わたくしと先生はできるだけ早く自分のノルマを終わらせて、自分達の監視天使を早く帰らせればいいということですね》
《そうです》
《ククク。任せろ。今すぐビールを七本空けてやるわ》
若干魔王モードになりつつある化学教師。準備室へ駆け込むと、腕一杯にビール缶を持って戻って来た。この人これから仕事じゃないのか。
《先輩達のノルマ達成の時間を考慮して……決行は今日の放課後にしましょう》
《待て、それまで俺の手はこのままか?》
左手の指は逆方向に絶賛折れ曲がり中だ。
かなり踏ん張っているが、元勇者の俺でも中々堪え難い痛みだった。先程から脂汗が止まらない。
「我慢できなそう?」
「放課後までは……ちょっとしんどいな……」
瞳に哀れみの色を浮かべながら、委員長は俺の折れ曲がった指を優しく撫でる。
「先輩、吉井くんを魔法で眠らせてあげられないですか? 麻酔みたいな感じで」
「できますよ。催眠魔法と催眠物理、どちらがいいですか?」
魔法に決まってんだろ。なんだよ催眠物理って。それ殴って気絶させるだけだろ。
「ククク。それともビール飲むか? 酔って寝てしまえ」
生徒に酒を勧めるんじゃない。
だが、酒を飲めば感覚が鈍って痛みも和らぐかもしれない。そう思って手を伸ばそうとしたが、委員長に叩かれてしまった。
「じゃあ吉井くん、放課後まで眠っててね。授業は欠席になっちゃうけど……」
「仕方ないな!」
「嬉しそうにしないで。ノート、取っておいてあげるからね」
「あ、それならウチが吉井さんの代わりに授業受けときましょうか? どうせ暇っすし」
「は? 変身でもできるのか?」
その通り、とドヤ顔で言うと、監視天使は椅子から立ち上がりバレリーナよろしくクルリと一回転。するとあら不思議。目の前に金髪・強面・高身長の恐ろしいヤンキーが現れる。あ、俺だったわ。
「どっすか? どっすか?」
「凄い、吉井さんが二人も」
「全く見分けつかん。声も同じだな」
自分がもう一人いる。なんだか気色が悪い。
「ふっふっふ〜。凄いっすよね〜? 凄いっすよね〜? もっと褒め称えてもらっていいっすよ〜?」
「少なくとも俺はそんなアホっぽい喋り方じゃねぇ」
「いや……こんなもんじゃないか?」
え。うそ。俺ってこんなバカっぽい喋り方なの。なんかちょっとショック。
もう一人の俺の出来栄えに魔王二人は感嘆している。しかし、首を傾げる者が約一名。
「委員長さん? どうかしました?」
「う〜ん、なんか、ちょっと違和感が……」
しげしげと観察し、俺と偽俺を交互に見比べる委員長。
「天使ちゃん、眉毛の角度を5ミリ上げてもらえる?」
「え? こうっすか?」
「うん。あと、背筋を8度くらい傾けて少し猫背気味に。そうそう、そんな感じ。あとは眉間に皺を寄せて……。あ、体重を500グラムくらい増やしてもらえる?」
「細かっ! 誰も違い分かんないっすよ! てかなんで見ただけで体重まで分かるんすか! 怖っ!」
「そうですよ、誰も委員長さんほど吉井さんに興味無いですって」
「そ、そういうわけじゃ……」
「そうだぞ。金髪・強面・高身長だけ再現できれば誰も違いなんか分からん」
さらっと酷いこと言うなよ。もっと俺に興味持ってくれよ。
委員長による細かい微調整を行い、外見的には俺と寸分違わぬ分身が出来上がった。
「それじゃ吉井サン、学校生活はウチに任せてくださいっす〜!」
「頼むから変なことは仕出かすなよ?」
「大丈夫っす! 吉井サンはクラスで喋る相手なんていないっすもんね〜? バレようが無いっすよ!」
「吉井さん……」
「吉井……」
泣いていい?
「せ、先生。準備室で吉井くんを休ませてあげてもらえませんか?」
「ククク。いいぞ。だが寝ている間にエッチなイタズラしちゃうかもしれ——ウソウソ! 冗談冗談! そんな怖い顔しないで!」
どんな顔をしているのか角度的に見えないが、化学教師の魔王モードが解除される程度には恐ろしいらしい。
「じゃ、先輩。催眠魔法の方でよろしくッス」
「はい。お休みなさい♪ ——《催眠物理》!」
この人日本語通じないのかな?
しかし反論する間も無く後頭部に強烈な衝撃が走って、俺の意識は一瞬で吹き飛んだのだった。
*****
「——吉井くん! 吉井くん!」
頬をペチペチと叩かれ目が覚めた。瞼を開けると、委員長の心配そうな顔が視界に入り込む。そうか、化学準備室で寝ていたんだったな。もう放課後なのか。
上体をのっそりと起き上がらせた直後、強烈な痛みが左手を襲ってきた。
「ぐっ……」
「大丈夫?」
「あぁ。ギリギリ耐えられる痛みだ」
「そうじゃなくて、頭」
「……頭?」
そういえば『睡眠物理』とかいう悪魔の技を喰らったのだったな。俺の背後に回り込んで後頭部を確認すると、委員長はホッと胸を撫で下ろした。
「良かった。元に戻ってる」
俺の頭どうなってたの?
「それより顔洗ってきたら?」
「いや、別に大丈夫」
「顔洗ってきて!」
俺の顔どうなってんの?
顔を洗わずとも手の痛みで目はすっかり醒めているのだが、委員長がやけに勧めてくるので、化学室特有のやたら勢いの強い水道で顔を洗う。すると、何やら黒い墨のようなものが流れ落ちてきた。驚いて委員長を見ると、
「先生が吉井くんの顔に落書きして……悪行なんだって」
と気まずそうに目を逸らされる。クソ教師め。
「それで、あの天使は?」
「それが……」
言い淀む委員長。その視線が隣の化学室の方へ向けられる。それで気が付いたが、隣がやけに騒がしい。不審に思い、化学室へと続く扉を少しだけ開けて様子を窺ってみる。
そこにいたのは、机に踏ん反り返って座る俺。いや、偽物の俺。変身した天使だ。
そしてなぜか、その周りには数人の女生徒が。同じクラスの女子だろう。偽俺に擦り寄るように体を預けている。まさに侍らす、と言った感じだった。
耳を澄ますと、女生徒達の猫なで声が聞こえてくる。
「やぁ〜ん、吉井君すてき〜」
「ハハハ、そうかい? キミの美しさには敵わないよ、子猫ちゃん」
「吉井君、今度二人でデートしよ〜?」
「まったく、困った子猫ちゃんだ。ボクは子猫ちゃん皆んなのモノだよ?」
……え。何これ。
なんで俺がモテモテになってるの? 今日一日で何があったんだよ。つか何だよそのキザなキャラ。
聖母先輩と化学教師は、一歩離れた所でその光景を呆然と眺めている。委員長に説明を求めるが、
「いやぁ、ははは」
と苦笑いされるだけだった。マジで何があったんだ。
すると俺の視線に気が付いたのか、天使の目が一瞬だけこちらに向けられた。
「子猫ちゃん達、ちょっと失礼するよ」
華麗に立ち上がると、軽やかなステップでこちらへと向かって来る偽物の俺。女生徒の視線も釣られてこちらに向けられたので、俺と委員長はさっと身を隠した。
「え〜、吉井君、行っちゃやだ〜」
「我儘はいけないよ子猫ちゃん。少しばかり待ってておくれよ子猫ちゃん」
子猫子猫うるせーわ。
子猫ちゃん達の制止を振り切ると、偽俺は準備室の中へ軽やかに入ってきた。扉を閉めるなり、委員長に向けてウィンクを飛ばしてくる。
「おや、こんな所に迷える子猫ちゃんが」
「やめて。吉井くんそんなんじゃないから。元の姿に戻って」
偽俺から差し出された手を払いのける委員長。
「やれやれ、困った子猫——」
「戻って」
「……はいっす」
彼女の圧に負け、偽俺はクルリとその場で一回転。一瞬にして元の銀髪少女の姿へと戻った。
「お前、あれは何だ?」
元の姿に戻るなり、監視天使は困ったようにはにかむ。
「いやぁ〜、なんか人気者になっちゃったっす」
「天使ちゃん、自分で何したか分かってる?」
「……はいっす」
「ちゃんと反省してる?」
「……はいっす」
委員長はいつになくお怒りモードだ。俺が人気者になるのがそんなに良くないことなの……?
「つか、一体何したらああなるんだよ?」
「その……ちょっとだけ魅了の魔法を使っちゃった、的な」
なるほど。誘拐犯たちを嗾けた時のように、俺の姿を魅了的に見せたワケか。
「お前なぁ……」
「言ってやりなよ吉井くん」
「良くやった」
「吉井くん?」
なんか知らんが寝て起きたらモテモテになってた。全男子憧れの状況じゃないか。今日から俺のモテモテハーレム学園編が始まるのだ!
「ちょっ、吉井くん! どこ行くの!?」
決まってる。子猫ちゃん達のもとへ戻るのだ。意気揚々と床を蹴り、はやる気持ちで化学室へと続く扉を開ける。
すると、子猫ちゃん達は出待ちのようにスタンバっていた。俺は両手を広げて彼女達を迎え入れる準備をする。優しい微笑みを添えて。
「おう、子猫ども。待たせたな」
返ってくるのは黄色い歓声——ではなく、戸惑いの声だった。
「吉井……君?」
「なんかさっきと違くない?」
「なんで手の指折れてるの? 怖っ」
おや、子猫ちゃん達の様子が?
俺に擦り寄って来るどころか、ジリジリと後退りして距離を取られてしまう。
「えっ、待って。冷静に考えたら、何で吉井君なんか好きになってたんだろ」
「よく見たらめっちゃ顔怖い」
「ってか子猫ちゃんって(笑)」
どうやら夢から覚めてしまったらしい。
そうして、一気に冷めた表情となった子猫ちゃん達は、『子猫ちゃんw 子猫ちゃんwww』とクスクス笑いながら走り去ってしまった。
「……」
両手を広げたまま残される俺。聖母先輩と化学教師が哀れみの目を向けてくる。
「まぁ……先生は普段の吉井の方が良いと思うぞ?」
「えぇ。モテモテの吉井さんなんて気色悪いですしね」
「子猫ちゃん達……」
「その呼び方やめろ」
「折りますよ?」
本当に腕をへし折ってくるなんて、まったく困った子猫ちゃんだゼ☆




