第5善「パンツで許してくれませんか?」
まずい。非常にまずい。
結局ニ善しか達成できぬまま、あっという間に放課後を迎えてしまった。
このペースのままでは初日でいきなりミッション失敗。死だ。
しかしこれまでの経験から、善行認定される条件に関して一つの仮説を立てることができた。
『善行認定には感謝が必要』
思い返してみると、米を運んでやった老婆も、ナンパから救ってやった委員長も、お礼を言われたタイミングで七芒星が反応した覚えがあるのだ。
仮にそれが本当だとしたら、人知れず行うような善行、例えばゴミ拾いは無駄な行為ということになる。無駄な善行はせずコスパ良くノルマ達成したい。今後は落ちているゴミは無視することにしよう。
決意を新たに廊下を歩んでいると、目の前の女子生徒がハンカチを落としたのが目に入った。ゴミは無視することに決めたが、落し物を見逃す手は無い。
素早く拾い上げ、落とし主の背中に声をかける。できるだけ優しく、気さくに。友達に話しかけるように。
「おい、お前。ちょっと止まれよ」
そうだ俺、友達いなかったわ。
まぁいい。呼び止められればそれでいい。女子生徒は雷が落ちたかのようにピシャリとその場に硬直すると、錆び付いたドアの如くぎこちない動きで振り返ってきた。
「ななな、なんでしょうか……?」
背の低い少女。たぶん一年生だ。顔を真っ青にし、猛獣でも見るかのような目で俺の顔を見上げてくる。
「これ落としたぞ」
「えっ、あっ、はい」
ハンカチを渡しながら手の甲を確認。しかし七芒星に変化は見られない。やはり感謝されないと善行としてカウントされないか。
「なぁ、なんか言う事あるんじゃねぇのか?」
「ひぃ!? す、すみませんでした!?」
なぜだ。感謝されるどころか謝罪されてしまった。
「俺は謝って欲しいんじゃないんだ。他に出すもんがあるだろ?」
そう、感謝の言葉をな。
「ええっと……」
「か? か? か〜?」
「カネ、ですか……?」
なんでそうなるんだ。
「金が欲しいワケじゃねーよ」
「ひぃっ! お、お金じゃなくて別の物が欲しいと……?」
「そうだな」
そうそう。感謝とかな。
「ええっと……」
「か? か? か〜?」
「カラダ、ですか……?」
なんでそうなるんだ。
俺が善行の対価にカネやカラダを要求するような男に見えるのだろうか。見えるのだろうなぁ。
「そうじゃねーって」
「じゃあ何が目的なんですか〜!? ハンカチ拾って何するつもりだったんですか〜!?」
「別に。ただ善行しようと思っただけだ」
「性交を!?」
耳わりーのかな?
「ちげーよ。善行だ。良い事しようとしたんだ」
「イイコト!?」
なんでカタコトなの? 帰国子女とかなのかな?
「やっぱりカラダが目的なんですね!?」
「だからちげーって。普通に感謝してくれればそれでいいんだよ」
「カラダで感謝ってことですかっ!?」
「ちげーよ。普通に口でしろよ」
ありがとう。そう言ってくれるだけでいいのだ。
「お口で!?」
わざわざ『お』を付けるなんて。お上品な子なんだな。
「お口で感謝するってことですか!?」
それを言うなら『感謝を口にする』だと思うんだけど。
やはり帰国子女で日本語に慣れてないのか。
「…………あの、私、したこと無いんですが」
は? 感謝をしたことが無いと言うのか?
あれか? お嬢様なのか? ありえる。お上品に『お口』って言ってるし。何かやってもらうことが当然と思ってるお嬢様なんだきっと。
「家族にもしたことねーのか?」
「家族!? したことあったらおかしいですよ!」
おまっ……。家族にはちゃんと感謝の言葉を伝えろよ。
「まじかよ。俺でさえするのに」
「せ、先輩もするんですか!?」
当たり前だろ。俺をなんだと思ってるんだよ。
「お、女の子に、ってことですよね?」
「男にもするが」
「おおお男の子に!?」
「あ? 男の子だけじゃねーよ。オッサンだろーが爺さんだろーが普通にするぞ?」
「!?!?」
俺は男女差別も年齢差別もしない。老若男女等しく感謝できる人間なのだ。
「あ、あの……。私には無理です……。先輩が嫌とかじゃなくて……むしろ見た目的にはちょっとタイプなんですが……はじめては大切な人としたいんです!」
だったら親にしてやれよ。
「なので……なので……」
瞳いっぱいに涙を浮かべる少女。震える手で、ゆっくりと制服のスカートをたくし上げる。
「ど、どうか、パンツで許してくれませんか?」
なんでパンツ見せてくるんだよ。感謝するぐらいならパンツ見せた方がマシだと言うのか? どんだけ感謝したくないんだよ。
つか誰かにこの光景を見られたらマズイぞ。(見た目)不良少年とパンツを曝け出すか弱い少女。状況だけ見れば俺が百パー悪者だ。誰かに見られる前に立ち去ろ——
「ちょ、ちょっと吉井くん!? なにしてるの!?」
くそ! 通りすがりの委員長が!
「こ、これどういう状況!?」
「あー、なんかハンカチ拾ったらパンツ見せられた」
「なにがどうなったらそうなるの!?」
こっちが聞きてーよ。
「私は、パンツで許してもらおうと思ってまして〜〜!」
「許す? なにを?」
「ハンカチ拾った礼としてカラダを要求されたんです〜〜!」
「吉井くん!?」
「そんなことしてねーって」
「だ、だよね。吉井くんそんなことする人じゃないよね」
「お口で感謝しろって……」
「吉井くん、そんなこと言ってないんだよね? 誤解されてるだけだよね?」
「それは言ったわ」
「吉井くん!?」
正確には『感謝を口に』だけどな。
「ほ、ほんとに、お、お、お口で感謝するように要求したの?」
委員長もお嬢様だったのか?
「まぁな」
「最低っ! 見損なったよ吉井くん!」
感謝の要求をしただけで何でそこまで言われるんだ。
「落し物拾ったんだぞ? お礼を要求するくらい別にフツーだろ?」
「よ、吉井くんがそんな人だったなんて思わなかった……」
なんだろう。どんどん俺の評価が落ちていっているような。
「……あ、あの、吉井くん」
顔を赤らめ、逡巡するような素振りを見せる委員長。
ややあって、震える唇で、消え入りそうな言葉を呟いた。
「……わ、わたしが、代わりに……その、する、から……その子は許しあげて?」
委員長が代わりに感謝してくれると?
「そ、そんな! 先輩!」
「いいの。わたしは大丈夫だから。……よ、吉井くんは、それでもいい?」
「あぁ。シてくれるなら俺は誰でも構わんぞ」
「最っ低……」
なんだろう。俺の評価が地の底な気がする。
「い、言っておくけど。この子だけじゃなくて、他の子にもそういう要求しちゃダメだからね?」
他の人間には善行するなと言うのか?
「別にいいけど、その代わり委員長が一日七回シてくれよ?」
「七回も!? そんなに!?」
な。一日七回も善行するなんて絶対体に悪いよな。
「今日は残り五回だ」
「なんなの!? ノルマでもあるの!?」
そうなの。あるの。達成しないと死んじゃうの。
「んじゃ、とっととしてくれ」
「ここで!? 廊下でしろって言うの!?」
感謝するのに場所を選ぶのか?
「ここじゃマズイのか?」
「まずいに決まってるでしょ! 誰か来たらどうするの!?」
「あ? 誰かに見られたら困るっていうのかよ?」
「当たり前でしょ!?」
俺ごときに感謝する場面を見られたくないとでも言うのだろうか。それはちょっと傷付くぞ……。
「じゃあ何処でヤるんだよ?」
「えっと……。わ、わたしの家とか……」
えぇ……。感謝されるためにワザワザ家に行かないといけないの? なに? なんか親御さんとか出て来て盛大にやる感じなの? 『吉井くーん! うちの娘に善行してくれてありがとー! いえー!』みたいな。なんだそれちょっと楽しそうだな。
「家族総出でヤる感じか」
「そんなわけないでしょ!? さっきからなに言ってるの!?」
じゃあなんで家まで行くんだよ……。
「別にここでいいだろ? 秒で終わるんだし」
「びょ、秒で終わるの?」
「一瞬だぞ」
「そ、そうなんだ……」
「口に出すだけだし」
「っ!? そういう下品なこと言わないで!」
しまった。お上品に『お口』って言わないといけないんだった。
「でも……だからって、こんな場所でできるわけないでしょ!? っていうか、今アレ持ってるの?」
「アレって?」
「アレはアレだよ! あの……着けるやつ!」
「何のことだよ。ハッキリ言えよ」
「わ、分かるでしょ! 装着?するやつ! もう、言わせないでっ!」
着けるやつ? 装着? なんの話だ? 装着……装備……。防具の話でもしてるのだろうか?
「防具のことか?」
「防具? そういう呼び方もするのか……な?」
「今持ってるワケねーだろ」
「そ、そうなの……」
「そもそも俺は着けない派だ」
「!?」
勇者時代、俺はどちらかと言うと俊敏性を活かした戦い方を好んでいた。少しでも動きを良くするために防具は身に着けないのだ。
「最っ低ね……」
もしかして背後から不意打ちを仕掛けるとでも思われているのか? 俺にも元勇者としてのプライドがある。ハッキリと訂正しなくては。
「着けないと言ってもアレだぞ? 後ろから襲うとか、そういう真似はしないぞ? 正面からガンガン攻めてだな……」
「き、聞いてない! そんな話大声でしないで!」
確かに異世界のことなぞ無闇に話すようなことじゃないな。
しかしなぜ委員長が異世界の話を? もしかして、委員長も異世界に行ったことがあるのか? 気になる。聞いてみよう。
「委員長」
「な、なに?」
「イッたことあんの?」
異世界に。
「な、ないよぉぉぉー!」
なんだ、委員長は先代勇者じゃなかったのか。
「もー! わかったよ! ここでいい! 好きにすればっ!?」
なんか顔真っ赤でヤケクソ気味に見えるが、ようやく決心してくれたようだ。しかし感謝の言葉を口にすることはなく、彼女は徐に床に寝そべり始める。
「ほら! 煮るなり焼くなり好きにして!」
は? こいつ、寝そべりながら俺に感謝する気か? さすがに俺のこと舐め過ぎだろ!
「なんで寝っ転がってだよ」
「え、ふつう寝っ転がってするもんじゃないの?」
「立ってするだろフツー」
「そ、それが普通なの? 立ってするって……」
委員長はゆっくりと立ち上がると、こちらに背を向け、壁に手を当て体を預ける。その状態で、クイッと尻を突き出してきた。
「……う、後ろ向きってこと?」
こいつマジでマトモに感謝する気ねーな。どこの世界にケツ突き出して感謝するヤツがいるんだよ。
「後ろ向きでするワケねーだろ」
「え? そ、そうなの? ごめん、わ、わたし……その、したことないから……よく分からなくて」
「あ? 何言ってんだ? 朝シてくれたじゃねーか。ナンパから助けた時」
「はぁ!? わたしが!? そんなわけないでしょ!? 吉井くん何の話してるの!?」
「委員長こそ、何の話をしてるんだ?」
「なにって——」
俺と委員長が、考えている事をほぼ同時に口に出した。
「感謝だろ」
「エッ——んしゃ、そう、感謝の話よね!? いやちょっと待って! 感謝ってなにっ!?」
えーんしゃってなに?