第45善「これってプロポーズじゃね?」
「それじゃ、金庫に帰るぞー」
「「おー」」
男性陣のテンションは低い。全快した聖母先輩に散々シめられたからだ。
ともあれ、事態は全て無事に収束した。後は銀行の金庫に帰るだけだ。
「じゃあ先生。転移魔法オナシャス」
「できんぞ」
「は?」
「いや、魔王状態じゃないと魔法使えんし」
「……」
失敗した。先に金庫に戻ってから悪行をさせるべきだった。
「そうだ、先輩は転移魔法使えるッスよね? 先生の魔力を先輩に移して、先輩に転移してもらおう」
「いや、魔王状態じゃない時は魔力も封印されているぞ」
なんだよもう面倒くせーな! また化学教師に魔王モードになってもらわないと帰れないってことか!?
ちなみに魔王モードが解除されても腕の再生は完了していたので、魔力全てが封印されているという訳ではないのだろう。化学教師は現在、ノースリーブ白衣という斬新なファッションをしている。
頭を抱えた俺を見て、聖母先輩が呆れたように溜め息を吐いた。
「お馬鹿ですね、吉井さん。さ、皆さんわたくしの周りに集まってください」
「えぇ、まだ折り足りないの? もう許してよ……」
「違いますよ! 銀行に転移するんです!」
「でも魔力は?」
「……わたくしが何もせず、ただキスをさせられるとお思いですか?」
「え、あのディープキス中に魔力を吸い取ってたってことッスか?」
「ディープじゃないです! フレンチです!」
フレンチキスには軽いキスという意味は無く、本来の意味は舌を入れるキスのことだ。つまりディープキスとフレンチキスは同じ意味。つまり先輩と先生はディープキスしていたんだな。なるほどなるほど。
「と、ともかく。こうなる事を予期して魔力を吸い取っておきましたから。わたくしが転移させます」
「勝手に人の魔力を奪うなよ! 返せ!」
化学教師は先輩の顔をガッと掴むと、タコのように尖らせた唇を接近させる。顔を真っ赤にした先輩は腹に一発カウンターを喰らわせた。
「きょ、教師を殴るなよ……」
「《スキルドレイン》は唇からやる必要無いんですよ!?」
「それは確かにそうだな……」
「はぁ、全くもう。……真面目な話、今後もあの量の魔力を先生一人に持たせるのは危険ですからね。対抗手段として、わたくしが魔力を半分頂きました」
確かに、膨大な魔力を持った化学教師が再び暴走したら、次回は止められるか分からない。かと言って全ての魔力を先輩が吸収するのも良くない。先輩が何かの拍子に暴走した時に、止められる人間がいなくなるからだ。
つまり、先輩と先生で魔力を折半することは、互いが互いの抑止力になるということなのだ。
「あれ、つまりこれってプロポーズじゃね?」
「どういう思考プロセスを踏んだらそういう結論になるんですか!?」
だって互いが互いの抑止力になるなら、常に一緒に居る必要があるわけで。
俺の言葉を聞いたテロリスト二人組がニヤリと口元を釣り上げ、
「「キース、キース!」」|
とキスコールを始める。俺もノろうかと思ったが、二人組が骨を折られていたので止めておいた。
聖母先輩は、こほんと咳払いをして、神妙な面持ちで話題を切り替える。
「先生。もしよろしければ先生の呪いも、わたくしが引き受けましょうか?」
《スキルドレイン》は、俺達にかけられた善行・悪行の呪いを吸い取ることもできる。
聖母先輩が化学教師の『一日七悪』を受け継ぐという提案。これは純粋な優しさか。それとも悪事を行う大義名分を得たいだけなのか。判断に迷うところだ。
善人である化学教師にとっては魅力的な提案であったろう。しかし彼女は、迷う様子を一切見せずに首を横に振った。
「……いや。これは私に課せられた試練だ。神は私に必要だと思ったから『一日七悪』を課したんだろう。私が責任を持って全うするよ」
それに、と言葉を区切ってから、先生は力なく微笑んだ。
「それに、教師が生徒に悪事をさせる訳にはいかんだろう?」
「先生……」
その姿は清く、正しく、美しい。まさに教師、いや、善人の鑑と言うに相応しかった。
だからこそ、その姿を見た俺とドレッドヘアーは落胆したのである。『俺の呪いも吸い取ってくれ、なんて言える雰囲気じゃねぇ』と。
そんな俺達の様子は露知らず。化学教師は冗談めいて笑う。
「まぁ、また暴走したら、その時はちゃんと止めてくれよ?」
「つまりそれってプロポーズっスよね?」
「「キース! キース!」」
男性陣三人は仲良く首の骨を折られた。
***
「帰って来たぜ日本!」
聖母先輩の転移魔法により、俺達は銀行の金庫へと舞い戻ってきた。
「これからどうするんスか?」
「そうですねぇ、ヒゲさんとドレッドさんは刑務所に戻ってもらうとして」
「このまま脱獄という訳にはいかないですかねぇー!?」
「無理ですねー」
ガックリと肩を落とすテロリスト二人組。無精髭の方はまぁ仕方ないかという雰囲気だが、ドレッドの方は本気で逃げたかったみたいだ。その様子を見た聖母は、やれやれと首を振った。
「まぁ、無茶を言って手伝ってもらいましたしね。ドレッドさんの呪いはわたくしが貰ってあげますよ」
「えっ! マジですか! 一生ついて行きます! 聖母の姐さん!」
こうして聖母教の信者がまた一人。
「あ、あのぅ。私はどうなるのでしょう?」
おずおずと小さく手を上げるのは、いつの間にか意識を取り戻していた支店長のオッサンだ。海外の荒野に置いてくる訳にもいかず、連れて帰ってきたのだ。ちなみに傷は先輩が治してやった。
「当然、警察に突き出しますよ」
「そんなぁ〜」
悪の組織のボスということだし、放っておくこともできない。当然の判断だ。
項垂れるオッサンに、テロリスト二人組が両サイドからガッチリと肩を組む。
「いぇーい! オッサン、壁の中で待ってるからなぁー!」
「可愛がってやるぜぇ〜? ひひひー!」
「ひぃぃぃ!」
元勇者の犯罪者同士、刑務所の中で仲良くやってほしい。つか改めて考えると元勇者の犯罪者率エグいな……。
「しかし! ボスである私が捕まるとなると、組織は崩壊するぞ!? 制御されてた犯罪者が解き放たれて、この街の犯罪率はさらに上がってしまう!」
「やったぜ」
「は? 何でこの小僧は喜んでるんだ?」
「吉井くーん? 冗談だよねー?」
「当たり前だろ。犯罪者が解き放たれたら大変だ!」
「コイツ……」
「でも実際問題どうしましょう。支店長さん、組織の解散とかできないんですか?」
「無理だな。私の一声で解散するには、組織は巨大に成りすぎている」
うーん、と頭を悩ませる面々。
ふと、委員長が突拍子も無いことを言い放った。
「じゃあ先生がボスになっちゃえばー!?」
ポカン、と口を広げる面々。
何を馬鹿な事を……と誰しもが思ったであろうが、当の化学教師本人は、
「悪くないかもな」
と肯定して頷いた。
「え、本気ですか?」
「あぁ。私は定期的に悪行をしないといけない身だ。犯罪組織も制御できて私の悪行も達成できる……理想的な環境じゃないか」
言わんとすることは分かる。
事情を知らない委員長がそこまで考えて発言したとは思えないが、確かに悪くないアイディアだ。
「でも、犯罪組織ですよ? 犯罪するんですよ?」
「もちろん今のままのような、人に迷惑を掛けるような犯罪はさせないさ。私がボスになった暁には、人の迷惑にならない、良い犯罪をする組織を目指すぞ!」
人の迷惑にならない犯罪とは。良い犯罪とは。
「義賊的な感じですか?」
「そうそう、そんな感じだ! 悪い事をする人間だけに悪い事をするんだ!」
聖母先輩といい、元魔王には『悪人には悪い事もしても構わない』という羅生門的な発想があるらしい。
「しかし、そんなことで犯罪組織の方々が満足するのでしょうか?」
「まぁ……組織の人々が満足できるよう、いろいろ考えてみるよ」
「例えば?」
「た、例えば? そうだな……タバコ吸ったり?」
中高生の反抗かな?
「あとは、ノーパンで通勤通学してみたり……」
ただの変態集団じゃねぇか。
「みんなで夜通しオンラインゲームして遊んだり……」
それは悪い。
「業務用アイスを一日で食べちゃったり……」
めちゃくちゃ悪い。
「毎日ラーメン食べたり……」
それは大罪だ!
「……具体的なプランがあるならいいでしょう」
よくねーだろ。ただ皆んなでゲームしてアイス食ってラーメン食べる変態集団じゃねぇか何ソレめっちゃ楽しそう俺も入ろうかな。
「まぁ、組織の連中は定期的にモールの占拠させておけば満足するさ」
モール占拠の何がそこまで犯罪者を惹きつけるのか。
支店長の言葉を聞いたテロリスト二人組が目を輝かしている。
「いいなぁ! 先生、刑務所から出たらオレ達も組織に入れてくれよ!」
ダメだコイツら刑務所入っても全然反省してねぇ。
無精髭の言葉を無視して、化学教師は俺に視線を向けた。
「困ったら吉井に相談させてもらうよ。何せ悪行のプロだからな!」
照れること言うなよ。何でも聞いてくれ。悪行なら無限に思いつくからな。
「それに……」
化学教師は途端に顔を綻ばせ、欲望に塗れた下品な笑みを見せる。その視線の先にあるのは、札束の山。
こいつ……組織のボスになろうとしてるのは金目当てだったか!
同様に察した聖母先輩が待ったをかけた。
「いや、先生。お金は普通に警察に押収してもらいますよ」
「なんでだよ! 汚れ役を引き受けるんだ! 少しくらい良いだろ!?」
「駄目です」
「ひ、一人一億でどうだ? な、吉井!?」
「先輩、先生の言うことはちゃんと聞かないとダメだぞ!」
「吉井くーん?」
「先生、先輩の言うことはちゃんと聞かないとダメだぞ!」
「コイツ……」
そんなこんなで話はまとまり。
その後は各々行動する運びとなった。
まず、脱獄してきたテロリスト二人組は聖母先輩同伴の元、刑務所へこっそり再入所することに。逆・銀行強盗ならぬ逆・脱獄だ。
本来は逆・銀行強盗のスケープゴートとして選出された彼らだったが、その役目は本職の銀行強盗の方々に擦り付けることで収まった。幸いにして刑務所の自由時間内に戻れたので、彼らが一時的に脱獄していたことは気付かれていなかったそうだ。
次に支店長と本職の銀行強盗達。
こちらは普通に警察に突き出されることになった。偶然居合わせたノースリーブ化学教師によって銀行強盗達が取り押さえられ、同時に支店長の汚職を発見した、という筋書きを通したようだ。
化学教師は表では銀行強盗を阻止した英雄。裏では犯罪組織のボスに上り詰めたということになる。
後日、銀行の支店長が四十億円ほどマネーロンダリングしていたというニュースが巷を騒がせた。何か違和感があったが、あまり気にしないことにした。
強盗の処理等の面倒事を避け、俺と委員長はこっそり銀行を抜け出し学校へと戻ることになった。
記録と記憶上は、銀行には行っておらず学校で普通に授業を受けていた、という事にするつもりだ。記憶改竄のためにクラスメイトの頭蓋骨が犠牲になるのは申し訳なく思うが、委員長の成績のためには仕方がないとも思う。
委員長と共に教室に戻った頃には帰りのHRも終わっていて、教室には誰も居なかった。
教室に着くなり、『つかれたー』と言って自分の席で気持ち良さそうに眠り始めた委員長。彼女が目覚めたのは外が暗くなり始めた頃。最終下校時間の直前だった。
「うぅ〜ん……あれ?」
机に突っ伏していた委員長が目を覚まし、大きな伸びをする。寝ぼけ眼でキョロキョロと周囲を見渡し、状況の確認をした後、彼女の視線が俺の姿を捉えた。
「吉井くん。もしかしてわたし、ずっと寝てた?」
「ああ」
「うそっ!? いつから!?」
「六時間目からずっと」
と、いうことにしてある。
「うそぉ! 授業中に寝たことなんて無かったのに! なんかショックー」
「疲れてたんだろ」
ガックシと項垂れて再び机に突っ伏す。その様子はいつもの委員長だ。幼児退行から戻ってきてくれて本当に良かった。
「なんか、すごい変な夢見た」
机に顔を埋めながらポツリ呟く。その言葉にヒヤリとする。
「ど、どんな?」
「銀行強盗しに行って、何故だかオーストラリアの荒野にワープして、吉井くんがオジサンと戦う夢」
「は、ハチャメチャな夢だな……」
「だよねー」
とりあえず聖母先輩の洗脳は効いているようで、彼女は全ての出来事を夢だと思い込んでいるようだ。
「でもやけに現実感があったような……」
「そんなこと現実に起こるワケないだろ! 夢に決まってる!」
「だ、だよね……。どうしたの急に……」
現実だと気付いてしまったら再度洗脳するために彼女の頭蓋骨を再度破壊しなければならない。それだけは絶対には避けたい。
「っていうか何で誰も起こしてくれなかったのー」
「気持ち良さそうに寝てたからな。起こしにくかったんだろ」
「……吉井くんは、起きるの待っててくれたの?」
委員長は首を少しだけ回して、腕の隙間から大きな瞳をこちらに向けてきた。
「ああ。起きた時に一人ぼっちだったら寂しいだろ」
「ふふ、なにそれ。でもありがとー」
本当は、彼女の幼児退行が治っているのを確認するためだったが、棚ぼた的な感じで善行をゲットした。左手の甲が暖かくなり刻印が消えていく様を眺めていると、委員長は上体を上げて再び大きな伸びをする。
「じゃあ、もう帰ろっかー」
「家まで送っていくよ。暗くなってきたし」
「ほんと? ありがとー。やっぱり自然に善行できるようになってるじゃん!」
嬉しそうに微笑む委員長だったが、はたと真面目な表情になる。自分で言った言葉に自分で疑問を持ったようだ。
「『やっぱり』って。なんだっけ?」
ダメだ委員長。それ以上考えるな……。
*
いつの間にか最終下校時間は過ぎていたようで、見回りの先生に見つかって俺達は逃げるように学校の外へ出た。
電車に乗り、委員長の最寄りに着いた頃には、完全に日が落ちてすっかり夜となっていた。
「さっきの夢の話だけどさー」
駅から委員長の家への帰路。横に並んで歩んでいた委員長が唐突に話し出す。ギクリとしながらも、その先に耳を傾けた。
「夢の中でね、わたしが変な行動をしてたの」
「へ、へぇ。どんな?」
一瞬の静寂。チラリと盗み見ると、委員長は少し顔を赤らめていた。
「ちょっと言うの恥ずかしんだけど……」
そう前置きし、歯切れ悪く言葉を紡ぐ。
「なんか……吉井くんがどこか遠くに行っちゃう気がして。寂しくて不安で。吉井くんにずっと手を繋いでもらおうとするの」
「はは、なんだそれ。俺はどこにも行かねーよ」
転校の予定は無いし、再度異世界に行く予定も無い。高校卒業後は何も考えていないが、少なくともそれまではこの街にいるのは間違いない。
「ほんとにー?」
安心したように顔を綻ばせるながら、少し屈んで俺の顔を下から覗き込むと、委員長は悪戯っぽく微笑んだ。
「ああ。ずっと委員長の横にいる」
無意識に、そんな言葉が口を衝いて出てきた。委員長は驚いたように足を止める。ぽかんと口を開け、その顔がどんどん赤くなっていく。
なんだか途端に恥ずかしくなってきて、慌てて取り繕った。
「仮に俺がいなくなるとすれば、それは俺が逮捕された時だよ」
「冗談でもそういうこと言うのやめて……」
元勇者の犯罪者率は異常だ。いつか俺もそうなるんじゃないかとビクビクしている。
「はぁー、ほんとかなー。なんか不安だなー、誰か手でも繋いで安心させてくれないかなー。なんてねー」
なんて言い出す委員長。冗談めいて聞こえるが、本気で言っているのか判断が難しい。なので、俺は額面通りに言葉を受け取ることにした。
すっと左手を伸ばし、彼女の右手をぎゅっと掴んだ。
「っ!」
彼女は一瞬驚いたように俺を見つめる。しかし、すぐに嬉しそうに口角を上げると、照れ臭そうに微笑んだ。
「ふふ、自然に善行できたね」
「善行なのか、これ?」
「善行だよ」
何故だか彼女の顔を見ることができなくなり、顔を上げて満天の星空を仰いだ。
「そっか。善行か」
「うん。善行だよ」
繋いだ左手がほんのりと暖かくなる。
それが、彼女の言う通り善行達成によるものなのか。それとも別の何かなのか。
今の俺には、どうでもよかった。
第三章完




