第44善「ずっと好きだったんだ」
「……もうキレた。完全にキレたわ。お前、殺す」
そう思った瞬間。身体の制御が効かなくなる。
俺は地面を蹴り出し、化学教師へと飛びかかっていた。
「フハハハハ! 向かってくるか! 我は昨日よりも遥かに強いぞ!? 緑炎を喰らうがいい! 《バリウム・フレイム》」
それは、手の平から灼熱の火炎を生み出す魔術ーーなのだろう。しかし、何も起こらない。
なぜなら、俺が彼女の片腕を蹴り切ったから。
「なっ!? わ、我の腕が!? いつの間に!?」
「見えなかったのか?」
化学教師は後方に飛び跳ね間合いを広げる。そして残る左腕を振り上げ、再度火炎の魔術を唱えようとする。しかし、
「遅い」
俺はその場で勢い良く足を蹴り上げた。当然、距離があるので直接は当たらない。しかし高速で鋭く蹴り上げた足から、斬撃の衝撃波が繰り出されたのだ。
こんな芸当、能力を制限されている普段なら絶対にできない。しかし委員長を傷付けられた怒りがそれを可能にさせていた。
見えない斬撃は空を切り、地面を削り、そして化学教師の残る腕を肩から切り落とす。
「バカな!? 蹴りの風圧で腕を切り落としただと!? 無茶苦茶な!」
驚いて目を見開く化学教師だが、まだどこか余裕が見える。
「しかし腕の一本や二本、すぐに再生するわ!」
流石の再生力。出血するよりも速く再生が始まっており、新しい腕がニョキニョキと気色悪く生え始めていた。
だが、再生を待つ程お人好しではない。
「じゃあ全部切り落としてやるよ」
すかさず蹴りの斬撃ニ連激。
新たに生えかけていた両腕が綺麗に吹っ飛んだ。
「ちょ、ちょっと待って!? 腕生えるまで待って!?」
切り落とす。
切り落とす。
ついでに首も、切り落とす。
「あっぶな!? いま首も切り落とそうとしただろ!?」
横凪に繰り出した蹴りの斬撃だったが、化学教師は咄嗟に屈んでそれを躱した。
「避けんなよ。どうせ首も生えるんだろ?」
「生えたとしても絵面がヤバいだろ! 見ろ! この切り落とされた大量の腕! 気持ち悪い!」
確かに、化学教師の周囲には大量の腕が転がっている。同じように生首も転がったら中々グロい光景になりそうだ。
「ならば接近戦だ!」
蹴りの斬撃はかなりの大振りを必要とするため、至近距離では繰り出すことができない。接近戦に持ち込むのは懸命な判断だ。しかも、化学教師は支店長のオッサンがやったように魔力による鎧を身に纏っている。
「この鎧があれば貴様の攻撃は通らな——ベフッ!?」
鎧ごと鳩尾を蹴りつけると、化学教師は腹を抑えてその場に蹲った。
「な……!? この鎧は突破できないんじゃないのか!?」
それは過去の話。今の俺は、委員長を傷付けられた怒りで自分でも驚くほどの力を発揮していた。
それこそ異世界にいた時よりも強くなっていると感じる。同時に、自身の心にドス黒い感情が渦巻いているのも感じた。
「あー、めっちゃイライラする。先生、爆殺させてもらうわ。どうせ再生すんだろ」
この黒い感情を抑えるには、原因となった化学教師を痛めつけるしかない。俺はその考えに支配されていた。
爆殺というワードを聞いて、化学教師の顔が恐怖に染まる。
「ば、爆殺!? だが爆殺の魔法は封印されているんじゃ!?」
「あー、あれな。実は魔法じゃないんだ」
「……は?」
「こう、思い切り殴ったり蹴ったりするとな。その衝撃で敵が内側から破裂してるだけなんだわ。つまりただの暴力」
思い切り殴ったら敵が爆発します、なんて正直に言うと大変気味悪がられる。だから、オリジナルの魔法ということにしていたのだ。粉々になった肉体を風魔法で吹き飛ばす演出を加えてそれっぽくしているだけで、その実ただの物理攻撃なのである。魔法ではなくただの暴力なので、神による封印はできない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! いや、待ってください! 爆殺だけは、爆殺だけはどうか!」
化学教師は力が抜けたように尻もちをつき、ガタガタと震え始める。強大な力と悪の心を身に着けはしたものの、過去のトラウマは乗り越えられていないようだ。
「ダメだね。アンタは委員長を傷つけた。仕返ししてやる」
「ひぃぃぃ!! ごめんなさいごめんなさい! ほら見て!? もう漏らした! 漏らしたから私の負けだ!」
そんなルールは無い。
「お願いします許してくださいー!!」
許さない。
俺は足を上げ、力を込め、教師の腹を思い切り踏みつけようとする。
しかしその時。
「だめだよ! 吉井くん!」
巻き付ける腕に力を込め、委員長が悲痛な声を上げた。
「委員長……コイツは、委員長を傷付けたんだぞ?」
「わたし、別に怒ってないよ。せんせーも謝ってるし」
「でも……」
「それに、怒りのままに攻撃なんてしたら、善人になれないよ!」
善人になりたい。
確か、委員長に『なぜ善行をするのか』と聞かれて適当に答えた言葉だ。
「このままじゃ、今までの頑張りが無駄になっちゃうよ。それでもいいの?」
「……委員長。実はな、あれは嘘なんだ。俺は本当は善行なんてしたくないし、善人にもなりたくない」
「でも。それでも善行やってきたじゃん」
「死なないために仕方なくだ。やりたくてやってるワケじゃない」
「わたしには詳しいことは分からないけど……仮に強制された善行だったとしても、善行を頑張ってきたことは事実だよ」
「それは……」
「それに、善行をして嫌な気持ちになったことある?」
はっとした。
確かに、善行認定されずに損をしたような気分になったことはある。善行するの面倒だと常々思っているのも事実。
しかし、決して、善行をして嫌な気持ちになったことは無いかもしれない。
「自分で気付いてない? わたしが『ありがとう』って言うと、吉井くん凄く嬉しそうな顔するの」
それは、ノルマ達成が嬉しいからで。……いや、本当にそうだろうか。嬉しいと思うのは、何か別の理由があるんじゃないだろうか。
「それに、吉井くんは成長してるよ。最近は自然に善行できるようになってきたし。だから、もっと自分に向き合ってみて?」
そうか。俺は今まで、自分自身の気持ちから目を背けていたのかもしれない。
それとは逆に、委員長はずっと俺のことを見ていてくれたんだな。そう思うと、なんだか暖かいものに包まれるような気分になる。
「そうか。俺は……」
委員長に言われ、初めて気が付いた。
「委員長……俺……」
「うん」
「ずっと好きだったんだ」
「……うん。わたしもーー」
「善行が」
「……うん?」
俺は、勝手に自分自身が善行が嫌いだと思っていた。
だけど、それは間違いだった。ただ単に苦手だっただけなのだ。面倒だと感じたこともあれど、やって嫌だと思ったことは一度として無い。
そうだ。俺は、善行が好きだったのだ!
委員長に言われて、ようやくその気持ちに気が付いた。
「俺は、善行が好きだったんだ」
「そっかー、良かったねー。わたしも善行大好きー」
再び思いを口にすると、委員長が疲れたような、呆れたような、しかし少し可笑しそうな声を発した。
「おい、クソ教師」
「ひぃ!?」
「爆殺は勘弁してやるよ。委員長に感謝するんだな」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「ついでに俺の化学の成績をマックスにしろ」
「いや、それはダメだぞ」
ちっ……。どさくさに紛れてイケると思ったが。
「吉井さーん、この隙に先生に悪事をさせて、魔王モードを解除しておいた方がいいのでは?」
寝転んだままの聖母先輩が呼びかけてきた。
それもそうだ。また暴走して暴れられたら面倒だからな。
「んじゃ委員長の胸を揉むのがいいか。委員長、悪いが先生に胸を——」
「いや、それは無理だ」
委員長へ依頼しようとするが、それを化学教師が遮る。
「なぜ?」
「腕が無い」
「……」
そうだった。化学教師の腕は俺が切り落としてしまっていた。ウニョウニョと新しいものが生えつつあるが、闘争心が無くなったためか、先程よりも再生速度が遅い。
「腕生えるまで待ってくれ」
それはだめだ。腕が生えて戦えるようになったらまた暴走するかもしれない。
となると、他に実践できる淫行は——
「生徒とのキス、しかないな」
「私と委員長ちゃんが!? いいのか!?」
「委員長はダメだ」
自分でも理由は分からないが、とにかくダメな気がした。
「じゃあ吉井と!?」
「それもダメだ」
これまた理由が分からないが、これもダメな気がするのだ。
俺の返答を聞いていた委員長は、耳元で『えへへ』と小さく笑っていた。
「えっ、じゃあ……」
三人の視線が、一斉に一箇所に向けられる。
視線の先にいた人物の顔が引き攣った。
「ちょ、ちょっと待ってください? どうして皆さんわたくしを見るんですか?」
聖母先輩は未だ回復の真っ最中。体に力が入らないようで、顔だけをこちらに向けてぐったりと横たわっている。
「先輩……世界を救うためッス」
「絶対に嫌です! なんで先生なんかと!」
「わ、私だって嫌だぞ!」
「まーまーそう言わずに。委員長、ちょっとだけ降りてくれるか?」
「いいよー」
委員長を背中から降ろすと、俺は化学教師を肩で担ぎ上げた。バタバタと身じろぎするものの依然腰が抜けているようで、力が全く籠もっていない。……なんかビショビショに濡れてる気がするが、気にしないでおこう。
「吉井! 降ろせ! 私は聖母とキスなんかしないぞ!」
「そうですよ吉井さん! こっち来ないでください! 怒りますよ!?」
「とは言っても他に選択肢ないんで」
「ヒゲさん! ドレッドさん! わたくしを担いで逃げてください!」
「聖母の姐さん、諦めようぜ。世界のためだ」
「いやああああ!」
化学教師を運び、力無く横たわる先輩のもとへ。
そして、先輩に覆い被せるように教師を降ろす。
「ちょっと先生なんか濡れてません!?」
「おしっこだ!」
「もっといやああああ!」
折り重なった二人は、唇を口の中に入れ込んで固く口を閉ざし、さらに可動範囲ギリギリまで顔を逸して逃れようしていた。
なので、二人の頬を手でギュッと押し付けて強制的に唇を尖らせ、抵抗する首を無理やり動かし互いに正面を向けさせる。
「やめてぇぇぇ!」
「いやああああ!」
そして、二人は幸せなキスをして終了した。




