第4善「保健室いこう」
話しているうちにだんだん思い出してきた。この黒髪少女は確かクラス委員長だった人だ。一年生の時も同じクラスで、二年生となった今も同じクラスだったはず。
一年生の冬だったか。彼女が普通の変質者に絡まれている現場を救って以来、多少話す間柄となったのだ。
異世界での血みどろの日々の記憶が濃すぎて平穏な日常のことなどすっかり忘れていた。
「はぁ〜、まさかあの時のこと忘れられてるなんて、ショックだなー」
「いや、覚えてるって」
「ほんとにー?」
じとー、っと疑うような目。
「俺が委員長のこと忘れるはずないだろ? なにせ委員長は……」
「わ、わたしは……?」
「学校で唯一話しかけてくれた人だしな!」
「……」
「……泣いていい?」
「泣かないで……」
危なかった。元勇者の強靭な精神力が無ければ、友達が一人もいないという事実に耐えられないところだった。
金髪・強面・高身長という不良ルックスの3Kを兼ね備える俺に、気さくに話しかけてきてくれる同級生は皆無なのだ。委員長だけは委員長という立場もあってか、割と普通に話してくれた記憶がある。
「じゃあ……い、一緒に学校行こっか?」
流れで委員長と共に登校することに。こういう何気ない場面でも善行チャンスを見逃す俺ではない。
「委員長、危ないから歩道側歩けよ?」
「う、うん。優しいね」
ククク、まんまと歩道側歩きやがって。これで一善達成だ。楽勝だぜ。
はやる気持ちで七芒星の線が消えるのを待つ。……が、待てども待てども刻印に変化は見られない。なぜ? この程度は善行と呼ぶには簡単すぎるのだろうか。
「やっぱり車道側歩いてくれる?」
「なんで!?」
無駄な善行はしたくないからな。
くそ。別の善行だ。実績のある荷物運びをしよう。
「カバン持ってやろうか?」
「え? 別に大丈夫だよ」
「遠慮すんなって。持ってやるよ」
「……じゃあ、お願い」
少し怪しむような目を向けられながらも、差し出されたカバンを受け取った。しかし、またも七芒星に変化は見られない。
「やっぱり自分で持ってくれ」
「なんなのもー!?」
いまいちルールが分からない。神は詳細について何も教えてくれなかったので、トライ&エラーで色々試してみるしかなさそうだ。そのたびに無駄な善行をしてしまうのは癪だが、こればかりは割り切るしかない。
そんなこんなで学校に到着。俺にとっては三年ぶりの登校なので、学校の校舎ですら懐かしく見えた。
しかしさっそく問題発生。自分の靴入れが分からないのだ! ……まぁ上履きなんてどれも同じだし適当なやつ履けばいいか。
「ちょ、ちょっと、それ誰の上履き? 吉井くんの下駄箱こっちでしょ?」
「おー。委員長ともなればクラスメイトの下駄箱も把握してるのか」
「っ!? と、当然でしょ!?」
委員長の仕事って大変なんだな。
「わたし、ちょっと図書室に本返しに行ってくるね。先に教室行ってて?」
「ま、待てよ。俺も一緒に行く」
「吉井くんも本借りてたの?」
「いや、そうじゃないんだけど。別に良いだろ? 同じクラスなんだし。……同じクラスだよな?」
「なに言ってるの? まぁいいけど」
良かった。委員長について行かないと自分のクラスが分からないからな。
委員長に続いて階段を登り四階へ。図書室は渡り廊下を超えた向こう側とのこと。
「あ、ちょっと待って」
渡り廊下の手前には自販機があった。その自販機に差し掛かったところで、委員長の足がはたと止まる。飲み物を買うようだ。
自販機とか久々に見たなーとか思いながら待っていると、委員長は買ったばかりのペットボトルをこちらに差し出してきた。
「はいっ! さっき助けてくれたお礼! このジュース好きだったでしょ?」
「お、まじ? さんきゅー」
ジュース奢ってくれるなんて。委員長は優しい奴だな。有り難く頂くことにしよう。
おー、このジュース懐かしいな。ごくごくごく。うーむ。うまい。ごくごくご…………おれ、いま、善行されたのか?
「どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
びっくりした。こんなナチュラルに善行されるとは。こいつ善行のプロか?
念のため手の甲の刻印を確認。よかった。七芒星の線は増えてない。善行をされたら逆に線が増える、みたいなペナルティは無いようだ。
「あ、吉井くん、髪にゴミ付いてるよ? とったげる」
「ん? ああ。サンキュー」
不意に近づいてくる委員長の顔。少しドキッとしてしまい、照れを隠すように視線を逸らし——ハッ!? また善行された!? なんて優しいやつなんだ!
「ネクタイも曲がってるよー。寝癖もついてるし。もー、だらしないなー」
こわいこわいこわい。なにこいつめっちゃ善行してくるんだけど。しかも幸せそうに俺の身だしなみを直してきやがる。善行が楽しいとでも言うのか?
「でも遅刻しないように頑張って起きた証拠だよね? えらいえらい」
労いの言葉までくれるとは。至れり尽くせりである。
くそー。善行獲得にヒーヒー言っている俺をあざ笑うように、こうも易々と善行してくるとは。なんかちょっと腹立つな。
「あれ? まだ髪に何か付いてるよ。とったげるね」
「マジ? ありが——いや取るな! 取るな! 付けてんだよ! これがオシャレなんだよ!」
「えぇ……」
あぶねー! なんだこの善行ヤリヤリ女! 息を吐くように善行してきやがる! どんだけ気が利くんだよ!
仕返ししたい。仕返しに善行してやりたい。そうだ。ゴミ取りをやり返してやろう。
「な、なに。人のことじろじろ見て……」
彼女の髪に目を向ける。しかし絹糸のように滑らかな黒髪にはゴミどころか寝癖ひとつ付いていない。
「委員長の髪……綺麗だな」
全然汚れてなくて。
「はぁ!? きゅ、急になに!?」
思わず溢れた言葉に、張りのある白い肌が赤みを帯びていった。しかし、そこには汚れもくすみも見つけられない。
「肌も綺麗だ……」
全然汚れてなくて。
「な、なんなの!?」
「目も……まつげも……全部綺麗だ!」
澄んだ黒い瞳。ぱっちりとした睫毛。
どこもかしこも全然汚れてない!
「も、もう! 急に褒めてきて、一体なにが目的!?」
「委員長……」
「な、なに……?」
「ちゃんと風呂入ってるんだな」
「やっぱり馬鹿にされてる!?」
くそっ、どこか、どこかに汚れはないのか!?
顔だけではなく、彼女の体を隅々まで観察する。埃ひとつ見逃さないよう、両目に意識を集中して。
「ちょ、ちょっと!? なんでカラダを舐め回すように見てくるの!? そんなギラギラした目で!」
胸、肩、背中、胸、尻、太もも、胸……。順々に視線を這わせていくが、一切汚れを見つけられない。くそ! どうにかしてリベンジ善行できないか!
その時。渡り廊下の反対側から歩いてくる女生徒二人組とすれ違った。同時に彼女達の会話が耳に届く。
「渡り廊下って高くて怖いよねー」
「ねー、落ちたらどうしよーって考えちゃうよねー」
——それだ。
委員長が落ちる。俺が助ける。善行達成。完璧だ。やろう。
しかし渡り廊下には当然手すりがある。そうそう落ちることはない。
ならば、落とせばいい。
だが俺はサイコパスのイカれ野郎ではない。いきなり女子を突き落とすのはあんまり良くないのは分かっている。
魔法だ。魔法を使って、バレないように突き落とせばいいのだ。『スキルや魔法を活用して善い行いをするのじゃ』。神はそう言っていた。そうか、こういうことだったんだな!
殺傷能力の高い魔法は封印されていると言う。どの程度封印させているのかを確認する意味でも良い機会だ。
周囲に聞こえぬように、さっそく呪文を呟いた。
「嵐よ吹き荒れよ——《ハリケーン》」
——しかし、何も起こらない。
さすがに上級魔法は封印されてるか。まぁ封印されていなければ、委員長どころか学校もろとも強烈な暴風によって消し飛んでいたことだろう。むしろ封印されていて良かったかもしれない。
初級魔法ならばどうだろうか。
「風よ囁け——《ウィンド》」
発動した。体から魔力が放出したのを感じた。
だが、威力が圧倒的に弱い。横薙の突風が吹くものの、人間を吹き飛ばすには到底及ばない威力だ。しかし、その風が予想外の幸運をもたらした。
「きゃっ!?」
「あぁ、プリントが!」
すれ違った女生徒が持っていたプリントの束が、風に煽られて舞い上がってしまったのだ。結果オーライ。これを回収するという善行をしようじゃないか。
手すりを蹴飛ばし空中にジャンプ。続けて空中に足場を作り出す中級風魔法・《スカイウォーク》を発動。——確認無しに飛び出してしまったが、ちゃんと発動してくれて良かった。でなれければ今ごろ地面に真っ逆さまだ。
「あらよっと」
魔法による見えない足場を使い、空中を自由自在に駆け巡る。宙に舞うプリントを手早く回収し、渡り廊下へ華麗に舞い戻った。回収したプリントを女生徒へと手渡す。
「ふー! 危なかったな!」
「あ、ありがとうございます……。今空飛んでませんでした?」
「ハハ、何言ってんだよ、んなワケないだろハハハ」
「いや、でも……」
「あ?」
「すみません何でもないです……」
強風により半目状態だったのが幸いしたようで、空中を走り回っていたのはギリギリ誤魔化せたようだ。
「いったー、目にゴミ入った〜」
委員長に至っては目を瞑っていて全く見ていなかったらしい。……ん? ゴミ、だと?
「委員長、ゴミ取ってやろうか?」
「きゃー!? こわいこわい!」
目に指を突っ込んでゴミを取ってやろうと思ったが、全力で拒否されてしまった。なるほど、委員長は自分で善行をするのは良いが、他人には善行させたくないらしい。ケチなやつだ。
まぁ通りすがりの女生徒に善行できたし良しとしよう。左手が暖かくなってきたのを感じる。刻印が消えていくサインだ。
それにしても、まさかこんなに上手くいくとは。多少は魔法も使えることも確認できたし、最高の成果だ。
魔法を使ったマッチポンプ作戦は最強だな。これならバレることなく善行チャンスを作り出せる。ククク、この調子でじゃんじゃん善行の状況を作り、善を稼がせてもらおうじゃないか。
…………あれ? おかしいぞ。左手の暖かさが消えない。
数秒で消える、ほんのりとした暖かさのハズなのだが、なんだか燃えるように異常に熱くなってきている。
「よ、吉井くん……? それ、大丈夫?」
「え?」
恐怖に慄くような委員長の瞳。震えながら一点を見つめている。その視線の先にあるのは、俺の左手だった。釣られて目を向けた瞬間、
「いってぇぇぇぇぇ!!!!」
強烈な痛みが左手を襲う。
左手の人差し指が、逆方向に折れ曲がっていたのだ。
「だ、大丈夫っ!?」
「あ、あぁ……。ちょっと突き指しただけだ……」
「突き指ってレベルじゃなくない!? 指が手の甲にピッタリくっついてるけど!?」
こ、これは……ペナルティ的なやつか!? やはり善行の状況を自分で作り出すのはルール違反なのか!? くっそー! 先に言えよ! めちゃくちゃ痛てぇー!
「吉井くん! 保健室いこう!」
「そうはさせるか! 保健室に連れ込むなんて、委員長の目的は分かってるんだからな!?」
「なにもしないけど!?」
嘘つけ! 善行する気だろ!
結局、数分で指は元に戻り、痛みは嘘のように引いていった。やはり不正に対する一時的な罰だろうか。当然、刻印の線も減っていない。
くそー、魔法を使ったマッチポンプ作戦はいけると思ったんだがなぁ。
学校を破壊して瓦礫の中から生徒を助ける、っていう善行シナリオを思い描いていたんだが、実行できなくて残念だ。