第36善「綺麗な青色だぞー!」
「くぅー! 朝っぱらから学校で飲酒なんて、私はなんて悪い人間なんだー!」
などと言いながら、物凄い良い笑顔でビールを煽る化学教師。
「ったく、人騒がせですね……」
未だ怒りが収まらぬ様子で、その様子を腕組みしながら見ている聖母先輩。
……組んだ腕の隙間からスマホを覗かせ、教師が飲酒する様を盗撮しているような気がするが、後ほど脅迫でもするのだろうか。気にしないでおこう。
「これで一悪達成……なんとか魔王モードは収まったッスね」
今の件で確信を得た。化学教師は定期的に悪行をしないと魔王モードになってしまう。放置すればするほど完全なる魔王になって手が付けられなくなる。
「これまではそんなこと無かったのになー。んぐ、んぐ、プハーっ!」
昨日のゴミ箱キックと水遊びがキッカケでそうなってしまったのだろうか。だとすれば責任を感じてしまうな。
「私には自分で自分を抑えることができない……。頼む、お前たち! 先生が魔王になりそうになったら軽い悪行をさせて止めてくれ! とんでもない悪行をしでかす前に! ……んぐぐ、プハー!」
「そんなビール飲みながらお願いされても……」
だが実際そうするしかない。理想なのは朝のうちに七悪達成させてしまうことだが、時間が圧倒的に足りない。休み時間の間を上手く活用するしかなさそうだ。
……くそっ、自分の善行ノルマだけでも手一杯なのに、悪行の面倒も見ないといけないなんて。
「休み時間や放課後はいいとして、問題はわたくし達の目が届かない授業中ですね。三年生の化学の担当はこの人じゃないですし」
「今日は一限目から吉井のクラスだぞー! ちゃんと見張っててくれよー! プハー!」
さっそく酔っ払い始めてる気がするが、大丈夫だろうか。……二本目を飲もうとするんじゃない!
******
「それじゃ、みんな。これテストに出るから。ちゃんとノートに写すように」
一限目の授業が始まって数十分。今のところ問題は見られない。黒板に複雑な図形を描く化学教師は、普段と変わらぬ凛々しい教師そのものだ。少なくとも魔王っぽさは無いし、ビールを一缶空けてきた気配も感じさせない。
「吉井さんが真面目に授業を受けてる……いつも寝てるのに……」
隣の席の女生徒がポツリと呟いたのが聞こえた。
ちがう、あの教師を見張っているだけだ。俺だって本当は寝たい。つか同級生をサン付けすんな。
「先生、これ、なんの構造式ですか?」
質問したのは委員長。
「いい質問だ」
そう言って、化学教師は図形の横に『C10H15N』と書き記す。
「これは、メタンフェタミン。いわゆる覚◯剤だ!」
なんてもん教えてんだこのクソ教師は。
……いや、俺が知らないだけで普通に教科書に載っているのだろうか?
「次回の授業では実験室で実習するぞー。みんなで実際にメタンフェタミンを生成してみよう!」
あ、ダメだ。ちょっと魔王モードになってしまっている。生徒に何てモノ作らせようとしているんだ。
「各自、薬局でプソイドエフェドリン入りの風邪薬を買ってきてくれ。原料になるからな」
生徒に原料調達をさせるんじゃない。
「せ、先生……?」
突然の不可解な言動に、教室の生徒一同はポカンと口を開ける。
「あ、すまない!」
唖然とする生徒の様子を見て、おかしな事を口走ったと自覚したようだ。
「材料は先生が用意すべきだよな!」
違う、そういう問題じゃない。
「ただ、プソイドエフェドリン入りの風邪薬は一人で何個も買えないんだよなぁ。……化学係、今日の放課後時間あるか?」
「え、あ、はい」
急に話を振られ、隣の席の女生徒は困惑気味に返事をする。
「よし、じゃあ一緒に薬品庫からメチルアミンを盗みに行こう! メチルアミンを使うとメタンフェタミンが青くなるんだ! 綺麗な青色だぞー!」
生徒に盗みの片棒を担がせるんじゃない。
「あの……先生?」
「大丈夫、倉庫の侵入方法は任せてくれ! 入り口の鉄扉を溶かすテルミットを用意しておくから!」
このまま先生を暴走させるのはマズイ。どうするか。無理やりにでも教室から連れ出すか。そう思案していると、
「ぷ、くくく……あはははは! 先生おもしろーい!」
どこからともなく漏れる笑い声。それを皮切りに、クラス中が笑いに包まれる。
「先生も冗談とか言うんだねー」
「びっくりしたよー」
どうやらブラックジョークだと思われたようだ。
笑い声に当てられ、化学教師がハッとしたような表情になる。
「そ、そう! 冗談に決まってるだろー!? あはははー!」
よかった。正気を取り戻したようだ。
「すまんすまん。じゃあ真面目な授業に戻るぞ?」
「はーい」
「では、ご家庭でできる爆弾の作り方を教えます」
「せん……せい?」
ダメだこりゃ。
*****
なんとか化学の授業は乗り切った。しかし問題は依然解決していない。休み時間中に化学教師に悪行をさせようとしたのだが、なかなか思うようにいかないのだ。
就業中は人目があるので昨日のようなゴミ箱キックや水遊びは実行できない。休み時間のたびにビールを飲ませて悪行の衝動を抑えようとしたが、三本目あたりから露骨に顔に出始めたのでこれ以上は危険と判断した。
何か別の悪行をするしかない。そう思って授業中に悪行のアイディアを練ってみたら二百個くらい思いついてしまった。
そうして迎えた昼休み。思いついた案を携え化学室へ。
「うりゃうりゃうりゃ!」
「痛い痛い痛い!」
室内では魔王二人が仲睦まじく殴り合っているところだった。勝てないのに先輩もよく喧嘩に乗るな……と思いながら、こちらに飛び火してこないよう息を潜めてキャットファイトを眺めていると、異変に気がつく。
先輩が優勢で、化学教師は防戦一方なのだ。
先輩が先生の頬に右フック。左フック。右フック。左フック。……いや、もうやめてあげて?
先生が魔王状態であればこんな一方的な虐殺にはならないだろう。不思議に思った&先生が可哀想なので、声をかけることにした。
「先生、魔王モードじゃないッスね? 俺が来る前に悪行終わらせたんスか?」
俺の声により、先輩の拳がピタリと止まる。続けて、魔王二人が気まずそうに顔を見合わせる。それを見て、ピンと来た。
「ははーん。さては二人で淫行したな?」
「「なわけない!」」
綺麗なハーモニー。やっぱり気が合うな。
「まぁ……悪行したのは事実なんだが……淫行ではない」
「何したんスか?」
「そのことで、吉井に見てもらいたい物があるんだ」
言いながら化学教師は机の上を指差す。そこには、大き目の黒いボストンバッグが三つ並んでいた。
「中を見てみてください……」
呆れたような聖母先輩に促され、カバンの口を一つ開けてみる。
中から出てきたのは、札束。
それも、見たこともないほど大量の札束だった。
「は?」
思考が止まりそうになりながらも残り二つのバッグも開けてみると、やはり札束がミチミチに詰められていた。化学教師に目を向ける。彼女は、舌をペロリと出しながら、照れ臭そうに言い放った。
「三億円……盗ってきちゃった♪」




