第29善「甘く見るなよ?」
「一日七悪……?」
「そうだ。一日に七回も悪い事をしないといけないんだ……。君は違うのか?」
「俺は一日七善っス。一日に七回も良い事をしないといけなくて」
互いに目を合わせて、パチクリと瞬き。
一瞬の間を開け、俺達は同時に口を開いた。
「「なんて羨ましい!」」
綺麗なユニゾンの後に続く言葉を先に発したのは、化学教師の方だった。
「一日七善だと!? なんだその楽なミッションは!?」
「いやいや、そっちこそ! 一日七悪なんかヨユーでしょうに!」
「ばっ!? お、お前なんて事を言うんだ! 悪行なんかそう易々とできる訳ないだろ!?」
「先生こそ! 善行なんか気軽にできねーッスよ!」
「善行なんかめちゃくちゃ楽だろう!」
「なに馬鹿なこと言ってるんスか!」
「こっちのセリフだ!」
互いに共感はできなかったようだが、理解はできた。
俺は善行をするのが苦手な一方で、先生は悪行が苦手だと言う。
俺は(恐らく)悪行が得意な一方で、先生は善行が得意だと言う。
『一日七善』と『一日七悪』
課せられた試練がお互いに逆であればどれほど良かったか。まぁそれだと簡単過ぎて試練にならないが……。
「ちなみに、一日七悪を失敗した時の罰はあるんスか?」
「ああ、あるぞ……。『一日七悪さもなくば罰金十万』だ」
地味にスゲー嫌な罰だな……。
「まぁ、社会人なら罰金十万くらい屁でもないんスかね」
「……お前、甘く見るなよ? 公務員一年目の給料の低さを!」
何気なく言った感想に、化学教師の顔がどんよりと暗くなる。頬をヒクヒクと痙攣させながら、自虐気味に黒い笑みを見せた。
「初任給と学生時代の貯金は『一日七悪』の罰金で全て消えたぞ……」
何回失敗していくら消えたのかは聞かないでおこう……。
「君の方の罰は?」
「一日七善さもなくば死」
「死!? 失敗したら死ぬのか!?」
「そうみたいッス」
「それは……大変だな。まぁ先生の方もお金が減り続けて、そろそろ本気で死活問題なんだが……」
確かに、毎日十万ずつ罰金で減っていったらいずれは餓死だ。そういう意味では俺と先生の罰則は通ずるものがあるかもしれない。一発で死ぬか、じわじわと真綿で首を絞められるように死ぬか、という違いでしかないのだ。
「だから仕方なく……本当に不本意だが……悪事を働くことに……」
ぐったりと肩を落とし、力なく溜め息を吐きながら、化学教師は言葉を続ける。
「だが悪事なんかやったことがない。何をやればいいか分からない。当然犯罪なんかできる訳がない。誰にも迷惑をかけず、犯罪にもならない悪事……。唯一思いついたのが、学校での飲酒だ……」
なるほど、それで校内でビールを飲んでいたというワケか。
「唯一思いついたって、もしかして『一日七悪』は全部飲酒で達成してるんスか?」
「そうだ。毎日ビールを七缶。缶を一本飲み干して初めて一悪認定だ。帰る頃にはベロベロだぞ」
今日はまだ一本だけだ、と言って先生は額の『惡』の字を見せつけてきた。確かに、『惡』の字の一箇所だけ線の色が薄くなっている。
『惡』の上部、『亞』の字の上下の横線で二画分。左右の『凸』の上の部分っぽいものはそれぞれ一筆で書き、こちらも二画分。下部の『心』は三画分だそうだ。右上の点々は一筆で書いて一画分とのこと。だいぶ無理やりな気もするが、これで合計七画。
一悪達成するたびに一画ずつ消えていく、と先生は黒板に書いて説明してくれた。そこら辺は俺の七芒星と同じシステムだ。
「ところで、なんで悪行をしないといけないんスか? 俺含め他の人は皆んな善行なのに」
「他!? 他にも異世界帰りの人がいるのか!?」
ああ、そうか。まずは先にそっちの話をすべきだったな。
聖母先輩、そしてショッピングモールのテロリスト二人組のことを伝えてみると、先生の切れ長の瞳がまん丸になった。
「なんと、異世界帰り仲間がそんなにいるのか……。しかもウチの生徒にももう一人」
『異世界帰り』という大きな括りでは確かに仲間と呼べなくはないが、同じ元勇者の二人はテロリストだし、聖母先輩に至っては元魔王だ。仲間と呼ぶには少し語弊がある。
…………そういえば、先生は元勇者と元魔王、どちらなのだろう。
元勇者だという先入観でまた話してしまっていた。とはいえ先生からは某先輩のような異常性も感じられないし、きっと勇者の方に違いない。
「いやぁ、なんかちょっと安心するなぁ! 元魔王仲間がそんなにいるなんて!」
魔王の方だったわ。
「異世界から帰って一ヶ月、誰にも相談できず辛かったよ……」
しかも、たぶん俺が殺した魔王だったわ。
一ヶ月前というと俺の召喚時期とモロ被りだ。
「一番辛いのは、勇者に殺された時の事を未だに夢に見ることだなぁ。先生は《殺戮魔法・爆殺》とかいう恐ろしい技で殺されてな……。こう、体の内側から爆発するんだ。あんなに恐ろしい魔法を使うなんて、全くどちらが魔王か分からなかったよ……」
俺だわ。それやったの俺だわ。
確かに魔王を体内から爆散させたわ。
しかも、なまじ再生力が高いもんだから、何度も何度も爆散させたわ。
出会って五秒で爆散させたから良く顔見てなかったわ。
「あー、俺は魔王じゃなくて、その……勇者として召喚されたんスよね……」
居たたまれなくなり、告白。
「え? そうなのか。てっきり先生と同じ元魔王なのかと。顔怖いし」
顔怖い勇者だっていてもいいだろ。
「あれ、ちょっと待て。お前その顔……」
顔、というワードで勘付いたのか。彼女の目が徐々に見開かれていく。
「あわ、あわわわわわ……」
そして力なくその場にへたり込み、怯えきった顔で俺を見上げてきた。
「その金髪、その残忍そうな顔……。ぎゃ、虐殺勇者……。なぜ私は気が付かなかったんだ……」
腰が抜けてしまったのだろうか、尻もちをついた状態で手の力だけで後退りしていく。が、すぐに壁に当たって退路が断たれてしまった。
「お、お願いします、殺さないで……。爆殺しないで……。なんでもしますから……」
当時の恐怖を思い出しているのだろう。俺を見る先生の目は、およそ生徒に向けるものじゃない。その哀れな姿を目の当たりにして、いつの日か失ってしまった『申し訳ない』という感情がふつふつと沸き起こってくる。
「殺さないッスよ……。俺だって好きで先生を殺したワケじゃない」
「ほ、本当か? イキイキと爆殺してきたのに?」
……イキイキとしていた覚えはないが、まぁ、使い勝手が良くて愛用していたのは否めない。
「そ、そうだよな。当時は敵同士で、互いに役目を全うしただけだもんな」
「いや、まぁ、でも殺したのは事実なんで……」
「大丈夫、別に先生も吉井……吉井サマを恨んではいない」
生徒にサマ付けしないで。
「ただ、当時の恐怖を思い出しただけで……」
そこで先生は何かを悟ったように自身の下半身に目を遣り、続けて困惑したような表情で俺の顔に視線を戻す。
「漏らした……」
ほんとスンマセン……。
「あっ」
再度、先生は何かに気が付いたようだ。
前髪を持ち上げ、その下に刻まれた『惡』の字を晒す。すると、『惡』の一片が、段々と薄くなっていくのを目撃した。
「『教師が生徒の前で失禁する』……。悪行認定されたようだよ、ははっ」
いやマジでほんとスンマセン……。




