第16善「太くて逞しくて……回復力も凄かったです♡」
「はぁ〜、どうもありがとうございました。お陰でとってもスッキリしました♪」
聖母先輩がまさしく聖母のような輝かしい笑顔を向けてくる。しかしその笑顔は、俺の骨を思う存分バッキバキに折るという悪魔の所業によってもたらされた代物だ。
「今度は首の骨も折らせてくださいね?」
「絶対に嫌っスね」
ちなみに先輩に感謝されたからか、骨を折られたのがまさかの善行認定されていた。文字通りの骨折り損にならずに済んだのはラッキーだ。だけど、このことは絶対に先輩に悟られてはいけない。もし知られてしまったら、善行と称してまたボッキボキに折られてしまう。
「善行するのはストレス溜まりますからね。ストレス解消は重要ですよ? 吉井さんも骨折ってみたらどうですか? あっ、わたくしのはやめてくださいね。痛いの嫌いなので」
わがままな人だよ。
「先輩も善行するのストレスなんスね」
「そりゃもう。一日五十回なんて拷問ですよ」
聖母先輩が異世界から帰ってきたのは春休みの終わり頃とのこと。それから今日までの約一ヶ月間、毎日五十回もの善行を継続してきたのだ。その点に関しては素直に尊敬する。
「《お助け部》は良いアイディアっスね。善行の方から勝手に集まってくるなんて」
「はい、でも最初は大変でしたよ〜」
確かに初見では胡散臭い名前だ。ある程度の実績が無いうちは依頼なんか来ないのは想像に難くない。しかし今日一緒に行動を共にして、聖母先輩の人望は相当なものだと分かった。きっと並々ならぬ努力があったのだろう。
「最初は皆さんの記憶を改変しないといけませんでしたし……」
ん? 記憶を改変?
首を傾げると、先輩は『あ、しまった』という顔をする。
「……まぁ、吉井さんには教えてもいいですかね」
照れ臭そうに言いながら、先輩はポケットからスマホを取り出して画面を見せてきた。そこには一枚の写真が映し出されている。バットを片手に単車に跨る、鋭い目つきのゴリッゴリのスケバンの写真が。
「……これ、先輩?」
風貌は今の彼女と似ても似つかないが、目鼻立ちの整った繊細な顔付きは先輩そのものだ。今でこそ敬虔なシスターみたいな格好をしているが、かつての彼女はゴリゴリのスケバンだったと言うのか。思い切ったイメチェンをしたものだ。
「うっ!?」
その写真を見たことが引き金になったのだろうか。突然、脳の奥にズキリとした痛みが走る。そしてそれを引き金に、とある記憶が呼び起こされた。
「あ……。あー!? あんた、『悪魔先輩』か!?」
一年生のとき聞いた覚えがある。一個上の学年に、『悪魔先輩』と呼ばれるヤベー先輩がいると。
「あら? その名前は全校生徒の記憶から消したはずですが……。吉井さん、思い出してしまったんですね……」
消したって。 学校全体に記憶消去の魔法でも使ったのか?
先輩は『もう一度消させてもらいますね』とにこやかに言うと、突然俺の胸ぐらを掴んで拳を振り上げてきた。
「なっ!? なにする気だよ!?」
「一旦、殴って頭蓋骨を粉砕するんです。そうするとその衝撃で記憶が飛ぶんですよ。大丈夫です、ちゃんと修復しますから」
魔法とかではなく純粋なる暴力だった。
さっきの不良達もそうやって記憶を消されたのか。
「頭蓋骨を粉砕して気を失っている隙に、洗脳の魔法をかけるのです。そうするとあら不思議。消したい記憶が都合の良い記憶に置き換わるんです♪」
なんだよそれ怖すぎんだろ……。もしかして、『悪魔先輩』の痕跡を消すために全校生徒ひとりひとりの頭蓋骨を粉砕して回ったというのか!? 『最初は大変でしたよ〜』って、ひとりひとり頭蓋骨粉砕して回るのが大変だったってことか!?
「ちなみに、『悪魔先輩』について覚えていることは?」
「えぇっと……。悪魔先輩は、全校生徒と教師全員から慕われていて、善行三昧の善行番長。愛用する金属バット片手に他校にも善行しに乗り込むような人で、タイマンでの善行が大好きで、制服には善行した相手の返り血が常に付いていて……あれ?」
なんか、『悪魔先輩』のことを思い出そうとすると頭痛が走り、脳みそにモヤがかかるような感覚になる。自分で言っておいてなんだが、善行の返り血ってなんだろう?
俺の返答を聞くと、先輩は『まぁいいでしょう』と胸ぐらを離してくれた。一体何がいいのだろうか。深く考えると頭が痛くなってくるので、それ以上はあまり考えないようにした。
「それじゃ、帰りましょうか」
本日の依頼の予約はもう無いとのことで、俺達は部室を後にした。
聖母先輩の一日五十善のノルマは完了したようだが、俺のノルマはあと一つ残っている。まぁ残り一善くらいは自力でなんとかなるだろう。適当にコンビニ巡ってれば一回くらい強盗に遭遇するだろうし。
「そうだ。吉井さんに見せたい物があるんですが、ちょっとだけいいですか? すぐ済みますので」
部室のある四階から一つ降りた所で、聖母先輩は思い出したかのように言ってきた。言われるがままついて行くと、彼女は何故だか生物室の前で足を止める。扉の小窓から部屋を覗き込み、ヒーローショーでも観る子供のような無邪気な表情で何かを指差した。
「ほら見てください。素敵な骨格標本ですね〜」
目を輝かせる先輩が指差すのは、人間の骨格標本だ。こんなに楽しそうに骨格標本を見る人初めて見た。俺に見せたかったのってこれ?
「カッコいいと思いません?」
思いませんね。
「ああなりたいと思いません?」
思いませんね。
「吉井さんって、皮と肉を剥いでも大丈夫な人ですか?」
大丈夫じゃない人ですね。
「ふふ、冗談ですよ。ふふ。うふふふふふ」
全然冗談に聞こえないんだけど。もうやだこの人怖過ぎる……部活辞めようかな……。
*
「あれ、吉井くん?」
「委員長」
聖母先輩と一緒に昇降口へ向かい、それぞれ自分の靴を取るために一旦別れたタイミングで、委員長と鉢合わせた。
「今帰りか?」
「うん。クラス委員の仕事だったの。吉井くんは? 《お助け部》には行ったの?」
「行ったよ」
「どうだった?」
「骨折られた」
「なにを言ってるの?」
委員長と共に靴を履き替えていると、既に外靴に履き替え終えていた聖母先輩がこちらに歩んで来た。
「あら、吉井さん、お友達ですか?」
「クラスメイトっス」
委員長は聖母先輩の姿を見るなり、驚いた様子で俺と先輩の顔を交互に見る。
「え、聖母先輩? なんで吉井くんが聖母先輩と?」
「委員長、先輩のこと知ってんの?」
「うん。前に……前に、何かしてもらった気がするんだけど、なんだっけ……?」
もしかして、委員長も頭蓋骨を破壊され記憶を改竄されたのだろうか。可哀想に……。
「あ、そうそう。確か、しつこいナンパから助けてもらったような」
委員長しつこいナンパに遭遇し過ぎだろ。大変だな。
「あぁ〜、あの時の方でしたか」
「はい。その節はありがとうございました」
「いえいえ〜」
「先輩ってすっごい喧嘩強いんですよね。びっくりしちゃいました」
「あら?」
「へ?」
あ、まずい。
「委員長さん、ちょっと二人だけで校舎裏に行きませんか?」
「え、いいですけど……」
やめろ! 頭蓋骨粉砕して記憶改竄する気だろ!
「あー、委員長? 先輩が強いのは、喧嘩じゃなくて善行じゃないか?」
「あっ、そうか。先輩は善行が強いんだよね。……あれ? 善行が強いってなんだっけ? うっ、頭が……」
やめろ委員長。深く考えてはいけない。
ともかく、俺のナイスフォローにより委員長の頭蓋骨粉砕は免れたようだ。
「委員長さん、また困ったことがあれば何でもご相談くださいね」
「はい」
もう関わっちゃ駄目だ委員長。そいつは聖母の皮をかぶった悪魔なんだ。
「……それで? なんで吉井くんは先輩と一緒だったの? ねぇなんで?」
なんか質問の圧が強めな気がする。
「先輩は《お助け部》の部長だったんだ」
「あぁ、なるほど。部活終わりで一緒だったんだね。……他の部員さんは?」
「《お助け部》はわたくし一人だけだったんです。吉井さんが入ってくれたお陰で、ようやく二人になりました」
「えっ!? ふ、二人きりで部活するんですか!? 密室で!?」
「密室ではないですが……」
「よ、吉井くんに何かされませんでした!?」
何もしてねーよ。むしろ俺がされた方なんだが。
「ふ、二人きり……密室の薄暗い部室で二人きり……」
「薄暗くもないですが……」
何かを考え混むように、顎に手を当てて俯く委員長。やがて顔を上げると、その目には決意めいたものが宿っていた。
「あの、わたしも入部していいですか!?」
「え!?」
「まぁ、本当ですか!? 歓迎です!」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「ちょ、やめとけって委員長!」
「なに!? わたしが入ると何か困るって言うの!?」
「そうじゃなくて……委員長の骨の心配をだな……」
「だから何を言ってるの!?」
「まぁまぁ、吉井さん。委員長さんもやる気満々みたいですし、歓迎しましょうよ。それに、見たところ骨折歴無し、骨密度120パーセントの超健康体な方ですし。じゅるり」
「さっきからホネホネって何の話してるんですか!?」
この人の目にはレントゲン機能でも付いてるのかな?
「それでは、わたくしはこれで」
「あれ、一緒に帰らないんですか?」
「えぇ。わたくしがいたらお邪魔みたいですし」
意味深な聖母先輩のウインク。それを受けた委員長は顔を赤らめて黙りこくってしまった。
「では、さようなら。……あっ、吉井さん」
去り際、聖母先輩が何やら思い出したかのように立ち止まる。頬を赤らめ、瞳を潤ませ、どこか恍惚とした表情で。
「吉井さんの『アレ』……太くて逞しくて……回復力も凄かったです♡ とっても素敵でした♡ 先っちょだけのつもりが、我慢できずに結局根本まで……♡」
「ちょちょちょちょっと! 吉井くん! 一体何したのっ!?」
「骨の話だよ……」
「また骨!?」
そうして、無用な混乱を残して聖母の皮を被った悪魔は一足先に帰っていった。
しかしマズイな。委員長が入部してしまったら、彼女まで先輩の標的になってしまう。なんとか阻止したいところだが、委員長の入部する意思は堅そうだ。ここは俺が身代わりになるしかない。
「委員長」
「なに?」
「俺が守ってやるからな」
「はえ!? きゅ、急になんなのぉ!?」
「委員長の骨は、俺が守る」
「だから骨ってなんなのぉぉぉぉ!? でもありがとぉぉぉぉ!!」
ラスト一善。なぜかゲットした。




