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壱章-③ 双子の妹、終わりを望む

 *


 巴結彌乃(ゆみの)

 それが、琴乃の姉の名前だ。

 顔だけは瓜二つの姉は、この時間になると必ず琴乃を部屋に呼びつけた。


 痛む腹部を庇いつつ今日も、母屋にある結彌乃の自室の前で声をかける。


「結彌乃様。琴乃です」

『入りなさい』


 許可をもらってから入室すれば、眉間に皺を寄せた結彌乃の姿があった。


 艶やかな黒髪は丁寧にくしけずられて艶を帯び、肌は白魚のように白く美しい。まあるい藤色の瞳は、巴家の人間であるという証だ。


 頭のてっぺんから爪先まで、手入れのし尽くされた絶世の美少女。


 顔の作りから体の造形、持っているまで瓜二つなのに、結彌乃と琴乃には決定的な違いがあった。その容姿を維持するために、どれくらいの金銭が注ぎ込まれているか、だ。それを目に焼き付けるたび、琴乃の胸がぎゅうっと苦しくなる。

 結彌乃と琴乃がこうして毎日顔を合わせているのは、琴乃がより一層苦しむようにだと雄一郎は言っていた。


 同じ顔で、これといった見た目的な違いはない。

 しかし扱いの差でここまで劇的な変化があるということを琴乃に見せつけることで、呪術はより強くなるのだという。

 そうすれば、結彌乃はより力を得る。巴家はより栄える。

 琴乃はどこまでいっても、使い捨ての歯車でしかなかった。


 全てにおいて恵まれている結彌乃は、怪訝な顔をしたまま琴乃を見た。


「あら、遅かったじゃない。また何か粗相でもしたの? 情けない」


 そう言いながら、結彌乃は着物を脱ぐよう命令する。恒例事項なので、琴乃も言われるがままに従った。

 その体に新しい打撲痕ができているのを見ると、より眉間に皺を寄せる。


 だが何を言うわけでもなく、結彌乃は「和臣かずおみ」と名前を呼んだ。すると、襖がするすると開き一人の男性が入ってくる。


 霧崎きりさき和臣。巴家の専属医だ。

 巴家の人間がより霊力を高められるよう、またそういった子どもが産めるよう、高名な術者の元には大抵腕の良い専属医がいる。彼ら自身も術者で、人の怪我や病気を治すこともできた。


 和臣自身もそうで、琴乃の怪我を見て「また派手にやられたねぇ」と言いつつ薬草や符などを使って治療をしてくれる。そこらへんの医者と違い、術式を修めている医者はものの数分で怪我をなかったことにできるのだ。


 和臣の声には同情のようなものがにじんでいたけれど、彼がこうして治療をするのはそれが巴家のためになるからだ。

 怪我や病気は、死んでしまう危険性といつも隣り合わせだ。

 痛めつけたいができる限り長く生きて欲しい巴家にとって、琴乃が死ぬような事態は望ましくない。


 ただ、それだけのこと。


 でもこの瞬間は決して暴力を振るわれないので、少しだけ気が抜ける。結彌乃も、自分と同じ顔の持ち主に暴力を振るうのは嫌らしく、手を出すことはない。しかし結彌乃から見て琴乃はとても愚図らしく、何かと言葉できつく当たられた。

 そんな結彌乃はいつも、学習院での宿題を琴乃にやらせる。


 結彌乃が通う学習院は特別で、術者の教育に特化した教育機関だとか。多くの華族の子どもたちも通っているが、中には霊力を持った平民の子どももいるらしい。

 優秀な結彌乃としては、学習院の勉強内容は退屈ようだ。だから琴乃に宿題を押し付けるのだ。


 かりかり、と琴乃が鉛筆で問題を解いていると、横からぬっと顔を出した結彌乃が怪訝な顔をする。


「ちょっと、ここ。使っている式が違う」

「あ、も、申し訳ありません……」

「謝るくらいなら間違えないで。あんたのせいであたしの名前に傷がつくなんて、嫌だもの」

「は、い。気をつけます……」


 言いたいことを言うと、結彌乃は椅子に腰掛けて最近若者の間で流行っているファッション雑誌を読み始めた。

 しかし時折琴乃の進捗を確認しては、間違いを指摘していく。


「ちょっと。この文で本当にいいと思ってるの? 文法すら合ってないじゃない」

「申し訳ございません」

「というより、もっとあたしの字に似せて書きなさいよ。じゃないと先生にばれるじゃない」

「はい。申し訳ございません」


 琴乃は、学校にすら行っていない。当初は文字も読めなかった。だが今こうして字を読み、文字を書き、少ないながらも知識を得ている。

 これから先使うか分からないものだったけれど、それでも、炊事や掃除をさせられて暴力を振るわれ続ける生活の、僅かながらの気休めにはなった。


 それでも、結彌乃のことは恐ろしい。彼女はいつも琴乃に厳しくて、いつも怒っている。その怒りがいつ自分に暴力という形で向くか分からず、彼女が背後にいると冷や汗をかいた。


 ただ厳しいのは琴乃にだけでなく、他の使用人も叱っている。父親である雄一郎のことも、真っ向から非難しているのを見たことがあった。

 だからか、他の人間といるよりはまだ安心できた。


 だけれど、少しだけ不思議な面もある。それは毎日一回は、琴乃にこう問いかけるところだ。


「ねえ、あんた。鏡、肌身離さず持ってるんでしょうね?」

「は、い。もちろんです」


 結彌乃が言っているのは、巴家の中でも『双子鏡ふたごかがみ』と呼ばれている呪具だ。

 丸い手鏡で、鏡面の裏側には真ん中に太陽、そして双子の三日月が左右対称になる形で描かれている。代々後継ぎの双子が、肌身離さず持つ決まりになっていた。


 習慣化してしまったこともあるだろうが、この手鏡を持っていると少しだけ気持ちが落ち着く。まるで鏡が、琴乃のことを守ってくれているような、そんな気がするのだ。


(もちろん、ただの気休めなのでしょうけれど)


 琴乃がそれを襟元から取り出して見せると、結彌乃はふんっと鼻を鳴らしながらいつもと同じことを言う。


「あんたが持つには勿体ないくらいの大切なものなんだから、失くすんじゃないわよ」

「はい。承知しました」

「……あたしはご飯を食べてくるけど、さぼるんじゃないわよ」

「はい」


 そうして、結彌乃が夕食に行ってからも、琴乃は宿題を続ける。


 カリカリカリ。


 鉛筆の音だけが響く室内は、とても静かだ。同時に、琴乃にとって最も安心できる瞬間でもある。

 ひとまず全ての課題を終わらせた琴乃は、ふと思い立ち自分の手のひらに指で文字を書いた。


『さかえ』


 それは、夢の中に出てくる美しい人の名前だ。


(多分……『栄える』という言葉から付けられたお名前よね)


 とても縁起の良い名前だと思った。銀の髪に金の瞳を持つ彼にはぴったりの名前だ。名は体を表すと言うが、本当にその通りだと思う。


 どのような漢字なのだろうか、と思いを巡らせる。それだけなのに胸が弾んで、心の中にぽうっとあたたかい光が灯るようだった。

 名前を書いた手のひらを握り締めると、琴乃はもう片方の手で握り締めた拳を撫でる。


 ああ、やっぱり。


(彼は私の、救い人だった)


 僅かにはにかみながら、琴乃は噛み締めるようにもう一度『さかえ』と口の中で転がした。





 再度指摘されたところを直して使用人部屋に戻った頃には、外は真っ暗闇に染まっていた。


 灯りなどもらえるはずもないので、勘を頼りに歩く。なんとか部屋に着いてまたご飯をお腹の中に押し込んだ。食器を片付けて寝巻きに着替えれば、就寝の時間だ。

 薄汚れた畳の上に薄い布団を敷いて、その頭上に双子鏡を置く。そして布団の中で身を縮こませた。


 春が近づいてきたとはいえ、朝と晩は冷える。薄い布団ではやはり寒かった。

 それでもなんとか体を温めようと、両腕を交差させて自分の体を掻き抱く。


(大丈夫、大丈夫……眠ってしまえば、安心、だもの)


 夢の中に身を委ねれば、安寧が待っている。琴乃が何より待ち望んだ幸せだ。


 ぎゅっと目を瞑って必死に耐えていると、だんだん意識が引っ張られていくような感覚に襲われる。ようやく眠りにつけるらしい。

 まどろみの中、琴乃は心の中で呟く。


 おやすみなさい。

 どうか、明日も早く終わりますように。

 そして願わくば。


(――私の命が、できる限り早く終わりますように)

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