壱章-② 双子の妹、終わりを望む
「この程度しかやれないのか。やはりお前は眸子に似て不器量な女だ」
掃除中、必ずと言っていいほどやってくるのが父親である雄一郎だった。彼は昨今西洋文化が褒めそやされていることもあり、大抵洋装をしている。今日もスーツを着ていた。
雄一郎の第一声は大抵決まっていて、まず琴乃の母である眸子を引き合いに出して責めてくる。
使用人たちの話を掻い摘んで聞いただけなので真偽は確かではないが、雄一郎は分家筋の婿養子で、眸子は本家筋の術者だったらしい。眸子は雄一郎より優れていて、何をしても眸子のほうが上だったようだ。
だからか、自分を捨てて失踪した眸子が憎く、顔が似ている琴乃たち双子のことも嫌っていた。
本当に憎いのは眸子に似て優秀な琴乃の姉らしいのだが、呪術的に姉を傷つけることはできない。だから、琴乃に全てをぶつけてくる、らしい。
それは分かっていても、顔も覚えていないくらい幼い頃にいなくなってしまった母親が自分のせいで貶められていることは心苦しかった。
「まだここまでしか掃除ができていないのか。これだから眸子の子どもは出来が悪くて困る」
どかりとソファに座り、雄一郎はステッキで床を叩きながらくどくど言った。琴乃はその足元に土下座をしながら、降り注ぐ言葉を全身で受け止める。
「全く……女など子を産むしか脳がないのだから、表舞台に立ってでしゃばるんじゃない」
「はい」
「わたしが言うことを聞いていればいいのだ……それなのにどいつもこいつも意見ばかりしてきおって……」
こつこつこつこつ。雄一郎が苛立たしげにステッキを突いて、つま先を叩いて貧乏揺すりをしている。
何があったのかは分からないけれど、今日はどうやら虫の居所が悪いらしい。
いつステッキの先端が飛んでくるのか分からず、琴乃はずっと身構えていた。
しかしそのとき、第三者の来訪を告げる扉が開く音がする。
「あ、こちらにいらっしゃったのですね、ご当主」
その声を聞き、琴乃の背筋がぞわりと粟立った。
入ってきたのは、従兄弟である勝己だった。
彼も雄一郎と同じ洋装を身に包んで、人の良さそうな笑みを浮かべて歩いてくる。その後ろには、勝己と同じ年齢くらいの従者が背を丸めながら付き従っている。
勝己の登場に、雄一郎は怪訝な顔をした。
「なんだ、勝己。何をしにきた」
「いえいえ、近くまで寄ったものですから、ご当主に挨拶をと思いまして」
「ふん」
「ほらこちら、異国から取り寄せた葡萄酒を持ってきたんです! よろしければ今夜、一杯一緒にいかがですか? そして是非、次期当主とわたしとの縁談をですね……」
そう言いながら、勝己は従者に持たせていた紙袋を持ち大袈裟に掲げる。
「葡萄酒を置いて帰れ。お前になど用はない」
雄一郎はそれだけ言って葡萄酒の入った紙袋を引ったくると、興が削がれたのか部屋を出て行ってしまう。
琴乃は土下座をしたまま、ただ嵐が去るのを待った。
(どうかお願い、帰って……お願い)
しかし雄一郎がいなくなったことをいいことに、勝己はチッと舌打ちをして今まで雄一郎が座っていたソファにどかりと腰を下ろしたのだ。従者が慌てながら、勝己が座ったソファの後ろに控える。
「はー。全く、当主の何が偉いって言うんだよ。あんなやつ、ただのお飾りじゃねーか。むかつく」
勝己は人が変わったように口汚い言葉を吐き捨てると、大きくため息をこぼした。
勝己はどうやら、雄一郎に胡麻をすって姉との縁談をすすめたいらしい。しかし親戚の中でもさほど大きな力を持っていない勝己に、雄一郎の関心は薄いようだ。
術者の才能は、生まれながらに決まる。
特に顕著なのは、術を編むときに必須な霊力と呼ばれるものだった。
体には霊力を溜めるための器官があって、その器が大きくなければ大きな術式は使えないらしい。そのため、生まれながらにして価値が決定してしまうのだ。
勝己も、琴乃の姉と比べると霊力が低い術者だった。
しかし雄一郎もそれは同じで、眸子との婚姻は身体的相性の良さを考慮してのものだったそうだ。勝己はそれが気に入らないらしい。
そんな勝己が、琴乃は父親の次くらいに苦手だった。いつも目をギラギラさせて、野心に満ち溢れているからだ。そういう人間は、本当になんでもする。それが相手からしてみれば理不尽な行ないであったとしても、欲のためならやるのだ。雄一郎も同じだ。
毛嫌いしている雄一郎と自分が同じだということに気づいていないのか、勝己はぶつぶつと未だに文句を言っている。
「酒も持ってくだけ持っていきやがって……あの業突く張りめ。話くらいさせろっての」
ガタン!
勝己が、ソファの前に置いてあったテーブルを蹴飛ばす。大きな音に、琴乃は土下座をしたままびくりと肩を震わせた。
すると勝己は、今まで視界に入れることすらなかった琴乃を上から見下ろして語りかけ始める。
「そこんところさ、どうにかなんないの? お前、あいつの娘じゃん」
「……申し訳ございません」
「いやさー欲しいのは謝罪じゃなく、実行なんだよ。やれよ、なあ?」
「申し訳、ございません。できません」
勝己は舌打ちをすると、琴乃の背中を勢い良く踏み付けた。背中に痛みが走り、琴乃は思わず呻く。
そんなことお構いなしに、雄一郎は体重をかけながら言う。
「じゃあせめて、あんたのねーちゃんに会わせろよ。それくらいはできんだろ?」
「ぁ、それ、も……できま、せん」
「ア? なんでだよ。俺が指定したところに呼びつけりゃいいだろうが!」
「ッッッ! もうしわけ、ありま、せん」
踏み付けだけでなく腹部への打撃も入り、激痛が走る。
身を丸めながらそれでも胸元を庇うようにして、琴乃は勝己の暴力に耐えた。
当たり前だが、勝己の従者は決して助けてくれない。むしろ琴乃と同様、勝己の癇癪が治まるのを息を殺して待っているような青年だった。
最後のほうは、もう何を言われて謝っていたのか覚えていない。ただ気づけば勝己は消えていて、ぼろぼろの琴乃と荒れた部屋だけが残されていた。
なんとか立ち上がった琴乃は、部屋を片付けてからのろのろと歩き出す。そしてふらふらのままかび臭い使用人部屋に戻ると、昼食を胃に詰め込んだ。
それが終われば、最後の勤めが待っている。
琴乃が向かう先は、姉のところだった。




