伍章-① 空白華嫁、望む
皇城での一件を経て、琴乃は『術式』というものに興味を抱いた。
そしてそれを、縁は宣言通り栄に伝えてくれたらしい。翌日には初心者に必要な準備を整えてくれた。
霊力が並以上あるということを栄に確認してもらってから、琴乃はあるものを渡される。
それは、一冊の教本と硝子玉だった。
硝子玉は、琴乃の両手で抱えられるほどの大きさがある。
「この硝子玉はね、霊力を一定量込めると花が咲くんだ」
(花が、咲く?)
どういう意味か分からず首を傾げていると、栄が早速実践してくれる。
すると本当に、硝子玉の中に花が咲いた。
咲いたのは、純白の蓮の花だ。最初はただの蕾が硝子玉の底に現れ、だんだんと花開いたのだ。
硝子玉から栄が手を離すと、花はまるで煙のように溶けて濁り、やがて霧散してしまう。
(とても、綺麗)
目を丸くして硝子玉を凝視する琴乃を、栄は嬉しそうな顔をして見つめる。
「まず初めにこれを使って、霊力というものをしっかり感じてもらう。それから、触らない状態でこれに一定時間霊力を流し続けていられたら、入門としては成功って感じだね。基礎の基礎となる霊力操作というものだよ」
「なるほど……」
「気に入ったみたいで良かった。初心者には別の方法もあるんだけど、琴乃はこういうのが好きかなと思って、これにしたんだ」
「あ、ありがとうございます……とても綺麗です」
「だよね。蓮だけじゃなくて薔薇とか椿もあるんだ。うちの研究所で初心者用に楽しんで霊力操作を学んでもらおうと思って作ったんだけど、予想外に売れてびっくりした」
「そうなのですね。…………え?」
栄があまりにもさらりと告げたので思わず流しそうになってしまったが、今聞き捨てならないことを言っていた気がする。
気になった琴乃は、恐る恐る口を開いた。
「えっと、その」
「うん?」
「……栄様は、研究所にお勤めなのですか……?」
華族の中には、労働をしない家系も多い。それ以外の方法で金銭が入ってくるからだ。
特に神族血統には独自のお役目というのがあり、その一つに人が密集している都市部や町などへ定期的に赴き、妖避けの結界を張る、というのがある。
国の人々を守るために必要な、とても大切なお役目だ。
なので琴乃は、栄もそう言ったお役目をして生活をしているものだと考えていた。
しかしどうやら違ったらしい。
栄は笑うと、
「仕事というか……趣味に近いかな。僕はね、霊力とか術式とか、そっちの研究をしてるんだ。その資金集めも兼ねて商品開発もしてるって感じ」
「そ、そうなのですね……」
「うん。一応国の支援ももらってるよ。術式への理解を深めて多くの人が同じように使えるようになれば、国防に繋がってくるからね」
「……栄様はやはり、すごいです」
琴乃が家の中で家のためだけに生きてきた生き方とは、まったく違う。栄は、より国を良くするために動いているのだ。
そう悟ると、なんだか栄の存在がより大きく見える。
琴乃が心の底から感心していると、栄が苦笑した。
「うーん。これはね、そんなにすごいものじゃないんだ」
「……え?」
「僕は、僕が叶えたい願いのために、研究所を開いた。そしてそれを追い求めるために研究を続けてる、ただそれだけ。その過程で人々に良い方に働いたのは、偶然としか言えないんだ。だからこれはそんなにすごいものでも、偉大な行動でもないんだよ」
そう語る栄は、どこか遠くを見つめていて。なんだか寂しそうに見える。
琴乃は何か言おうと口を開いたが、それは上手く言葉にならなかった。
そして栄もそれ以上、その話をするつもりはないらしい。すぐに破顔し、琴乃を見る。
「とりあえず、これに霊力を通して、霊力操作を学ぶというのが第一関門なんだけど、大丈夫そう?」
「は、はい」
「うん。僕がいるときは見るし、いないときは秋穂が教えてくれるから。とりあえず、毎日一回続けてみよっか」
「はい」
「それが終わったら、個人や家ごとにある術式の特徴について教本で学ぶ。この辺りの座学はあんまり面白くないと思うけど、大丈夫そう?」
「だ、大丈夫、です。……これを、やってみたいので」
そう言い、琴乃は縁と馨と一緒に作った千代紙の鶴を見せる。栄はそれを受け取ると、ふむふむと眺めた。
「これ、鑑片家の次期当主たちにもらったの?」
「は、はい。今学院で流行っているそうで……」
「へえ〜。……ああ、なるほど。これ、複合術式か。千代紙自体に文字で術式を刻んで、言霊を使って起動してるのか……」
手のひらの上に乗った鶴をまじまじと観察しながら、栄が何やらぶつくさと言っている。挙句「文を鳥とか蝶々に変えて届けるあの術式の、簡易版って感じだなぁ……」と言い「完全に遊びにしてるのは面白いな」と呟いていた。
琴乃には何を言っているのかさっぱり分からないが、栄がとても楽しそうに分析しているので嬉しくなる。
そこで栄が「あ」という顔をした。それが百貨店の喫茶室で話をやめてしまう前と一緒で、琴乃は焦った。
(お、お話をまだ聞いていたい)
その気持ちを込めて、琴乃は勢いのまま声を上げた。
「あ、あの、私!」
「う、うんっ?」
「栄様のお話が分かるくらい、術式のお勉強を頑張りたいです!」
「………………そ、そっか」
「はい! ですので、よろしくご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします!」
ぎゅっと。琴乃は拳を握り締める。自分に気合を入れるためだ。
栄はそんな姿を、少し眩しそうな顔をして見つめたのだった。




