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肆章-⑥ 空白華嫁、新しきものに触れる

 *


 孤月院家の紋様である彼岸花の家紋が描かれた馬車が、皇城から出てくる。

 それを、少し離れた、皇城の正面門から見通せる宿屋から遠視にて確認していたのは、巴家分家の一家系、その一人息子である勝己(かつみ)だった。


 勝己はすがめていた瞳を元に戻して遠視を切ると、ふう、と深く息を吐き出す。


 琴乃が孤月院に連れて行かれてからもう何週間も経つ。その間、勝己はずっと琴乃の動きを観察していた。といっても、主に外に出たときだったが。

 孤月院家内での動きも確認したかったが、そんな恐ろしいことができるほど、勝己は優れた術者ではなかった。

 なので、琴乃が外出する時は、勝己にとって唯一無二の機会だった。


 しかし一番琴乃に接触できるはずだった百貨店は、栄のせいで呆気なく失敗している。

 あのときに、勝己の従者が琴乃に傷を負わせることができていたら。勝己は少なくとも、許されたはずなのだ。

 それが、結彌乃から提案されたことだったのだから。

 だがやはり従者は従者、まったく使えず、どうやらあのまま警察に捕まったようだ。勝己のことは話せないように術式で縛ってあるため大丈夫だろうが、つくづく使えない従者だったと思う。


 そして次に外出したかと思えば、行き先はまさかの皇城である。政治の拠点としてある意味開かれた場所ではあるが、勝己など入ることすら叶わない場所だ。また、孤月院家などとは比べ物にならないくらい防犯設備は整っているし、警備も山のようにいる。覗こうと術式を使おうとすることですら、目をつけられる可能性が出てくる。


 今回も無理だ。


 だから勝己はあっさりと諦め、遠目から皇城の門を一望できるこの宿の最上階で、ただ動向を観察しているのだった。


「どうしてこんなことに……」


 すっかり艶をなくしてしまった髪をガリガリと掻きむしりながら、勝己は思わず呟く。

 自分は、分家の意見をまとめて本家の能無しである雄一郎(ゆういちろう)に伝えていただけだ。

 しかしその雄一郎の逆鱗に触れて本家からの出入りを禁じられた。ここまではいい。

 ただ、その後の。酔った勢いで琴乃を襲おうとしたのはまずかった。


「疫病神を手籠めにして認めさせようとしたことが、間違いだったんだ……」


 きっとあのとき、勝己は琴乃から不幸を伝染(うつ)されたのだ。そうだ、絶対そうだ間違いない、と勝己は思う。

 でなければこんなことにはならなかった。


 こんな。

 今までもてはやしてくれた分家筋の当主にまで厄介者扱いされ、お前のせいだと袋叩きにあい。

 挙句家まで追い出されて女の家を渡り歩き、身なりにすら気を使えないくらいの金銭しか残っていない、なんてことには。

 絶対ならなかった。


 そう考えると、ふつふつと胸の内側から怒りが込み上げてくる。


「本当に、何様のつもりだ……孤月院家なんていう高等な家に飼われやがって。一体何をしてやがる。家の繁栄を支えるのがお前の仕事だろうが!」


 勝己はそう叫ぶと、宿の畳を蹴る。

 一度火がついた怒りはおさまるどころかより燃え上がり、勝己の怒りを増幅させる。


 どこからともなく三味線の音や唄を歌う声が聞こえてきて、なおのこと腹が立った。どうやら誰かが芸者を呼んでいるらしい。


 昔は、勝己もよく似たようなことをしていた。

 宴席で芸者を呼んで遊ぶなど、しょっちゅうだった。屋敷に呼ぶことだってままある。

 それが、今ではこんな調子だ。

 そう。不幸を背負う〝琴乃〟という存在がいなくなったからだ。


「そもそも、他家にあんな形で介入してくることのほうがおかしいだろうが! クソ、何が孤月院だ、何が神族血統だ! 可哀想なモノを見て同情でもしたのかよ、それとも使用人が密告したのかっ? クソ、クソッ! あんな女のせいで、どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよッッッ!」


 ダン、ダン、ダン、ダン。

 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。

 叫ぶ。

 すべては琴乃のせいなのだから、と。勝己は喚き散らした。

 そんなときだった。




「――琴乃様に不幸を押し付けておきながらその言い草とは。やはり、程度が低うございますね」




 そう、冷ややかな女の声が聞こえたのは。


「誰だ⁉︎」


 そう叫んだ勝己が周囲を見回せば、その女は入り口にいた。

 そう。いたのだ。元からそこに立っていたかのように、いた。

 しかし瞬く前にはいなかったはずだ。そう確認し、勝己は冷や汗を流す。


 狐面を付けたおかしな女だが、琴乃の名を出してきたこと。また狐の面をつけていることから、孤月院家の人間であることは確実。

 そう判断し、勝己は窓の外をチラリと確認した。


 この程度の高さであれば、外へ飛び出したところで術式でなんとでもできるだろう。

 なので退路はある。

 そう確認すると少し心に余裕が生まれた。勝己はにやりと口端を持ち上げる。


「こんな場所になんのようだ、女如きが」

「……口も大層お悪いのですね」

「ハッ。礼儀知らずの女に敬語なんざ使うか」

「我が君を遠くから覗く無礼者にかける礼儀など、小指の先程もございませんから。仕方ありません」


 ああ言えばこう言う、というのはこういう状況のことを指すのだろう。言葉を交わせば交わすほど、苛立ちが募っていく。

 勝己からしてみたら最悪の悪循環だった。


 術者の家では性別の違いなどさしたる問題にも差別にもならないが、女が男よりも力が弱く、いくらでも暴力で従わせられる、というのは昔から変わらない。だから勝己も、女を下に見る傾向があった。

 その上女からは、差したる霊力を感じない。霊力の大きさはそのまま術者の強さになるこの界隈で、それは致命的だった。

 つまり目の前の女は、分家の中でも落ちこぼれだということになる。


 だから勝己は目の前の狐面の女を、完全に舐めていた。

 それが、大きな間違いだったとも知らずに。

 いい加減話し続けていることにも飽きてきた勝己は、早々に退散しようと思った。そもそも何故話し込んでしまったのか、さっぱり分からない。


 耳障りな唄もずっと聴こえるし、この場にいたくない。

 そう思い、窓の外に身を投げたときだった。

 底がないことに、気づいたのは。


 ――え?


 落ちる、堕ちる。墜ちていく、どこまでも。

 ねばついた夏の夜のような、居心地の悪い闇が全身を巣喰っていく。

 先程までは普通の道路があったはずなのに、何故。

 どことも分からない場所に落ちていく恐怖を感じながらも必死にもがき上を見上げれば、狐面の女が窓から顔を覗かせているのが見えた。


「術式の基本は、言霊です。会話、唄。それは言葉の力をより強めてくれるモノ……賢い方なら、唄が聞こえてきた段階でお逃げになるでしょうね。……ええ、賢い方であれば」


 言葉がまるで落ち葉のように、静かに降ってくる。女との距離はどんどん広がっていくのに、声だけは鮮明に勝己の耳に響いた。

 そのときようやく、勝己はすでに相手の術中にはめられていたことを知る。


 ――嫌だ、死にたくない。

「殺しませんよ、お話をお伺いしたいので」


 ――どうしてこんなことに。

「因果応報にございます。人の幸と不幸は等分なのに、他人に押し付けた報いですよ」


 ――どうして、俺だけ。

「ご安心を。華嫁を傷つけたのはあなただけではございませんから、我が君は等しく罰をお与えになります。もちろんあなたにも、他の方々にも」




 あの方は、神様ですから。




 そんな言葉の意味を理解し切る前に、勝己は闇に喰われて消えた。

 あとに残ったのは、すべてを燃やし尽くすほど赫い、黄昏色の空だけだった――

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