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肆章-④ 空白華嫁、新しきものに触れる

 ひとまず着物選びを終えた三人は、縁と馨の部屋へ移動した。

 扉を開けば真ん中に円型の絨毯と大きな円卓があり、椅子が三脚用意されている。つややかな円卓は深い飴色をしており、脚の装飾も凝っていて美しい作りをしていた。


「こっちがわたしの部屋で、」

「こっちがわたしの部屋なの」


 縁、馨の順で右、左の扉を指す。


『そしてここが、二人の共用部屋』

「……お部屋が、繋がっているのですね……」

「そう。不思議な作りでしょう?」

「わたしたち双子専用なの。お母様が考えられたのよ、面白いわよね」


 なんて言いながら、二人は琴乃を真ん中の席に座らせて、互いに空いた席に着く。そして使用人にそれぞれ緑茶とカステラ、紅茶とビスケットを頼んでいた。食べたいものの好みは、バラバラらしい。


「琴乃さんは、緑茶のほうがよいかしら?」

「それともお紅茶を飲んでみる?」

「あ……そ、の。……紅茶を、飲んで……みたいです」


 紅茶は実を言うと、栄が好んで飲んでいた。

 上のほうは細いのに、下のほうはふっくらとした白磁のポットから、飴色の紅茶がティーカップに注がれるのを、何度も見ている。

 毎日香りが違っていて、それがどれもなんとなく高貴な香りを漂わせていて、心がときめいた。

 それを思い出し、琴乃は躊躇いながらも口を開く。


「琴乃さんが紅茶! 同じね!」


 それを聞いた馨は、自身が選んだものと同じものを選んでくれたことに喜んだ。

 すると縁が、にっこり笑う。


「じゃあお茶菓子は、カステラとビスケット両方用意しましょうか。どちらも紅茶に合うもの」

「え、あ、その」

「あ、それいい! 縁さすがだわ!」


 さすがに二種類の茶菓子を出してもらうのは図々しいし、はしたない。

 そう思ったのだが、馨はそれを喜びもうその気になっている。

 一方の縁も「せっかくだから、わたしは緑茶も紅茶も飲もうかしら」と自由にしていた。


(なんていうか……すごく、楽、だわ)


 実家にいた頃は一挙一動すべて見張られていて、何か気に入らないことがあれば暴力を振るわれたし、何もなくてもいるだけでなじられ、存在を否定された。

 しかしここには、そんな空気はない。

 かといって、琴乃のことを無視するわけではなく、ちゃんと意見を聞いてくれた。

 そして縁と馨も、お互いにやりたいこと、食べたいものをして、言って、意見が違って対立することがあっても、それを引きずるようなことはまったくない。

 人と人の関係にはこういう在り方もあるのだと、初めて知った気がした。


(栄様や秋穂さんとの生活も、とても穏やかで心地が良いものだったけれど……でも、なぜかしら。お二人を見たら、不思議とほっとする)


 栄との生活は優しくて暖かくて好きだが、でも心の中にはいつも、どことなく申し訳なさがあった。

 しかしそんなに気にする必要はないのではないかと、縁と馨を見ていると思えてくる。むしろそうやって勝手に気にしすぎて、栄と距離を取っているほうが、彼に失礼なのではないかと思う。


(先ほども重くとらえすぎて、馨さんを困らせてしまったもの……)


 そう考えたら、体の強張りが不思議と解けていく気がした。

 するとちょうど、使用人がカートに茶器を乗せてやってくる。


 開花した躑躅のような形をした白磁のティーカップに、艶やかな深紅色の液体が注がれていく。

 自身の前にティーソーサーとともに置かれたそれを、琴乃はじいっと眺めた。


 ちらりと馨の方を見れば、ソーサーごと持ち、ティーカップの持ち手をつまむようにして飲んでいる。

 それを真似しようとして落としそうな気持ちになり、少し体を強張らせる。そこからおそるおそる口に含むと、今までに飲んだことがない味が口に広がった。


 緑茶や番茶、焙じ茶とはまた違う独特の渋みがきたかと思うと、爽やかな香りが抜けていく。緑茶は新緑のような爽やかさを感じるが、こちらは草があたたかな陽光を浴びて独特の熱気を放つときのような、太陽の香りがした。

 ソーサーにカップを戻してから、琴乃はビスケットに手を出す。


 こちらも馨を真似して皿ごと持つと、長方形のそれをつまむようにしてから口に入れた。

 口にして、驚く。生地があっという間にほろりと溶けてしまったからだ。

 サクサクという食感と、濃厚な食べたことのない甘い味が口いっぱいに広がる。未知の味だったがそれ以上に、その美味しさに衝撃を受けた。

 思わず口元を押さえて固まっていると、馨が悪戯っぽい笑みを琴乃に向けてくる。


「ふふ、美味しいでしょー?」

「は……はい……」

牛酪(バター)っていう、牛のお乳で作られたものをたっぷり使っているから、濃厚なの。すごく、幸せな味がするよね」


 幸せな味。


 その通りだと思い、琴乃はただただこくこくと頷いた。

 これは、幸せをぎゅっと詰め込んだような、甘くて温かい味がする。

 すると逆側からずいっと、肉叉(フォーク)に刺さったカステラを差し出された。


「ささ、琴乃さん。こちらもどうぞ」

「え、あ、はい」


 そのままの勢いで口を開けば、口の中に黄金色の菓子が入ってくる。

 噛み締めた瞬間、ざりっという独特の食感に、琴乃は目を見開いた。

 ざり、ざりという音に砂でも噛んでしまったのかと思ったが、次第にそれが砂糖だということに気づく。ビスケットのときとは違いしっとり、しかしふわふわした生地は、雲を食べたらこんな感じなのではないか、という想像通りの食感だった。


(カステラも、とても美味しい……)


 こちらは、太陽のような味がする。ふかふかの干したての布団の上で、大の字になったような。そんな気持ちにさせられるのだ。

 どちらも未知の味で戸惑うこともあったが、しかしそれ以上に美味しくて、胸が震える。

 新しいものに触れるということがどういう気持ちを生むのか、琴乃はこの日本当の意味で知った。


(……ああ、これは……)


 とても、楽しい。

 そう思うと、自然と顔がほころんでいく。

 それを見た双子は互いに顔を見合わせた。


「琴乃さん、わたしのほうも食べて?」

「え」

「いいえ琴乃さん、カステラをもっと食べてくださいな」

「あ、あの、えっと……」


 戸惑いつつも、琴乃はずいっと差し出されるビスケットとカステラを、少しずつ食べていく。紅茶も少しずつ飲み、その香りと味を楽しんだ。


 初めての味は、驚くことばかりだったけれど。

 しかしそれ以上に楽しくて、あたたかかった。

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