肆章-③ 空白華嫁、新しきものに触れる
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場所は戻り、鑑片家の邸宅・客間にて。
琴乃は、着せ替え人形にされていた。
縁と馨が今着ているようなビビットな色合いの着物の反物から、琴乃がお目にかかったことがないような裾の広がった洋装まで。踵の高い靴、磨き抜かれた宝石がいくつも連なる装飾品……どれもこれもキラキラと輝き、目が回ってしまう。
そんな琴乃の姿を見て、あーでもない、こーでもないと縁と馨が言い合い、品物を持ってきていた商店の従業員が、それをにこにこ笑顔で見守っている。
何故このような状況になっているかというと、縁と馨がこの日のために、商店の人間を呼んでいたからだ。
華族令嬢にとってこれは、『遊び』の範疇に入るらしい。
琴乃が先日行った百貨店などにも行くことはあるが、馴染みの商店などがあればどんな商品を持ってきて欲しいかの注文を出して来てもらうことの方が多いという。
「外で気兼ねなく見ることができたらいいんだけど、安全性に欠けるからあんまり推奨されてないんだよね」
とは、馨の言葉だ。
それを聞き、琴乃は勝己の従者に襲われた後のことを思い出す。
(栄様が謝られたのは、襲われるようなことが、日常的にある……ということで)
それでも、空っぽで何をしたらいいのか、何が好きなのかすら分からない琴乃のために、外へ連れ出してくれたのだ。
そのことだけでも、栄がどれだけの労力を払って琴乃を百貨店に連れ出してくれたかが分かる。
そんなふうに別のところでじんわりと栄の優しさに触れていると、馨が口を尖らせる。
「えー! この着物にするなら、こっちの柄刺繍の半襟が似合うって!」
「馨……それはあなたの好みじゃない。琴乃さんの落ち着いた雰囲気には、こちらのレース半襟が似合います」
縁がぴしゃりと言い切ったが、馨はなおのこと口を尖らせると、いきなり琴乃の方を見てきた。
びくりと、琴乃が肩を振るわせる。
「ねえ琴乃さん!」
「は、はいっ」
「どっちが好き⁉︎」
どっちが。
好き。
そう言われ、琴乃は固まった。
ダラダラと、嫌な汗が流れる。
(こ、こういうとき……どう答えるのが、正解……?)
人付き合いと呼べるだけのものがない琴乃には、まったく分からない。
「あ、あ、の……」
「うん」
「どちらも……かわいいかな……と……」
結局出てきたのは、好みとかではなく無難な返答だった。
すると、縁が眉を寄せる。
「こら馨。琴乃さんを困らせてはだめでしょう」
「ええー⁉︎ でもせっかくなら、好きなものをつけたいじゃないっ?」
「わたしは自分に似合うものを付けたいので、人それぞれでは?」
「えーでも半襟だよ? なんかこう、目立たないからこそのお洒落というか……半襟だからこそ、自分の好みを取り入れたい? みたいな」
「ええっと……」
「あなたが中途半端なことを言うから、琴乃さんをより困らせているじゃない……」
縁が呆れ顔でそう言うのを聞き、琴乃はぶんぶんと首を横に振った。
「あ、の。ちがうん、です……その……」
「うん?」
「……好みとか、そういうの……分からなくて……だから先ほどの言葉にも、あまり意味はないんです。申し訳、ありません……」
目を伏せてそう言えば、馨が目を丸くした。
嫌われてしまうかもしれない。そう思ったが、馨は手を横に振って言う。
「いやいやいや。そういうの持ってない華族令嬢は多いし。気にしないで。そこまで重くとらえないで……っ」
「…………え?」
思ってもみない言葉に拍子抜けしてしまう。
しかし縁も馨も、うんうんと頷いていた。
「身につける物すべて、家の人間に決められるなんてことはままあるわ」
「うんうん。むしろなんでもかんでも自分たちで決めようとしているわたしたちは、華族令嬢の中では異質かもしれないね」
「……そうなの、です、か?」
『ええ』
声をぴたりと合わせて、鑑片家の双子は言った。
「でもこれからの時代は、新しい価値観が必要になってくる。そう思うの」
「だからわたしたちは、他者から何を言われても色々な価値観を吸収していきたいって思ってる」
『それが、陛下の心身をお守りすることに繋がるから』
鑑片家は、帝を守る盾としての生業を、ずっと続けてきた家だった。
だから、と二人は言う。
「わたしたちは、陛下の味方」
「最初で最後の味方」
『だからわたしたちは、色々な価値観を受け入れて、選別できるだけの心が必要。――そしてそれが、わたしたちの誇り』
そう笑みとともに言う二人は、とても眩しくて。
キラキラ輝いて、どんな宝石よりも美しかった。
そのために思わず目を細めていると、馨が言う。
「でも、そういう意味では孤月院様も新しい物、お好きよね」
「そういえばそうね。家族の中では、一番ハイカラな方じゃないかしら?」
縁も頷く。
「だから意外だったのよね。琴乃さんが着ている物、古典柄だから」
「そーそー。孤月院様なら、銘仙とか好きそうなのに」
『もしかしたら、琴乃さんのことを考えて、あえてそうなさっているのかもしれないわね』
何気なく言ったであろう言葉が、琴乃の胸に沁みていく。
何も言えずにいる琴乃に、馨が満面の笑みを浮かべた。
「そうだ。お買い物が終わったら、休憩を挟んでハイカラな遊びをしましょ」
「……ハイカラな遊び、ですか?」
「ええ! 学院で流行っているのよ!」
そう笑う顔は、大輪の花のように美しかった。




