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参章-⑥ 空白華嫁、外の世界に触れる

 *




 辺り一帯が闇夜に支配され、双子の月だけが街をひっそりと染め上げる。そんな時刻に。


 栄は私室の窓枠に腰掛けながら、ひとり煙管をくゆらせていた。


 部屋の明かりは点けず、月明かりだけを浴びる。春とはいえまだ夜は気温が低くなるため、窓を開けっぱなしにすれば暖房が必要なくらい体が冷えた。しかしそんなことなど構わず、栄はぼんやりと外を見つめる。


 ひゅう、と凍てついた風が銀髪をさらい、煙管の火皿から立ち込めるけむりが細く長く糸のように外へ引っ張られ、とけていく。


 その姿は、神々しくもどこか空恐ろしい。


 それは、栄の表情から感情が抜け落ち、まとう空気が普段よりもピンと張りつめているからだ。それは琴乃に見せていたものとは真逆で、迂闊に触れれば火傷をしてしまいそうだった。

 機嫌の悪さがありありと分かる。紺碧の空に灰色の雲までかかり始め、みるみるうちに双子月を隠していく。空気がよりいっそう重苦しくなった。

 そんなおどろおどろしい空気の中、ひとりの女性が入室する。


 秋穂だ。

 彼女は何食わぬ顔で栄の足元に正座をすると、美しく礼をする。


「栄様。ご命令通り、琴乃様の香りに酔っていた者たちを鎮めてまいりました」

「そう、ご苦労様」

「はい。ですが……琴乃様の香りは、本当に強いですね。まだ開花していない(・・・・・・・・・)のにこれとは。さすが、栄様の華嫁様です」


 それを聞いた栄は、ため息をもらしながら「そうだね」と嫌そうにこぼす。そんな気持ちを飲み込むかのように、煙管を再度くゆらせた。


 秋穂の言う通り、華嫁、華婿からは〝香り〟がする。

 常人には決して分からないが、花のような、甘くてとろけそうな香りがするのだ。それは相手となる神族血統の力が強ければ強いほど、よりいっそう濃く甘くなっていく。胸元の印が咲くとなおのこと強くなり、そういった華嫁、華婿の血の一滴でも口にすればより強い霊力を得ることができるとされていた。


 またそういった人間と交われば、より強い力を持った子孫を残すことができると言われている。それもあり、妖物や同じ神族血統の者、また霊力が強い者は本能的にこの香りがする者を狙っていた。


 だから華持ちの確保は神族血統からすれば最優先事項で、奪われないように一族を挙げて守るという風習がある。

 しかし同時に、その香りには一族の者も酔わせる力があった。


 孤月院家の使用人の大半が狐面をかぶっているのも、香りに酔って理性を失わないためだ。あの狐面にはそういった効果がある。だがそれを使っていても理性を失う若い衆がいたようなので、本当に危なかったと栄は思う。


 琴乃を確保するのがあと少しでも遅れていたら……本当に危ないことになっていた。


 あのまま巴家にいれば、琴乃の身には間違いなく危険が迫っていただろう。華嫁の香りは、それ専用の結界を張らなければ外に容易く漏れてしまう。巴家の結界では無理だ。

 本来ならばあそこまで華の印がくっきり出てから華嫁を確保することは稀なのだが、そういった異常事態がなかったわけではない。というよりそれを含めて、華嫁の居所を探知できなかった栄の不手際だった。


 だから。栄の心中を占めていたのは、自身に対する怒りだ。

 栄はため息をこぼしてから、秋穂を見下ろす。


「ねえ、秋穂」

「なんでしょうか」

「……僕は、琴乃が来てから相当舞い上がっていたと思う?」


 秋穂は顔を上げてから、満面の笑みとたたえて言う。


「かなり舞い上がっておいでだったかと思います」


 がつん。

 動揺のあまり窓枠に頭をぶつけた栄に、秋穂は情け容赦ない。


「少なくとも普段の栄様であれば、琴乃様の身辺調査はなさっていたはずです」

「うん、そうだね……」

「琴乃様の様子から虐げられていたであろうことは分かっておいででしたが、そこを気にしすぎるあまり一週間以上何もなさらなかったのは、怠慢かと思います」

「うん……本当にそれだね……」


躊躇いなく本音を述べられると、いっそのこと清々しい。しかしおかげで、自分のことを客観的に見ることができたのも事実だ。

秋穂はなおも続ける。


「そして我々配下も、それをご指摘できなかった愚か者ですね。ここに陳謝いたします。配下一同、いかなる処罰も受け入れる所存でございます」


 今まで栄の悪かった点をずばずばと並べていたのに、最後には自分たちの不手際を謝罪して首を切られても構わないと言う。それを見て、栄は秋穂らしいと苦笑した。


昔から悪いところはきちんと指摘してくれる女性なのだ。そのおかげで、今まで道を誤らずに済んだと思っている。

 栄が幼い頃から仕えてくれている分家筋の使用人だが、彼女のこういったところが好ましくて重用していた。今回琴乃を任せたのも、栄に非がある際は琴乃のことを守ってくれると思ったからだ。


 そんなことを考えながら、栄は首を横に振る。


「……いや、本来なら耐性が一番あった僕が気付くべきことだ。君たちのせいじゃないよ」


 そう。栄自身も、琴乃の香りに酔って舞い上がっていたうちのひとりだった。

 頭の芯がしびれてふわふわするような、不思議と心地好い感覚に染まって、正気ではなかったのだ。


 華嫁の伴侶で、一番耐性があるはずの栄ですらその有様なのだから、使用人たちのことを裁くことはできない。少なくとも栄は、そういったときに横暴をする人間ではなかった。


 だが、自分の愚かさには失望する。

 今となっては本当に、どうかしていたとしか言えない。だから、栄が一番怒りを感じているのは自分自身に対してだった。


 普段通りであればきっと、琴乃を傷つけるようなことも、泣かせるようなことはなかっただろうに。

 悔やんでも悔やみきれない。しかしいつまでも落ち込んでいれば、それこそ琴乃をさらに傷つけることになる。

 だから栄はさっそく動いていた。


「秋穂。一族の者を総動員して、巴家に関することを調べ上げろ。どんなに小さなことでも構わない、絶対に取りこぼすな」

「御意に」

「秋穂は絶対に琴乃から離れないで。護衛もそうだけど、一番は琴乃の精神面を整えるようにしてね」

「承りました」


 秋穂は精神医の資格も持っている。なので大丈夫だろう。

 術者の家には専属医が多くいるが、その中でも精神医の存在は重要視されている。それは術者の精神の安定が直接術式の精密性や成功率に直結することが、昨今の研究で分かったからだ。

 西洋化を進めるきっかけになったのも、そういった研究の限界を術者の家々が感じ始めていたから。文明開化は、より強い術者を作るための政策だった。結果として術者がより多様化し富国強兵に繋がっているのだから、開国は正しかったのだろう。


 そう思わない面々も、未だにいるが。

 そう思っていると、栄はあることの思い出した。


 ……双子、か。


 琴乃は双子ゆえに、虐げられてきたと言っていた。きっと今も、そしてこれからも。ずっと、双子だったということが彼女にとっての枷になってしまうような気がした。


 それは、いやだなあ。


 自身が生まれてきたことを悔いて欲しくはなかった。だから栄はそちらに関しても行動を起こそうかと考えた。


「秋穂。もう二つ、頼まれてくれる?」

「なんでしょうか?」

鏡片かがみひら家の次期当主と会う約束を、取り付けてもらえるかな。あと帝との面会許可も取って欲しい。できるだけ早く」

「……なるほど。かしこまりました。仰せのままに」


 そう告げるや否や、秋穂は元からそこにいなかったかのように忽然と姿を消す。

 それを確認してから、栄は立ち上がった。円卓の上に置いてあった煙管盆に灰を落とす。


 琴乃が言うには、彼女が虐げられてきたのは家を繁栄させるためだという。

 そしてそういった犠牲は、術者の家柄では普通で。太古の昔からおこなわれてきた。


 華族が華族という名前で呼ばれる以前から、術者の家柄は自身の家を繫栄させるためなら手段を選ばない。今もそれは許容されており、華族令というものの第一条「華族、いかなる理由あれど一族の術者を絶やさぬこと。またより強い術者を残すことを優先すべし」というものがそれにあたる。


 術者の家に道徳はない。平民からも術者が輩出されるようになりその辺りも変わってきてはいるが、それが「力の強い術者」を生み出すためなら否とは言えない。特に華族は、国のために戦い、神である帝を守るために死ぬことが良しとされる。この国はそんな国だった。

 なので本来であれば、栄が巴家の問題に介入することはできない。

 はずだった。


 ――琴乃が、栄の華嫁でなかったのであれば。


「神族血統でよかったと思う日がくるとは思わなかったよ」


 そう苦笑してから、栄は目を細める。その瞳は妖しく光っていた。


「今度こそ、君を守るから。だからもう少しだけ待ってて――琴乃」


 かすれた声でつぶやいた囁きは、誰にも聞かれることなく冷たい夜空にとけていった。

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