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参章-② 空白華嫁、外の世界に触れる

 宝飾品店、服飾雑貨店、化粧品店、呉服店、文具店。


 何かを欲しいと思ったことがなかったため、どれを見ても買いたいとは思えなかったが、その美しさには魅了された。何より琴乃の興味を引いたのは、店員の人が丁寧に説明してくれた話だった。


 飾られている商品ができた経緯や、それを作った職人の想い。特に面白かったのは、着物やハンカチーフに施されている刺繍の話だ。

 古来から決まった図案というのがあり、その通りに縫うことで様々な効果をもたらすらしい。一般人が縫うとお守り程度の微々たる力だが、高名な専門の術者が縫い取ったものはとても高い効果があるのだとか。


 どうやら、それ専門の術者もいるらしい。


 西洋文化が入ってきたことで今までにない魔の物が入ってきたこともあり、術者の需要はどんどん増えていると服飾雑貨店の女性店員が丁寧に説明してくれた。本来ならば華族のような貴族だけで独占してきた術式も、専門の学び舎ができたことで庶民にも広まっているらしい。


 そういえば結彌乃が通っていた学校も、そういったことを学べる場所だったなと琴乃は思う。術式関係の勉学を代理でおこなったことはなかったので知らなかった。

 そこでふと、琴乃は思う。


(私も、術式を使えたりするのかしら)


 巴家は術者の家系だ。なら素質はあるのではないかと、琴乃は思う。そうしたらこうして色々と良くしてくれる栄への恩返しにもなれるかもしれない、と琴乃は一筋の希望を見出した。

 そんなふうに考えつつも様々な店を下から回っていくうちに、琴乃はあることに気付く。


 それは、百貨店に来る人たちは皆、置いてあるきらきらと美しい商品に夢中になっているということ。そして、誰も彼もが楽しげに笑って過ごしている、ということだった。


 そして全員、琴乃のことなど見ていない。時たまご婦人と目が合うこともあったが、彼女らは美しく微笑んでからさっそうと歩いて行ってしまった。

 その姿は楚々としていながらも凛然としており、一輪の花のようだ。思わず見惚れてしまう。同時に、琴乃が見てきた巴家の人々は本当に、ごく一部だったということが痛いくらい分かって、自身の思い上がりが恥ずかしくなった。


 それに、周りが背筋を伸ばしている中、琴乃だけこうやって俯いているのも恥ずかしいような気がする。だからか、視線が自然と上へ向いた。視界が開けたような気がする。


(まだ、人は怖い、けれど)


 百貨店に来た当初よりは、純粋な気持ちで楽しめているような気がした。

 その証拠に、琴乃の表情もいくらか柔らかくなっていた。


 ――しかし、慣れていないことをすれば必然的に疲労するわけで。

 琴乃は重たい体を喫茶室の背もたれに預け、俯いていた。


「も、申し訳、ありません……」


 まだ二階部分までしか見ていないのに、すっかり気疲れしてしまったらしい。今まで感じたことがない類の疲労感で、琴乃は自身の情けなさに泣きたくなった。

 蚊の鳴くような声で謝罪したが、栄は笑って首を横に振る。


「疲れたときのために、こういう喫茶室があるんだ。一休みしよう」

「は、はい……」

「せっかくだし、何か食べよっか」


 そう言われてメニュー表を見せられたが、どういった食べ物なのかも分からず狼狽える。

 思わず目を回していると、栄が適当に注文をしてくれてしまった。


(私、本当に、自分では何もできないのね……)


 何もできないどころか、何もない。様々なものを見せられたが、綺麗だとは思うけれど欲しいという欲は湧かなかった。


 空っぽ。


 そう。正しく琴乃は空っぽだった。何もない。それが恥ずかしくて、情けなくて、疲労も相まって琴乃はまた俯いた。

 すると、トレイを持ったウェイターがテーブルに注文の品を乗せていく。

 ウェイターが優雅に立ち去っていくのを見届けてから、琴乃は目を瞬かせた。


「あ、の。これは、なんでしょう……?」

「それはみつ豆だよ。寒天、赤えんどう豆、干し杏、切り餅に黒蜜のシロップをかけた、最近できた甘味だね」

「みつ、ま、め」


 琴乃は再度、目を瞬かせた。

 孤月院家にやってきてから何度か、食後や昼下がりに甘味を食べるようになったが、どれもとろけるように甘くて幸福な気持ちになるものばかりだった。


 そんな孤月院家でも食べたことがない甘味ともなれば、否が応でも胸がときめく。琴乃は改めて、みつ豆を凝視した。

 つややかな漆黒の漆塗りの器には、栄の言う通りの食材が綺麗に盛り付けられている。匙も同じように漆黒の漆塗りで、器の前に置かれていた。

 今まで食べてきた菓子は、黒文字で切ったり刺したりして食べる餡子やもち米をふんだんに使った代物で、この国独自の菓子だった。


 しかも琴乃は箸を使って食べる食事しかしてこなかったので、匙は使ったことはおろか触ったことすらない。それもあり、使い方が分からず余計おろおろする。


 おそるおそる栄のほうを見れば、彼も琴乃と同じみつ豆を頼んでいる。そして匙を使って寒天と赤えんどう豆を口に含んでいた。その所作はお忍びで地味な格好をしていても分かるくらい、洗練された所作だ。

 思わず見惚れていると、目が合う。


「どうかした?」

「い、いえっ」


 見つめていたことを知られるのが恥ずかしくて、琴乃は慌てて匙を手に取りみつ豆を口に含んで誤魔化そうとする。しかし食べたことのない触感と黒蜜の濃厚な甘みに魅了され、目を見開いた。


(すごく、美味しい……)


 寒天は歯切れがよく、噛むと口の中ですぐにほろりと崩れていく。赤えんどう豆は塩と一緒に茹でているのだろうか。塩味があって、適度な硬さで茹でられているため触感が面白い。


 餅は柔らかくて、ほのかに甘みが。合間に干し杏を噛めば、独特の甘酸っぱさがが口の中に広がった甘みをさっぱりさせてくれる。

 疲れた体に黒蜜の甘みは心地よく、どんどん食べ進めてしまう。


 無心になって匙ですくい口に運んでいたら、気付けば完食していた。

 すっかりなくなってしまった器を見て愕然としていたら、栄がくすくすと笑っていた。


「美味しかったみたいで良かった」

「! あ、あの、その……!」

「よかったら僕のも食べる?」


 ぶんぶんと、琴乃は首を横に振って断った。栄にはきっと食い意地が張っていると思われただろう。恥ずかしすぎて顔が赤くなっていくのが分かる。

 顔を隠そうとまた俯いていると、栄がまた笑う声が聞こえた。


「そんなに恥ずかしがらなくていいのに」

「です、が」

「術者って基本的に、健啖家か美食家だからね」

「……そうなの、です、か?」

「そうだよ。食物から術を編むのに必要な霊力を補充するからね。血肉は霊力を溜めておくために必要で、だから脂肪か筋肉があったほうが霊力を長く体内にとどめておけるって、近年の研究でも分かってるんだよね」

「そうだったのですね……」


 今一番興味がある術式の話をされたので、純粋に感心してしまう。それに、栄の声が幾分か弾んで聞こえたのだ。そのためか、琴乃の心も不思議と弾む。

 楽しそうな栄の声を聞いていると、自分のことのように嬉しくなる。こんな感情を覚えたのは間違いなく、栄と一緒に過ごし始めてからだ。


 しかし栄は「あ、ごめんね。女の子にこんな話してもつまらないよね」と言って話をやめてしまった。


「むしろ琴乃は細すぎたから、少し安心したよ」


 そう笑って取り繕われてしまい、少し残念な気持ちになる。


(栄様のお話、もっとたくさん聞きたかったのに)


 それすらはっきりと言えない自分が、ひどく情けない。

 琴乃にできたのは、ただ口をつぐんで困った顔をすることだけだった。

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