6話 ワインふたたび、そして
わたし達が肉まんを食べ終わる頃、廊下から大きな足音が聞こえてきた。
ドカドカと早歩きの音。しばらくすると扉が開き、グレンさんが少し機嫌の悪そうな顔で入ってきた。
その手には酒瓶を持っている。
(酒瓶……)
「……おはよう」
「おはようございます」
「2人ともずいぶん早起きだな」
「アンタこそ。……なんだよ、早朝の配達かなんかか?」
「ああ。……お、肉まんか。これ食べていい?」
「あ、それは……」
わたし達の返事を待たずしてグレンさんは肉まんを手に取り、思い切りかじりついた。
「あ、あ――……」
それはカイルの分……って、誰にあげるわけじゃないんだけど……。
「返事聞いてから食えよ……別にいいけどさ」
「うん、うまいな。さっすがジャミル君。天才じゃないか?」
(また言った……)
酒瓶を手に持ったまま、むしゃむしゃとすごい早さで肉まんを口に入れていく。
リスやハムスターのようにほっぺたがふくらんでいて、イケメンが台無しだ。
「ああ、うまかった。……ところでレイチェル、これさすがに2本目は……いらないかな」
と言って酒瓶をこちらに向ける。そのラベルには――。
「……あ? また『カラスの黒海』じゃねーか」
「そう。……どうする? いる?」
「いえ……」
グレンさんがわたしに酒瓶を見せてきたけど、その"隠された意味"を知った今、さすがに受け取る気にはなれなかった。
「そうだよな。じゃ、捨てちゃおーっと」
言いながらグレンさんは厨房の方へ歩いてき、瓶を開けてシンクにお酒をドボドボと流し始める。
「……なんでまたそれもらってんだ? 名産とかだっけか」
「ああ……これな、嫌がらせなんだ。『ノルデン人はゴミを漁る"カラス"だからこれがお似合いですよ』って皮肉の利いたおもしろジョークなんだよ」
「…………」
――やっぱり知ってたんだ。
どう反応していいものか迷っていると、向かいに座っているジャミルが「なんだよそれ」と顔をしかめた。
「クソすぎるな。……ぶっ飛ばしてやりゃあいいのに」
「そうだなー。今度ジャミル君の剣貸してくれないか? 八つ裂きにしてやる」
(八つ裂き……)
冗談とは分かるけど、物騒な物言いに少し驚いてしまう。やっぱり嫌なんだ……。
「こわ……。貸してやりてぇけど、あいにくこの剣はオレ以外認めねえみてえで」
「ああ、もったいないー。俺の方がよほど暗黒なのにー」
大きめの棒読みで言いながら、グレンさんはワインを勢いよく流し込んでいく。
空になったワインの瓶を振って最後の一滴までを振り落としたあと、グレンさんはめんどくさそうに「ふん」と鼻で大きいため息をついた。
「……大丈夫かよ」
「まあな。ただ、2日続くとちょっとな。……次よこされたらとんでもなく暴れてやる」
「やめろよ……オレらがいる時は断ってやっから」
「ああージャミルくんはやさしいなあー。さすがはリーダーだー」
「棒読みがひでえ」
その後グレンさんとジャミルは、起きてきたルカと一緒に何事もなかったかのように冒険に出かけていった。
ジャミルと話せたのはよかったけど、グレンさんにはとても話しかけられる雰囲気ではなかった。
ルカと話が噛み合わない時のイライラとは違って本当に嫌そうだったから。
◇
「ああ、やっぱりあったぁ……」
――その次の日、月曜日の放課後。わたしはまた砦に足を運んでいた。
図書館で借りた本を、自室に忘れてきてしまっていたのだ。今日返却日なのにうかつだった。
ここから図書館に行った自宅へ……となると、1時間くらいかかってしまいそうだ。
砦の中はとても静かだ。
冒険に行っているのかな、とも思ったけど、グレンさんは今日は図書館にいるはずだから多分違う。
ひょっとしたらジャミルも酒場の仕事とかかもしれない。
ルカはいるのかな、と思って部屋をノックしたけど、返事はなかった。
(ルカも1人で出かけたりとかするのかな……?)
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、厨房の方から何か物音が聞こえてきた。
誰かいるみたいだ。一応、挨拶くらいしていこうかな――そう思い、厨房と繋がっている食堂の扉を開ける。
「……あ……」
「あれ、レイチェル。今日は学校じゃないのか」
「……はい。ちょっと忘れ物しちゃって」
「そうか」
厨房にいたのはグレンさんだった。厨房はほんのりお酒の匂いが漂っている……。
「……それ……」
「ああ、またなんだ」
お酒の匂いは、グレンさんがお酒をシンクに流し込んでいたからだった。お酒のラベルにはカラスが描かれている。
"カラスの黒海"――グレンさん達、ノルデン人を蔑む意図のお酒……。
「……ひどい」
自分のことでもないのに、悪意に満ちた行いに胸が痛む。
「よくあることだけどな。まあ3日連続はさすがに初めてかな」
「ごめんなさい。わたしそういうの知らなくて……」
「謝ることはないだろ? 知らなければこれはただの酒なんだから。……それに実際俺はその定義に当てはまってるから、なんとも」
「…………」
――カラスの定義。
『ゴミを漁って盗みを働くノルデン人の子供』――。
「……とはいえ、そんな酒を押し付けて悪かったな」
「そんな……」
返す言葉を失ってしまう。
沈黙の間……お酒は渦を描いてどんどんシンクに吸い込まれていく。
「……あの、ジャミルの……面倒を見てくれてたんですね」
ようやく言葉を絞り出すと、グレンさんはこちらを一瞥して少し笑った。
「ああ……聞いたのか。いや、面倒なんかは見ていないぞ。むしろ俺達がメシ作ってもらって、食わせてもらってる立場だし」
「グレンさん、斬りかかられたって……」
お酒を全部捨てきったグレンさんがこちらに向き直り、シンクにもたれかかる。
「ああ、あれは驚いたな。ルカが規格外に食べて……その時手持ちがなかったから家まで金を取りに行ったら、見張りのジャミル君が急に紫のオーラに包まれて。……店主がさしむけた暗殺者かと思った」
「暗殺者、って」
「何かこう……食い逃げ野郎を闇に葬る組織とか」
「どんな組織ですか……」
「まあ……そんなこんなで『カラス』の俺を筆頭に、呪いの剣のジャミル君、謎の宗教の信者ルカと……そういうおかしな3人の仲間達でやっております」
「はい……」
「誰か給仕に来てもらってもルカはすぐ水ぶっかけるしジャミル君はすぐキレて怒鳴り散らすし、俺はシスコンでキモいしで誰も定着しなくてなー」
「シスコンでキモいってそんな……」
「でもやっぱり引いただろ?」
「それはあの……はい」
正直に白状するとグレンさんは苦い顔で笑い、持っていた空瓶を調理台の上に置いてまた口を開いた。
「こっちとしてはやめないでもらえると助かるんだけど、ついていけないと思ったらいつ辞めてもらっても構わないから」
「わたしは……今のところ、やめるつもりはないです」
お花の種を植えた。
ルカとちょっと仲良くなれた。
ジャミルともやっと打ち解けられたし、彼のことが心配だ。
「そうか、助かる。……ところでそれ、図書館に返す本? 今週も何か借りに行くのか」
「あ、いえ。今日は返すだけです。そうだ……わたし、そろそろ行かないと――」
「そうか。なら、俺が返しておく」
「えっ でも」
「ここから図書館に行って家に……となると、けっこう時間がかかるんじゃないのか」
「えと、じゃあお願いします……」
抱えていた本をグレンさんに渡した。
「あ、そうだ。グレンさん……良かったら、これ」
「ん?」
ふと思い立って、わたしはカバンの中からチョコレートの包みを出して、グレンさんに手渡した。
「……つまらないものですけど。グレンさんお誕生日でしたし、変なお酒ばっかりもらって、その……お口直しっていうわけじゃないんですけど……甘い物は苦手ですか?」
「――いや、俺チョコ好きだよ。ありがとう」
「ふふ、よかった。それじゃわたし、失礼しますね」
「ああ」
わたしが踵を返すと「レイチェル」と呼び止められた。
「はい?」
「……また、週末」
「はい……さようなら」
挨拶をすると、グレンさんが微笑を返してくれた。
夕陽を背にしているからか、その笑顔はどこか少し、暗い感じがした。
――2章 終わり――