9話 芽吹き
翌週末、アルバイトの日。
あれから2日に1回くらいのペースで植木鉢の様子を見に行っていたけど、鉢の中の土はいつも湿り気があった。ルカがお水をあげてくれているんだろう。
その間芽は出ていなかったけど、今日はどうかな?
そんなことを考えながらぶらぶらと砦へ向かっていると、「ピシュン」という音とともに眼前に何かが現れた。
……もちろん、現れたのはルカだ。
「ひゃっ!?」
「……レイチェル」
「ル、ル、ル、ルカ……? びっくりしたぁ。おはよう」
「……来て」
「へっ?」
ルカがわたしの手を取り目を閉じたかと思うと、目の前の景色が霞み、その次に体に妙な感覚を覚えた。
身体が浮き上がる、引っ張られる――そんな、日常で味わったことのない不思議な感覚だった。
それがスッと消えた次の瞬間、周りの景色がさっきとは全く別のものに変化していた。
「……は? え?? あれ??」
カバンを両手で抱えて上下左右を見渡す。
石造りの建物、大きな木にベンチ、それに畑と鉢植え。どれも、最近よく見たものばかり。ここは……――。
「と、砦……? なんで? あれ?」
「転移魔法」
「てんいまほう!? 今のが!? すごい!」
「これ……見て」
感動冷めやらぬわたしにルカが声をかける。
促された先を見ると、3つの植木鉢から小さな芽が出ていた。
「わ! ……芽が出たんだ! やったぁ」
しゃがみこんで3つの芽をまじまじと見つめたあと、ルカの方を見上げる。
「ありがとう! ルカのおかげだね!」
ルカは言葉を発さない。だけど潤んだ目と、わずかにほころんだ口元が彼女の感情を現している。
夕陽に照らされて赤みを帯びた藍色の目と薄桃色の髪がキラキラと光る。
――綺麗な子だなぁ、やっぱり。まるでおとぎ話に出てくる妖精やお姫様みたいだ。
「……何?」
「えっ、……ううん、なんでもない」
「あなたって、すごいわ。……魔法使いみたい」
「やだなー 魔法使いはルカでしょ? 転移魔法とか水の魔法とか」
「魔法が使えないのに、たくさんのことができるわ。不思議」
「そ、そうかな? みんなができるようなことしかできないけどな……」
少なくともここでは肉を焼いたり野菜を切ったり炒めたりとかしかやってないんだけど……。
「あなたの水は、とても綺麗で澄んでいるわ」
「わたしの、水……?」
――どういうことだろう??
図書館のテオ館長がよく「いい風」って言うけど、それと同じようなことかな?
「え……と、ありがとう」
褒め言葉と受け取ってお礼を言うと、ルカの口元がまた少し綻ぶ。
彼女はそのまま何も言うことなく踵を返し、転移魔法で姿を消してしまった。
(すごい不思議な子だけど……悪い子じゃなさそう)
――うん。お水かけられたりもしたけど、うまくやっていけるかも……と思った、次の瞬間。
「きゃーーっ!」
(……ん?)
砦の中から野太い悲鳴が聞こえてきた。グレンさんかジャミル……だろうか。
(ていうか『きゃー』って……)
「――ルカ、聞いてるのか?」
「聞いてる」
「『瞬間移動のお約束』もう一度復唱!」
厨房に行ってみると、また椅子に座ったルカがグレンさんにお説教されていた。ジャミルはおにぎりを握っている。
「あの……おはようございます」
「ん? ああ、おはよう」
「レイチェル、これ手伝ってくれ」
「うん」
エプロンを着けておにぎりを握る。
(『瞬間移動のお約束』……)
前、グレンさんが言ってたやつだ。
聞き耳を立てていると、ルカが喋りだした。
「人の目の前に……現れない」
「そう」
「男の部屋に、みだりに入らない。必ず部屋の前に飛んで、ノックして返事を聞いてから開けるべし」
「そうだ」
「風呂・トイレには絶対に現れない」
「そうだ、分かってるじゃないか。今度トイレに現れたら俺はお前を絶対に許さない……!」
(トイレに現れたんだ……)
――それは「きゃー」って叫んでしまうのも無理ないかもしれない……。
「……パンケーキ食べたい」
「今パンケーキ食えると思ってるのか? 紫のだんごでも食ってろ」
そう言いながらグレンさんは冷蔵庫から紫色の怪しい物体がのったお皿を取り出した。
「ジャミル君……これいい感じにできてるじゃないか」
「…………」
グレンさんがあごに手を当てて、紫色の物体をしげしげと見つめる。
――なんなんだろう、あれ。
粘土を丸めただけのものに見えるけど、何が「いい感じにできてる」んだろう……。
感心しているグレンさんに対し、褒められたジャミルの方は全く嬉しくなさそう。
「作る方の身にもなれよな。……食い物に対する冒涜だ」
「な、なぁに? それ」
「ルカのヤツがいた施設で食ってただんごだってよ。……食うか? すっげぇまじいぞ」
「え? いいよ、いらな……」
「そうだな。少し食べてみたらどうだ? まずいぞ」
「い……嫌ですよ。なんでわざわざまずい物を食べないといけないんですか」
「そう言うなよ。ちょっと食ってみろって。まずいから」
「そうだ。食べてみてくれ。他に類を見ないくらいまずいから」
「ええぇ――……」
――これ食べないと終わらないやつだ。
なんで質問しちゃったんだろう、わたし。うかつ……!
仕方なく、ほんの少しそのだんごを口に入れた……。
「……ゴホッ! な、なにこれ……土?」
ほんの少し口に入れただけなのに、その強烈な味わいに涙目で咳き込んでしまう。
だんごはまるで土のようで――食べたことないけど――とにかく、泥だんごに色を着けてそのまま食べたかのような味。
カメムシみたいな味もする。こっちも食べたことないけど、きっと食べたらこういう味だ。
――まずい。他に類を見ないくらいまずい。
「……な? まっじいだろ」
「まずさを分かち合えてよかった。君も俺達の仲間だ」
グレンさんとジャミルが悪い顔で笑う。なぜか満足げだ。
「パ、パワハラ……です」
2人に抗議の眼差しを向けながら水を飲んだ。だんごの味を消したいのに、なぜか余計に広がってしまう……。
(ひどい~……)
――せっかくお花の芽が出てほっこりしてたのに!
本当にここでやっていけるか不安になってきた……。
ちらりとルカを見ると、少し渋い顔をしながらも無言で紫のだんごを食べ続けていた――。
――1章 終わり――