第317話 なぜフラグを
ベガルティア大迷宮の最下層、七十五階のボス部屋で待ち構えていたのは、漆黒の翼を有する魔物だった。
「我ハ……ベルゼ、ブブ……罪深キ……蝿ノ……王……天界ヨリ……追放、サレシ者……ナリ」
耳障りな音声が聞こえてくる。
人の喋り声とは違う、聞いているだけで不快になるような音だ。
「ん、喋った?」
「気持ち悪っ……口もないのにどうやって声出してんのよ……」
「こいつがボスでござるか?」
三人娘は警戒しながら身構えている。
『蝿の王、ベルゼブブ、ですか……』
『知ってるのか、リンリン?』
『……話だけは。高位の天使だった存在が、堕天して大悪魔と化した……それが蝿の王、ベルゼブブである、と。神話の時代の話です』
悪魔。
この世界とは異なる世界に棲息しているとされる知的生命体だ。
この世界に現れるためには何かしらの憑代が必要だと言われていて、少し前に悪魔の宿る魔剣と戦ったりもしたが……。
今回の場合、恐らくダンジョンそのものに憑代しているのだろう。
「想定していたより強そうな魔物だが……最悪の場合は俺も参戦するしかなさそうだな」
蝿の王、ベルゼブブは柱から離れ、宙を舞った。
「っ……速いっ!」
一瞬にして距離を詰めてくると、死神が持つ大鎌のような武器を振り回した。
「っ!」
「くっ!」
「がっ!?」
咄嗟に武器でガードした三人娘が吹き飛ばされた。
「速くて……強い」
「ガードしたのに、なんて威力よっ!」
「て、手が痺れたでござる!」
ベルゼブブは彼女たちの脇を通過すると、素早くUターンして再び躍りかかってきた。
「これならどうよっ!」
アンジェが咄嗟に作り出した土壁が、ベルゼブブの進路を阻む。
だがベルゼブブは壁に激突する寸前にほぼ直角に曲がり、あっさり迂回。
蝿らしい速さと機動力で、再び三人娘に襲い掛かった。
そのときベルゼブブ目がけて突風が吹き荒れた。
ファナの魔法だ。
それで速度が落ちた瞬間を狙って、ファナが斬りかかる。
ガキイイイインッ!
「ん、防がれた」
ファナの斬撃はしかし、ベルゼブブの大鎌で弾かれてしまう。
がら空きになったファナの身体へ、ベルゼブブは頭から突っ込んでいき、
「っ……避けて、ファナお姉ちゃん!」
俺の叫び声に反応し、身体を捻ったファナ。
先ほどまで彼女の腹部があった場所を、ベルゼブブの口から伸びる針のような器官が貫いた。
「柳生心念流・迅雷」
直後、カレンの刀がベルゼブブに迫ったが、その前に素早く飛び上がって回避する。
「っ……拙者の最速の技が……」
「あいつ、あれで攻撃してくるの!?」
「気を付けて! あれに刺されたら、たぶん血を吸い尽くされるから!」
「それは、怖い」
蝿の中には、蚊のように吸血する種類もいるのだ。
「血を吸われるだけじゃなくて、恐らく凶悪な状態異常を色々と付与されるはず」
『蝿は疫病を媒介する生き物ですからね』
そのとき、いつの間にか最初の柱の上にいたベルゼブブの腹部が、いきなり大きく膨れた。
何だ気持ち悪い……と思っていると、その膨らみが下の方へと下りてきて……お尻から排出された。
う〇こ!?
いや……幸いなことによく見ると卵だ。
「って、卵? それに大量の……」
豆粒サイズの卵が、何千、いや、何万と、ベルゼブブから産み落とされていく。
合わせるとベルゼブブ自体よりも遥かに体積が大きくて物理的におかしいが、魔力を伴う特殊能力によるものだろう。
その卵が一斉に割れ、無数の蝿が生まれてくる。
ブウウウウウウウウウウウン、という凄まじい羽音を響かせながら飛び立ったかと思うと、集合して黒い靄と化す。
さらにその靄が、ある姿を形成していく。
「分身……?」
「蝿の化け物が増えたんだけど!?」
「ど、どういうことでござるか……?」
無数の小蝿が形作ったのは、ベルゼブブと瓜二つの姿だった。
それが全部で、本体を含めて十体。
直後、十体のベルゼブブが同時に飛びかかってくる。
「ん、どれが、本物?」
「分かんないわよ!」
「きっとこいつでござる! 柳生心念流・乱雨」
見分けが付かない十体のベルゼブブに、仕方なく直観で攻撃を仕掛ける三人娘だったが、
「……外れ」
「こいつも違うわっ!」
「ほとんど手応えがないでござるっ!」
無数の小蝿で作られた偽物は、さながら液体のような性質を持っているようで、斬っても叩いても、あっという間に元の姿へと戻ってしまった。
「っ!」
そこへファナの背後へ大鎌が迫る。
咄嗟に気づいて回避行動を取ったが、躱し切れずに右肩から血飛沫が上がった。
「本体はこれでござったか! 柳生心念流・迅雷――なっ!? こやつも偽物でござる!?」
すかさずカレンが反撃するも、刀は子蝿の一部を偽物から弾き飛ばしただけだった。
それもすぐに集合し、元通りになってしまう。
「偽物も攻撃してくるってこと!?」
「ん、普通に痛い」
「厄介にもほどがあるでござるよ!」
十体のベルゼブブに取り囲まれ、なかなか打つ手がない状況の三人娘。
うーん、さすがにこれは強敵すぎたか。
彼女たちだけでは厳しい相手だったかもしれない。
「偽物も攻撃してくる中、ブンブン飛び回ってる本体を見定めて攻撃を当てるのは至難の業……だったらっ、飛び回れなくしてやるわよっ!」
叫びながら魔法を発動するアンジェ。
するとこの広大なボス部屋を両断するように、巨大な土壁が出現した。
「これでお終いじゃないわよっ!」
さらにもう一つ、別の土壁が、最初のそれと平行になるように出現する。
二つの土壁に挟まれたことで、部屋の広さが元の五分の一……いや、十分の一にまで狭まった。
「なるほど、こんな方法が……。けどまだ、前後と上下には自由に動き回れるぞ?」
感心しつつも、これだけではベルゼブブの機動力を完全に奪うには至らない。
「次はあんたよ!」
「ん」
その意図を汲み取り、アンジェの一言に即応するファナ。
直後、猛烈な風が吹き荒れた。
土壁に挟まれた空間に流れる、凄まじい暴風。
それを受けて、十体のベルゼブブたちが吹き飛ばされ、部屋の端の壁に叩きつけられる。
その衝撃で偽物の輪郭がぼやけた。
さらに風の圧迫に耐え切れず、子蝿で構成された偽物の身体が潰れていく。
結果、本体が焙り出された。
「今よ、カレン!」
「……ん、頼んだ」
膨大な魔力を浪費し、顔を歪めながら地面に膝をつくアンジェとファナ。
二人に託され、カレンが地面を蹴る。
「任されたでござる……っ!」
本体目がけて疾駆するカレン。
「(二人が作ってくれたこの絶好のチャンス、逃せばもはやボスを倒すことはできぬ! 絶対に逃すわけにはいかぬでござる! ただ、恐らく並の攻撃では仕留められぬはずっ……となれば、一か八か……っ!)」
ベルゼブブ本体が攻撃に備えて大鎌を構える中、カレンが繰り出したのは、
「柳生心念流秘技・絶念」
己の闘気という闘気を刀に込めて相手に叩き込む、乾坤一擲の斬撃だ。
前に一度、彼女の剣の師である爺さん、柳生権蔵が八岐大蛇相手に見せた技でもあるこれは、柳生心念流の奥義の、さらにその先に位置づけられる秘技。
確か奥義まで使いこなせるカレンでも、まだ体得できていなかった技のはずだが……。
それがベルゼブブ本体の脳天を直撃し、そのまま下腹部まで一気に貫いていた。
「バ、馬鹿……ナ……我、ガ……人間、ゴトキ……ニ……ギ、ギ、ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
最後に奇声じみた断末魔の叫びを残し、真っ二つなったベルゼブブの身体がさらに崩れていく。
同時に偽物も消滅し、やがてボス部屋に静寂が満ちた。
「やったか?」
『マスター、なぜフラグを?』
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