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後ずさり王子の追跡

作者: すばる

某作品を書いている時に思いついたけど展開が被っているので没にしたネタです。この度供養することにしました。南無。塩樹の過去作品を読まれた方は「あーあれかー!」と思われるかと。


【注意】

※若干の怪我の描写があります。

※後書きの注意事項もよくお読みください。




 ある昼下がり。


 貴族の子女や、選りすぐりの優秀な人材が集まるここ王立学園では、ちょうど昼休みの時間であり、生徒たちは食堂で昼食を食べたり、購買で購入あるいは持参した弁当を広げ、思い思いに休憩時間を楽しんでいる。



 しかしもちろん、それ以外のことに時間を使う者もいる。


 授業で分からなかったところを教師に質問しに行く者や、部活動に参加する者。はたまた——婚約者を監視しようとする者。






 第二王子チャールズは、婚約者のミーアの後を忍び足でつけていた。


 最近ミーアは彼の友人である男爵令嬢のフローラを虐めている。何度注意しても耳を貸さず、それどころか自分の罪を認めようとしない。


 フローラは男爵の庶子で、つい最近まで平民として暮らしていた。しかし父である男爵の正妻が亡くなり、フローラの母が後妻として男爵家に入ったため男爵令嬢として貴族の仲間入りをすることになった。そして貴族子女の義務としてこの学校に通うことにはなったものの、貴族令嬢として不慣れなこともあり、他の女子生徒からはつまはじきにされている。


 明るく愛らしいフローラは忽ち貴族子弟たちの心を掴み、恐らくは彼女をよく思っていない女子生徒達から教科書を破られたり、持ち物を隠されたりといった嫌がらせをされていた。


 嫌がらせを受けて心を痛めるフローラは涙をこらえながらも、


『いいんです。きっと私が何かしてしまったんだと思うんですっ。ミーアさんもきっと……あっ、そのっ、何でもありませんっ!!』


と、犯人をけなげに庇っていたのだ。フローラは実に優しい。


 ミーアが大切な友人であるフローラへ嫌がらせをしているのは、証人もいることだし明らかなことだ。しかしミーアは貴族の中でも高位である侯爵令嬢なので、低位である男爵令嬢であるフローラへの嫌がらせをやめさせるためにはもっと確実な証拠が必要だと思われる。


 証拠があれば、ミーアの父である侯爵に協力を要請して穏便におさめることができるはずだ。それに大ごとになる前にミーアを止めなければ彼女を支える「チャールズの婚約者」という地位すら危うくなるだろう。


 しかし、証拠を集めようにも学園内には王族と言えども部外者を連れ込むことはできないし、ミーアの周りにはいつも取り巻きの令嬢達——恐らくは彼女達が嫌がらせの実行犯だ——がおり、フローラと親しい男子生徒達が迂闊に近づこうとしようものなら絶対零度どころか虫けらを見るような視線を送ってくるのだ。


 思春期の少年たちの心はガラスのように繊細なのだ。あんな目を何度も向けられたら多分ボキボキに心を折られて再起不能になっちゃうと思う。



 そういう訳でチャールズ達は証拠探しを一時中断——「断念」ではない、勇気ある「撤退」だと主張させてもらう——せざるを得なかった。しかし、フローラへの嫌がらせは苛烈さを増す一方。

 昨日など、ロッカーに仕込まれていた割れたカップの破片のせいで怪我を負って泣いていたのだ。今朝登校時に見かけた彼女の手の包帯の白さに、チャールズ達は目の前が真っ赤に染まるような怒りを覚えた。


 今すぐミーアを断罪すべきと息巻く友人達だったが、チャールズは彼らがミーアの元へ今にも走りださんとするのを止めた。


 感情のままに詰め寄ったところで、取り巻きの令嬢達に追い払われるのがオチだ。それに証拠もないままそんなことをすれば、チャールズを含めた一部の高位の令息達以外は潰されてしまう可能性が高い。きちんと手順を踏むべきだ。チャールズは友人達に言い聞かせた。


 そうは言ってもただ待つだけではフローラがどんな目に合うか分かったものではない。だから彼は一か八か、婚約者を密かに尾行して虐めの証拠になるような記録映像を撮ることに決めた。


(必ず決定的瞬間を撮って、これ以上ミーアが罪を重ねないように止めなければ!)


 チャールズはグッと拳を握り込んだ。






 そういうわけでチャールズは今、ミーアが取り巻き達から離れたのを見計らって抜き足差し足で彼女の後を追っていた。


 ミーアは毎週決まった日の昼休みは取り巻きを寄せ付けず、どこかに消えていく。そして午後の授業に何食わぬ顔で参加している。彼女がフローラに何かするとしたらこのタイミングだろう。


 人に命じて嫌がらせをしているのか、はたまた自分の手でミーアを苦しめているのか。


 今までミーアは一度もフローラに直接何かしたことはなかった。フローラがされた嫌がらせは、髪飾りを隠されたり、ロッカーの一件のように危険物を仕込まれたりといったような間接的なものばかりだった。そういった堂々としていない行為に、チャールズは嫌悪を抱いていた。尤も、決して堂々と虐めればよいというものでもないが。


 前を令嬢らしくもキビキビと歩くミーアは今日も皺ひとつない制服をぴしりと着こなし、レンガ色の髪を頭の高い位置で結っている。きっと真正面から見れば、釣り上がり気味な目を鋭く光らせ、薄い唇をキュッと引き結んだ彼女にお目にかかれることだろう。不機嫌といった印象こそ受けないものの、表情が変わることが少ないためか若干冷然とした雰囲気がある。


 そんな優等生らしいミーアの姿は、どこかチャールズの乳母に似ていた。彼の乳母はきりりとした貴族女性らしい貴族女性で、厳しくも優しい……と表現するには少し(いやかなり?)口煩く、彼が物心ついてから乳母を辞めるまでは毎日のようにヒステリックに叫んでいた(彼としてはアレを「叱る」とは言いたくない)。


 乳母に似た外見のミーアを見るたびトラウマがひょっこりと顔を出し、「いらっしゃ~い」とばかりにニッコリ笑って手招きしてくるのだ。フローラのこと以外ではミーアは何も悪くないと分かってはいるのだが、身体は正直にも後ずさりをしてしまう。


 お蔭でミーアからはどうやらチャールズの趣味は後ろ歩きだと思われているようで、彼がきちんと前へ歩くのを見るたびに驚いた顔をされる。


 要するに何が言いたいかと言うと、こうしてミーアを追う間にもチャールズの身体はプルプルと振動(バイブレーション)し、安息の地である後ろへと彼を(いざな)ってくるのだ。


(はやくおうちにかえりたい……ではなく! フローラのためにも、ミーアを止めるための証拠を掴まなくては!!)


 チャールズはブンブンと首を振り、既に後ろ向きになりかけている思考を方向転換させた。でも依然として曲がり角からはトラウマ様がチョコンと顔を出しており、カワイイ擬音でごまかしてみてもやはり辛いものは辛い。


(どうするかな……あ)


 チャールズはポン、と手を打った。




***




 ミーアは学園の敷地の端まで来ると、そこに設置されていた小さなベンチに腰を下ろした。そして脹脛(ふくらはぎ)まであるスカートを撫でつけると、ブーツの先に視線を向けて「はぁ……」と溜息を吐いた。


(一体、ここで何をしているんだ?)


 チャールズは低木の陰からそっとミーアの様子を窺った。魔法を使ったからかいつもより全身の感覚が冴えている気がする。春に押しのけられつつもまだかすかに冬が自己主張してくるような、ピリリとした風の冷たさに背中の毛が逆立つ。


 自分の爪先をぼんやりと見ていたミーアは最後に一つ深い吐息を零すと、持って来たバスケットから布包みを取り出し、膝の上でそれを開いた。


 中身はどうやら彼女の昼食だったようで、ミーアはいそいそと包み紙を開き、大きく口を開けてかぶりついた。もぐもぐと小さな口いっぱいに頬張り咀嚼する彼女の口の端には、僅かだがオーロラソースらしきものがついていた。普段の彼女らしからぬ、マナーに厳しい淑女らしからぬ仕草にチャールズは目を見開いた。


(ミーアがあんなに大きな口を開けて食べるなんてな)


 自分はフローラにマナーについて厳しく注意したりしているのに、と彼は少しモヤッとした。ミーアに注意された時のフローラのマナーは確かに咎められる類のものであったし、ミーアも嫌がらせと言えるほどきつい言葉は掛けていなかったのでチャールズは何も言わなかったが、注意した当の本人であるミーアがこうして令嬢らしからぬ振る舞いをしているのを見ると、愉快な気分にはならないのだった。


(まぁ……今は周りに人がいないからこそなのかもしれないな)


 チャールズは王子で、生まれた時から人がいるのが普通だったのでよく分からないが、周囲に常に人の目があることに疲れる者もいるらしい。正しくは、「『他人』の目があるのに疲れる」ということらしいが。


 ミーアの周りにも常に「他人」の目がある。しかも彼女は王子の婚約者として、一歩間違えれば家門ごと引きずり落とされる危険に晒されている。それを思えば、一人の時ぐらいマナーを無視した振る舞いをして自由にしていても目を瞑るべきなのだろう、とチャールズは思った。


(それよりも……いつ嫌がらせを命じるんだろうか? 昼休みはまだたっぷり残っているとはいえ、誰かと待ち合わせしているならあんな無防備な姿を晒すわけには行かないだろうに)


 ミーアはちょうどサンドウィッチを食べ終わったところのようで、紙をくしゃくしゃと丸めて傍らのバスケットに放り込み、その手で小さな袋を取り出した。


(それとも……余程信じられる相手なのか?)


 胸のあたりを掴まれるような鈍い痛みが広がる。チャールズは袋から取り出したナッツをどこか満足げに頬張るミーアを見ていられなくて目を逸らした。



 あの無表情を笑みへと崩し、チャールズの知らないミーアを知っている者がいるのかもしれない。



 視線を逸らしてもなお思考を侵す黒いモヤを、チャールズは頭をフルフルと振って追い出した。


(今はそんなことを考えている場合じゃない。相手が来たら直ぐに映像記録魔法を発動させなければ!)


 ここにいる目的を思い出した彼は茂みからぐっと身を乗り出した。


 しかし、「そんなこと」を考えていたせいか注意散漫になっていた彼は真上から迫りくる脅威に気づいていなかった。


 突然バサバサという音が頭上でしたかと思うと、チャールズの首に鋭い痛みが走った。


(——な)


 首を捻ってそちらに目を向けると、黒い翼が視界いっぱいに広がった。その正体を悟った彼は咄嗟に風を起こして飛びのいた。


 反射的に魔法を使って反撃したお蔭か、チャールズを襲った者はそれ以上の攻撃はせず、憎々しげに飛び去って行った。


(召喚術講師の使い魔か……まさか襲われるとは思わなかったな)


 巨大なカラスが校舎の方向へ飛んでいくのをチャールズは死んだ魚の目で追った。()()()として捕獲されかけるとは思ってもみなかった。()()()()()()()()姿()()()仕方ないのかもしれないが。しれないが!


(痛かった……なにもあんなに強く掴むことはないだろう!)


 チャールズはふつふつと湧き上がる怒りを抑えようと地面にちょうど転がっていた平たい小石をペシペシと叩いた。


 気が済むまで小石にサンドバッグ(ストーンバッグ?)になってもらうと、理不尽にも怒りをぶつけられた小石に申し訳なさを感じた彼は小石を優しく撫でてごめんなさいをした。謝るって大事。


(さて、監視を続けないと……な)


 クルリとミーアの方を振り向いたところでチャールズはビシリと固まった。彼女の鳶色の瞳と目が合った。



 切れる寸前の糸のような緊張を孕んだ沈黙がその場に降りる。



 チャールズは全身に冷や汗が伝うのを感じた。彼女のツリ目はカッと見開かれ、彼の身体に穴が開きそうなほどガン見していた。瞳孔が開ききっていて光が見えないのが怖すぎて正直ちびりそうだ。先程から石のように、いや、いっそ石そのものになれるほど一切微動だにしていないチャールズは本能で悟っていた。


 これは、動いたら彼の負けだ。



 張り詰めた空気を破ったのはミーアだった。


「……にゃ」


(…………にゃ?)






「にゃんにゃんだぁぁぁああああああ!!」






「ごふっ」


 光の速さでチャールズへと駆け寄ったミーアはその勢いのまま彼を抱き上げ抱きしめた。王子にあるまじき声が出たような気がしなくもないが、それどころではなかった。


「はぁーにゃんにゃんかわいいかわいいふわふわ」


 謎言語を発してチャールズの全身に頬ずりしてくる彼女は最早正気とは思えない。あとめちゃくちゃ苦しい。彼は前脚を必死に動かしてペチンペチンと彼女の肩を叩いて抗議した。


「……うん? あっ、ごめんね! 苦しかったね」


 努力の甲斐あってミーアに窒息死寸前であることが伝わり、彼女の膝の上に落ち着くことができたチャールズはホッと息を吐いた。額から背中へとゆっくりと撫でられる感触が心地良い。思わず喉を鳴らした。


(何だか落ち着く……)


 彼女の膝の温かさと絶妙な撫で加減に彼はくたりと身体の力を抜いた。ふにゃふにゃとして柔らかく小さな肢体、空気をたっぷり含みつつも艶やかな亜麻色の毛皮。——そう、今のチャールズは愛らしい()()そのものだった。






 変化(へんげ)魔法。


 それは現在確認されている中でも最高難度の魔法であり、王家に代々伝わっているものである。王族はこの魔法を使えることが王位継承権を意味しており、現第二王子であるチャールズも必死になって習得せざるをえなかった。


 それはもう、血反吐吐くかと思うくらい厳しい修練ののちにやっと使えるようになったこの変化魔法だが、実は正直言って使い勝手が頗る悪い。魔力をバカスカ喰うにもかかわらず、人間以外の動物にしか変身できない。


 例えば犬になって城下に降りて内密に視察しようとしても、市場では追い払われるだろうし悪童に虐められないとも限らない。それに途中で魔力切れになる可能性が非常に高いのだ。正直言って王族としての象徴(ステータス)以外の意味は特にない。精々式典で使ってみせるくらいだ。


 因みにチャールズが彼の父と兄にこの魔法を学ぶ意味について聞いたところ、


獅子(ライオン)とかに変身出来たらなんかカッコイイじゃろ? 若い頃はそれでよく王妃(ジェシー)にキャッキャウフフてちやほやされてのー』


『うちの奥さんに喜んでもらえるからね。それにそのままイチャイチャに雪崩れ込めるし』


とのことだった。ついでに惚気も聞かされて、チャールズは深く溜息を吐いた。両親と兄夫婦の夫婦仲は極めて良好のようだが、お年頃の多感な少年としては身内のそういう話はできれば聞きたくなかった。


 それはさておき、そんな欠点だらけの変化魔法をわざわざ使ったのは、変身している間は(くだん)のトラウマが発動しなくなるからだ。


 以前とある事情によりミーアの前で鳥に変身することになったのだが、その時チャールズは彼女の姿を見ても震えることも後ずさりすることもなかったのだ。理由はよく分からないが変化魔法を使うと、たとえ乳母の姿を思い出したとしても普段通りの自分(チャールズ)でいられるようだ。


 今日の午後の授業は全て座学であるし、昼休みの時間は魔力が切れるほど長い時間ではない。ならば、変化魔法を使ってミーアの尾行をすべきだと彼は考えたのだった。






「ふわふわ~……あれ?」


 チャールズの頭を柔らかく包んでいた手がぴたりと止まった。ミーアが怪訝そうに彼の首周りなぞるとピリッとした痛みが走り、彼は思わずビクリと身を震わせた。


(あ……先程の傷か)


「怪我してるじゃない! もしかしてさっきのカラスが? ……とにかく治してあげないと。じっとしててね?」


 ミーアはチャールズに触れるか触れないかくらいのところで、淡い光の灯った指先を横切らせた。すると、傷口がスウッと消えていった。


「……うん、これでよし! でも治ったからってあんまり動き回っちゃだめだからね?」


「にゃー」


「んんんんんかわいいっ!! ちゃんとお返事できるなんてお利口さんね!」


 上機嫌なミーアは自分の膝から鳴き声を上げたチャールズを抱き上げ、真正面から顔を合わせた。


(……!!)


 彼女は普段はほころびもしない顔に満開の笑顔を浮かべていた。すりガラスのような頬は透けるように紅潮し、大きな鳶色の瞳には太陽の光がキラキラと映り込みつるりと輝いていた。


(かわいいのはどっちだ……)


 チャールズはそうぼやきながらそっぽを向いた。


 ミーアはそんな彼の様子に構わず横に倒れるような形でベンチに寝転がった。レンガ色の髪が扇のように広がった。チャールズは彼女の胸の上に寝そべるような格好になったので、彼女の顔が間近に見える。


(よく見ると少し緑がかっているみたいだ)


 ベンチの周りに植わっている木々の木漏れ日で照らされたミーアの瞳の虹彩にはところどころ柔らかな緑色が散っていた。チャールズはいつも後ずさりして少し離れたところで彼女を見ていたので気付かなかったのだろう。


 暫く彼のふわふわとした感触を楽しんでいたミーアだったが、不意にその瞳の色を曇らせた。


「ねぇ猫ちゃん。ちょっと相談に乗ってくれる?」


 彼女はところどころに溜息を挟みながら「悩み」をチャールズに語り聞かせた。


 曰く、


 婚約者が他の令嬢と親しくしている。


 その令嬢は婚約者だけではなく他の令息達にも声を掛けている。


 婚約者持ちの令息とも親しくしており目に余るのでちょっと注意したら泣かれてしまった。


 婚約者にはその令嬢への嫌がらせの主犯だと思われてしまった。


などなど。


(…………どこかで聞いたような話だな)


 チャールズは遠い目をした。どこかで聞いたどころか寧ろ心当たりしかなかった。


 フローラへの虐めは人として決してしてはいけないことで、許してはならないことである。そのせいで彼女が怪我をしたのだから尚更だ。


 しかしミーアがこうして珍しく意気消沈して悩んでいる姿を見て、チャールズは自分の行動は果たして友人として正しかったのだろうかと思った。いくらフローラが嫌がらせを受けていたからとはいえ、チャールズは彼女を庇い過ぎていたのかもしれない。少なくとも彼は自分の行動が周囲に齎す影響について全く理解できないほど愚かな王子ではなかった。


(もっと冷静になるべきだったな)


 彼は猫背を丸めて俯いた。人間の姿であったならば、眉をハの字に下げた情けない顔が見られたことだろう。猫に変身していて良かったと彼は胸を撫でおろした。


 フローラについての悩みを独り言のようにポロポロと零していたミーアだったが、一際沈んだ顔をして言った。


「私本当に嫌がらせなんてしてないのよ。でもね、なんだかもう疑われたままでも良いような気がしてきたの」


(うん?)


 チャールズは首を傾げた。その仕草にミーアは一瞬表情を緩ませたが、再び顔に憂いを浮かべた。


「フローラさんから聞いたのだけど、チャールズ殿下は彼女に贈り物をしたりお二人で手を取り合って外出までなさったそうなの」


(はい!?)


 私だって公務以外で殿下とお出かけしたいのに、と悲しそうにミーアは呟いていたが、チャールズはそれどころではなかった。


(フローラとの間に友人関係以外のものはないんだが!?)


 それも「ちょっと仲の良いクラスメイト」といった程度の友人だ。そして他の友人として付き合いのある令嬢達と同様に、フローラとは学園以外で会話することは基本的にない。


 もちろん贈り物一つしたことはないし、むやみに手を取ったことすらない。二人で外出などもっての外だ。——「婚約者」ではないから。


 ミーアはぴきーんと凍りついたチャールズに何を思ったのか諦めたように微笑んだ。


「やっぱりあなたにも分かる? きっと、殿下は彼女のことが本当にお好きなのよね」


(ちょっと待てーッ!? それ違う! 違うから!)


「にゃーー!」


 硬直が解けたチャールズは声を上げ、ミーアの肩の辺りを前脚で叩いて抗議するが、猫の姿では当然伝わるはずがない。それどころか「慰めてくれるの?」と見当違いの方向に解釈される始末だ。


(何故フローラは「出かけた」などという嘘を!? いや、今はそんな場合ではない! すぐに魔法を解いて誤解だと伝えねば!!)


 まさにチャールズが変化魔法を解くためにミーアから離れようとした時、彼女は徐に彼の身体を再び持ち上げた。


「もふもふ……」


 チャールズの腹を見つめるその目が爛々としているのを見て彼は嫌な予感がした。


(待て待て待て待て何をするつも——)




 もふっ。




「……」


「……」


 ミーアは自分の顔の上にチャールズの腹を載せた。子猫チャールズは背景に宇宙を背負った。


 そして、


「……すぅううー」


「※●@△ーー!?」


 チャールズは声にならない声を発し尻尾をピンと立て、全身の毛を逆立たせた。


「はぁあああー……ねこのにおい……むふっ」


「……」


 それからチャールズはミーアが午後の授業のためにその場を離れるまで彼女にひたすら吸われる羽目になった。やけにツヤツヤしてご機嫌で去っていくミーアとは対照的にチャールズは精魂尽き果ててぐったりとベンチに横たわっていた。


(明日、フローラのことを調べてみないとな……それより)


 動けない。もう毛の一筋も動かせない。耳と尻尾の先だけがかすかにぴくぴくと震えている。精神的ショックが強すぎた。


(とりあえず、すこしやすもう……)


 おそらあおい。おひさまきれい。チャールズは魂を彼方へと飛ばした。




 授業には、遅刻した。





皆さん大丈夫だと思いますが、セーフティとして注意書きを記載しておきます。


【注意】

※野良猫への接触は十分にご注意ください。

※猫吸いに付随する問題については自己責任でお願いします。



猫っていいですよね。



***


面白い!と思われた方は下↓の☆を押して評価をつけてくださると塩樹は飛び上がって喜びます。ちなみに感想をいただけると飛び上がってそのまま昇天します。



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