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第1章------(9)



 地獄。


 どこまでも続く真っ黒い大地に、いつも暗い空。どこからか、その地に住まう霊人たちの怨嗟の声が地鳴りのように聞こえてくる。真吾はぶるっと身を震わせた。


「ここが地獄……」


 呟くように言い、かれは、はるか上空を見上げた。上空には中間霊界があるはずだったが、ぶあつい雲に覆われて、上のほうは全く見えない。本来なら、横田四丁目も、あの雲の上のどこかにあるはずだった。


 大天使のつくった光の輪に包まれた真吾は普通に呼吸することができる。だが、地獄の地では息をすることすら苦しいのだと聞かされている。なぜなら、地獄の空の雲が創造主からの光を遮り、霊人たちに届かないから。


 光は、霊人たちにとって不可欠なものだった。


 ちょうど、地上の人間たちが呼吸をするために酸素が必要なように、霊人たちもその形状を維持するために天からの光が必要なのだ。普段は気にもとめない、単なる霊界の構成要素だったが、その光が遮られた場所はとてつもなく不自由なものに思われた。


「なんだか、蒸し暑いな」


 真吾は息をついた。


 ぬめるような空気が肌にまつわりついてくる。天使のおかげで息をすることはできたが、どうも気分が落ち着かない。真吾はあたりをぐるりと見回し、仕方なしに歩いてみた。すると、光の輪も真吾の動きにあわせて、ふわふわついてくる。


(なるほど。こうやって、おいらを守ってくれているわけか)


 なら、ラファエルは真吾を見捨てたわけではない。


 堕天使との戦いに決着がついたら、きっと言ったとおりに迎えに来てくれるのだろう。ただし、それはラファエルがベリアルとの戦いに勝利した場合においてのことだったが。その反対の時のことは、考えたくない。


(――……地獄か)


 真吾は思った。


 役人から話を聞くばかりで、地獄を見たのは初めてだった。中間霊界の霊人たちは地獄と聞いただけでやみくもに恐れているが、実際にその地に立ってみると、話に聞いていたのとは少し違う。


(とりあえず、思っていたより普通そうだ。空気が気持ち悪いけど、それだけだ。あ、向こうに町があるようだな……屋根のついた家はないけど――岩がたくさんあって……あの岩が、もしかしたら、あの町での家なのかな?)


 真吾は興味をひかれて、大きな奇岩が並んでいるそのあたりへ向かって歩きはじめた。そこから大勢の霊人の気配を感じた。そのなかに、いくつかの見知ったような波動を感じる。真吾は胸がざわめくのを感じた。


(もしかして、四丁目の誰かが、あの町のなかに……?)


 あり得ないことではなかった。


 一度目に横田四丁目が悪魔の竜に襲来された時、大勢の住人が地獄へ連れてゆかれた。その時の誰かが、この霊界にいたとしても不思議ではない。


(そりゃ地獄にも色々、霊界があるんだろうけど……)


 真吾は息をのんだ。


(地獄では、どんな暮らしをしてるんだろう)


 関心がないわけではなかった。


 いや、むしろ、四丁目を失い、自分自身もいつ地獄に落とされるかわからない状況にいることを思えば、その内容はとても知りたいことだった。あの美貌の大天使も、「見学してくればいい」と言っていた。勿論、その言葉は戯言なのだろうが、真吾は何もしないでここで救出を待つだけより、この機会に少しでも地獄を知っておいたほうが、後々の役に立つ気がした。


(おいらが地獄を見てくれば、佐吉たちにも教えてやれるしな。行ってみよう。あの町に)


 うん、と頷いて、かれは心を決めた。





 奇岩の町へ着いた。


 真吾はまず岩岩の奇妙な形に驚いた。


 遠くから見た時はそれほど気にならなかったが、近づくにつれ、それらは下が細くて上にいくにつれて幅を増していることがわかった。曲がりくねったり、斜めになったりしているのに、全体的には皆、同じ方向を向いている。


 明らかに自然に出来た岩ではなく、誰かにつくられたものだった。そのどれもが巨大で、内側が空洞になっていて、そこに人々が住んでいるようだった。


 真吾は奇岩のひとつにおそるおそる入った。


「ここが地獄の町……?」


 壊れかけた木の扉を開けると、人ひとりがようやく通れるほどの階段がらせん状に伸びている。それを上がってゆくと、突然、視界が開けた。思っていたより、ずっと内部は広かった。そして、意外にも賑わいがあった。


「え――」


 真吾は度肝を抜かれた。もっと陰気で恐ろしい場所をイメージしていたのだが、商人たちの陽気な声がとびかっている。


「安いよ、安いよ。さっきとれたばかりの新鮮な果物だよ! 腐った果実なんてひとつも混ざってない、おいしい果物はいかがかな」


「りんごはどうだい」


「梨もあるよ」


「そこのお嬢さん、ちょっと待って。あんたきれいだから、おまけしてあげるよ」


 広場には屋台がびっしり並んでいて、商品が山のように積まれている。横田四丁目の市場よりずっと賑わっているし、品揃えも豊富であるように見える。真吾の目は果物屋の屋台の片隅に吸い寄せられた。


「桃だ」


 いかにも美味そうな桃が並んでいる。真吾の畑の桃より、本物の桃らしい色合いをしている。真吾は嬉しくなって、商人に話しかけた。


「その桃をひとつ貰ってもいいかい」


「あいよ。ところで、あんた、金、持ってるのかい?」商人がにこやかに答える。真吾は懐をさぐった。


「金……お金――えっと……」


 それから、はたと気がついた。横田四丁目では金銭で物を売買することがなかったということを。


 真吾は自分の畑で作った桃を役人のところへ持っていって、食料とポイントを貰い受けていた。佐吉たちに桃をわけてやることもよくあった。ただし、金はとらない。また、真吾のほうも友人たちから、何か貰うことがあったが、金を払ったことはない。


 四丁目での暮らしはそれで成り立っていた。だが、地獄ではそうではないらしい。真吾が困惑していると、愛想がよかった商人の態度が変わった。


「金がないなら、お前にやる桃なんてないぞ」


「そう言われても――おいら、霊界で金が必要なんて知らなかったんだ。この町の金はどういう形をしているんだい? どこへ行ったら、お金をわけてもらえるのかな。お役人に聞いたらわかるのかな。この町のお役人は――」


「役人なんていねぇッ!」


 商人は別人のように怒り出した。その豹変ぶりに真吾は呆気にとられる。


「え……なんて……?」


「なめてんのか、このガキは! 金がねえなら、近寄るなッ。とっととこの町から出て行けッ、俺の桃は俺のものだ。お前なんか、腹すかせて、どっかで野垂れ死ねばいい」


「――」


 突然の罵詈雑言に真吾は目をぱちくりさせた。


 怒鳴られて反感を抱くより、驚きのほうが強かった。相手の霊人はどうやら本気で怒っている。その波動がつたわってくる。だが、真吾には相手の怒りの理由がわからない。真吾は、「うーん」と唸って、頭のなかで念じてみた。


(お金。金……おいらの力で作りだせるかな……)


 どうしても腹が減った時、自分の力で食料を作り出すのと同じ要領だった。食料の場合、真吾はきわめて質素なものしか作ることができなかったが、その他の物を作る場合はどうなのだろう。分からなかったが、ぽろりと、真吾の手のひらから何かが出てきた。


 一銭銅貨だった。


 日本は戦後、激しいインフレにみまわれたため、「銭」が廃止され、「円」のみが使われるようになり、真吾も戦後は「円」を使って生活していた。だが、明治生まれの真吾のなかには、どうしても「円」はとても高価であるという意識が染みついている。それで、当時、庶民が馴染んでいた「一銭銅貨」が出てきたのだろう。


「金があるじゃねぇかっ」


 商人は目をぎらつかせた。一銭銅貨をひったくるように掴みとると、真吾の手に桃をひとつ乗せた。


「ありがとよ。人が悪いな、兄ちゃん。ちゃんと金持っているくせに」


 愛想の良い商人の顔に戻る。真吾は商人と桃を見比べた。


(一銭でいいのか……?)


 この町の物価について、真吾は知りようも無い。ただ、生前、真吾がその通貨を使っていた頃は、木村屋の「あんパン」がひとつ一銭ほどで買えたはずだと記憶している。それでいいなら、桃ひとつが一銭というのは、妥当な値段なのかもしれなかった。


 ともあれ、商人の態度を見れば、一銭で良かったらしい。リアルで生きた時代も国も違う相手が一銭銅貨を嬉々として受け取るのを釈然としない気持ちで眺めながら、真吾は買ったばかりの桃にかぶりついた。けれども、


(……!)


 真吾は顔をしかめた。桃の味がしない。そればかりか、腐ったような苦味が口のなかに広がる。食べられたものではなかった。


「何だ、これ!」


 かれは吐き出した。


「腐ってるぞ、この桃」


「まさか。うちの商品にケチつける気か」またしても商人の態度が変わる。真吾は信じられないといった目で屋台に山積みにされている他の果物を見た。どれも瑞々しい色合いをした、いかにもうまそうな果物ばかりだったが、もしかしたら、これらはすべて真吾の買った桃と同じ味がするのかもしれない――そんな考えが頭をよぎる。


 真吾は自分の桃を商人に渡した。すると、商人は美味そうにそれを食いはじめた。


「ほら、見ろ。こんなに甘い汁がたっぷりあって、果肉も甘くて、うまいのに。何てこと言うんだ、このガキは」


 真吾にはとてもそうとは思えなかった。見た目は、確かに本物の桃のように美味そうだ。だが、その風味は全く別のものでしかなかった。


(ここはやっぱり、地獄なんだ……)


 改めて思う。


 そう思って、もう一度、あたりを見渡してみると、奇妙な歩き方をしている住人が多かった。足が不自由なのか、片足を引きずっている。よく見ると、その住人は足の先が腐ってなくなっていた。真吾は商人を振り返った。


「――ここは、地獄の何ていう名前の町なんだい」


「ここか? ここは岩の町っていうのさ。見たまんまだろ。岩のなかにあるからな」


 商人は「ハハハ」と渇いた声で笑った。





 その時だった。真吾の視界にひとりの霊人がうつった。その背格好を見て、真吾は叫ぶように言った。


「与作」


 名前を呼ばれた少年は真吾を見ると、信じられないといった顔つきになった。真吾が近寄る素振りを見せると、背を向けて走り出した。真吾は慌てた。


「おい、どうした。真吾だ。横田四丁目の。忘れたのか? なんで、逃げるんだ!」


 真吾は与作を追いかけた。


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