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第1章------(7)



 仕事は捗々しくなかった。


 真吾は「うーん」と、ため息をついた。


 すすきので客引きをしている真吾の養子の子孫は、どう考えても善霊より悪霊に基準が合いやすい状態にいる。その上、真吾が来る以前から体中に入り込んでしまっている悪霊たちが出てゆかない。そのため、真吾が子孫の想念にはたらきかけて善い行いをさせようとしてみても、悪霊たちにはじき返されてしまう。


「あっちへ行け!」


「俺たちの邪魔をするなっ」


 悪霊たちが口々に叫んでくる。真吾は困り果てた。子孫の体のなかには真吾の味方になってくれる霊がほとんどいない。悪霊たち以外で、かろうじているのは、


「まあまあまあ。お若いの、そうカッカせんと気楽にゆこうじゃないか」


 中間霊界の白髭の翁だったり、


「あたしゃ頼まれてここにいるだけで、こいつを助ける義理なんてないんだよ」


 と吐き捨てる、肩に牡丹の刺青のはいった目つきの鋭い姐さんだったりする。それから奇跡的に中間霊界でも上のほうの善霊も、たった一人だけいるようだったが、あいにく彼女は体調が悪くなったとかで霊界に帰ってしまっていた。


「ふん。もうあいつは帰ってこないよ。この子孫のろくでなし加減に嫌気がさして、風邪ひいて、寝込んじまってるのさ」


 姐さんが、ぺっと唾を吐き出した。翁が「ホホホ」と笑う。


「まあ、そのうち戻ってくるじゃて。どのみちわしらは地上の人間に協力して力を得るしかないのだからのう」


 ちなみに、悪霊たちと違って、この翁や姐さんは違法に地上におりてきているわけではなかった。一応、しかるべき場所から子孫を助ける使命を与えられている。だから、悪霊だらけの子孫の体にとどまることが出来ているのだった。


「そのうちっていつだよ」


「風邪が治ったらかね」


 翁は白い髭をしわがれた指先に巻きつける。姐さんは紅い唇をつきだした。


「そんなこと言って、もう三年も音沙汰なしだ。いくら向こうとこっちで時間の流れが違うからって、のんびりしすぎじゃないかね」


「あと二十年くらい待てば、戻ってくるじゃろう。この若者に救うには、どうしてもあやつの力が必要だ。救済はそれからだの」


 気の長い霊人たちの会話を聞いて、真吾は眩暈を感じた。横田四丁目は今、危機に瀕している。地上時間で二十年も待つことなど出来るはずがなかった。


「あのう、おいらも協力するから、今、この若者に善行をさせるようはたらきかけませんか? 皆で協力すれば、少しは……」


「無駄じゃ」


 翁は横目で真吾を見る。


「見れば、おぬしはまだ若い霊人じゃの。悪霊どもの恐ろしさをわかっておらん。向こうは二億。こっちは中級霊人が数人ばかり。それでどうしろと言うんじゃ」


「二億?」


 真吾は口をあけた。子孫の若者の体に真っ黒なかたまりが入り込んでいるのは見えたが、その個々の数がそれほど多いとは思わなかった。佐吉が、真吾の肩を叩いた。


「悪いこと言わないから、やめておいたほうがいい」


「でも――」


 佐吉は首を横に振った。





 一方、真吾の子孫の若者は霊人たちのやりとりなど全く知らぬまま、今夜も仕事に励んでいた。すすきのの路地裏で、これはと思った女性をスカウトし、彼女たちの望む風俗店に彼女たちを紹介するのが仕事である。


 この仕事にやりがいはない。楽しさもあまりない。むしろ頑張れば頑張るほど、自分のなかの何かが磨り減ってゆくような仕事である。


 けれども、高校を中退し、家から飛び出してきてしまったかれは、他の方法で生きてゆくすべを知らなかった。


(今日は調子悪いな……)


 若者は思った。さっきから、二十人くらい声をかけているが、いっこうにひっかからない。先ほど、ひとりだけ足を止めさせることが出来たが、店に連れてゆくところまではいかなかった。


(まー、もともとそんなうまく行くことも少ないけどなぁ)


 かれは嘆息した。


 先輩のスカウトは、この仕事は百人に声をかけて、一人立ち止まってくれれば良いほうだと言う。若者も、その通りだと思う。


 すすきのには様々な女たちがくる。


 ただの観光客から地元の学生たち、就職しそびれてしまったプータロー、仕事帰りの派遣社員、あるいは日頃の鬱憤をはらしたい主婦たち、そしてすでに水商売に手をそめている女たち――


 ねらい目は、まだ社会を知らない大学生か、プータロー。そうでないなら、既にあまり有名でないキャバクラなどで働いていて、その待遇に不満をもってる女たちだった。


 そういう女たちにはある種のにおいがある。


 若者も、この仕事をはじめて一年半が過ぎ、ようやくそのにおいを嗅ぎわけられるようになってきた。だが、今夜は本当にうまくゆかない。


(あー、ムカつく。今月の家賃、明日までに払わなくちゃいけないっつのに)


 若者はスカウト会社の全寮制の部屋に住んでいる。


 個室ではなく、四人一部屋の共同生活だったが、毎月、ささやかな家賃をおさめなければならない。もっとも、あのオンボロアパートで家賃を請求してくること自体が違法ではないかと若者は考えている。


(ダメだ。今夜はあきらめよう。夕飯代もないよな……誰かにタカろう……)


 若者は苛々と思った。


 何人かの女の顔が頭に浮かぶ。彼女たちは若者がスカウトして店を紹介した女たちだったが、気の良い女たちで、ときたま金を貸してくれたり、ツケで商売してくれることがある。若者はそのうちの一人を思い浮かべた。


(決めた。今日はるるちゃんのところへ行こう)


 るるちゃんなら、お金を貸してくれそうだった。整形の、ぱっちりした大きな目と、童顔に似合わない立派なバストを持っている。そして理想的なことに、この娘はちょっと頭が足りない。


(よーし。るるちゃんだ)


 もし、るるちゃんに今夜、お客がついていなければ、若者が彼女を買っても良いと思っていた。そうすれば、るるちゃんにとっても商売になる。若者自身にるるちゃんに払う金はないが、この娘なら、一月や二月、支払いは待ってくれるはずだった。


 勝手なことを思うと、若者は軽快な足取りで歩き出した。





 若者が女のところへ行くつもりだと知って、悪霊たちは喝采した。淫行は悪霊たちがもっとも好きな悪行のひとつである。


「おい、待て。何が、るるちゃんだ。こら、そっちへ行くな。せめて真面目に仕事しろっ」


 真吾が慌てて引きとめようとするが、悪霊たちの圧倒的な数の力の前ではなすすべがない。悪霊のひとりがからかうように言った。


「どのみちこいつが仕事したって、善行にはならんよ。こいつの仕事自体が、女を風俗に売るお偉い仕事なんだからよ」


「そうかもしれないけど、ある日、この子孫だって、自分の仕事に罪悪感を感じて、反省したりするかもしれないじゃないか。そうすれば、もう少しまっとうに生きようっていう気持ちも――」


「ない、ない」


 悪霊たちは声をたてて笑った。真吾はムッとして黙り込んだ。確かに、悪霊たちが大笑いするのも当然かもしれなかった。真吾の子孫の若者は典型的な自己中心的な生き方をしている。


 自分の置かれた状況に苛立つことはあっても、そこから抜け出す努力はしない。


 将来の夢や展望もないし、人生について真面目に考えることもない。そもそも、女を金で売り買いすることを悪いと思っていないから、自分の行動に反省もしない。そしてこれからも毎日、すすきのの路地裏に立って、悪霊たちの喜ぶことをし続けてゆくだろう。


「他へ行こう」


 真吾はうちのめされて言った。


「この若者には妹もいる。そっちへ行こう」


 妹は兄よりはマシな日常を送っていた。だが、妹も自己中心的ということについては、兄と同様だった。真吾は中間霊界の瀬戸際にたたされている横田四丁目のことを思い、泣き出したい気持ちになった。





    ◇





 そう。自己中心的な生き方は、霊界においては、悪なのだった。


 その理由を真吾は知らない。だが、霊界に来て、役人にそう教えられたし、確かに、霊界はそういう明確なルールでまわっているのだと感じる。


 地上界ではそうしたルールはない。


 むしろ、自分を中心をした善悪の判断をし、自分を中心とした利害によって行動を変えることが普通だった。真吾の時代もそうだったし、現代の日本でも同じだった。


 お人よしの真吾は生前、よく人に騙された。


 騙されるたびに真吾は傷ついたが、かれはその反動のように人を信じようとした。


 だが、信じるだけでは駄目だったのである。


 死んで、霊界に行ってからわかったことだった。真吾は生きているあいだにもっと善のポイントを積んでおくべきだった。そのポイントが霊界に行ってから、真吾自身の大きな助けになるはずだった。


(霊界に来てからじゃ、全てが遅いんだよなあ)


 真吾は、かれの子孫の若者を憐れんだ。


 子孫は何も知らない。知らないまま、悪のポイントを積み重ねている。それが、死後、アフターワールドにおいて、自分を地獄にひっぱってゆく錘になるのだということを知らずにいる。


(イタタタ……)


 腰痛が酷くなった。真吾の腰痛は、地上界の子孫の悪行からくることが多い。


(あいつも――死んで、後悔するぞ。おいらのように)


 かれは遠い目をした。


 死んで、後悔したが遅かった。


 だから、かれは一生懸命、桃畑を育てた。そうすることで、地上で出来なかった善のポイントをいくらかでも稼げると知らされたから。ただ、それだけだった。



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