第1章------(6)
日本、札幌。すすきの。
札幌市中央区にある歓楽街である。
勿論、札幌出身の真吾もその名は知っている。何しろ、すすきのの歴史は明治時代、開拓使がこの一帯を遊郭と定めたことから始まる。以降、すすきのは札幌の発展とともに繁栄をとげてきた。
この街はアジア最北の歓楽街とも呼ばれ、派手なネオンの雑居ビルが立ち並び、風俗から宿泊ホテル、飲食店、あらゆる娯楽施設がひしめきあっている。そうして、その歓楽街のどこかに真吾の子孫はいるらしかった。
「おいらの子孫は本当にこんなところにいるのかなあ」
久しぶりに地上界へ降りて来た真吾はおっかなびっくり呟いた。これから訪ねることになっている子孫は真吾の血統ではない。子供を持たなかった真吾は晩年、ある家から養子をもらった。その養子から生まれた子孫だった。
その養子は少し小狡いところがあったが、あの敗戦後の混乱を生き抜くには、それくらいの要領のよさと知恵は必要だったと真吾は思っている。真吾のようにすぐ人を信じていては損ばかりする。そんな時代だった。
真吾は目をしばたたいた。
「夜だってのに、昼みたいに明るいや。目がちかちかするぞ。本当にここはすすきのか?」
確かに、真吾が生きていた頃もすすきのは有名な歓楽街だった。だが、平成のすすきののきらびやかさは、当時のものとは次元が違う。
「お。あれは何だ」
多くの若い男女が、いくつもの機械で遊んでいる。機械には様々な形のものがあった。四角いものや、楕円形のもの、大きなもの、小さなもの。だが、共通するのはどれも前面から自然界にはない光を発し、騒音を鳴らしていることだった。
真吾はアーケードゲーム機を知らない。現代のゲームどころか、あのスペースインベーダーさえ真吾が亡くなってから、十数年後に発売されたくらいなのだ。真吾が現代のゲームセンターに仰天するのは無理はなかった。
だが、ゲームで遊ぶ人間たちは楽しそうだった。真吾はその波動を感じ、吸い寄せられるようにゲームセンターに近づいてゆく。
すると、ひときわ大きな人だかりのある機械があった。ガラス張りの巨大なケースの中に動物の人形が山のように詰まれている。真吾の後ろから、佐吉が耳垢を指でほじくりながら言った。
「あれはユーホーキャッチャーてやつだ」
ちなみに、大天使ラファエルの提案で地上界へ行くことになり、真吾のその行き先がすすきのであることを知ったマルコも、強く同行を希望した。イタリアには日本のような大規模な歓楽街はない。すすきのには、マルコの大好きな日本アニメのコスプレをした女の子たちのいるキャバクラがいくつかある。
けれども、マルコの願いは大天使に一蹴された。今頃、マルコは自分の子孫が暮らすイタリアの田舎町へ降りているはずだった。
いっぽう、佐吉は横田四丁目を救うための特別な仕事は与えられなかった。
天使は佐吉に仕事をさせても、足をひっぱるだけだと見通したのだろう。だから、佐吉はこの件について部外者なのだが、それでも佐吉は地上界へおりたかった。
地上界へ堂々と降りるチャンスは平凡な霊人にはなかなかない。そして変化と刺激に満ちている地上界は、霊人たちにとっても、楽しい場所だった。それで佐吉は「地上界に不慣れな真吾のガイド役」として、真吾の地上行きに同行することを主張し、なぜかそれが大天使に聞き届けられた。
「ユーホーキャッチャー?」
うろんげに、真吾が佐吉を振り返る。
真吾の生きた時代にはない言葉だった。佐吉はもっともらしい顔つきで頷いた。真面目な真吾と違い、佐吉は時々、四丁目の役人にわいろを渡して、地上界に遊びに来ていた。だから、現代日本の娯楽にある程度、通じている。
「そうだ。ほれ、あのカニの足みたいなやつがあるだろ。あれを操って、中の人形をとるんだ。そういうゲームだ」
確かに、真吾がじーっと見つめていると、ゲーム機の前にいる男女がそういうことをしている。あいにく、そのぬいぐるみはアームに引っかからず、途中でぬいぐるみの山に落ちてしまったが。
「あれの何が、面白いんだ」
黒い目をこらして一部始終を観察していた真吾が、可愛らしい顔をしかめた。佐吉はチッと舌打ちした。
「面白いんだよ。ほら、あいつら、また機械に銭を入れてるだろう? 続けるんだ。あの人形が獲れるまで」
「そうかあ」
としか、真吾には答えようがなかった。
とにかく喧噪がすごくて、頭が割れるように痛い。ひっきりなしに点滅している光の洪水にも眩暈がする。真吾はふらふら地上人たちの体をすり抜け、息をつける場所がないかと探しはじめた。
「おい、待てよ。どこへ行くんだ」
佐吉が慌てて追いかけてくる。真吾はげんなり言った。
「ここは疲れる。それに感じるんだよ、この町には霊界から数えきれないほどの霊人が降りてきている。それも悪いやつばかりだ――地獄の連中がおりてるんだ」
「当たり前だろう、すすきのだぞ!」
佐吉は叫ぶように言った。
「早く仕事を終わらせて、四丁目に帰ろう。おいらは四丁目のほうがいい。おいらの子孫はこっちにいるようだ」
「待てったら。お前は本当に変わり者だな! すすきのより、四丁目のほうがいいのか。霊界なんて何も変わらないじゃないか。だけど、地上界には時間がある、変化がある。見ろよ、地上の連中にあやかりたくて、わんさか霊人が降りてきている。自分たちの子孫に降臨してるんだ」
「違法にだろう?」真吾はやや冷たく言った。「おいらだって、そういう連中がいることは聞いてるさ。地獄の連中が苦しくて、少しでもその苦しい状態から抜け出したくて、地上の子孫たちの体に入り込み、子孫たちに悪行をさせようとしているって」
それを降臨と呼ぶ。
リアルとアフターワールドは別世界のように見えるが、本来、ひとつの世界である。人間たちの目には見えないが、ふたつの世界はかさなりあっていて、地上に生きる人間たちと霊界の霊人たちの間にも絆がある。
その絆は血統によってもたらされる。
つまり、先祖の霊は地上界で生きている子孫に影響を与えられるし、その逆も可能だ。また、そうすることによって、霊的な存在となってしまった霊人たちが、物質的な力を一時的に得ることができる。
地獄の霊人たちが子孫に降臨して、子孫に悪行をさせるようそそのかしたり、子孫を病気にさせたりすることで、霊人たちは少なからず慰めを得られる。
それらは霊界にいる自分の身を救おうとしての行為だった。だから、真吾も地獄の霊人たちが地上人たちに手を出したくなる気持ちは理解できる。だが、むやみに地上界へおりて子孫に降臨することは、霊界の法で禁じられている。
「お前だって、同じことしようとしているくせに!」
佐吉が怒ったように言う。真吾はむっとして親友を見た。
「おいらが子孫を探しているのは、天使の仕事に協力して、四丁目を救うためだ。話しただろう? 四丁目はこのまま放っておけば、地獄に落ちる」
「わかってるさ」
佐吉は面白くなさそうに言った。
だが、真吾にはわかっていた。佐吉は真吾やマルコほどには四丁目の状態に危機感を抱いていない。悪魔の竜たちが撃退され、地面の大穴がふさがれたことによって、四丁目は助かったと単純に信じているのだ。
おそらく、真吾がどんなに説明しても、佐吉は理解できないだろう。それは佐吉のせいではない。霊人のレベルが低くて、その深刻さを肌で感じられないのだ。それがわかるから、真吾は悲しい顔をするしかなかった。
(それならそれで幸せだというものだ。お前が心配せずとも、彼らは地獄へ行っても楽しく暮らしてゆけるだろう)
白銀の髪をした大天使の言葉を思い出す。
ラファエルの言葉は正しい。
(でもいくら正しくたって、言っていいことと悪いことがある)
真吾は反発するように思った。
(おいらは佐吉が好きだ。四丁目が好きだ。だからそれを失いたくない)
かれは決意をあらたに思うと、子孫を探すために、意識を集中しはじめた。
「ねえねえ、お嬢さん。キレイですね。おれ、びっくりしちゃった。少しだけ、話してもいい? 絶対、損にならない話だから。聞くだけなら、タダだから。ねえ、今、どこで働いているの?」
すすきのの路地裏で、よれたスーツを着た、黒髪を金髪に染めた若者が、道を歩く若い女性に声をかけている。胸元の大きくあいたワンピースの女はうろんそうな目をくれる。だが、彼女の足が止まったことで、若者はいっそう大きな手振りをまじえて、女を褒め称えはじめた。
「いや、この角度からの君、すっげぇキレイだ。さっきもステキだったけど、印象が違う。ミステリアスで、君のこと僕、マジ知りたくなっちゃった」
「あんた、面白いのね」
女がくすっと笑う。脈があるとふんで、若者は目を輝かせた。
「――あれだ」
真吾は上空から言った。
「あの若いやつが、おいらの家系の子孫みたいだ。でも、何だか、すでに地獄の霊がたくさんとりついてるぞ」
「そうみたいだな」佐吉も顔をしかめた。すると、若者の体の中から、黒い影が浮き上がり、そのまますうっとふたりのところへ近づいてきた。
「何だよ。あの人間は定員オーバーだぞ。他をあたれ!」
若者に降臨していた悪霊人だった。真吾はため息をついた。
「おいらは、あいつの先祖だ。お前たちこそあの人間から出てゆくんだ」
「ばぁか。オレも先祖だ。出てゆくかよ。あいつはどうしようもないやつだ。風俗店のスカウトだぞ? 女たちを店で働かせて、搾り取って、その売り上げをかすめとって生きている。ろくなやつじゃねえ」
吐き捨てるように言って、大声で笑う。真吾の子孫にその、ろくでもないことをさせているのは――本人の責任もあるが――悪霊人たちによる干渉の影響も少なくないはずだった。真吾は唸った。まさか自分の子孫が遊郭の下郎のような仕事をしているとは。
あの悪霊だらけの子孫に善行をさせて、横田四丁目を中間霊界にとどまらせるためのポイントを稼がなければならない。それは途方もなく難しい仕事のように思われた。