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第1章------(2)

「おーい。元気か?」


 その日、真吾の目の前にひとりの霊人が現われた。顔色のあまりよくない、痩せた若者で、名を佐吉と言う。


 勿論、佐吉もアフターワールドの住人だ。日本人で、出身は真吾と同じ北海道。生前は漁師で、リアルを生きた時代も真吾と似通っている。几帳面な真吾に対し、佐吉は物事を斜に構えるところがあって、何かとルーズだ。だが、ふたりは不思議と気があって、佐吉はいつしか横田四丁目に住み着くようになった。


「お前の畑は相変わらず派手だねえ。腰は大丈夫か? 尻の具合は?」


 パステルカラーの桃畑を見渡し、佐吉はにやりとした。一応、真吾の体を気遣う言葉をかけてくるが、佐吉の切れ長の細い目には面白がるような光がある。


 佐吉は真吾の体の痛みがいつものことであり、霊界における真吾の生命ポイントを脅かすものでないことを知っている。それで本気で心配していないのだ。


 そのことが佐吉の表情や口調、それから霊人の波動からつたわってきて、真吾は悪友を睨みつけた。


「お前こそまた仕事をさぼってるのか。いい加減にちゃんと働かないと、レベルを落とされるぞ」


「レベル、レベルってうるさいんだよ、お前は」


「ばか。大切なことだろう。おいらたちは死後の世界の死人だが、こっちの世界で生きてかなくちゃならない。同じ生きてくなら、少しでも自由があって、居心地が良いほうがいいに決まっているだろ。そのためにはレベルは高いほうがいい」


 真吾は真面目に言った。


 アフターワールドの霊人たちにとってレベルは重要だ。


 レベルが上がれば、善い霊界で暮らすことが出来るようになるし、霊人自身の力もあがる。真吾の場合で言えば、今は桃畑に水を与えるためにスプリンクラーという道具を使わなければならなかったが、レベルが上がれば、心に念じるだけで、たちまちそのことが出来るようになる。


 反対にレベルが下がれば、今より悪い霊界へ行かざるを得なくなる。それはつまり、現在の状態より、日々の暮らしに不自由を強いられるようになるということだった。


 例えば、今は横田四丁目の範囲内なら自由に行き来できる真吾だったが、低い霊界に行けば、自分の家と庭しか移動できなくなるといったことが起こり得る。もっと低ければ、自分の部屋から一歩も出られなくなる。


 実体を持たない霊人たちは、本来どこへでも瞬時に移動できる能力を持っている。だからこそ、彼らにとって行動の自由が制限されることは、地上人たち以上に耐え難いことだった。


「だいたい、佐吉。わかってるのか。おいらたちに余裕なんてないんだぞ。四丁目は中間霊界だがけっして高い霊界じゃねえ。おいらとお前の二本の足の下には地獄しかないんだ。じ、ご、く、だ。わかってんのか?」


「そりゃ、まあねえ」


 佐吉は困ったように顎をなでた。


「そんなこたあ、今さらお前さんから講釈受けなくたってわかってるさ。地獄の恐ろしさや不自由さは霊界にはじめて来た頃、役人どもにさんざん教えられるからな」


「僕も地獄の恐ろしさは知ってまーす」


「あたしもあたしも」


 声をそろえて現われたのは、明るい茶色の巻き毛と大きな黒い目を持った、なかなか愛らしい兄妹だった。一目で兄妹だとわかるのは、彼らがとても似た顔つきをしているからだった。佐吉は眉間に皺を寄せた。


「出たな、異人め」


「異人と言うなぁ!」


 女の子のほうが大声で言い返す。兄妹は真吾や佐吉と同じように黒い目をしていたが、日本人ではない。彼らはイタリア人だった。兄をマルコ、妹をベアトリーチェといったが、どう見ても十歳前後に見える。


 だが、彼らはわずか十歳の幼さでリアルでの人生を終えたわけではない。勿論、子供の姿をした霊人のなかには本当に早世だった者もいただろうが、この兄妹の場合、兄は三十八歳まで、妹は七十一歳までしっかり生きた。


 マルコは丁寧な口調でずけずけ言った。


「佐吉さん。あなたが仕事をさぼるのは勝手ですけど、あなたは四丁目のお荷物だっていう自覚はあるんですか」


「おい。このガキ。喧嘩、売ってるのか」


 佐吉はあからさまにムッとした顔つきになった。マルコは平気な様子で言い返した。


「言っている意味がわかりません。僕は本当のことを言っただけですから」


「イタリアのアニメオタクのくせに」


 佐吉や真吾たちの生きている頃には存在しない言葉だったが、佐吉は死後、何回かリアルへ降りて行った時、現代の世の中にそういう趣味をもつ若者たちがいることを学んでいた。


「だいたいイタリー人のくせになぜお前たちは四丁目にいるんだ。そもそもそれがおかしいじゃねえか」


 確かに、イタリア人の彼らがなぜ、明治、大正時代をリアルで生きた日本人の多い横田四丁目で暮らしているのかは謎だった。


 霊界で町を形成するにしても、普通、同民族同士でかたまることが多い。だが、本人たちの説明によると、兄のマルコが死後、日本のアニメのファンになり、特に大正時代を舞台にした某有名少女漫画の大ファンになってしまい、この四丁目の空気に心がしっくり馴染んでしまったということだった。だが、外見上はあからさまに”外人”である二人は常に周囲から浮きまくっている。本人たちはそのことに気がついていない。


「僕たちがどこに住もうとあなたに関係ありません」


「関係ありませぇん」


 ベアトリーチェも高らかに言い返す。マルコは言った。


「あなたにはわからないのですか、佐吉。この四丁目の街並みの素晴らしさが。今のトーキョーからは失われてしまった大和魂があるのです。古き良き時代の、あのすばらしい少女漫画の世界観が――」


「知るか、そんなもん。お前の妙な世界に俺を巻き込むな。イタリー人なら黙って油絵でも描いてろ。間違っても、目が異常に大きな、紫だのピンクだのの髪色の、乳が西瓜みたいな、体のバランスがおかしな娘っこなんか描くんじゃねえぞ」


「よく知っているじゃないですか。僕の好みを」とマルコ。佐吉は思わずカッとなって叫んだ。


「はいからさんは巨乳じゃねえっ」


「僕の理想のはいからさんはボンキュッボンのダイナマイトセクシィボディです!」


「勝手にキャラ崩して妄想するんじゃねえっ」


「需要があるんです、需要が」


「意味わからねえ」


「……――」


 真吾は笑顔を顔に貼りつかせたまま、ふたりのやりとりを見守り続けていた。


 佐吉はマルコを嫌っている。


 生前、かれは鯖漁師だったが、なぜか文学や美術に造詣が深かった。絵画にも詳しく、芸術文化にすぐれているイタリアにひそかに憧れていた。その憧れのイタリアの人間であるマルコが日本アニメにはまっているのが、佐吉の理想とする何かを崩してしまって面白くないのだろう。


 一方、マルコはそんな佐吉をけっこう気に入っている。口では喧嘩を売るような言葉ばかり言うが、マルコの霊人から攻撃的な波動はつたわってこない。


(面白いなあ……)


 真吾が思った瞬間だった。


「面白くない」


「面白くありません」


 佐吉とマルコが同時に振り向いた。真吾は自分の気持ちが波動になって、ふたりにつたわってしまったことに気がついた。


 霊界ではこうしたことがよくある。言葉にして口に出さなくても、心に念じただけで、その意思が正確に相手に伝わってしまう。それは一見、便利だったが、恐ろしいことでもあった。


 なぜなら、口先で嘘をついたとしても、その言葉が本心であるかどうかはその霊人自身のゆらめきや波動を見れば、わかってしまうのだから。


 真吾は困惑したように咳払いした。


「いや、すまない。気に障ったなら謝るよ。でも、喧嘩はよそでやってくれ。おいらには仕事があるし、一日中、お前さんたちの喧嘩を見物しているわけにはいかないんだ」


「そう。仕事をしなければなりません。僕も真吾と同じように働きます。佐吉も四丁目のお荷物にならないように働きなさい」


 マルコがすまして言う。


「この四丁目はすばらしい場所だけど、真吾の言うとおり、けして高い霊界ではない。油断するとすぐ地獄に引っ張られてゆきますよ。佐吉、あなたは地獄に落ちたいんですか」


「そんな霊人いるわけないだろうが」


 佐吉はぺっと唾を吐いた。


 だが、〈横田四丁目〉が中間霊界最下層であることは事実だった。この地面の下は地獄しかない。地獄の恐ろしさや不自由さ、窮屈さは佐吉もよく知っている。かれはぶるっと身を震わせた。


「霊人はもう死ぬことはないが、地獄に落とされたら死ぬより酷い運命が待っているっていうじゃないか」


「実際に死んでみると、こっちの世界もそれほど悪くないと思いますけどね。だから佐吉の比喩は不適格です」


「揚げ足をとるな。嫌なガキだな。でもまあ、俺がピンチになったら、お前と違ってやさしい真吾が助けてくれるさ。そうだろう、兄弟」


 佐吉はちょっとずるそうに真吾を見た。佐吉とマルコの会話をぼうっと聞いていた真吾はきょとんとなった。


「え。ちょっと待て――それって」


「ダメですよ。ズルは」


 真吾が答える前にマルコが言う。ベアトリーチェもマルコの隣で「うん、うん」と頷いている。マルコは真吾の前に立って、可愛らしい顔で佐吉を見上げた。


「知ってますよ。あなた、この前、真吾からポイントをわけてもらいましたね」


「それはだな」


 佐吉はぎくりとして後ずさる。


「あの時は――」言い訳をしようとして佐吉は唇を舐めた。けれども、すぐに下手な言い訳はバレることを思い出して、諦めたように言った。


「それは……そういうことはあったかもしれないが、あの時は俺も本当に困っていて、仕方がなかったんだ。それに、ポイントを誰かからわけてもらうことは霊界の法に触れるわけじゃないだろう?」


「それはそうです」マルコは認めた。


「でも普通はそんなことは絶対にない。真吾が佐吉にポイントを分けてくれたのは、真吾が桁はずれてあなたに優しかったからですよ」


 確かに、どうしてもポイントが足りず、地獄に落ちそうになってしまった佐吉に真吾がポイントをわけ与えたことがあった。結果として、佐吉は助かり、真吾は自分の霊力を大幅に減らすことになった。


「まあまあ、そんなに怒るな」


 真吾はなだめるように言う。マルコは真吾を見返した。


「そのせいで腰痛が酷くなったんじゃないですか。知ってますよ。あれがあった後、あなたの体は随分、不調になった。それはあなたのレベルが下がったことと関係してますよ」


「それは、まあ、そうなのかもしれないけどさ」


「そうなのかもじゃなくて、そうなんです。わかってるくせに」


「本人がいいと言ってるんだから、良いじゃねえか。俺たちの問題だ。部外者は口を出すな」と佐吉。


「部外者ですって」


 マルコはカッとなったように叫んだ。


「僕だってこの四丁目の住人ですよ! 一緒に頑張っている霊人にたいしてその言い方は酷すぎます。僕の本の売り上げがなかったら、こんな小さな町なんていつ地獄に飲み込まれたっておかしくなかった。だいたいこの町の住人はどうしようもないやつばかりです。ここが中間霊界でいられるのは真吾の畑と僕の本のおかげです」


「言ってくれるじゃないか」


「やめろよ、二人とも。本気で喧嘩するな。佐吉も謝れ。今のは佐吉が悪い。マルコもベアトリーチェもおいらたちの仲間だろ? 違うか?」


 真吾が慌てて、ふたりの間に割って入る。はじめはいつもの言い合いだったが、途中から普段と違った雲行きになっている。真吾の胸に不吉な予感がはしる。理由はわからなかったが、かれは急激に不安になっていた。


「やめろ、本当に。喧嘩はするな。黒い心に支配されると不吉なものを呼ぶって言うだろう? ここは霊界なんだ。地上と違って、そういうものにけっこう左右される。わかっているだろう、ふたりとも」


「それは確かに」


 二人がしぶしぶ言いかけた時だった。向こうの空が急激に暗くなりはじめたのを彼らは見た。





「え――」


 数秒後、空は真っ黒な雲に覆われていた。真吾は佐吉とマルコを振り返った。


「お前たちの喧嘩のせいで?」


「ま、まさか」ふたりは同時に叫んだ。「僕たちにそんな力はありません。それは、多少は、周囲に影響するかもしれなくても、あんな真っ黒な不吉な空を呼ぶ力なんて……――それに聞こえますか? あの鳴き声……」


 マルコは真っ青になっていた。


 佐吉も凍りついたように空の向こうを睨みつける。


「ああ、俺にも聞こえるぞ」


 地面が揺れた。


 真吾はぞくりと背筋を震わせた。


 揺れは小さかったが、イヤな予感はますます大きくなっていった。こんなことは横田四丁目に住みはじめてから一度もなかった。


「地面の下から声がする。あの鳴き声は悪魔の竜……?」


 彼らは顔を見合わせた。





(2018年1月27日改稿)

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