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彼女はいつも俺の生きる意味だった。

作者: 歩歩

俺は貧乏な家の末子として生まれた。

上に何人兄弟がいたか、正直なところ覚えていない。

三つの時に、俺は口減らしの為、奴隷として売られたからだ。



「ほらほら、ノナ! 次行くわよ!」


無邪気に投げつけられる泥団子。

高そうなふわふわの服を泥だらけにして、顔にまで泥をつけて無邪気に笑うお嬢様。

投げられる泥団子は、お嬢様の命で俺が作り上げたものだ。間抜けだと思う。自分で作ったものの被害を、自分で受けているのだから。

キャハハハとかん高い、上機嫌な笑い声をあげて。

ああ、そんなに服を汚して怒られるのも、殴られるのも俺なのに。

貴族の長子である癖に、お転婆で外遊びが大好きなお嬢様。

散々俺はそれに振り回されて、お嬢様が大っ嫌いだった。




奴隷商人の元、俺は二年間地獄を生きた。

獣にエサを与えるように、地面に放り棄てられた残飯を喰らい、水たまりの泥水をすすった。

何か気に障ることをすれば鞭でたたかれ、しなくても殴られる。ひどいものは目をくりぬかれ、手足をもがれる。

妙は趣味を持つものは意外と存在するのだそうだ。商人は、愉快そうに笑って言った。


凍える夜に与えられるのはすり切れた毛布一枚で、奴隷の数は常に十人を超えていた。

毎夜毎夜、ばたばたと死んでいく奴隷たち。俺と同じくらいの年のものも、もっと上の年のものもいた。さすがに年下の者はいなかったが、誰も彼も自分が生きることに精いっぱいで、他者に目をかける余裕はなかった。よくまあ、幼児の身で生き抜くことができたものだと、自分自身その頃に思いをはせては呆れかえる。


全員土にまみれ、頬骨やあばらが浮き出て見えた。目はぐるぐると濁った、死の淵を見つめ淀んでいる。ひゅーひゅーと口からは病んだ息が漏れ、手枷でつながれ、引っ張られて歩く間に転び、そのまま還らぬ者になる奴らも多かった。

枷のつけられた手首や足首、首元は大抵ひっかき傷で醜く傷ついていた。自分で傷つけるのだ、意味がないことはちゃんとわかっていながら。

明日生きて起きられる保証はなく、起きられたとしてもその日を生き抜ける保証もない。

常に死へ落ちる崖の淵に立たされて、強制的に綱渡りをさせられる状況。


奴隷として、人ではなくなったのだ。奴隷は人ではない。

きっと、奴隷となった人間が、手足の自由や人権なんてものより先に剥奪されるのは、自分の生死だ。

生きることも、死ぬことも許されない。生殺与奪の権利は、自分にない。


希望も何もない。物心つくころに売られた自分にとって、逃げるという選択肢は端から無かった。




「おとうさま、あたし、これがいい!」


かん高い、はしゃいだ声。簡単に折れそうな白く細い指先は確かに俺を指していた。うきうきとした様子は周りに花が飛んでいるようで、奴隷を集めた檻の前でそれは似合いそうにない。

高そうな服に身を包んだ父子。

これが貴族なんだと、学のない頭でもすぐに分かった。

そして、その存在が果てしなく場違いであることも。


俺が売られていた奴隷市は、平民の為の、労働力を得る場であった。

貴族が買うような高級奴隷がいる店ではない。

薄汚れた、使い捨ての、家畜よりも安い値で取引される労働奴隷が一気に大量に買われ、消費を待つ場所だった。



「あたしはジュエルベリテ。ジュエルベリテ・ユーミス・ケネドゥエラよ。おまえは、今日からあたしのモノよ!」





「おまえ、なまえはなんというの?」


何故か馬車に乗せられて、あまりの居心地の悪さに不敬も忘れ視線を彷徨わせていた時に、彼女はにっこにことそれはそれは楽しそうに、俺に問いかけた。

俺ではなく、彼女の父親が、くつくつと低く喉を震わせ笑いながら彼女の頭を撫でて答えた。


「お馬鹿だね、ジュエリー。奴隷に名はないよ」


その言葉に彼女はきょとんとして、俺をみて、それから屋敷につくまで一言も口を利かなかった。

柔らかい椅子の感触と、腰に響かない緩やかな馬車の感覚になれることができず、もぞもぞと動き、俺はかなり長い間居心地の悪さを味わい続けた。


屋敷はとてつもなくでかかった。

場違い感に思わず出そうになった悲鳴を飲み込んだ。

玄関のこれまたでかい、細やかな装飾が繊細にほどこされた扉の前にずらりと並ぶ大量の召使い。

洗練された動作に圧倒された。

俺は促されるまま風呂に入れられ、こびりついていた垢をすべて落とされ、上等の服を着せられた。その間、俺を綺麗にしようと頑張っていた召使いさん方は終始無言であったし、その目には嫌悪と侮蔑が宿っていて、すごく居心地が悪かった。

おれだって、来たくてこんなところに来たわけじゃない。

自分が幸運だって、そんなことわかっていたけど。奴隷が人扱いされないのなんて、いつも通りのはずなのに。



「きめたわ!」


連れて行かれた部屋はジュエルベリテと名乗った彼女の部屋だった。

俺は彼女の専属奴隷として、彼女の玩具として生かされるらしい。

お嬢様は、俺が入った瞬間そう大きな声でさけんだ。


「……なにを、ですか」


慣れない言葉使い。隣にいるメイドさんがむっと眉を吊り上げたのが分かったが、どうしようもないじゃないか、こちとら何かを学んだことなんて欠片もないのだ。

しかし気にしたのはメイドさんだけだったようで、当のお嬢様は気にせず、俺の手をつかんだ。

小さなやわらかいその手の感触にぎょっとする。メイドさんが「お嬢様!」と叫んだ。


「おまえのなまえよ! いーい!? おまえのなまえは、今日からノナよ!」


そのたった二文字の記号を決めるために、彼女は馬車の中からずっと考え込んでいたらしい。あっけにとられ口を開けたままの俺に、お嬢様はにっこりとそれはそれは綺麗に満面の笑みを浮かべた。


「ノナ、ノナよ! あたしのノナ!」


くるくると回り、ふんわりとしたスカートの裾が広がる。

んむふー、と満足そうに笑うお嬢様は少し気持ち悪かった。


俺の生きる意味は、『お嬢様の所有物(おもちゃ)だから』になった。




ここでの俺の待遇は、そう悪いものではなかった。

理由はやっぱり、お嬢様のものだから、だった。

俺はただ、言われるがままに動いているしかなかった。お嬢様を諌める言葉を持つでもなく、対等な場所にたてるわけがなかった。

それでも最低限必要だと、従者としての心得を学ばされたものだけど。


王家につぐ権力者、御三家と呼ばれる公爵家の一角、ケネドゥエラ家のお嬢様。

お嬢様のお母さま、奥様は元々王族に名を連ねていらした方で、現国王陛下の王妹殿下だった。

それまで、底辺も底辺、明日生きられるかもしれぬ、ごみのように捨てられ死んでもおかしくなかった俺には、考えられないほど眩くて遠い世界で。

無理やり叩き込まれた知識の海、美しくともほの暗い貴族社会。

つなぎとめたのは、お嬢様だった。



俺とお嬢様が、七歳になった時。俺がお嬢様の玩具となってから二年。

奴隷だった日々は過去のものとなりつつあり、お嬢様は初めの頃と変わらず俺で遊んだ。

周りの大人にはいい顔をして見せる。七歳で、淑女と呼ばれる仮面を貼り付けることを覚えたお嬢様は、俺の前でだけは前のようにお転婆で、馬鹿みたいにけたたましくはしゃぐお嬢様だった。お嬢様は徹底して、俺を人間としては扱わなかった。

お嬢様の、社交界デビューが決まった。

お嬢様の、婚約者が決まった。

同い年の、第二王子殿下。

次の王家主催のパーティーで初めて顔合わせするらしい。

奴隷である俺は、その場に行くことがかなわない。お嬢様はそれを旦那様から知らされて、常時つけられるようになった淑女の仮面をかなぐり捨てて駄々をこねた。

最も、もちろん許可は下りなかったけど。


「ねえ、ノナ。なんであなた、いけないの? ノナは、私の物で、私の傍に、ずっと、いなくちゃいけないのに」

「俺が平民以下の奴隷だからですよ。此度のパーティーは王家主催です。お嬢様のわがままは通りませんよ」

「……、早めに帰ってくるわ」

「無理かと。お嬢様と王子殿下の顔合わせを兼ねた婚約発表のパーティーですから」


むすっと拗ねて不貞寝するお嬢様に、俺は一礼して部屋を出た。




パーティーから帰ってきたお嬢様は、ぽおっと顔を赤くして、どこか上の空だった。

そんなお嬢様を見る旦那様も奥様も苦笑していて、お付きで行った執事長はほほえましそうにしていた。


「ノナ、アーシェリク様は、とても素敵な方だったわ」


とても美しい金髪で、青い瞳がすごくきれいで、やさしくて、かっこよくて、頭もよくて、それでね。

とうとうと語り続ける婚約者殿の話。

一度しか会っていないはずなのに、お嬢様は婚約者にものの見事な一目ぼれを果たしたらしかった。


それ以来、ことあるごとに送られる贈り物も、交換している手紙も、全て大事にとっていて。

お転婆姫は、鳴りを潜めた。

代わりにお嬢様は服にも飾りにも金をかけるようになっていった。

はてには、王族になるものとして、使用人をこき使い、それまでの可愛らしいわがままとは違う、わがままを。ヒステリックに、癇癪持ちに、お嬢様は、次第に嫌われ者になっていった。




十五になった。俺は使用人として、従者として、お嬢様について学園に通うことになった。

通うと言っても、俺は授業を受けるわけではないけど。

お嬢様のわがままは、加速して、パーティーで王子殿下に近づくものがあれば、俺に命じて嫌がらせを行うようになった。

幼いころのような、無邪気で花開くような笑みは消え、冷徹で悪だくみばかりする、嫌な笑みを浮かべるようになっていた。

可愛らしかった見た目は、とげとげしい毒のような美しさへと変貌を遂げていた。


「あの子、嫌いだわ」


扇で口元を隠し、目線だけを少女へ向けて彼女は言う。

途端取り巻きの少女たちにやりと笑う。

その少女に視線を向けた。

それは三十年ぶりに平民がこの学園に合格し入学したと、一時噂になっていた、可愛らしい少女だった。




「ジュエリー、いや、ジュエルベリテ! おまえとの婚約を破棄させてもらう!」


とうとうと響いた声に、お嬢様が目を見開いた。

今にも崩れ落ちそうになっている、その華奢な体。


「何をおっしゃっていらっしゃるのか、わかりませんわ」


震える声でそう言った。蒼白な顔で、歪んだ笑みが浮かぶ。


「お前のマリアに対する狼藉、いい加減に見過ごせないのだ、ジュエルベリテ」


追い詰められていくお嬢様。周りからの罵詈雑言を浴びせられて、手足として動いていた取り巻きも掌を返したように姿を現さない。

針の筵の中で、お嬢様が小さく俺の名を呼んだのを。俺は確かに聞いた。


「お呼びでしょうか、お嬢様」


かつかつと、進みでて、お嬢様の前に跪く。

その顔に、涙は流れていなかった。蒼白の顔は、絶望に沈んでいた。狂った末に、壊れたお嬢様。

俺と目が合うと、かつてのように、無邪気に笑った。まるで周りが騒いでいることが、あっという間に意識の外に追い出されてしまったかのように。


「ノナは」

「ノナ君! あなただって、今までジュエルベリテ様にひどい扱いを受けてきたんでしょう! もう、無理しなくていいのよ。誰も貴方に、もうひどいことはしないわ」


お嬢様の言葉を遮って響く甘ったるい女の声。

その声と、その内容に、お嬢様の顔が沈んで、俯いた。

白い手袋がはめられた細く可憐な指先が、震えながらきつく握り込まれる。その手をとって、その甲に口づけた。

そんな顔は、あなたらしくない。


「ノナは、永遠にお嬢様の玩具ですよ」


きっとさっき、そう言おうとしたお嬢様の言葉を引き継いで、俺はそう答える。

お嬢様なんて大嫌いだ。俺を人として扱わない。徹底的に。

でも、怨んでいるわけじゃないんだ。

憎んでいるわけでもない。

ただただ、空しかっただけだ。あまりに不相応で、それはあまりに夢と儚かったから。

にっこりと、涙の滲んだ緑の瞳が静かに微笑んだ。

あの日、俺に名をつけたあの日の瞳で。


「どうして? ノナ君、あなただって、その人からさんざんひどい扱いを受けてきたじゃない。その人の事が、憎いはずでしょう? 恨めしいはずでしょう」


苦悩の表情で、心配を浮かべた顔は美しくそう俺に問いかけた。そのやさしさに、周りの王子殿下や高貴な方々はうっとりとしておられる。


「………なぜ、私が、お嬢様を恨まねばならないのですか」

「だって」

「なぜあなたに、俺の感情を語られなければならないのですか」

「え」

「なぜ、かつて俺を地獄から引き揚げたお嬢様を、俺が見捨てなければならないんですか」

「ノナく」

「くだらない。ぬくぬくと平和に愛されお育ちになった方の言うことは、さすが生温い」

「貴様!!!」


「憎いだの恨めしいだの、そんなことは、地獄を見てからほざけばいい」


ノナ。震える指が、俺の服の裾をひく。

失礼します、そう声をかけて、お嬢様を抱き上げた。きっと、お嬢様に俺から触れたのは、さっきの手の甲へのキスがはじめてだ。お嬢様は俺の腕の中で固まっている。


ああ、不敬罪で処刑されるかもしれないな。


「ノナ」


腕の中で、小さくなっていたお嬢様の声に、前を見据えたまま「なんですか」と返す。


「本当に、わたくしを恨んでいませんの。わたくし、いっぱいひどいことしましたわ」

「……ああ、ひどいことをしてたっていう自覚はあるんですね」

「茶化してますの?」

「そうですね」


カツカツと、俺の足音だけが響く。


「ノナは、わたくしのこと、嫌いだろうと思ってましたわ。みんな、私のこときらいだもの」

「……嫌いですよ」

「え」

「人のことを、必ず振り回す。何をされてもメイド長に叱られるのは俺だ。こんな理不尽有り得ないですよね。急に俺と一緒にパーティーにいけないって拗ねながら行ったかと思えば、一目ぼれして上機嫌に帰ってくる。ヒステリックだわ、知らねえ男の話はするわ、恋に浮かれてるわ、俺とは全然関係ねえ男のことぺらぺら楽しそうに語りだすわ、物にも人にもあたるわ」

「の、ノナ?」

「俺は、あんたに何にもできないんですよ。俺からあんたに働きかけることなんてできないんですよ。奴隷だから。使用人以下だから。あんたの恋愛対象とかなれるはずねえし、想いも伝えられないし、なんでかあんたのこと好きになるし。あんたがボロボロに傷つくの止められねえし。なかなかきついんすよ、好きな女がボロボロに傷ついて壊れていくの黙って見てるだけって。勝手に俺は余計振り回されてる気分になるんすよね。だから嫌いです」



「大っ嫌いですよ。王子なんかに現抜かして、壊れてくあんたなんか」



「不敬、ですわよ。主人にそんな、口を利くこと許されないわ」


ぽろぽろと、緑の瞳が泣くのを、初めて見た。

その瞳はいつだって、強く、笑っていたはずだったから。

のびた両手がぐいと俺のくびにかかる。涙にぬれた顔を、人の服にこすりつけながら、くすくすと、腕の中の少女は笑い始めた。


「ねえ、ノナ、あなた、奴隷だもの。あんな口を利いて、殿下に処分されるのではなくて?」

「お嬢様、俺の持ち主はお嬢様ですよ。俺の狼藉の責任は、あなたが被るのでは?」

「あら、ノナ。わたくしが、たかが奴隷にそんな手間をかけると思って?」

「名をくれたくらいですから。希望を持ってみようかと」

「……ノナ、あなた。そんな口が利けたのねえ」

「言えない立場でしたから、黙っていただけですよ。今は自棄です」


ねえ、ノナ。視線を落とせば、顔の半分を俺の服にうずめたまま、片目だけで俺を見上げていた。


「わたくし、あなたのこと、好きですわよ」

「……使い勝手のいい玩具でしょうから。気に入られていた自覚はありますよ」

「ええ。それだけよ。それだけだったはずよ。さっきまでは」


逃げてしまいましょうか。昔通りのお転婆な顔で、にやりと彼女は笑うのだ。

わたくしを、つれだして。逃げのびてごらんなさい。ノナ。

無邪気な彼女は笑うのだ。

きっとそうやって、俺はいつまでも彼女に振り回されるのだろう。

それでいいのだろう。彼女はいつも俺の生きる意味だった。


ずっと前に途中まで書いておいたものにつけたしつけたしで書いて無理やり終わらせたので支離滅裂感がぬぐい切れない。

でもまあ、二人の関係が好きなので供養がてら。

似たような展開の話を昔書いたな。同じような話しか書けないですね。

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