ループ1 崩れ去る日常
ある作品にインスピレーションを受けています。
『お前は今日死ぬ』
夢と現実の狭間に揺れる、ともすれば心地よいとも感じられる軽い酩酊。
波の上でプカプカと浮くように漂っていた俺の意識に、そんな無機質な言葉が深く切り込んできた。
「夢……なのか?」
寝起きということもあり、それが現実に聞こえたのかそれとも幻聴として聞こえたのかの判断もつかなかったが、おそらく夢の続きでも見てたんだろうと自分で結論づける。
しかし、それにしてはやけに鮮明に耳に残っていることに微かな不安を覚えたが、それすらも頭を振り払って念頭から外す。
聞こえたかどうかもわからない幻聴に拘うほどの時間が俺にはないのだ。
すなわち、普段だったら家を出ている時間が差し迫っていたのである。
多くの中高生の共通の敵にして心強い味方でもある、睡眠。
それの弊害が遅刻というものだった。
このままでは間に合わなくなってしまうと、まだ完全には覚醒していない身体を無理やり動かしてベッドから起き上がる。体に絡みつくような倦怠感は五月病の表れだろうか。
そう、今は五月。高校2年生になりクラス替えも終わって一段落着き、大体クラスのグループも固まってきた頃だ。
仲の良い友人がいる人はゴールデンウィークに出かけたりしたのだろうが、生憎友と呼べる者が一人もいない俺はひねもすだらだらして過ごしていた。
そのせいかゴールデンウィーク明けの月曜日である今日は特に学校に行くのが憂鬱だった。
しかしまあ、学校を休むのだって面倒だし遅刻したとあれば尚めんどくさい。
さっさと制服に着替えて学校に向かうことにした。
俺の家は二階建ての一軒家であり、二階の一番階段に近いところが俺の部屋だったりする。
部屋でちゃっちゃと着替えたので一回に向かおう。
寝起きの頭と体にはこの階段の一段一段が面倒に感じられるのだが、その分地上に近づくにつれて意識が覚醒していく気がする。
とん、とん、とん、と体に伝わる振動が脳を揺さぶり起こしているようだ。
毎朝の倦怠感は好きではないが、この意識が覚醒していく感じは存外嫌いではない。
「おはよう……と。もう家出たのか」
母子家庭であり、母親と俺の二人暮らしであるこの家では当然母親は働いており、朝起きるのが遅かったりすると大体の場合会うことはない。さらに言うと最近起きるのが遅くなっているせいで‘大体の場合’の発生頻度はかなり高い。
「飯は……時間がないし食わなくていいか」
朝飯抜いたくらいで死ぬわけではないし、と。
心の中で呟いたのだが、その瞬間俺の頭に鈍い痛みが走った。
片頭痛のような持続的な痛みではなかったためにそこまで気になったわけではなかったが、それでも痛いものは痛い。
痛いのは嫌いだ。
それにしても、疲れているのかもしれないな俺は。
そう自己分析してみる。
今朝もなんだかよくわからない声みたいなのが聞こえたし、ついに俺も寿命かな。まあ死んだところでどうというわけではないが。
なんて。
どうでもいいことを考えた俺の頭にまたもや頭痛が襲ってきた。
「っつーー。いてえじゃねえか」
先ほどの痛みよりもかなり痛かったそれは、その痛みに反して一瞬で消え去ってしまう。
痛みの余韻が全く、本当に全く感じられないので、その痛みは幻だったのではないかと錯覚してしまうほどだった。
しかし、痛みの余韻はなくとも痛みの記憶はまだ脳裏に、というか脳そのものに焼き付いている。その余韻とも言えないような痛みの残滓は、胸をかきむしりたくなるような焦燥感を生み出していた。
まるで背中の痒い所に手が届かないような。
まるで何か重要なことを忘れてしまっているような。
そんな得も言われぬ不快感の渦が、俺の魂をかき乱しているようだった。
『思い出せさもなくば』
「っ!?また聞こえた!?」
今朝俺の鼓膜を叩いたあの無機質の声が、またもやはっきりと俺の脳内に響き渡った。
今のはだれの声だったのだ?
思い出せ、とは何をだ?
さもなくばどうなると言うのだ?
いやそんなことより、俺の身にはいったい何が起こっているんだ?
喉元まで答えが出かかっているのにあと一歩足りないような、もどかしさ。
自分の身体なのに得体のしれないことが起こっているという不安。
そして、まるで自分が自分ではなくなってしまったかのような、魂の根源からくるような恐怖。
それらがぐちゃぐちゃに混ざり合い、気づいたら俺の身体は小刻みに震えだしていた。
「一体何が起きてんだよ……」
俺が弱弱しく吐き出したその言葉は、無人の家に虚しく響き渡っていた。
それから数分経っただろうか。
もしかしたらもっと経っていたかもしれないし、ひょっとすると数秒だったかもしれない。
体の震えも治まってきて、心拍数もおおよそ正常になってきたところで、俺はようやく一つのことを思い出した。
学校だ。
もともと起きた時間が遅かったせいでただでさえ遅刻しそうだったのだ。
ここでうだうだしていたら授業が始まってしまう。
急いで玄関に向かい、身だしなみを整える暇もなく靴を履き外に出ようとする。
『瓦が落ちてくるぞ』
また何か聞こえたようだったが、それは無視する。
さっき懊悩としたからかどうかはわからないが、あの魂をひっかくような不快感はあまり感じられなかった。
もしこのときこの幻聴に耳を傾けていればどうなっていただろうか。
この先にある未来は回避できたのだろうか。
否、おそらく運命の輪にはとらわれていただろう。何故ならこの時すでに、そのループは始まっていたのだから。
だが、どうしても思わずにはいられない。
もしあの時違うことをしていたら、と。
今だからわかるが、この後悔こそが生への執着というものなんだろう。
この時の俺にはまだない感情だ。
ともかく俺は勢いよくドアを開け放し、二つあるうちの一つだけに鍵を閉めて家を出ようとした。
このとき焦ったせいでまごついていなければ、数瞬でもタイミングが違っていたらと。
今の俺なら思い返せるが、この時の俺には土台無理な話だ。
生きることにも死ぬことにも何も感じていなかった俺だからな。
鍵を閉め、一歩踏み出した俺の後頭部に、頭が割れるような痛みが走った。
あまりの衝撃に前につんのめり、さらにバランスを保てなくて俺は倒れてしまう。
地面に顔をしたたか打ち付けたが、それすらも痛いとは感じなかった。
それほどまでに後頭部が痛かった。全身の神経が後頭部に全て集まっているのではと錯覚するほどの、途方もない激痛。
頭が割れるようなと表現したが、どうやら本当に頭が割れていたようだ。
血が目に入って視界すらおぼつかなくなる。
そのかすんだ目で何とか後ろを見てみると、そこには赤い血の付いた瓦が落ちていた。
ああ、さっきの幻聴は本当だったのか。
このまま俺は死ぬのかな。
死ぬのは痛いだろうか、いや、さすがに今より痛いということはないだろう。
なら安心だ。痛くないならいか。
生きてるのは痛い。ならば死ぬと楽になるのか?
死ぬのも痛いなら死にたくないけど、このまま治らないのも痛いから死ぬなら早くしてくれ。
死ぬ間際の人間としては極めてあまりにも異常な、普段と変わらないような冷静な思考を最後に俺の意識は途切れた。
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「おかえりなさい。随分と速いお戻りでしたね」
どこかで聞いたことがあるような声が聞こえた。
「え…と。俺は死んだはずじゃ……」
「やはりすべて忘れているんですね?もう一度一から話して聞かせますからよく聞いてください」
その声の主。喪服のようなものに身を包み、顔をベールで覆っているその女性は、俺に説明を始めた。
これまで何が起こったかを。
これから何をしてもらうかを。
自らの名を鬼灯と名乗ったその女性は語る。
それは、俺がとらわれた死のループの話。
それは、俺の生死がもたらした歪みの話。
それは、生に執着しない傲慢な人間の話。
それは、死にさえ癒着しない哀れな男の物語。
天国にも地獄にも見放された、俺は斯くしてここにいる。
ここで生きていて、ここで死んでいる。
数年前のあるめちゃくちゃ面白い作品にインスピレーション受けています。
わかる人にはわかると思うので、パクリと言われないようにどうにか書いていこうと思います。
まあ確実に下位互換となってしまうでしょう。
数日後から林間学校があったりするので、結構不定期になってしまいそうです。