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第6話 それぞれの選択

 電光石火の強襲に周りの空気が凍り、時が息を潜めた。

 あまりの早業にヘレンは何が起こったか理解できない。そのせいで切られてから悲鳴を発するまでに時間を要した。

「アウッ!」と、ヘレンはライフルを放り出し、両手で顔面を押えて悶絶する。声にならない呻き声に時折「FUCK!」という単語が混じった。

 あまりの驚きで硬直していた利恵が悲鳴をあげる。それをきっかけに桐子が我に返る。

「ヘレン! 大丈夫か!」

 怯えきった利恵は血まみれのヘレンを直視することが出来ない。だが、ここでも委員長気質が利恵を駆り立てる。口元を押さえながら声を飲み込み、ヘレンに駆け寄る。

「桐子さんっ! 救急車を……」

 そこまで口にしたところで利恵が呆然とする。救急車など呼べるはずもない状況であることを思い出したのだ。

 逆に桐子は慌ただしく動き出す。

「とにかく止血しないと! タオルと氷を持ってくる!」

 顔面を切り裂かれたヘレンは地面に転がり、まるで何かを呪うような呻き声を発し続けた。彼女の周りに散った生々しい血痕が残酷な現実を示している。

 一方、モエはヘレンの惨状に一瞥をくれると急いで野乃花の元に戻った。

「野乃花! 大丈夫なん?」

 モエに名前を呼ばれた野乃花が、むっくり起き上がる

「野乃ちゃん!」と、乙葉が自らの怪我も顧みずに駆け寄る。乙葉も左の肩口を撃たれていた。

 野乃花は立ち上がりながらスカートをパンパンと叩く。

「ああ、びっくりしたァ」

 野乃花の呑気なコメントに詩織が驚く。

「へ、へ、平気なの!?」

 確かに野乃花はヘレンの銃で後ろから撃たれたはずなのだ。

「ん? 別に痛くないケド?」と、野乃花は首を傾げる。

 モエが野乃花のリュックに開いた穴を発見する。

「それは……」

 乙葉も野乃花が背負ったリュックに目を遣る。

「そこに当たったのね?」

 野乃花のリュックは荷物でパンパンだ。しかもフライパンの柄が上からはみ出している。

 モエが脱力したように苦笑いを浮かべる。

「ひょっとしたら、それに当たったんやないかな?」

「フ、フライパンに?」と、詩織が目を丸くする。

「まるで漫画やな」と、モエは半ば呆れたように言う。

「ちょっと見せて」と、乙葉がリュックの口を開けようとする。

 しかし、モエがそれを制する。

「待った! それは後にして取りあえず、ここ離れよ」

「え、でも……」と、乙葉が困った顔をするがモエは皆を急かす。

「歩けるんやろ? だったらとにかく離れるんや。また撃たれたら敵わんで」

 そう言って先を急ぐモエに詩織が尋ねる。

「で、で、でも、ヘレンさんはもう……」

「いや。致命傷ではないはずや。当たりは浅かった」

 モエは冷静にそう答えると手にしていた戦斧を見つめた。

 地面に転がりながら喚くヘレンの様子を遠目に見守っていた乙葉が頷く。

「行こう。こっちも被害者なんだから……」

 乙葉をそう言って肩の痛みを思い出したように顔を顰めた。


   *   *   *


 南風荘のロビーで利恵と桐子は必死に応急措置を行った。

 桐子が暴れるヘレンをソファに押さえつけ、利恵が濡れタオルを交換しながらヘレンの顔面を押さえる。だが、出血が止まらない。ヘレンの白い首筋は血で真っ赤だ。金髪にもあちこちに血がこびりついていて、それが痛々しさを際立たせる。

 祈るような表情で2人は止血を試みた。静かなロビーに取り乱したヘレンの発する声だけが響く。

 眼鏡がずり落ちそうになった利恵がヘレンをなだめる。

「ヘレンさん。お願いだから落ち着いて」

「暴れると余計に血が止まらないぜ」

 桐子の言葉でようやくヘレンが暴れるのを止めた。それを見て利恵と桐子が顔を見合わせる。

 どれぐらい止血をしていただろうか。傷口は赤黒い裂け目を露呈したままだが、そこから染み出る血の勢いは衰えたようにみえる。ヘレンのセーラー服は殆どの部分が血に染まり、ゴワゴワしていた。

 ぽつりとヘレンが声を発した。

「……ソーリー」

 利恵が氷の入ったバケツから濡れタオルを出して交換してやる。

「……サンキュー、利恵……アンド桐子」

 か細い声でヘレンは感謝の気持ちを表す。それには涙声が混じっていた。

 利恵はやるせない表情で首を振る。桐子も何も言えない。

「サンキュー、2人とも。もう大丈夫。自分で出来るから……」

 そう言ってヘレンは顔を覆うタオルを自らの手で押さえた。

 ヘレンを挟むような形で利恵と桐子は、ほっと一息をつく。そして互いに無言のまま、利恵が首を振り、桐子が頷く。言いたいことは分かるよといった風に。

「絶対……」と、ヘレンの口が小さく動いた。

 それを聞いて利恵が、まるで我が子を慈しむような顔つきでヘレンの頭に手を伸ばして撫でてやる。

「絶対に……」

 尚もヘレンは呟く。それは涙声に違いなかった。が、どこか腹の底から本音を絞り出しているようにも聞こえた。

 桐子がヘレンの空いている方の手を握る。

「無理すんなって……」

 桐子の言葉にヘレンが微かに首を振ろうとした。だが、痛みで「アウチ」という悲鳴を小さく漏らしてしまう。おそらく傷口が痛むのだろう。

「リベンジ……」

 その言葉を口にしたヘレンの顔はタオルで覆われていて表情は伺えない。しかし、その重みは利恵と桐子を無口にさせてしまうほど鬼気迫るものだった。


    *   *   *


 山海荘の大浴場で玲実と双子は海の水を洗い流していた。 

 望海が湯船に浸かりながら笑う。

「貸切みたいで快適ぃ~」

 玲実と梢は並んで身体を洗っている。玲実が梢の裸を横目で見る。そして意外に成熟した梢の腰回りにドギマギする。しかも横から見た梢の胸は大きく膨らんでいる。玲実は洗いかけの自分の胸を見下ろして複雑な表情を浮かべる。

 玲実の視線に気付いて梢がきょとんとする。

「どうしたの?」

 玲実が顔を赤らめながら誤魔化す。

「そ、それで、大丈夫なの? 足は?」

 梢は胸元の泡を手のひらでかき混ぜながら答える。

「あ、それは大丈夫。かすっただけみたい」

「そ、そう。なら良かった」

 そう言って玲実は平静を装った。梢の乳房を見た後で自分のと比べてしまうと恥ずかしくなってしまうからだ。

 湯船に浸かった望海が足を出しながら言う。

「そういやさ。さっきのバケモノ。写メ撮っておいたよ。動画も」

 梢が振り返って顔を顰める。

「なんで? あんなキモイ物……」

 海で梢を襲った巨大オクトパスはこの世の物とは思えないほどグロテスクな造りをしていた。梢はそれを思い出して身震いするが望海は気にしていないようだ。

「だって有名になれるかもよ? 動画アップすれば話題になるでしょ!」

 望海はそう言うが梢は懐疑的だ。

「でも、合成とか言われない?」

「まあ、確かに作り物っぽかったけどね」と、望海は足を湯に『ちゃぽん』と沈める。

 双子の会話を聞いていた玲実がシャワーで泡を落としながら口を開く。

「ねえ。あんな生き物が居たってことは、あの子の描いた絵。ひょっとしたら、あれも本物ってことになるんじゃない?」

 玲実がいうあの子とは智世のことだ。彼女が瞬間記憶で描いたというスケッチブックの絵を3人は思い出した。

 望海が湯から上半身を出して顔を強張らせる。

「そういえばそうだよね。てか、ドラゴンだっけ? 超ヤバくない?」

 初めてあの絵を見た時に3人は信じていなかった。だが、あの巨大オクトパスの化け物に遭遇した今となっては、あながち智世の見間違いとも言い切れない。

 梢が身体を洗う手を止めて不安げな表情をみせる。

「どうする? みんなに伝えた方が良くない?」

 しかし、玲実は即座に首を振る。

「やめとこ。放っておけば? アタシ等はあそこに近付かなきゃいいだけよ」

「そうそう。シカトで良いよ」と、望海も賛成する。

「でも……万が一あれが本物だったら」と、梢は悲観的に考える。

 玲実はシャワーのお湯を止めながら意地悪そうな笑みを浮かべる。

「アレが居るのは森の方だよね。あんなトコに行く方が悪いのよ」

 望海も他人事のように言う。

「そうそう。天罰が当たればいいんだよ」

「天罰?」と、梢が姉の言葉に驚く。

 望海は悪びれる風でもなく続ける。

「そうだよ。勝手な行動してさ。探検だって? 好きで危ないトコ行くとかバカじゃないの?」

 梢は姉のコメントに違和感を持ったようだが、玲実も澄まし顔で賛同する。

「そうよ。自己責任でしょ」

 この現状に望海と玲実は楽観的に構えているが、心配性の梢とは温度差が広がりつつあった。


    *   *   *


 左手に堤防、右手に山の斜面が続く一本道をイリアと智世は黙々と進んだ。

 智世はフゥフゥいいながらイリアに付いて行く。この日差しの中、丸襟のブラウスに青のジャケット姿では汗だくになってしまう。しかも愛用のベレー帽を被っているので尚更だ。イリアは海風に栗色の髪をなびかせながら涼しい顔でスタスタ歩く。

 しばらく歩いたところで行く手に変化が見られた。ちょうど道を塞ぐような形で斜面が右側からせり出して海に没している。まるで土砂崩れが海に流れ込んだような地形だ。道は岩の裂け目に向かって伸びている。恐らくその穴が向こう側に通じているのだろう。だが、人が通るのが精一杯の穴でしかない。

 智世が呟く。

「トンネルだ……あれって自然に出来た物なのかな?」

「まさか。掘ったんじゃないの?」

「結構、長いよね? 向こう側が見えないよ」

 智世がいうように岩の裂け目はトンネルになっているようだが真っ暗だ。そして、予想通り中は暗かった。数歩進んだだけで光の影響力が急速に衰えていくのが分かった。ひんやりとした空気は湿気を含んでいる。

「明かりが無いから真っ暗だね」と、智世が不安そうにイリアにくっつく。

 闇に目が慣れてきたところでイリアは周囲を観察しながら進む。足元は舗装されているが左右の壁は岩が剥き出しだ。

「トンネルというより鍾乳洞みたい」

 そういってイリアは上を見た。天井は思ったより高く、暗くてどこまで続いているのか判別できない。2人は前方の明かりに向かって進んだ。トンネルの全長は50メートルぐらいだろうか。だが、2人にはそれ以上に感じられた。やがて出口が近づいてくる。徐々に光の領域が広がり、ほっとする。が、トンネルを抜けると雪国だった。視界の端が白く切り取られた。年季の入った西洋風の街並みはもれなく白を纏い、一様に丸みを帯びていた。ただ、それが期待していたものと違うことは一目で分かった。なぜなら、イリア達の先に延びる道は、どこもかしこも真っさらな雪に覆われていて車や人が通った痕跡がまるで存在しなかったからだ。普通、どんな雪国でも車が行き交う道路は黒く汚れているものだ。

「……誰もいないのかな」と、智世がか細い声で呟いた。

 雪は止んでいる。地上の白は日差しを反射してキラキラと明るく振る舞っている。イリアが眩しそうに目を細める。

「とにかく行ってみよう」

 雪の深さはさほどでもない。だが、足首まではゆうに埋まってしまう。イリアと智世は足元に注意しながら雪に埋もれた道を進んだ。天気が良いのは幸いだったが、空気の冷たさは致し方ない。イリアの制服は赤黒チェックのミニスカートだが黒のニーソックスでは寒さを凌げない。一方の智世は、青と紺のスカートこそ膝丈だが足元はハイソックスなので膝のあたりに寒さが染みる。吐く息が白いのは当然のことながら、吸い込む空気で肺が委縮してしまうような気がした。

 2人は街の人々を求めて幾つかの建物を覗き込んでみた。しかし、どこにも人の気配は無い。ある程度、覚悟していたこととはいえ、ゴーストタウンと化した街は2人に無言のプレッシャーを与えた。

「ロシア語……」と、イリアが看板の文字を見て呟く。

「読めるの?」

「少しだけ」

「イリアちゃんのお母さんってロシアの人だっけ?」

「ううん。国籍はドイツ。でもおばあちゃんはロシア人」

 民家、アパート、レストラン、商店、ホテル、教会と小さな街としては一通りのものは揃っている。南風荘のある港町とは規模が全然違う。しかし、雪景色に染まる街というよりは、雪に埋もれた街といった光景だ。

「あの建物……あれが病院かな」

 イリアが見つけた建物は5階建ての鉄筋コンクリートだった。灰色がかった外観は少し古さを感じさせる。

「行ってみる?」と、智世が上目遣いで尋ねる。

「たぶん、無駄だとは思うけど……」と、イリアは考える素振りみせる。

 ここまで徹底して人の気配が皆無となると『集団神隠し』としか考えられない。足跡のひとつすら発見できない。

「なんであの地図には病院のマークが書いてあったと思う?」と、イリアが智世の顔を見る。

「そう言われてみれば……」

「何かあるんじゃないかな」

 イリアは何かを確信しているようだ。

「とにかく行ってみよう」と、歩を進めるイリアに対して「そうだね」と、作り笑いを浮かべる智世は、あまり乗り気ではない様子だ。

 その時、イリアの視界の端を何かが過った。

「あれ? 今何か動いた?」

 街路樹の枝が雪の重みを支えきれなくなって、その足元にどさっと雪を落とす。

 それを見てイリアが首を捻る。

「気のせいかな……」

 再び歩き出して嫌な雰囲気に気付く。何となく周囲を警戒しながら進む。次の角を曲がれば目的の病院は目前だ。

 なぜその時、振り返ってみようと思ったのか? 

 両サイドには人気のない建物が密集している。それは普通の光景だ。だが、その真ん中にある何かに目を奪われてしまった。

「あ!」と、イリアは瞬時に危険を感じ取った。

「ふぇ」と、智世は情けない声を漏らした。

 2人を驚かせた物体。それが何であるのかを理解するには常識を全否定する努力を要した。

「と、虎!?」と、イリアが驚愕する。

「ヤダ……」と、智世が怯える。

 2人の目に映るのは真っ白な虎だった。しかも驚くほど牙が長い。その姿は絶滅した『サーベルタイガー』そのものだ。

「走って!」と、イリアが叫ぶ。

イリアはダッシュすると同時に恐怖のあまり立ち竦む智世の背中をバンと叩いた。だが、智世は「待って!」と、その場を動かない。

「何言ってるの! 早く逃げないと……」

「走っちゃダメだよ。イリアちゃん」

「え? どうして……」

「背中を向けちゃダメ。ゆっくり後退するの」

 そう言って智世は白いサーベルタイガーを睨みつけながら後ろに向かって病院の建屋に接近しようと試みた。イリアもそれを真似てゆっくり後退する。焦る気持ちを抑え、雪を踏み分けながら後ろ向きに進む。イリアの白い肌は上気している。吐く息も白く大きく広がる。

 そこで、サーベルタイガーが『トットットッ』と、数歩前進した。それを見て一気に2人の鼓動が高まる。だが、相手は前進を止め、慎重にこちらの様子を伺っているように見える。

「イリアちゃん。あそこの階段の上にドアがあるでしょ」

 智世に言われてイリアがチラリと後方を見る。

「あった。アレね」

 20メートル先に非常階段と裏口のような扉が見える。

「先に行って中に入れるか試してみて」

 智世の指示にイリアが「分かった」と、頷く。智世はイリアが裏口に辿り着くまでサーベルタイガーの注意を引き付けるつもりなのだ。

 イリアは智世の様子を気にしながら急いで裏口に向かう。靴に纏わりつく雪で思うように足が進まない。ようやく階段に辿り着き、8段ほど上がったところで非常口の前に立った。そして扉のレバーに手をかける。

「冷たっ!」

 レバーの部分が氷のように冷たい。だが、ぐっと力を入れるとそれが下に下がった。

「大丈夫! 開いてる」

 イリアが分厚い扉を押し開けて智世を呼ぶ。

「開いたよ! 急いで!」

 智世はまだイリアに背を向けたままジリジリと後退している。その距離十数メートル。

 その時、サーベルタイガーが『トトッ』と加速し始めた。これ以上は危ない。智世はクルリと振り向いて走り出す。だが、雪に足を取られて思うように進めない。

「早く! 早く!」と、イリアが悲痛な声をあげる。

 懸命に走る智世の背後にサーベルタイガーが迫る。その距離が見る間に縮んでくる。イリアは焦った。

「何とかしないと……」

 何か投げられそうなものは無いかと周りを見る。最初に目についた空き瓶を拾い上げ、智世の背後に迫ったサーベルタイガーに投げつける。うまいことそれが命中した。『ギャォゥ』と、サーベルタイガーが一瞬、怯む。その隙に智世が階段を上ってくる。あと少し、あと少しで扉まで到達する。だが、サーベルタイガーは直ぐに体勢を立て直して、さらに勢いを増して突進してくる。

 イリアはその大きさに驚愕した。

「大きい!」

 ようやく智世が階段を駆け上がってきた。雪まみれの智世を室内に引き込む。そして扉を閉めようとした時だった。『ガリッ!』という音がして扉にサーベルタイガーの前足がかかった!

「ひっ!」と、思わずイリアは手を引っ込めそうになる。が、それを堪えて体重をかけて扉を押す。押し返される。智世も押す。お互いに言葉にならない叫び声をあげながら夢中で重い扉を押した。そして何を思ったか智世が持っていたエンピツを扉にかかった前足に突き刺した。それが功を奏した。鋭い爪の付け根にエンピツを突き刺されたことで前足がドアから外れたのだ。その期を逃すまいと2人で力を合わせて押し込んだ。バタンと扉が閉じられ、ガチャリと枠にハマった。イリアが急いで鍵をかける。鉄製の分厚い扉は鍵も頑丈で、サーベルタイガーが何度かぶつかってきたようだが破られる気配は無かった。やがてその動きも収まった。どうやら諦めたようだ。それを確認してイリアと智世はその場にへたり込んだ。

「ふう……何とかなったね」と、智世が強張った顔で笑う。

「意外だったよ。よく冷静になれたね」と、イリアが苦笑いを浮かべる。

「ぜんぜんだよ」と、智世が顔を赤くしながら手と首を同時に振る。

「いや。はじめに背中を見せてたら、やられてたかもしれない」

「あ、それは前に読んだことがあったから。でも……」と、智世は気まずそうに俯く。

「どうかしたの?」

「ううん。ごめん。背中をみせずに後退するのは『熊』にあった時の対処だった」

 智世はそう言って泣きそうな顔を見せる。

 イリアは脱力したように呟く。

「熊……そっか。熊ね。でも、結果的には虎にも通用したんだから。いいんじゃない?」

 そして2人はどちらからとでもなく笑い合った。冷え切った無人の室内に2人の笑い声が響く。そして薄暗い室内は病院特有の匂いがした。


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