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第30話 乱戦の末に

 モエは目の前の出来事が信じられなかった。

「なんでや!?」

 モエが振り下した戦斧はヘレンの左半身を確実に捉えたはずだった。それなのに手応えが無いどころか姿まで見失ってしまった。まるで、触れようとした幻が目の前で消え失せてしまったかのように。

 と、次の瞬間、モエの左後方からヘレンが槍を持って突撃してきた。

 ヘレンは「ああああっ!」と、槍をバットのように振ってモエの腰を強く打った。

「なんで!? ぐあっ!」と、モエが吹っ飛ばされる。

 飛ばされた勢いで雪に半分埋まるモエ。それを見てヘレンが槍の先端をモエに向ける。

「ひっ!」と、モエが身体を捩って起き上がろうとする。が、腰の痛みで動きが鈍い。

 ヘレンは唇を噛みながら険しい表情で数歩踏み込む。槍の先端がグッと伸びてモエの手にしていた戦斧に『ガツッ!』と当たった。

「うぐっ!」と、モエは右手の痺れに顔を歪める。そして戦斧を落としてしまった。

 一方、望海の一太刀を脇腹に受けた乙葉はショットガンの銃身を振り回して望海に殴りかかった。

「くっそおぉおお!」

 望海は冷静にそれを避け、距離を取ろうと数歩下がる。

 そこで乙葉が振り回していたショットガンを素早く持ち替えて射撃体勢に入る。

「あっ!?」と、望海が慌てる。流石にそれは距離が近すぎる。

 乙葉は顔を歪めて「死ねっ!」と引き金を引く。

『バンッ!』という銃声。

 至近距離の銃撃に望海は顔を背けて硬直した。だが、散弾は食らっていない。目を開けて「なっ!?」と、望海が驚愕する。なぜならヘレンの背中が目に入ったからだ。

 望海と乙葉の間に割り入ったヘレンは腕に装着している円形の盾を乙葉の銃口に押し付けていた。お盆ほどの大きさの盾をギリギリまで近づけることで散弾を防いだのだ。だが、ヘレンと乙葉の間で弾けた散弾は双方に反動というダメージを与えた。

「くそっ!」と、乙葉が下がりながら2発目を狙う。

 そうはさせまいとヘレンはもう一度、痣をタップして槍を取り出しながら間合いを詰める。

『バンッ!』

 2発目の散弾が炸裂した。が、ヘレンの姿は無い。

 乙葉は驚愕する。

「外した!? この距離で!?」

 そこで乙葉の背後に回ったヘレンが槍を乙葉の肩口に振り下した。

「いつっ!」と、乙葉の片膝が落ちる。振り返りながら乙葉が「いつの間に」と、目を剥く。

 ヘレンの2撃目が乙葉の側頭部を狙う。防御しようと手を翳す乙葉。と、その時、乙葉の手に触れた槍の軌道が大きく流れた。まるでアウトコースのボール球に手を出してしまった打者のようにヘレンが空振りする。

「ホワット!?」

 まるで無理やり力の方向を変えられたような感覚にヘレンが驚く。

 乙葉は反撃しようとヘレンを睨むが最初に喰らったダメージが大きい。肩口が痛むのかショットガンを持つ右腕が上がらない。

 ヘレンがショットガンを叩き落とそうという狙いで槍をコンパクトに振る。

 それを迎え入れるように乙葉が左手を槍の軌道に合わせる。そして横に払った。すると乙葉の手の動きに合わせて槍の軌道がクンと変わった。そのせいでヘレンの体勢も崩れる。

「ノウ!」

 またしても攻撃がスカされた。槍に触れていないのに軌道を変えられてしまった。それが乙葉の能力だとヘレンは気付いた。

「アンビリーバブル……」

 そこに『ズガーン!』という爆発音と共に爆風が近くで発生してヘレン、乙葉、望海がなぎ倒される。さらに屋根に溜まっていた雪がドサドサっと大量に落ちてくる。

直撃は免れたものの、ヘレンは何が起こったのか把握できずにうつ伏せの状態で顔を引きつらせる。

 仰向けに倒れた乙葉は雪の冷たさと傷の痛みに顔を顰めながら起き上がろうとする。

 顔から雪に突っ伏してしまった望海は何とか顔を上げて顔面から雪を払う。

 最初に気付いたのはモエだった。

「り、利恵やんか!」

 モエが注視する方向に目を遣った梢が「きゃっ!」と悲鳴をあげる。

 2人の反応に気付いた望海がモエ達の見ている方向に顔を向ける。

「あ! あのクソメガネ!」

 5人が入り乱れる場所から通りを隔てて20メートルほど離れた位置で利恵がグレネード・ランチャーを構えている。

「ホワット? 今のは!?」と、ヘレンも今の爆発が利恵の攻撃だと理解する。

 望海の顔色が変わる。

「まずい! 逃げないと!」

 望海は足元の双剣を拾いあげると固まる梢を「早くっ!」と急かした。そしてヘレンの手を引いて「アンタも来て!」と起き上がらせる。

 屋根から大量に落ちてきた雪のせいで玄関付近は真新しい凹凸ができていた。望海はそれを踏み越えて通りに出ようとする。その目にこちらに向かって来る利恵の姿が写る。利恵はハンマーを持って一直線に走ってくる。

 そこでヘレンが「ノウ!」と、叫びながらライフルを発砲する。それは利恵の進行方向手前に着弾したが、利恵の勢いを削がせた。

 望海達が逃げようとするのに乙葉が気付いてショットガンを探す。が、落ちてきた雪に埋まってしまったそれは簡単には引き抜けない。

「くそっ!」と、乙葉がイラつきながらショットガンを引っ張っている間にも望海と梢、ヘレンの後姿が遠ざかる。

 利恵は立ち止まって胸の辺りをタップする。そして、その動作で『ポムッ!』と、出現させたトライデントをやり投げの要領で放る。

 風を切って飛ぶトライデントが放物線を描いてヘレンの背中に迫る。

 梢が走りながら「危ないっ!」と、ヘレンを横に押す。そこにトライデントが到達して間一髪、ヘレンが直撃を免れる。ヘレンは一瞬だけ振り返って利恵を睨みつけるが、直ぐに前方に向き直って走り出す。

 利恵は忌々しそうに望海達の後ろ姿を眺めながらゆっくりとモエと乙葉に近付いた。

 モエが安堵の表情で「助かった……」と、座り込む。

 ようやくショットガンを引き抜いた乙葉が雪を払いながら悔しがる。

「あいつら……くそっ」

 利恵に遅れてボウガンを持った愛衣が合流する。

 愛衣は踏み荒らされた玄関回りと乙葉の流した血を見回しながら「何て事を……」と首を振る。

 モエがヨロヨロと立ち上がりながら利恵に礼を言う。

「すまんな。おかげで助かったわ」

 だが、利恵はニコリともせずモエの顔を一瞥しただけだった。

 代わりに愛衣が尋ねる。

「これは……どういう状況なの?」

「ああ……うちらはヘレンに復讐しようとしたんや。偶然、足跡を見つけてん。けど、まさかあの性悪な双子と組んどったとはな。想定外や」

 モエは簡単に経緯を説明した。愛衣は眉間に皺を寄せてモエの話を黙って聞いた。一方の利恵は聞いているのかいないのか分からない。憮然とした表情で突っ立っている。

 脇腹の傷を押さえながら乙葉が落ち着きを取り戻す。

「ヘレンは野乃花の仇、イリアは詩織の仇。どっちも憎い」

 乙葉の言葉に利恵がピクリと眉を動かす。

「いいんじゃない。気が済むまでやれば」

 それは以前の利恵からは考えられないぐらい冷たい口調だった。それに優等生ぶっていた頃の利恵しか知らないモエと乙葉にとっては意外な台詞だと思われた。

 モエが呆れたように言う。

「利恵……あんた、変わったな。なんか感じが全然ちゃうわ」

 それが素直な感想だった。口調といい、表情といい、利恵は別人のようになってしまった。それは乙葉の変化以上に衝撃的なものだ。

 愛衣が2人に提案する。

「2人ともこの町に着いたばかりなんでしょ? 今日は私達のアジトに来て休んだらどう?」

 モエと乙葉は顔を見合わせる。そして同時にコクリと頷いた。

 それを見ても利恵は何も言わなかった。ただ、その横顔には冷徹な決意を秘めているように2人には見えた。


   *  *   *


 雪の町に戻る前にイリアは干しっぱなしの洗濯物を取り込み、桐子は残りの食料を掻き集めようと手分けして南風荘内で作業を進めていた。

 洗濯物は雪の町に探索に行く際に外に出していたものだった。2階は閉鎖していたので外に干されていた漁師の道具をどかして洗濯紐にぶら下げる形で干すことにしていた。

 イリアそれを取り込みながら誰の物だったかを思い出しながら分別していく。パーカーアやスウェットは何となく分かる。が、ブラジャーとパンツまでは所有者を覚えていない。この島には自分達しか居ないことが分かっていたので下着は無防備に干されている。建物と小屋の間に張られた2本の紐に色とりどりの下着がズラリとぶら下がる様は色気とは程遠い。

 ジャージをカゴに入れようとしたイリアの手がふと止まる。

「あれ? これって……」

 それは体育の時間に着るようなベーシックなものだ。紺色の上下に白の2本ラインがサイドに入っている。誰のだっけ? と考えるより先に内側に縫い付けられた名前のタグが目に付いた。

「まつ はれこ? そんな子居たっけ?」

 手書きのそれは確かに名前のようだ。『松晴子』と油性ペンで書かれている。ただ、自分達の中に該当するものは居ない。

 そこに桐子が慌てた様子で現れた。

「い、イリア! ちょ、ちょっと来てくれ!」

「どうしたの? そんなに慌てて」

「いいから来てくれ! 見せた方が早い!」

 そう言って桐子は強引にイリアの手を引っ張った。


 桐子はイリアを連れて南風荘の厨房内に入ると業務用冷蔵庫の前まで進み、扉を勢いよく開けた。

 冷蔵庫の中味を見てイリアが「そんな……嘘でしょ」と、目を丸くする。

「だろ? ここを出る時は殆ど空だったはずなんだ」

 業務用冷蔵庫の中には肉、魚、野菜が収まっている。それらは最初にここを発見した時のままだった。

「食べ尽くしたはずなのに……」と、イリアが顔を強張らせる。

 桐子は冗談ぽく「誰かが補充してくれたとか?」と言うが、直ぐに首を振る。

「ハハ、んな訳ないか……」

 しばらく2人は呆然と冷蔵庫の中を眺めた。そこでイリアが何かを思い出す。

「そうだ!」

 イリアは食堂に置いていたリュックを走って取りに行く。そして智世の形見であるスケッチブックを取り出した。

 イリアを追ってきた桐子が怪訝そうに尋ねる。

「イリア、どうしたんだい急に?」

 イリアはそれには答えずに急いでページをめくった。そしてこの島の地図が描かれたページを開く。正確には乙葉のスマホに収められたものを智世が瞬間記憶で描いたものを凝視する。

「ねえ、見て」と、イリアが地図のある箇所を指差す。

 イリアの指先、そこにはこの南風荘が長方形で印されている。そしてそこに重なるように数字の『8』が書き込まれている。

 イリアが言う。

「もしかして、これは8じゃなくて無限大のマークなんじゃない?」

「無限大……これが?」

「あるいはメビウスの輪」

 イリアの言葉に桐子がうーんと首を捻る。

「つまりループしてるってことか……」

「え? ループってなに?」

「ああ。マンガやゲームなんかで良くある設定なんだけどね。同じことが繰り返されるんだ。一定の周期で」

「繰り返される?」

「そうだよ。例えば、ある一日を何度も経験しなくてはならないとかね。主人公の記憶はそのままに、周りの人間や事象は何事も無かったかのように同じ一日を繰り返す。そういう設定をループ物っていうんだ」

 その説明を聞いてイリアの表情が曇る。

「この場所がそうだと?」

「冷蔵庫の中味が減っていないということは、ここだけループしている可能性があるね」

「え? そんな部分的なのってアリなの?」

「分からない。世界が丸ごとループっていうなら分かるけど部分的なループってのはどうだろ? まあ、この島は変なことだらけだから有り得るかもしれない」

 イリアは冷蔵庫の扉を閉めてうな垂れる。

「もし、このことが分かってたら食べ物は何とかなったのに……争いだって避けられたかもしれない」

 桐子はイリアの肩に手を乗せて首を振る。

「仕方ないよ。この地図はこのことを教えてくれていたのかもしれないけど、そんなの誰も気付かないよ。それに検証してみないと本当かどうかも定かじゃないし、どれぐらいの周期でループしているのかも分からない」

 地図上の『8』が示す意味。それは、その場所がループしていることを表しているのだろうか? 或いは自分達の今の状態が繰り返される運命にあることも考えられる。

 桐子はその可能性に言及しながら険しい顔をする。

「この異世界でボク達は永遠に殺し合わなきゃならないのか? 繰り返し繰り返し」

 イリアが珍しく弱気な様子で首を振る。

「そんなの嫌……そんなのって……」

 イリアの心は折れかかっていた。只でさえ理解不能なこの異世界にうんざりしているのに、ここから脱出するどころかループする運命となっては無間地獄に落ちたも同然だからだ。しかも自殺することすら出来ない。仮に武器を使って自らの命を断ったとしても、はじめからの繰り返しになってしまうかもしれないのだ。恐らく、このことを聞いたら皆、絶望するだろう。唯一の救いは桐子が絶望していないことぐらいだ。

 桐子は力強く頷く。

「うん。やっぱり皆を集めて良く話し合おう」

 桐子の言葉にイリアは力なく頷く。

「そうだね……」

 

   *   *   *


 幸い誰も追って来る気配は無い。後方に目を遣りながら望海が息をつく。

「ハァ、ハァ……何とか逃げ切れたようね」

 3人が走ってきた道は雪の表面を引っ掻いたような痕跡を残している。

 梢は息を整えながらペタンと座り込む。

 ヘレンは息を切らせながら汗を拭う。

「参ったわね……もう何が何だか……」

 乙葉達の急襲にも驚かされたが、まさかあそこで利恵まで乱入してくるとは想定外だった。

 望海が悔しそうに言う。

「ダメだ。あのメガネを倒すには狙撃するしかないわ。お願い、ヘレン。その銃であのメガネ女を撃って!」

 しかし、ヘレンは首を振る。

「ノウ。それは出来ない」

「何でよ! こういう時は助け合わないと! 一緒に戦った仲じゃない」

「そういう問題じゃない。やられたらやり返すのが私の主義だけど、彼女は……」

 歯切れが悪いヘレンに望海が詰め寄る。

「どうして? 自分が狙われてないから? 自分のことしか考えてないワケ?」

 望海の強い口調にヘレンが嫌悪感を示す。

「ノウ! それはユー達と利恵の問題でしょ。ミーは巻き込まれただけよ」

 望海は不満そうに言い返す。

「けど、梢が突き飛ばしてなければやられてたよね?」

 モエの強襲を受けた時、そして逃げる際にトライデントで狙い撃ちされた時、梢の危険察知能力が無ければヘレンは無傷では済まなかったはずだ。

 それはヘレンも素直に認める。

「イエス。それは感謝してるわ。だから身体を張ってショットガンを防いだじゃない。それで借りは返したつもりよ」

「そんな単純なものじゃないよ! アンタのせいでアタシ達だって巻き込まれちゃったじゃない。アイツ等とは無関係だったのに」

 望海は自分が乙葉達と対立することになったのはヘレンのせいだと主張した。

 望海の言い分にヘレンが「そ、それは……」と口ごもり、背を向けた。

 梢はオロオロしながら2人の言い争いを見守っているだけだ。

 そこで望海がやれやれといった風に首を振る。

「あの女はバケモノだよ。もう、手に負えない」

 それは望海の本音だった。ハンマーとトライデント。それだけでも強力なのに、そこに玲実のグレネードが加わった。能力のこともある。それに人が変わったような利恵の雰囲気。あれは人を殺した人間特有の邪悪さのように望海には感じられた。

 次に望海はヘレンの後姿を眺めながら考える。先ほどの戦いぶりを見てもヘレンは本気で相手を殺そうとしていない。結局、彼女はライフル銃を使わなかった。威嚇射撃の一発だけだ。槍の使い方にしてもそうだ。モエに対しては戦斧を叩き落とし、乙葉に対しても突きではなく殴ることで致命傷を避けていた。本当に殺す気でいたならチャンスはあったはずなのに……。

 しばらくしてヘレンが提案する。

「やっぱり、ここで別れましょう」

 それを聞いて梢が「え?」と、不安気な表情を浮かべる。

 望海は、やっぱりねといった風に無言で首を振る。

 ヘレンが続ける。

「こんな状態で協力し合うのは無理ね。それに分散した方がお互いに守り易いわ」

 梢は涙目で頭を抱える。望海は唇を噛んで何か考え事をしている。

 双子からの回答が無いのでヘレンは周囲を見回して小さく溜息をつく。

「ふぅ。夜になる前に新しい家を探さ……」

 ヘレンの言葉が『ザッ!』という音に遮られた。

 そして、カクンと傾いたヘレンの頭がコロンと回って『トスッ』と積雪に落下した。それは一瞬の出来事でありながらスロー映像のようにも見えた。まるで誰かがいたずらで異物を投げ込んだみたいにも思える。それぐらい唐突で非現実的な出来事だった。

「ひっ!!」と、いう梢の悲鳴。何が起こったのか理解するのに数秒を要した。

 頭部を失ったヘレンの身体はゆっくり前のめりに『ドサッ』と倒れる。

 瞬速で振るった望海の剣によってヘレンの首は跳ねられてしまった。

「お、お姉ちゃん!?」

 梢の呼びかけには反応せず、望海は血に濡れた剣をダラリと下げてヘレンの生首を見下ろしている。

 ヘレンの首から吹き出した大量の血が、まるでかき氷に赤のシロップをかけた時のように雪を溶かした。


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