第22話 雪の町にて
梢がブカブカの長靴を雪に擦り付けながら顰め面を見せる。
「やっぱ、この長靴、生臭いよね?」
望海がそれを見て呆れる。
「もう。いい加減、慣れなさいよ。無いよりマシでしょ」
2人が履く長靴は、おそらく漁をするときに使用するものだ。そのせいかゴム臭に加えて生臭さが染み付いている。
梢は望海の着膨れした格好を眺めながら言い返す。
「だって臭いんだもん。てか、お姉ちゃん、雪だるまみたい。服、着すぎだよ」
「しょうがないでしょ。アタシ寒がりなんだから」
前を行く玲実が振り返って首を竦める。
「でも、しっかり準備して正解だったわね」
望海は白い息を吐きながら頷く。
「そうだね。さすがに昨日の装備じゃ無理だったよ」
昨日、意気込んで雪の町に乗り込もうとした玲実達だったが、トンネルを抜けて出くわした雪景色と寒さの洗礼で30分と持たず引き返してしまったのだ。そのリベンジとばかり、民宿街で防寒に役立ちそうな衣類や長靴を調達して入念な準備を行い、今日、再び雪の町に足を踏み入れたのだ。
しばらく歩いたところで望海が一軒の家に目を付けた。
「取りあえずあの家に入ってみようよ!」
望海はノリノリな様子だが玲実の返事は歯切れが悪い。
「そ、そうね。あまり気は進まないけど……」
お嬢様な玲実はやはり抵抗があるようで積極的ではない。
「お姉ちゃん、張り切りすぎ。もっと遠慮しなよ」
梢もどちらかというと消極的だ。
「何言ってんの? 食料確保の為じゃない。どうせ誰も居ないんだから」
そう言って望海は先頭に立ってズンズンと玄関に向かうと、呼び鈴を鳴らすでもなく玄関のドアに手を掛けた。
「うん。鍵は開いてるわね。取りあえず、ごめんくださぁい!」
ドアを開けて中に向かって呼びかけるが予想通り反応は無い。
十秒ほど待って望海が「うん。ではお邪魔しまぁす!」と、中に入ろうとする。が、その足がパタリと止まる。
「え? 靴脱ぐ所が無い。このまま入っていいの?」
望海の後ろから梢がひょっこり顔を出して室内を覗き込む。
「広っ! てか、これ玄関?」
最後に恐る恐る中に入ってきた玲実が周囲を見回して言う。
「どうやら外国の家みたいね。日本じゃないわ」
それを聞いて望海が「え!?」と、玲実の顔を見る。
玲実は冷静だ。
「なんとなくそんな気がしてたのよね。家の造りとか町の雰囲気が外国っぽいから」
望海は顔を強張らせながら笑う。
「全然、分かんなかった。アタシ達、外国どころか旅行なんて行ったことないから」
梢は不安げな様子で呟く。
「そうか。ここ、変な島だもんね。何でもありなんだろうね……」
取りあえず3人は1階を中心に部屋を1つずつ当たっていった。目的は食料や生活に役立ちそうな物の調達だが、やはり物珍しさと他人の家に無断で入っているという後ろめたさで家探しは捗らなかった。
キッチンとダイニングが隣接する部屋では脱ぎたてと思われるジャンバーが椅子に引っ掛かっていて、テーブルには飲みかけの紅茶と新聞、灰を長く残して燃え尽きた煙草が灰皿から転がり落ちていた。それを見て梢が「生活感、満載だね」と、苦笑いを浮かべる。
望海はそれらの様子を観察して「やっぱ、神隠しだわ。これ」と、推理する。
「やだ、お姉ちゃん! 怖いからそういうの止めてよ」
「だってホントのことじゃんか。何で消えちゃったかは分からないけど」
玲実が新聞の活字を眺めながら推測する。
「何語か分からないけど、やっぱりここの住人は外国人だったようね」
「それってドイツ? それともフランスかな?」と、望海は呑気に尋ねる。
その問いに梢が答える。
「ロシア語だと思う。絵文字で使ったことあるよ」
「へえ。この変な文字、英語じゃないことだけは分かるわ。自信をもって」
望海はそう言って胸を張る。
そんな姉妹の会話を聞きながら玲実は居心地の悪さを感じていた。他人の家に勝手に入るのは気が引ける。民宿や旅館はもともと宿泊施設なので抵抗感は少ない。が、やはり民家となると良心が痛むのだ。
そんな具合で3人の雪の町探索は始まった。
* * *
開け放たれた扉から吹き込む雪風もさることながらヘレンの登場に桐子は目を丸くした。
「ヘレン!? 今までどこ行ってたんだ?」
しかし、それには答えることなくヘレンは銃を構えたままグルリと室内を見回すと、ぶっきらぼうに「他に誰も居ない?」と、尋ねた。
何かを警戒している様子なのは分かる。が、銃口を向けられたことに対してイリアが憮然とした表情で答える。
「そうよ。私達だけ」
それを聞いてヘレンはホッとしたように溜息をつくと入口の扉を閉めてようやく銃を下した。
「ソーリー。少し休ませてもらっていいかしら?」
ヘレンは異様な格好をしていた。彼女は水色のセーラー服姿にビニールシートのようなものをマント代わりに身体に巻き付けている。おそらくは寒さ対策なのだろうが、それはまるで荒野のはぐれガンマンのような出で立ちだった。
桐子が怪訝そうにヘレンの服装を眺めながら言う。
「その恰好。寒かっただろ?」
「ええ。まさか砂漠の隣がこんな雪景色だなんて思ってもみなかったわ」
ヘレンの返答に「砂漠だって?」と、桐子が驚く。「ひょっとして、この先に砂漠があるのかい?」
「そうよ。ある境目を超えると砂漠になっているの。雪景色と砂漠が並んでいるのよ。有り得ないわ。まったく、この島はどうなってるの? クレイジーだわ」
ヘレンの言葉にイリアと智世が顔を見合わせる。
「智世、あれを」と、イリアに促されて智世がスケッチブックを出してヘレンに地図を見せる。ヘレンはそれをじっと見ながら感心した。
「オウ。それは見張り台にあった地図と同じね。ということは、ユーも見たのね?」
ヘレンに聞かれて「や、そういう訳じゃないけど……」と、智世が口ごもる。
彼女の代わりに桐子が答える。
「これは智世が乙葉の撮った画像を転記したものなんだ。だから実際に見た訳じゃない。実はボク達、この島の右半分には殆ど行ってないんだよ」
イリアが腕組みしながら付け加える。
「湿地帯を横切って右下の岬の辺りに行ったきりね」
「だからボク達、これからそっちを探索してみようと思ってたんだ」
「アイ、シー。なるほどね。ところで他の子達は? あの民宿には誰も居なかったみたいだけど?」
ヘレンは南風荘の事を言っているのだろう。そこで桐子は大まかに状況を説明した。
「ボク達6人は食料を求めて雪の町に行ってたんだ。あ、6人というのはここにいる3人と利恵、愛衣さん、和佳子だ。でも、ちょっとイザコザがあってね。あっちの3人とは別行動することにしたんだよ。で、玲実と双子は別行動で山海荘だったかな? 確かそんな名前の旅館に居るはずだよ。モエ達は出て行ったきりだし……」
そこまで言って桐子はハッとした。そしてヘレンの顔に出来た傷をしげしげと眺めた。ヘレンの傷はモエ達が南風荘を出る時につけられたものだ。彼女の顔には左頬から鼻、右の唇にかけて断続的ながら赤黒い一本の筋が出来ている。女の子の顔にそんな大きな傷跡があるのは実に痛々しい。
そこでヘレンが「知ってるわ」と、吐き捨てる。
長い沈黙を経て桐子が呟く。
「その傷……やっぱり消えないんだな」
ヘレンがその言葉に「ワット?」と、反応する。
桐子は苦々しい顔つきで答える。
「それ、モエの武器でやられた時のだよな。だから消えて無くならないんだ」
ヘレンは怪訝そうに桐子を見る。
「どういう意味? 説明してよ」
「どうやらこの世界では武器でしか傷つかないし、死なないらしいんだ」
「リアリィ!? 桐子。あなた、何を言ってるの?」
ヘレンは呆れたように桐子を問い詰めるが、イリアと智世の顔つきを見て目を丸くする。
「ノウ……それは本当なの……」
「ああ。ボクも信じられなかった。けど、雪の町で見つけた映像の子がそう言ってたんだよ」
そして桐子は自分のスマホで動画を再生してヘレンに見せた。ビデオカメラの液晶画面を撮影した物なので画質は落ちていたし音も割れていたが、その内容はヘレンを黙らせた。
さすがにヘレンもショックを受けたのだろう。彼女は目を閉じて唇を噛みながら考え事をしているようだった。そしてしばらくして急に目を開けると、イリアが入れた紅茶を半分ほど一気に飲んで「フゥ」と、大きく息を吐いた。
「アイ、シー。そういうことか。それで理解できた」
ヘレンは独り言のようにそう言ってもう一度大きく息を吐いた。
それを見て桐子がヘレンにシャワーを勧める。
「ヘレン、取りあえず着替えようよ。そのミノムシみたいなマントを外してさ。で、今晩はボク達とここで過ごそうよ」
「サンキュー桐子。そうさせてもらうわ。イリアと智美もサンキューね」
ヘレンは素直に感謝の意を示すとリュックを持ってシャワールームに向かった。そして、ライフル銃を持って行くことも忘れなかった。
* * *
外は随分と吹雪いてきた。日が暮れてしまったこともあって、玲実と双子の3人は4番目に探索した大きな家に泊まらせてもらうことにした。
空っぽの民家には食料が余り残されていなかったので思ったほどの成果はあげられなかった。とはいえ、まだまだ家はある。明日以降、頑張ろうということにして3人は思い思いにゆっくりと休んでいた。
ようやく探索に慣れてきた玲実は気分転換を兼ねてお風呂に入っている。好奇心旺盛な望海は上を探索してくるといって2階に行ってしまった。そこで梢は退屈しのぎに1階の書斎を見学することにした。
書斎は1階の奥まったところにあった。おそらくはこの家の主人のものだろう。大きなデスクに応接セット、そして部屋の奥には壁一面に書棚が並んでいて分厚い本が大きさや色別に綺麗に収まっている。それは図書館と違って飾りのように見えた。部屋の右手には田園の風景が描かれた絵が壁に掛けられている。さらにその隣には銅像があった。銅像は禿げ上がった外国人の上半身で、台座だけでも梢の身長の半分を超えている。それが有名人なのかこの家に関わる人間のものなのか梢には分からなかった。
「いかにもお金持ちっぽいなぁ」と、梢は感心しながら室内を観察して回った。そして本棚の前で膨大な蔵書の数に圧倒されながら独り言を口にする。
「せめて図鑑とか絵があるといいのに」
蔵書の大半は専門書なのか文学全集なのか分からない。が、どれも古くて高価そうなものだ。と、その時、明かりが消えて周囲が真っ暗になった。
「え!? なに? ヤダ! 停電!?」
梢はパニックになりながらドアに向かおうとした。目を瞬かせて暗闇に目を慣らそうとする。だが、突然、梢の顔に懐中電灯の明かりが照射された。
「きゃっ!」
まともに光を見てしまったせいで梢は完全に視界が奪われた。
「ちょっと止めてよ! お姉……」と、抗議しかけた時だった。目の前で『ヒュッ』という空気を切る音がした。続いて右方向で『ガゴッ!』という鈍い衝突音が生じた。
「ひっ!!」と、梢はしゃがみ込む。まだ視力は回復しない。だが、見えたとしても恐怖で目を開けていられないだろう。
暗闇の中で『ギュッ』という床を踏む音が聞こえた。そして再び空を切る音。今度は『ブンッ』という風に聞こえる。それに続いて梢の左側で『ガゴン!』という衝突音が響く。
梢は耳を塞ぎながらイヤイヤをした。
「止めて、止めて……」
身体が硬直して逃げることすら思い浮かばなかった。そうこうしている内に『ギュッ』と、不吉な予告があって『ブンッ!』『ガゴッ!』という一連の暴力的な音が容赦なく梢の間近で繰り返された。
「お願い……だから。止めて……」
梢の懇願が相手に届いたのか4回目のソレは起きなかった。代わりに『キュッ、キュッ』という遠ざかる足音と何者かが去っていく気配がした。
……とりあえず脅威は去った。
だが、暗闇の中で淡々と振るわれた暴力によって梢の精神はボロボロにされてしまった。その人物は無言で攻撃を仕掛けてきた。それが玲実や望海でないことは確かだ。
しばらくして明かりが復活した。そして望海と玲実が同時に書斎に入ってきた。
「梢!? どうしたの!」
望海が駆け寄ってきて震える梢を抱きしめる。
バスローブ姿の玲実が室内の様子を見て驚く。
「何があったの? 凄い音がしてたみたいだけど……え? これは!?」
玲実は破壊されたデスクや書棚を見て絶句した。
望海が梢のすぐ近くの床が大きく凹んでいるのを発見した。
「なにソレ……床に穴が開きそうじゃない」
梢はガタガタ震えながら姉にしがみつく。
「怖かった、怖かったよぅ……」
望海は梢の頭を撫でる。
「もう大丈夫。落ち着いたら教えて。何があったのか」
玲実はデスクに開いた穴と書棚の凹み具合を無言で観察する。そして険しい表情を見せる。
「何かが激しくぶつかったみたい……」
それを聞いて望海が「あの大きな音は……」と、思い出すような素振りをみせる。
望海に抱かれながら梢が必死に口を開く。
「真っ暗になって、誰かが襲ってきたの。何にも見えなくて。何かブンって音がして、ガコンて音が……1回、2回……3回も!」
玲実が首を傾げる。
「誰かに襲われたですって? 私はお風呂に入っていた時に停電になったんだけど……誰か入ってきたなんて気づかなかったわ」
望海も同意する。
「アタシは2階に居た時に突然、真っ暗になって驚いた。その後で下が騒がしいなって思って下りようとしたんだけど何も見えなくて……」
そこで玲実がハッとしてパタパタと部屋の外に出て行った。そしてしばらくして戻ってくると深刻そうな顔で報告する。
「玄関が開いているわ……」
そう告げてバスローブ姿の玲実はブルッと震えた。それは玄関が開いていたことによる外気の寒さなのか恐怖によるものかは分からない。
望海は「ちょっと待ってて」と、梢を置いて自らも玄関を調べに行った。そして玲実と同じように強張った顔つきで戻って来ると、やれやれといった風に首を振った。
「確かに半分開いてた。やっぱり誰かが侵入してきたんだわ」
薄々分かっていたこととはいえ、その言葉に梢と玲実が改めて恐怖する。
玲実が頭を抱える。
「でも、誰が何のために?」
望海は悔しそうに答える。
「分からない。けど、足跡があった。この家から離れていくように」
「そうなの? 外は雪だものね」と、玲実が頬に手を当てる。
「くっきりとした足跡だった。時間的に考えて犯人のものに違いないわ」
3人はおのおの書斎で考え込んだ。そして望海が決心したように頷く。
「うん。今夜は警戒しないと。武器を持って」
その言葉に梢が緊張する。
「ぶ、武器……」
玲実は怒りを含んだ顔つきで同意する。
「そうね。戸締りはするものの交代で見張りをつけた方がいいわね」
望海は手を貸して梢を立たせながら憤る。
「誰か知らないけど許さない!」
梢は姉の激怒する姿を不安そうに見つめる。
「でも、誰がこんなこと? もしかしてこの家の住人だったのかな?」
そこは玲実が否定する。
「住人ではないはずよ。この島はきっと私達15人だけだもの。だから犯人はその中の誰かってことになるわ」
玲実は明らかに仲間内の誰かを疑っている。それもこれまでの経緯からして候補は複数名いると考えているようだ。
望海も同じ考えのようで改めて破壊された箇所を点検しながら分析する。
「この跡……バットか鉄パイプか……」
しかし、梢が首を振る。
「ううん。もっと固いものがぶつかったみたいな音がしたよ」
玲実もしゃがんで丸く凹んだ床を眺めながら頷く。
「そうね。何かしら。丸い鈍器?」
望海がそれを聞いて「それならそういう武器を持ってる子が犯人ってことね!」と、いきり立つ。そして、ニヤリと笑みを浮かべて決意を口にする。
「あっちがその気なら……こっちも容赦しない!」
* * *
日中ずっと引きこもっていた和佳子がようやく部屋から出てきた。どうやらお腹が空いたらしい。
利恵と愛衣が作った夕食は、この家の冷蔵庫で見つけた冷凍牛肉と野菜を使ったボルシチもどきの『ごった煮』だったが、和佳子の鼻をくすぐった。
「何この匂い。超美味しそう!」
あんなに落ち込んでいたのが嘘のように和佳子の目が輝く。
それを見てエプロンを着けた愛衣が微笑む。
「和佳子さんもどうぞ。味は、まあまあだと思うわ」
ダイニングのテーブルにはシチュー皿と炙ったばかりのパンが、それぞれ良い香りを発している。和佳子は席に着くと、猛然とごちそうにかぶりついた。
「うひ、熱っ、でも、おいひい」
「あらあら和佳子さん。そんなに慌てなくても」と、愛衣が苦笑する。
愛衣と利恵は和佳子の食べっぷりを見ながらゆっくりとスプーンを口に運ぶ。彼女達が一口食べる間に和佳子は5口ぐらいそれを口に入れた。
愛衣がホッとしたような顔つきで言う。
「元気が出たみたいで良かったわ」
利恵も微笑みを浮かべながら頷く。
「本当。ずっと部屋から出てこないから凄く心配したのよ」
2人の視線に気付いた和佳子がバツが悪そうに首を竦める。
「ごめん。実はずっと寝てた」
それを聞いて利恵が眼鏡に手をやる。
「呆れた。てっきり落ち込んでるものだと思ってたのに」
利恵がそう言って軽く睨む真似をしたので和佳子が焦る。
「あ、テンション落ちてたのはホント。何て言うか……悔しいっていうか、何でこんなことになっちゃったのかとか、頭がゴチャゴチャになっちゃったんだよね」
そう言い訳しながらも和佳子のスプーンは止まらない。
「それにしても良い食べっぷりね。和佳子さんは本当に食べるのが好きなのね」
愛衣は素直にそう感想を述べただけなのだろうが、その言葉で和佳子のスプーンが止まった。そして皿に視線を落として辛そうな表情を見せる。
利恵が「どうしたの?」と、声を掛ける。
和佳子は俯いて何か考え事をしている。急に元気が無くなってしまった和佳子を案じて利恵と愛衣が顔を見合わせる。
しばらくして和佳子がポツリと呟いた。
「おばあちゃん……」
想定外の言葉に利恵が「おばあちゃん?」と、確かめようとした。
「うん。私の『食いしんぼう』は、おばあちゃんの影響なの……」
そう前置きしてから和佳子は皿を見つめたまま身の上話を始めた。
共働き両親の一人っ子として生まれた和佳子は、近所で独り暮らしをしていた母方の祖母に幼い頃から預けられることが多かった。キャリア志向の母は事実上、子育てを丸投げしていた為、自然と和佳子は大のおばあちゃん子になっていった。食べることが大好きだった祖母は和佳子が望むだけ食べ物を与えた。しかし、幼い和佳子がふくよかになっていくことを気にした母親が「おやつを与えすぎ!」といつも祖母に対して怒っていたことから和佳子は「食べるとおばあちゃんが怒られてしまう」と思って、ある時、祖母の前で食べることを止めてしまう。それを心配した祖母は「わかちゃんが好きな物をいっぱい食べてくれることがおばあちゃんの幸せ」と言ってくれた。祖母は「大きくなって好きな人ができたら自然と調整するはず」という考えの持ち主だったのだ。
その後、和佳子はおばあちゃんの笑顔を見たくて良く食べ、良く遊ぶ子になった。ところが和佳子が小学校2年生だったある日のことだ。道路を飛び出しそうになった和佳子をかばって祖母が交通事故に遭い亡くなってしまった。大好きな祖母が車に轢かれる現場を目の当たりにしてしまった和佳子は自分のせいだと思い込み、心に大きな傷を負ってしまった。さらに悪いことに、祖母を轢いた車の運転手が最悪な部類の人間だった。加害者とその妻は連日、和佳子の家に押しかけては「告訴を取り下げろ!」「飛び出してきたお前らが悪い!」と、両親を罵った。それなのに強く言い返せない両親。大好きなおばあちゃんを殺したにも関わらず謝罪すらしない加害者達。和佳子はその両方を憎んだ。彼等を憎むことでしか心のバランスを保つことが出来なかったのだ。幼い和佳子にとって、それは防衛本能のようなものだったのかもしれない。
和佳子は言う。
「私、時々、自分でも驚くぐらい残酷な気持ちになる時があるんだよね……」
その言葉は重い。少なくとも利恵にはそう感じられた。智世やイリアに向けられた彼女の強い敵意を目の当たりにしてきた利恵にとって、和佳子の告白はある意味、納得がいくものだった。
言葉を失った利恵と愛衣の様子に気付いた和佳子が「あは、ゴメン」と、作り笑いを浮かべた。そして、スプーンを動かす。
「ゴメン。暗い話で。さ、食べよ」
和佳子はそう言ってからスプーンを口に運んだ。しかし、ボルシチはすっかり冷めていた。
利恵も真似をしてスプーンを口に運ぶ。だが、美味しくない。熱い時は気にならなかったのだが、冷め切ってしまったボルシチは人参、ジャガイモ、タマネギ、肉の味がバラバラになってしまったように感じられた。そしてそれはまるで関係が冷え切ってしまった今の自分達を象徴しているように思われた。




